2024年5月23日木曜日

アントン・ヴェーベルン(1883-1945):後期ヴェーベルンはニヒリズムか (2024.5.23改題・改訂)

(2024.5.23 お詫びと訂正の追記)「後期ヴェーベルンはデカダンスか」というこの小文の旧タイトルは、「後期ヴェーベルンはニヒリズムである」という、2008年10月11日の三輪眞弘さんの新作演奏会での鼎談での西村朗さんの発言を、私が聞き違えて記憶したものに基づいています。(ふとしたきっかけで、この鼎談を収録した2009年冬刊行の『洪水 第3号 特集 三輪眞弘の方法』の当該記事を再確認したところ、西村さんは「ニヒリズム」という言葉は繰り返し使っていますが、「デカダンス」とは言っていないことがわかり、大慌てでこの文章を記している次第です。)
 元の文章では、こうした場での発言を前後の文脈から切り離して論じることには危険が伴うといったことを書いていますが、お恥ずかしいことに、それ以前の問題としてそもそもが私の記憶はどうやら不正確であったらしく、誤認に基づくタイトルの記事を書いて公開した儘、ずっと気付かずに、訂正もお詫びもなく掲載し続けていたことについては弁解の余地がありません。ところが直接それを西村さんにお知らせしようと思っても、誤認に気付いた時には、西村さんは既に逝去されていており、お詫びのしようがなく、この場にお詫びと訂正の追記をすることしかできないのは大変に遺憾です。
 その一方で、この小文の主旨を踏まえた時、「ニヒリズム」を「デカダンス」と聞き違えたことが、どの程度大きく影響しているかという問題が別にあります。ここでは西村さんの発言に合わせて、タイトルを「後期ヴェーベルンはニヒリズムか」に改め、文中の「デカダンス」を「ニヒリズム」に置き換えても、主旨には大きく影響しない、それどころか、特定のある時期の西欧の思想的傾向に限定され、より一般に「人間」の解体、「ひとのきえさり」が問題になっているのだとすれば、寧ろより適切であると判断し、そのような修正をすることにしました。
 実は執筆時点で私の念頭にあったのは所謂思想的な傾向としての「ニヒリズム」というより、個人的な創作のプロセスにおける「踏み外し(faux-pas)」としての「デカダンス」(この言葉は俗ラテン語のdecadereに由来していて、「カダンス」からの逸脱、破調、破格のようなニュアンスを含むものとして、従って、通常、文化史で用いられる特定の時代(19世紀末)の特定の思潮を指すものとしてではなく用いたものでしたが)の方で、ヴェーベルンについて言えば、後期に至って、道を踏み外し(この見方に立てば、作品23のヨーネ歌曲集が、ヨーネの詩集「道なき道」に所収の詩によるものであるのは偶然にしては出来すぎているということになるでしょうが)、或る種の袋小路、行き止まりに陥ったのではないか、という疑問を取り上げたものであって、それが「ニヒリズム」といったような思想的な傾向に属するものであるかどうかを問題視していたわけではありませんでした。そのことを踏まえれば「デカダンス」という言葉に独自の意味合いとニュアンスを持たせて使っていることについて元の小文で一切の注記をしなかったことも問題で、「後期ヴェーベルンはデカダンスである」という言葉が独り歩きすれば、それは後期ヴェーベルンを、例えばボードレールやワイルドと一緒にするという、とんでもない混同をしていると受け止められてしまい、かつ、それを西村朗さんの発言であると記したのは、大きな誤解を招きかねないミスであったことになります。この点も含めて、遅ればせではありますが、重ねて西村朗さんに対してお詫びを申し上げます。

