2024年5月13日月曜日

アントン・ヴェーベルン(1883-1945):指揮者としてのヴェーベルン

―幻想旅人團 「後の祭」の九鬼蛍さんに―

現在ではヴェーベルンは間違いなく歴史上重要な位置を占める作曲家であろう。だが、ヴェーベルンの場合にはそれは寧ろ死後の名声であった。それでは生前の彼は一体何であったかと言えば、指揮者であった、というのが恐らく妥当なところではないかと思う。

指揮者としてのヴェーベルンに触れることができる資料として、SONYのヴェーベルン全集に収められたシューベルトのドイツ舞曲のヴェーベルン自身による編曲の演奏があった。また、指揮者ヴェーベルンについての証言としてすぐに思い浮かぶのが、アドルノやベルクの賞賛の言葉だろう。それらは決まって彼のマーラー演奏に対するものであるのは興味深い。ヴェーベルンは「マーラー指揮者」だったというのだ。(アドルノはマーラー論の中で、その第8交響曲の演奏―とりわけ第1部の"Accende lumen sensibus"の部分―について述べているし、ベルクは書簡で第3交響曲の演奏を絶賛している。)更には第6交響曲のリハーサル風景の写真も良く知られていて、幾つかの書籍で見ることができる。

だが現時点では、そうした断片的な情報によらずとも、かなりまとまったイメージを
日本語の文献によって知ることができるようになっている。岡部真一郎「ヴェーベルン 西洋音楽史のプリズム」(春秋社2004)は、これまでのところ日本語で書かれた最も包括的なヴェーベルンについての文献(それどころか、書籍の形をとったモノグラフとしては唯一と言ってよい)だろうが、その第8章は「コンポーザー=コンダクターの肖像 指揮者としてのヴェーベルン」と題され、ヴェーベルンの指揮者としてのキャリアについて60頁程を使って紹介がなされている。邦訳の無いモルデンハウアーやベイリーの伝記に拠らずとも、これを読めばヴェーベルンの指揮者としての活動についてかなり具体的なイメージを持つことができる。

彼を職業指揮者と呼ぶかどうかの判断基準は様々だろうし、上記の文献での岡部さんの評価もなかなか厳しいものだが、ヴェーベルンも何を生業とするかを決める時点で、地方の劇場の指揮者になろうと志したわけだし、たとえ挫折の連続だとしても、一応契約をし、職務を果たそうと彼なりに努力したように思える。契約をした、ということはきちんとギャラも貰っていたわけで、指揮者としての活動がなければそもそも彼は家族を養うことはできなかったであろう。

確かにヴェーベルンの指揮者としてのキャリアが本格的なものであったといえるのは、1920年代から1930年代半ばまでの短い期間であったかも知れない。だが、この時期にはエージェントもついて、BBCからも招聘もされており、一応、国際的な活動をしていたと言える。また、自作を指揮するだけの作曲家とは異なって、彼は若い頃はオペレッタも振ったし、本格的な活動時期には、自作や自分の楽派の作品だけでなく、マーラーも振ればミヨーも振るし、古典的なレパートリーもこなすことができる指揮者であったようだ。

私の見たところ、いわゆる中堅どころの指揮者の活動というのはこんなものではないかと思う。(これは今日でも、日本においてもそうだと思われる。一部の花形指揮者を除けば、時折プロのオケと契約するけれど、基本的にはエージェントを介して客演の仕事を見つけ、アマチュアのオーケストラの指揮をもこなす、というのが、「普通の」指揮者ではないか。ということで、ヴェーベルンは「生前は」中堅の職業指揮者であった、というのが私の認識である。(もっともこれは、彼自身の「自己認識」とは全く関係がない。彼は恐らく、指揮者という職業を腰掛け仕事とは思っていなかったろうが、天職と思っていたとは思えない。勿論、彼自身は己を作曲家であると思っていたに違いないのだ。)

そうは言ってもヴェーベルンが例えばマーラーのような「成功した」「花形の」指揮者であったといいたい訳ではない。またヴェーベルンが「作曲もする指揮者」だったと言って良いかと言われれば正直なところためらいは感じないでもない。これまた例を挙げればフルトヴェングラーやクレンペラーのような「大指揮者」に彼はならなかったし、彼自身の自己認識はおくとしても、生前はともかく、死後の作曲家としての評価の方は揺ぎ無いものだから。

でも作曲家としても生前は全く売れなかったから、彼を職業作曲家と呼ぶのは、職業指揮者と呼ぶ以上に無理があるだろう。もし彼が指揮者としてアマチュアなら、作曲家としてもそうだった、ということになってしまうように私には思える。個人的には、彼が職業として(もしかしたら総合的にみてそんなに適性があったとはいえないかも知れない)指揮者の仕事に取り組んだ、その苦衷を知るにつけ、職業人としてはその才能に見合ったほどには成功しなかった彼を気の毒に思う。出世しなかったから職業としていたとはいえない、ということはなかろうから、やはり職業指揮者ヴェーベルンというのを認めてもいいのではないかと思う。

ところで、ヴェーベルンの指揮者としての記録としてはもう一つ、ベルクのヴァイオリン協奏曲の録音が残っていて、現在はCDで聴くことができる。ヴァイオリンは初演者のクラスナー、管弦楽はBBC交響楽団。これは、この曲のイギリス初演の顔ぶれであり、実際1936年5月1日にラジオ放送のためにBBCのスタジオで行われたイギリス初演の演奏の記録なのである。

実は世界初演もまた、クラスナー、ヴェーベルンのコンビでバルセロナで為される筈だったのだが、ヴェーベルンはリハーサルをうまくこなすことができずに、直前になってキャンセルしてしまった。窮地を救って初演を実現したのはヘルマン・シェルヘンだった。イギリス初演については、それまでのBBCへの度重なる客演の積み重ねも貢献したのであろう、無事に果たすことができ、その結果この録音が残されることになったということだ。(このへんの経緯もまた、上掲の岡部さんの著書に詳しい。)

記録の状態は決して良いものではないが、それでもなお、些か極端なまでにありとあらゆる声部が表情づけされ、繊細だが強烈な表出力を持つヴェーベルンの演奏様式を窺い知ることは可能であると思う。そしてそれは、作曲家としてのヴェーベルンが残した作品の持つスタイルに間違いなく見合っていると感じられるのである。音質の制約から、この録音のみで作品を把握するのは困難だとは思うが、ヴェーベルンを知る記録としては大変に貴重なものだと思う。(初稿2005.7。もともと私信として書かれたものを改稿・加筆。)

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