2024年5月13日月曜日

アントン・ヴェーベルン(1883-1945):ヴェーベルンへ―武満徹から

ヴェーベルンの音楽の主観的な極は私にとって(そう、これはあくまでも私的な印象の話なのだが)全く違和感のないものである一方で、その客観の極は明らかに自分の環境とは異なる時と場所を浮かび上がらせる。五感に感じられる感覚が生々しいゲオルゲ歌曲集にしても、一見したところ抽象的な「絶対音楽」であるようでいて、疑いのない清澄な空気と透明な光に溢れた高山の風景がはっきりと浮び上がる作品21以降の作品にしても、その感じ方の「如何に」には限りない親近感を覚えつつ、その風景は普段自分が生きている世界のそれとはどこか異なったものであるという感じを拭い難い。端的に、そんな湿度の、そんな光の調子の中で私は生きているわけではない。

そして丁度それと鏡像をなす場合というのは、私にとって恐らく武満徹の場合であろう。ある時、ふと気づいたのだが、私にとっての武満は、まず「流水」の作曲家である。それは私が育った環境にも関係があって、それは地方都市の郊外の田園地帯だったのだが、今思うと大変に水が豊かで、家の周りには常に水量の豊富な大小の水路が夥しく走り、実は、常に基調の響きとして、流水の音を聴き、その気配の中で暮らしていたのである。それを思えば、例えばウォーター・ウェイズに、あるいはまたリヴァランに、ほぼ生理的といってよい親近感、その音楽を聴くことで寛げるような感じを受けるのはある意味では自然なことなのかも知れない。

また例えば「トゥリー・ライン」のような音の空間に聴き取りうる風景は明らかに既視感を帯びたものだし(軽井沢のニセアカシアの並木は私にとっても馴染み深いものだ。)、武満の音楽に繰り返し現れる雨の庭は、ドビュッシーのそれとは異なって、すぐそこにある馴染みのものだと言い切ることができる。勿論、「風景」というのはある認識の様式を前提とするのであって、地理的に同一の場に居ることが、「風景」の共有を単純に保証するようなものではないが、これについては逆に、慣れ親しんだ音楽を通して「風景」の眺め方を聴き手が習得するという往還が存在することも無視できないだろう。音楽を聴くことは、単なる楽しみではなく、それは感受の、ひいては認識の様式を学ぶことでもあるのだ。従って「同時代性」というのが時間の次元についてだけに限定されているとしたら、明らかにそれ以上に、時空間の全体としての延長的な場の共有という点で、更にはそうした共有された場に対するある種の認識の様式をその音楽によって学んだといえるという点で、武満の音楽の「近さ」は特別なものと言いうるように思える。

武満が、小澤征爾との対談で、自分は日本の風景の中でしか音楽が書けないのだと言っていたのは、私なりに良くわかる気がする。確かにそれはまぎれもなく、自分の見慣れた、住み慣れた風景の音楽だし、とみに最近、能や義太夫などの実演に多く接するようになって、武満の音楽と、これまで慣れ親しんできた「西欧の」音楽との違いが一層はっきりと感じられるようになっている。そうはいっても、それは別に武満の邦楽への歩み寄り故ではない。武満の邦楽への接し方は、例えば第一線の武満研究者による解説書の中でさえ、「心中天網島」を八百屋お七の話と勘違いするような、私の様な初心者でもすぐに気がつく間違いが放置されたまま活字となって流通してしまうような受容サイドの関心の薄さとは比較にならないくらい徹底したものだったようだし、その作品は邦楽の伝統とは距離をおいたところで楽器そのものの性質を生かしたものであるように思えるが、それでも時折、場違いな感じがしたり、距離をおこうとする身振りが鼻につくような気がすることもある。そうしたこともあって実際には私は武満が邦楽器のために書いた作品はほとんど聴かないし(結局、日本人の書いた「西洋音楽」なのだ)、私が好んで聴く演奏は、ロンドン・シンフォニエッタやアンサンブル2e2mのような海外の団体が演奏したものが多いが、、そうした音楽に対するありようも含めて、武満の音楽が自分にとっては格別に「日本の」、そして「同時代の」ものであることを感ぜずにはいられない。