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「後期ヴェーベルンはニヒリズムである」とは西村朗さんの発言で、先日(2008年10月11日)の三輪眞弘さんの新作演奏会での鼎談でのものである。こうした場での発言を前後の文脈から切り離して論じることには危険が伴うのだが、ここではその発言の真意を探ることが目的ではなく、くだんの発言をきっかけに、自分がどのように「後期ヴェーベルン」を受け止めているかを再度確認してみたくなっただけのことである。事実としてきっかけはかくの如くであったのだからそれは書き留めておくことにしよう。もし西村さんの発言に寄り添うならば、「後期ヴェーベルン」とは一体何時から始まるのかという点についても検討が必要に違いないが、ここでは私が常日頃漠然とそう感じているように、Op.21の交響曲からOp.31の第2カンタータまでを指すものとする。この区分は別に奇を衒ったものではなく、ごく一般的なものだとは思うし、別段楽曲分析などしなくてもOp.21からはっきりと作品の雰囲気が変わることは聴けば明らかなことだとは思うが。

例えば私がずっと聴いてきたケーゲルのヴェーベルン作品集にはOp.21が含まれている。ヴェーベルンは中期にはほとんど歌曲ばかりを書き続けていたから、このような管弦楽曲集ではOp.21だけ明らかに雰囲気が違っていて、それが一応調性のあるOp.1といわゆる無調期のOp.5,6,10との間の差よりも遙かに大きいように感じられるというのは考えてみれば不思議なことかも知れない。だが近年人気があるらしいヴェーベルンの習作期のはっきりと調性のある作品群とOp.1を比べると、こちらはこちらで無調期の作品に寧ろ近いものに感じられるのだ。習作期のヴェーベルンを聴いてヴェーベルンが捨ててしまったものを惜しむ声があるのは理解できないではないが、けれどもこの点については私の嗜好ははっきりしていて、私は最初にはOp.10の、ついでOp.3,4のヴェーベルンに魅惑されたのだから、私にとって調性がないことは壁であるどころか、寧ろ魅力の源泉であったのだ。調性がない「にも関わらず」魅力ある作品ではない。ヴェーベルンが選んだ手法はその音楽の実質に見事に見合っている。結局、恐らくOp.1以前の様式の範囲で熟達が達成されても、私にとってはさほど魅力的な作品にはならないに違いない。

だがその一方で、それら初期の無調の作品の控えめだけれどもしなやかで強い表出性への傾倒は、後期の作品群への距離感と裏腹なものであったことは否み難い。そうはいってもそれがヴェーベルンの作品であることは間違いなく、他の同じ技法による作品とははっきりと異なって響きはするけれど、それでも後期作品の佇まいには何か近寄り難いものを感じていたのは事実である。一般には主観的なものから客観的なものへの移行があった、否、そこには或る種の弁証法的な逆転、相転移があったとされるようだ。素材の透明化を進めていくヴェクトルが、素材への主体の強制の忌避となり、かえって主観の透明化を招来した、などなどといった説明が可能で、そこでの主体の没落が、そもそも無調期の表現主義的なヴェクトルのある意味では自然な帰結でありえる(没落を予感する主体の叫びが、無調期の強い表出性をもたらしているとするわけだ)が故に、ここにニヒリズムを見ることも確かに可能かもしれない。12音技法をファシズムと短絡させることに批判はあるけれど、そうした連関への嫌疑を惹き起こすだけのものが文脈の側には備わっている、というわけだ。

だが、同様に(もちろん実際の具体的な様相は異なっているが)やはり些かの距離を感じていた中期歌曲が「わかって」しまうようになり、しばらくするうちに後期作品の聴き方も随分と変わってきた。勿論それが初期の無調作品のように主観的に響くということはないし、後期作品の持つ或る種の客観性、情緒的なものをほとんど受け付けないような、鉱物的とでもいえるような透明感の印象は変わらない。変わったのはその音楽から受ける印象がずっと具体的で生き生きとしたものに感じられるようになったこと、そして作品を見つめるヴェーベルンの視線のようなものが感じられるようになったことである。歌詞のある作品についても音楽と歌詞との間にギャップがほとんど感じられなくなってきたのである。印象派的ではないけれど、そこには風景が存在する。光の調子や空気の感じが伝わってくる。それは作品の内容とは直接関係ないかも知れないが、少なくともヴェーベルンが一体何にインスピレーションを得てこのような作品を作ったのかがわかるような気がする。もっと言えばヴェーベルンが何故このような作品を作りたかったのかがとてもよく分かるような気がしてきたのである。それをニヒリズムと呼ぶかどうかは、少なくとも私にとってはどうでもいいことだ。ニヒリズムならきっとわかるようになってきた私もニヒリズムに陥りつつあるのかも知れないが、それでも別に構わないように思われる。

