2024年4月12日金曜日

「架空の島の唄」としてのシベリウスの音楽について―新保祐司『シベリウスと宣長』を巡って―

 マーラーの音楽が根無し草の「ありえたかもしれない民謡」だとして、では「国民楽派」として従来括られてきた彼らの音楽を、異邦人である私が聴くとき、一体何を聴いていることになるのでしょうか。マーラーとの関りということなら直接にはチェコの音楽ということになりますが、同じような事情はシベリウスについてもあるかもしれません。例えば国文学者で優れた透谷についての研究のある新保祐司さんに『シベリウスと宣長』というのがあって、タイトルから想像した通りの私にとっては非常に気味の悪い、シベリウスの音楽は「清潔」であって、それが宣長に通じるという話ー政治的にナイーブすぎてナチシンパだったヴェーベルンが日本参戦を聞いて「純粋な民族」といった、とんでもない発言をしているのを思い出してしまいますーになっているのですが、新保さんは『海道東征』の復活上演に深く関わっているようで、信時についての著作もあるので、『シベリウスと宣長』への違和感という形で取り上げた方がいいのでしょうし、それはそれでやればいいのでしょうが、そもそも私はシベリウスを「国民楽派」として聴いていないー演奏者としてはベルクルントがはっきりそう言っていて、その演奏と一貫してもいて、ともども共感できますーので、そもそも話がかみ合わないのですが。そういえば、透谷についても新保さんのようなアプローチは基本的に違和感があって、私は透谷に対して明治の精神とかはなしで接しているので、透谷に関しても一緒にプロテストができてしまうかも知れません。

 本当は「架空の島」と言うとき、それがチェコとかフィンランドとかグルジアのような民族なり国家なりの文化的場なのか、もっと個人的なものなのか、という点に辿り着きたかったのですが、結局時間切れのようです。なんでそんなことが問題になるのかと言えば、マーラーの場合、故郷とか風土的なものは徹底的に疎外されて「ありけたかも知れない」ものであることがはっきりしているので、寧ろ当惑することがないし、三輪眞弘さんの場合にも、マーラーの場合とは理由は違うけれど、それが柴田南雄さん的には(あるいは民謡採集者、民俗学者、人類学者にとっては)日本民謡の「音楽の骸骨」であっても、常に・既に「ありえたかも知れない」日本だし、それをMIDIアコーディオンの誰でもない声が「歌う」という前提があるから「海ゆかば」を聴くことが可能になるので、やはり当惑はないのですが、そうでない場合に向き合ったときに、それが自分が子供の頃から慣れ親しんだ音楽にも関わらず、というか寧ろそうであればあるだけ猶更、どう向き合ったらいいのか困ってしまうからなのです。

 ということで、新保祐司さんの『海道東征』に関する著作2つ、取り寄せてざっと目を通して感じたことを以下に記しておこうと思います。敢えて読みました、とは言いません。忌憚ない言い方をすれば、読むに堪えない内容なので。先行して信時についての著作もあるようで、これも取り寄せましたが、後続する『海道東征』本で自己参照しているのを読んで想像していた通り、これも読むのがつらかったです。新保祐司さんも取り上げていたと思いますが、透谷と同じく没落した士族の子弟で、徳富蘇峰と並んで、キリスト教に接近して後帝国主義者に「変節」した人に山路愛三という人がいて、新保さんお気に入りの内村鑑三に「余は何故に帝国主義の信者たる乎」と題する(当然これは内村の「余は如何にして基督信徒となりし乎」のもりじなわけですが)公開状を突き付けたりしています。内村にすれば、徳富蘇峰と山路愛三は同じ穴の狢、「君子豹変の実例」と返したのですが、私にすれば、内村が肯定した日清戦争に対して既に反戦を唱え(なので、反戦運動の先駆けとされることがあるようですが)、でもそれからすら落伍して縊れて自死して果てた透谷が見ていたものは、内村とも更に別の何かだったに違いなく、だけれどもそこここで新保さんが参照しては賞揚する内村よりも、新保さん自身は寧ろ愛三に近しくなってしまっているのではないかという危惧を抱かざるを得ません。そんなことを言おうものなら、素人が何を言うかと一蹴されてしまうのでしょうが。