武満の音楽が持つ、或る種の認識の様式は、ヴェーベルンが晩年に彼なりの自覚をもって到達した場所(ただし、その自覚ゆえに、その場所で彼が感じたものは、著しく窮屈で四角張った仕方でしか「実現」されなかったように思われる)、シベリウスが周縁的な地域の特権を生かして、それが西欧の音楽の極限であることに多分はっきりとは気づかずに到達し、そしてそこで沈黙することを選んだ世界との関わりの様態と似ていながら、それらが到達点故の或る種の峻厳さと貧しさを備えていたのに対して、あまりに「自然」で無意識の(従って演技ではない)謙虚さと、更に一層謙虚であろうとする意識の動きと丁度対になるように、最初は厳しく、自覚的な貧しさを懼れないプロテストであったものが、その後ますます空間と時間の広がりを獲得していったように思われる。主観性は限りなく後退し、音の自然の法則・秩序に従うこと、音の流れを聴き、その有機的な組織を定着させること。かの地では最晩年のヘルダーリンの断片や、逼塞したヴェーベルンの音楽のうちでしか可能でない世界と主観とのありようが、ここではまるでそうするのが水の流れのように一番自然なことなのだ。

だが私はときおりその自然さに苛立つことがある。アレグロを書くことなくレントを書き続けることができ、なおかつその上に作品に匿名性を望むことができる謙虚な精神の強靭さを前にして、息切れを感じ、自分の卑小さにうんざりするからだ。「近さ」ゆえの、「自然さ」ゆえのかすかな苛立ち。それが不当なものであるとわかっていても、武満の音楽の持つ境地はある意味では限りなく遠く、その遠さが音楽を素直に享受することを時折妨げる。勿論それは武満の音楽の問題ではない。私はそれに反発し、それを批判することはできない。寧ろそれは、正しいのだけれど私にはまだできない、もしかしたら最後までできない世界との関わり方へのいざないなのだ。武満の音楽はその結果を音響として享受する分には大変に美しい。世界の認識の仕方は音をどのように秩序立てるかに反映する。丁度武満の音楽を聴くひとときだけ、あるいはそれと同じくらいのはかない経過のうちには、時折、私もまた世界をそのように受け止めることもできるだろう。だが、それは結局、一瞬の息抜きでしかない。武満の音楽を聴くことは、一見、見慣れた風景を自然な仕方で眺めることと似ているようで、それに尽きるわけではない。その認識の、世界との関わり方の様式は自然で、無理が無く、魅力的なものに見えるが、その音楽を聴いて「一瞬その気にさせられる」ことと、それを己のものとするのは、また別の問題なのだ。

そしてここで、私はヴェーベルンの音楽の風景に戻ってくる。過去の、異郷の未知の風景、別の種類の認識の仕方。そこでは「自然」は自明ではない。その一方でそうした認識の仕方を、今日、ここで、他ならぬ己のものとして引き受ける可能性があるように思える。

同時代の日本の音楽が持つ見せかけの自然さに無自覚に引きずられることなく問題意識を共有することはまた別の問題だ。それが可能な場合がある、少なくとも、思い込みでも勘違いでも、そのように感じられるような場合があることを、三輪眞弘の音楽を通して、私は幸運にも知ることができた。勿論その人の問題意識のありように応じて、その「場合」はそれぞれ異なるだろう。それだけにこうした経験はほとんど僥倖のようだ。

いっそのこと「他者」の展望を、風景をそういうものとして受け止めること。それと自分の風景との間に対応関係を樹立することが可能な場合を見出すこと。それは曖昧な同時代性や、単なる場の共有による「近さ」の意識とは別の親近感をもたらすことになる。ヴェーベルンは私にとってそうした存在なのだ。「道なき道」をともに歩む同伴者。(2005.4.16,2006.4.22加筆, 2008.4.10,12改訂)


0 件のコメント:

コメントを投稿