2024年5月15日水曜日

モリス・ラヴェル(1875-1937):証言

J. de Zoghebが回想する最晩年のラヴェルとの対話(E. Jourdan-Morhange, Ravel et nous, 1945, pp.250-251, 安川・嘉乃海訳, 1968, pp.298-299)

(...)
Et une question commençait, monotone : -- Comment allez-vous ? ... -- Mal. -- Avez-vous bien dormi ?... Il faisait non avec la tête... -- Avez-vous bon appétit ?... Il disait : Oui... -- Avez-vous un peu travaillé ?... Il secouait mélancoliquement la tête, et un brusque flot de larmes cachait son reganrd brun...
-- Pourquoi est-ce arrivé à moi ? disait-il. Pourquoi ?... Et, après un silence : J'avais écrit des choses pas mal, n'est-ce pas ?
Je le rassurais, de mon mieux, sur son oeuvre de diamant qui défierait l'injure du temps et l'outrage des hommes.
Et le lendemain, à l'heure habituelle, je revenais, avec angoisse, poser les mêmes questions.
(......)


「隣人」であったZoghebとのこの痛ましい対話は、Jean Echenozの小説(Minuit, 2006)にも変形を受けた上で組み込まれている(p.119)。 だが、そこではZoghebはラヴェルの問いに答えないことになっている。Echenozの小説も悪くはないが、個人的にはJourdan-Morhangeの回想に収められた Zoghebのこの回想の方が印象に残っている。「ラヴェルと私たち」は翻訳も丁寧なもので、著者の気持ちの流れのようなものを汲み取った訳文になって いると感じられる。ラヴェルの人を知るには欠かせないと感じられるだけに、現在入手が困難なのが残念である。(2007.6.23)


Jourdan-Morhangeが回想する最晩年のラヴェルとの対話(E. Jourdan-Morhange, Ravel et nous, 1945, pp.50-51, 安川・嘉乃海訳, 1968, pp.56-57)

(...)
A la fin de sa vie pourtant, malade, contraint à l'inaction dans le travail, il aimait réentendre ses premiers ouvrages : la dernière fois qu'il écouta Daphnis (Ingelbrecht conduisant l'Orchestre national), il fut extrêmement ému, sortit vivement de la salle, m'entraîna vers la voiture et pleura silencieusement : « C'était beau tout de même! J'avais encore tant de musique dans la tête! »
Et, comme je tâchais de le consoler en lui disant que son oeuvre était splendide et complet, il se fâcha : « Mais non, mais non, j'ai tout à dire encore... »
On ne peut penser sans une grave émotion à ce martyre enduré pendant ces dernières années : lutte incessante du génie et de l'homme terrassé en plein épanouissement créateur.


この悲痛なやりとりはJourdan-Morhangeの回想の導入をなす第1章の末尾におかれている。彼女は、このラヴェルの言葉を、その時に彼女が見た ラヴェルの表情―彼女以外には知るものがいない―を、是が非でも伝えたかったのだと思う。
自分自身、病のためにキャリアを中断しなければならなかったJourdan-Morhangeにとって、晩年のラヴェルの苦しみは勿論、 他人事ではなかっただろう。特に最後の一文の重みを感ぜずにはいられない。
勿論、こうした一次資料に記された「主観的な」コメントに異を唱え、ラヴェルの場合には心因的なものによって創作自体が堰き止められたのだ、 と主張されてしまっても、―私には、何を根拠にそんなことが言えるのか、全く理解できないのだが―原理的に反証不可能な事柄である以上、 完全に反駁することはできないだろう。だが―腹は立つから、あえてこうして書いているのだが―机の叩き合いなどしても仕方ない。 そうした主張が学問なり評論なりとしては意義あるものだとしても、そんなものは単なるラヴェルの「ファン」である私には結局不要なものなのだ。(2007.6.24)


Adornoの1930年のラヴェル論の末尾(Th. W. Adorno, Moments musicaux, 1964, Taschenbuch版全集17巻p.65, 三光・川村訳, 1979, pp.95)

(...) Aber vielleicht wird man später, in einer anderen Ordnung der Dinge, doch noch hören, wie schön man einmal, im Menuett der Sonatine, fünf Uhr des Nachmittags komponiert hat. Es ist zum Tee gedeckt, die Kinder werden hereingerufen, schon schallt der Gong, sie vernehmen ihn und spielen noch eine Runde, ehe sie sich mit dem Kreis auf der Veranda vereinen. Bis sie von dort loskommen, ist es draußen kühl geworden, sie müssen drinnen bleiben.