 小林秀雄の「モオツァルト」がきっかけで評論家を志したと述べる新保さんの評論なるものは、新保さんが小林秀雄を評価する点、つまり自分の実感なるものを恃むことから、結局ちっとも対象を語らず己の感興を語るに終始するように思えて、対象が『海道東征』だからというわけではなく、『シベリウスと宣長』や、(唯一マーラーの第3交響曲のアダージョについての文章を含むということで、それを読むためだけに取り寄せた)『詩情のスケッチ』なる評論集において既に相容れいないものを感じます。嗜好が合わない、立場が異なるというのもあるのですが、寧ろ、その批評のスタイルが私にとっては耐え難いもののようです。新保さんの別の本のアマゾンのカスタマレビューで以下のように言う人がいて、私だけの思い込みというわけでもないらしいとわかって安堵したような次第です。曰く、

「本書では、和洋の様々な詩人、批評家、音楽家と結びつけて、その崇高さを盛んに言うのだが、類似性を言われたからといってなんなんだろう。いったいどこが現代社会への根源的問なんだろう。さっぱり分からない。批評とは思わずに気楽なエッセイとして読めばいいんだろうが、それにしても著者自身の思いをつらつらと述べているように思えて面白くなかった。まあ、こちらの頭が悪いだけかもしれない。」

 とはいうものの、ここで報告したいのはスタイルの問題ではなく、主張の実質の方で(とはいえ小林秀雄の場合と同様、両者はどこかで共犯関係にある筈ですが)、新保さんは、山田耕筰と信時の二人を取り上げてロシアの五人組、スメタナやドヴォルザーク、シベリウス同様の「国民楽派」「日本楽派」なのだと言います。そして信時は個人的天才ではなく、民族的天才なのだという。上に書いたような次第で、もちろん民族性とは何か、民族的天才とは何かの説明などありません。天才概念と民族性がどうしたら共存しうるのかとか、実は「国民楽派」というのはフィクションに過ぎないのではないかとかもないし、シベリウス本人が自分が国民楽派だとは思っていなかったという事実(を知っているかどうかすら怪しいですが。何しろ菅野浩和さんの紹介以来、既に半世紀以上の年月が経っているというのに、相変わらず言及するのはもっぱらセシル・グレイだし…)もそっちのけ。本の帯に「私たちは、なぜこの曲に心打たれるのか」とあるけれど、実はそれは反語的でしかなく、「私はこの曲に心打たれた」「この曲に心打たれないない輩はわかっていない」ということをひたすら繰り返しているに過ぎない。戦前の復活などということをいうのは浅はかだというけれど、なぜそう断言できるかの説明はなく、結局「私はこの曲に心打たれた」に行き着く他ない。これは或る意味では無敵です。同語反復、AだからAなのだで済ませるのは、論理の停止なので。

(さらに付け加えると、新保さんは諸井三郎さんの第3交響曲について、秀才の書いた大変立派な交響曲だけれども、「日本人がその交響曲で表現したもの、歌ったものはあるかというと、諸井三郎は何を歌いたかったというのはないんです。」と断定します。もちろんこれは嗜好の問題に過ぎないかも知れないけれど、私には信じ難い意見です。それはあなたには聞きとれないだけだとは思わないのですか?と聞きたくなります。しかも、上記の引用は、新保さんのレトリックの或る意味での典型を示している。日本人として何かを歌うのでなければ、作曲者が歌うことになど価値はない、という恐ろしい論理が透けて見えるように思います。そしてその論理の下では、後期の交響曲などではなく「フィンランディア」こそが顕揚の対象になっている。そこから『シベリウスと宣長』に逆に線を引き直すとどうなるか?後期の交響曲に新保さんが聴きとっているらしい「純粋さ」その他の一連の形容詞は、私が同じ形容詞を使うときにそこに見ているものとは全く異なるのだろうな、と思うほかありません。)