ヴェーベルンは恐らくここで作品を自分が恣意的にでっちあげたものだという考えを持たなかったろうし、それはヴェーベルンがまさに目指していたことに違いない。だとすればこれはうまくいっているのだ。例えばOp.21の第1楽章はマーラーの第9交響曲の第1楽章のすぐ隣にあるのは間違いない。でもここにはマーラーにあった主観的なものが根こそぎ取り払われていて、自我が抱え込んでいる自己の有限性故の葛藤は端的に存在しない。でも、この音楽は抽象的な音の戯れなどでは全くない。ヴェーベルンが多くの時間を過ごした山の風景が、その空気や光が一杯に後期の作品群の中に閉じ込められている。そしてその輝きを、生気を、清々しさを私はその作品を通じて一杯に浴び、吸い込むことができる。感受の感受、感受の伝達はここでも起きている。

ヴェーベルンは後期に至って、若き日に研究したフランドル楽派の音楽と、自分の音楽とを突き合わせるということをしているし、ゲーテの原植物や、法則という意味でのノモスについて言及してもいる。(これらは翻訳もあるヴィリ・ライヒ宛書簡で読むことができる。)フランドル楽派のような音楽への接し方は、果たして退行なのか。そこにはニヒリズムを認めるべきなのか。主観性を超えた秩序、法則の反映として音楽を考えるという、ピタゴラス派的と言って良い姿勢(ただし、それは主知主義的であるとは限らない)もまた、ニヒリズムなのだろうか。それぞれの具体的なありようは異なるが、各自の仕方でそうした客観の側の秩序(無秩序でも構わないが、とにかく一般にイメージされるロマン派的な「主観性」とは対極にあるそれ)と自らの音楽との関係を探求した人たち、例えば後期のシベリウスは、クセナキスは、三輪眞弘のアルゴリズミック・コンポジションは、これらもやはりニヒリズムなのか。勿論、それらを単純にひとくくりにすることはできないが、それなら再びヴェーベルンの場合に戻って、その生成の文脈を離れて、今、ここで私が向き合っているその作品にニヒリズムを認めなくてはならないのだろうか。

ここで私はヘルダーリンの最晩年の断片の幾つかを思い浮かべる。ヘルダーリン伝を書いたホイサーマンが「(...)生は次第に主観的な色調と緊張を失う。さまざまな現われは客観的なもの、幻影のようなものになる。」(野村一郎訳)と書いたような断片たちのことを。例えば「冬」Der Winter、あるいは、ヘルダーリンの絶筆となった「眺望」Die Aussichtといった作品の背後にある認識をまた、ヴェーベルンの後期作品同様ニヒリズムと呼ぶかどうかは最早どうでもいいことのように思える。私にとってはいずれもかけがえのない作品であること、否、それどころか、慎ましいものではあるけれども、私の生命よりもそれらの作品達の方がずっとずっと永い生命を持ち、これからも受け継がれていくこと、遙かに大きな価値を有するものであるということを確信できるだけで私には充分である。(2008.11.2,3, 2009.11.8改訂, 2024.5.23 西村朗さんの発言に関する誤認についてのお詫びと訂正を冒頭に付記し、内容を一部修正して改題した上で改訂版として公開)

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