21世紀の今日の人間は、1964年の「楽興の時」に収められたこのラヴェル論の初出が1930年の「アンブルッフ」第12巻第4/5号であることに留意して 読むべきであろう。つまりこれはラヴェルの生前に書かれた文章なのだ。ボレロは書かれていたが、双子のような(これは似ているという意味ではない) 2曲のピアノ協奏曲はまだ書かれていない。ラヴェルが病のために頭にある音楽を書き留められなくなるまでには、わずかだが時間が残されている、 そんな時期に書かれたことを考えて読むべきなのだ。アドルノの方は、ラヴェルが晩年の沈黙に入るのを追うように、1933年のナチスの政権掌握の翌年、 ロンドンに亡命する。
シェーンベルクの音楽を研究し、高く評価していたラヴェルその人がシェーンベルクの一派の論客の書いたこの文章を知っていたかどうか、私は知らない。 アドルノは30年後に再びこの文章を論集に編むにあたって加筆をしたとの記述があるが、それがどの部分であるかは―初出誌との比較をすれば わかることなのだろうが、私にはそれができないので―これまた詳らかでない。またとりわけ、この末尾の一節を、すでにeiner anderen Ordnung der Dingeにあって 読み返したアドルノが、自身どのような思いに捉われたであろうかもまた知る由もない。
だが、更に40年以上の歳月が経過した極東の異邦でこの文章を読み、ラヴェルの音楽に耳を澄ませる人間は、それぞれがこのアドルノの言葉を 自分に向けられたものとして反芻することになる。(2007.7.17)


Jean Echenoz, Ravel, 2006 におけるRavelとZoghebの対話(p.119, 関口訳, 2007, p.110)

(...) Et chaque jour le même dialogue. Comment allez-vous ? demande Zogheb. Mal, dit Ravel d'une voix douce, ça va toujours de même. Et comme l'autre s'enquiert de son sommeil, Ravel fait non avec la tête. L'appétit ? poursuit Zogheb. L'appétit, oui, dit lointainement Ravel, assez. Et avez-vous un peu travaillé ? Ravel secoue encore la tête, puis des larmes viennent brusquement cacher son regard. Pourquoi est-ce arrivé à moi, dit-il. Pourquoi ? Zogheb ne répond pas. Puis, après un silence : J'avais écrit quand même des choses pas mal, n'est-ce pas ? Zogheb ne répond pas. Il reste avec Ravel jusqu'à huit heures et le lendemain, à cinq, il revient poser les mêmes questions. (...)


J. de Zoghebが回想する最晩年のラヴェルとのこの対話はE. Jourdan-Morhange, Ravel et nous(1945)に含まれるヴァージョンが良く知られている。 そちらはすでにこのページで紹介済であるし、個人的な考えも既に書いたので繰り返さない。ここでは最近入手した翻訳にちなんだ印象を。 Echenozはきっと今日の人気作家なのだろうし、この作品もモーリヤック賞を取ったのだったか、、、とにかく、すかさず翻訳が出たのには恐れ入った。
しかも日本語とフランス語の両方で詩作をする詩人の翻訳とのこと。ご本人が原文の文体上の特徴から、翻訳時に留意したことまで「訳者あとがき」で 書かれている。それを読み、特に時制に関するコメントを目にして、Claude SimonやRobert Pingetというのはすっかり過去の作家になったんだなと思い、かつまた 自分が親しんできた作家、例えばGeorge Perecがいかにマージナルな存在かを認識する。過去形と現在形の使い分けに関する自分の遠近感が、 全く狂っていることに気づいてぎょっとする。私はEchenozの小説を読んだとき、訳者がコメントしているような「珍しさ」など、全く感じなかったのだから!
詩人である訳者の日本語のリズムに関しては、これまた訳者が伝える、原作に対する読者の反応がそっくり当て嵌まるのだろう。Ravel et nousを はじめとする文献に現れるRavel像、そしてEchenozの原作を読んで抱いていたイメージ、そして日本語の訳文からうけるイメージがあまりに異なることに ぎょっとしたのだ。
私は詩人でも小説家でもなく、普段読むフランス語は、大抵の場合非文学的なものばかり、、、どちらかといえば非文学的な人間なので、ここでも 狂っているのは私の感覚なのは明らかなのだ。それゆえ「あとがき」で、こうまで書かれてしまうと、些かへこんでしまう。「日本語でどちらにむかえばいいか」は 明確だったのだというのだから、、、所詮は自分など、Ravelとはもの凄く疎遠な存在であることを嫌という程思い知る。恐らくは何もわかっていないのだ、と。
Ravel et nousと上記のEchenozの文章とを比べてみれば、訳者のコメントが妥当であることは良く分かる。だが、私がこの現在形から受ける印象は、 訳者の感じるそれとは全く逆といって良い。「今は消えてしまったラヴェルの声を再び現前させようとして」いるのだろうか? いや多分そうなのだろう。 私がそれを信じていないだけなのに違いない。恐らく、私はEchenozの小説も、この翻訳も読む資格のない人間なのだ。(2007.12.13,14)

(2024.5.15過去の記事を復元して再公開)

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