 ということで、一つ宿題を抱えてしまったように感じています。シベリウスについては、新保さんとは異なって私は「国民楽派」という枠組みは不要だと思うし、そのように対して来ました。勿論、彼の音楽の持つ周縁性というのは確実にあって、しかもそれが三輪眞弘さんの「新調性主義」とは異なる仕方で、三輪さんがそこで仰るところの「接続」を試みたものとしてとらえることができると思っています。だけれどもそれは宿題のうちの半分だけで、残りの半分として、チェコの「国民楽派」と呼ばれている作曲家の作品に異邦人の自分が聴きとっているものは何なのかについても、正確に言い当てなくては片手落ちのように感じています。

 それらに関して、素朴で、もしかしたら下らないかも知れないけれど、否定することができないアイデアが浮かんで来ています。ものすごく乱暴に言えば、「我が祖国」は、それが成就した、あるいは成就しつつあることへの賛美・賞揚ではない、そのようなものとしては受け取っていないのではないか?「我が祖国」は「ブラニーク」で終わりますが、「ブラニーク」は、現実には白山の戦いでフス教徒たちは壊滅してしてしまったという事実から出た黙示録的なビジョンとしての「物語」に過ぎません。それは「…という夢をみた」という構造を備えているのです。それは「古事記」や特に「日本書紀」がそうであるような、支配の正当化の道具として「歴史」ではなく、ついに「歴史」になることができなかった敗北者のバラードであって、だからこそ、私のような異邦人が自分の居場所を見つけることができるように感じるのではないか?

 実はこの点では、フィンランドにおける『カレワラ』の位置づけはずっと微妙ですが、シベリウスとの関りにおいてなら、私にとって彼のいわゆる「標題音楽的」な作品は『カレワラ』に取材したものも含めて私にとっては疎遠であって、辛うじて「タピオラ」のみが例外で、私はそれを破棄された交響曲第8番の代補として、寧ろ交響曲として聴いているので、そのような形での問題は起こらないのですが、だからといって全く問題がないということにはならない。逆に一世紀後の異国で「タピオラ」と同じようにして彼の交響曲を聴くという時、結局そこで私が聴きとっているものは何なのかという問い自体は依然として残り続けます。シベリウスが『カレワラ』の、森の神タピオに関する一節を引いた時、そこに見ていたのはフィンランドの国家や民族としての歴史でもなく、それに近いものとしては「風土」のようなもの、だがそれも風土論として一般化できるようなそれではなく、もっと彼自身の世界との関りの様態の構造のような個別的なものの消息ではなかったか、そして子供の頃の私は、西洋音楽の歴史やそこに存在してきた規範といったものを抜きにして無媒介にそれを感受し、それに同調するような自己の在り方を無意識的に選び取ったのではないかと思うのです。

 新保さんの信時の方の規定、つまり彼は山田耕筰とともに「国民楽派」「日本楽派」であり、彼個人は個人的天才ではなく、民族的天才なのだという規定の当否は一旦措いても(というのもそれには私は端的に関心がないからで、寧ろ私は新保さんが価値を措かない諸井三郎の作品に見られる「反応」の方に共感するからですが)、ことシベリウスの側については、彼は(同時代の彼の周辺の人たちがそう看做したとしても尚、彼個人としては)フィンランドの「国民楽派」ではないし、彼は民族的天才であるより個人的天才であったというのが私の了解です。(稍々話が逸れてしまいますが、フィンランドという国家について言えば、ラップランド地方を中心にサーミ語話者がいるだけではなく、歴史的事情から寧ろかつての支配的階層であったスウェーデン語話者がいて、シベリウスは実は後者に属するという点を指摘していくのは意味のないことではないでしょう。チェコの「国民楽派」を代表するスメタナやフィビフの母語がチェコ語ではなくドイツ語であったように、シベリウスの母語はフィンランド語ではなくスウェーデン語で、フィンランド語は「後から」習得したものであるそうです。それ故か、彼の声楽曲では歌曲はスウェーデン語の詩に曲をつけたものが大半を占めるようですし、唯一の歌劇もスウェーデン語、フィンランド語は合唱曲が多いという話を聞いたことがあります。)彼の後のフィンランドに、私がわずかでも接したことがある限りでも、例えばコッコネンのような優れた作品を書いた作曲家がいることを知らないではありませんし、その作品を支える論理について、ユニークなものーーそれは再び「周縁性」の特権によるものかも知れませんーーが感じられるのは確かなことに感じられます。そしてコッコネンの音楽にシベリウスと共通する風土的な何かを見出すことも可能でしょうし、そうした風土的なものに惹かれる側面もあるけれど、それがツーリスティックな関心のレベルをどこまで超えるものであるかは、もう少しきちんと作品に向き合って調べてみたいと思いながら時間が取れずに来たこともあり、判断を下すことは未だできないように思います。唯一コッコネンについてもそのような状況ですから、他の作曲家について言えば、例えばあの余りに有名になってしまった「カントゥス・アルクティクス」を書いたラウタヴァーラのような場合も含めて、フィンランドの音楽なら何でも好きといったようなことにならないのは勿論ですが、音楽に限らず、フィンランドの様々な文化に接するにつれ、それに応じて戸惑いを感じたり直観的な理解に困難を感じる場面もあって、結果として私が惹かれるのはシベリウスの音楽、しかもその総体ではなく、特に「国民楽派」的な作品ではない一部の交響的作品に限られていて、それは勿論フィンランドの風土と不可分に関わっているけれどシベリウスという個人が見出した世界との関りの様態が、意識的な水準における文化的・教養的な媒介抜きで刻印されている作品なのだということになりそうです。私がフィンランドに惹かれるとして、それはあくまでもシベリウスを媒介として感じ取れるそれであって、寧ろ「個別的なもの」であると言うべきなのかも知れません。

 ドヴォルザークの「新世界」と「アメリカ」は、私がシベリウスやマーラーより前から知っていて、同時に最初から、ドイツ音楽の亜流とか、構成よりも旋律重視であるがゆえに親しみやすくはあっても、規範となったドイツ音楽からすれば劣っていて高級でない、通俗的な音楽であるというネガティブなレッテルに侵食された存在で、結果として聴くときにも、何となくそうした雰囲気に常に付きまわれてしまって、そうした前了解から逃れるのが困難な存在です。「亜流」という言葉には、そこには独創性とか革新的なものがないこと、規範とか伝統に従属して、そこから逸脱したり、新しい規範を生み出したりする前衛性に欠けるといった含意があって、さしづめロシアであればチャイコフスキー、チェコならドヴォルザークがそうしたクリシェの典型とされている傾向があるのだと思いますが、シベリウスについてもそうしたことが言われるようで、その最も苛烈なものは、レイポヴィツのパンフレットと、それに呼応したようなアドルノの批判でしょう。ここで試みるべきは、そうした価値を逆転させるのではなく(それは、それこそ「つつましい」音楽の顕揚、インティメイトでロハスであることに価値を置くといったことにつながっていくように思えますが、アドルノのかわりにジャンケレヴィッチをもってくればよいというようなトレンドの話をしたいわけでは勿論ありません)、それらとは異なったもの、そしてもちろん国家主義や民族主義とは別の次元で受け止めることのできる何かがあるように思えて、それを正確に、構造的な仕方で把握して言い当てることではないかと思います。そしてそれができたときに、新保さんのような聴き方に対するプロテストが根拠あるものになるように感じているのです。

 そう、三輪眞弘さんの村松ギヤ・エンジンによるボレロは、「…という夢を見た」というフレーム中では、ギヤック族の民族主義者による音楽、ギヤック国民楽派の音楽ですよね?新保さんのような仕方でなく、シベリウスの音楽をその横に置き直すことができないかということに他なりません。

(2022.9.18私信として執筆, 2023.2.20最低限の編集の上公開, 2024.2.25, 4.8,12加筆修正して更新, 2024.5.16編集の上改題)


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