略年表
西暦 | 年齢 | 生涯 | 作品 |
1883 | 0 | (12/3)アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン、父カールと母アマーリエの 間の第四子としてヴィーンで誕生。 最初の2人は早逝のため、実質は姉一人、妹一人に挟まれた唯一の男子。 | |
1890 | 7 | 父の転勤のためグラーツに移住。 | |
1894 | 11 | 父の転勤のためクラーゲンフルトに移住。この地でエトヴィン・コーマウアーにピアノ、チェロと 楽理の基礎を教わる。 | |
1898 | 15 | 地元のオーケストラにチェロ奏者として参加。 | |
1899 | 16 | Langsam in G(M1), Langsam in F(M2) | |
1900 | 17 | Vorfruehling(M3) | |
1901 | 18 | Tief von fern(M7) | |
1902 | 19 | 夏、バイロイト旅行。秋、ヴィーン大学に入学。専攻は音楽学。グィド・アドラーに師事。 | Fromm(M12) |
1903 | 20 | シェーンベルクの浄夜を聴く。 | Nachtgebet der Braut(M13), Aufblick(M15), Blumengruss(M21), Sommerabend(M16), Der Tod(M19), Heimgang in der Fruehe(M18), Gebet(M20) |
1904 | 21 | 新聞紙上の広告を見て、シェーンベルクに師事。 | Bild der Liebe(M62), Heiter(M64), Gefunden(M60), Freunde(M59), Im Sommerwind(M63) |
1905 | 22 | (2/3)創造的音楽家協会の演奏会終了後、マーラーに会う。 春、後に妻となる従妹のヴィルヘルミーネと旅行。夏、ザルツブルクとミュンヘンに旅行。 | Langsamer Satz(M78), Duenster und schwer(M79) |
1906 | 23 | (6月)ハインリヒ・イザークに関する研究で哲学博士号を取得。(9/7)母アマーリエ没。 | Lebhaft(M112), Sonatensatz (Rondo)(M114), Rondo(M115), Ideale Landschaft(83) |
1907 | 24 | Naechtliche Scheu(M119), Maessig(M118=ピアノ五重奏曲楽章) | |
1908 | 25 | 夏、バート・イシュルで指揮者としてのキャリアを開始。(11/4)パッサカリアを自身の指揮で初演。ベルリンで、ドビュッシーのペレアスとメリザンドを観る。 | Am Ufer(M130), Himmelfahrt(M131), Helle Nacht(M132), Passacaglia(M127=Op.1), Entflieht auf leichten Kaehnen(M129=Op.2) |
1909 | 26 | 夏、インスブルックの劇場の仕事につくが、すぐに放棄。 冬、フォルクスオーパーでアシスタント。 | ゲオルゲ歌曲集Op.3(M133--137), ゲオルゲ歌曲集Op.4(M138--142), 弦楽四重奏のための5楽章Op.5(M147--151), 管弦楽のための6つの作品(M152--157), ゲオルゲ歌曲集(M143--146) |
1910 | 27 | (4月)バート・テープリッツ市民劇場第2指揮者。(6月)劇場を去る。(9月)ミュンヘンでマーラー第8交響曲の初演に立会う。ダンツィヒの劇場の副指揮者。 | ヴァイオリンとピアノのための4つの作品Op.7(M161--164) |
1911 | 28 | (2/22)ヴィルヘルミーネと結婚。ダンツィヒの劇場を去り、ベルリンに戻る。 (4/9)長女アマーリエ誕生。 (5月)マーラーの葬儀に参加するためにヴィーンに行く。(9月)プラハの劇場のアシスタントになるが ただちにキャンセル。(11月)ミュンヘンでのマーラー「大地の歌」の初演に立ち会う。 | 弦楽四重奏のための6つのバガテルOp.9の第2--5曲(M171--174), 管弦楽のための5つの作品の 第1,4曲(M169,170) |
1912 | 29 | (6月)シュテッティンの劇場に赴任。(10月)ベルリンでシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」 初演に立ち会う。冬、神経症、鬱病の症状が悪化。 | |
1913 | 30 | (1月)シュテッティンの劇場を離れる。(2/17)次女マリア誕生。シェーンベルク「グレの歌」の初演に 立ち会う。(7月)一旦プラハに向かうが、精神状態が悪化しヴィーンに戻り、アドラーの診療を受ける。 | 弦楽四重奏のための6つのバガテルOp.9の第1,6曲(M178,180), 管弦楽のための5つの作品の 第2,3,5曲(M181,182,185), 管弦楽のための5つの作品(M183,187,188,189,196), O sanftes Gluehn der Berge(M184) |
1914 | 31 | (8月)第1次世界大戦勃発。シュテッティンの劇場が閉鎖され、契約がキャンセルされる。 | チェロとピアノのための3つの作品Op.11(M203--205), Leise Duefte(M200), Kunfttag II(M201), Sonata (Sehr bewegt)(M202), Die Einsame(M199) |
1915 | 32 | (2月)入隊。(10/17)長男ペーター誕生。 | Der Tag ist vergangen(M212=Op.12-1), Schein mir's als ich sah die Sonne(M213=Op.12-3) |
1916 | 33 | (1月)プラハの劇場でアシスタント。(2月)軍隊に復帰。(12月)除隊。 | |
1917 | 34 | (8月)プラハの劇場でアシスタント。 | Die geheimnisvolle Floete(M217=Op.12-2), Gleich und Gleich(M216=Op.12-4), Wiese im Park(M221=Op.13-1), In der Fremde(M223=Op.13-3), Fahr hin, o Seel(M224=Op.15-5), Abendland III(M222=Op.14-4) |
1918 | 35 | (4月)プラハを離れ、ヴィーン近郊のメートリンクに戻る。私的演奏協会に参加。 | Ein Winterabend(M231=Op.13-4) |
1919 | 36 | (8/10)父カール死去。(11/30)三女クリスティアーネ誕生。 | Abendland I(M240=Op.14-2), Abendland II(M237=Op.14-3), Nachts(M239=Op.14-5), Gesang einer gefangenen Amsel(M238=Op.14-6) |
1920 | 37 | (9月)プラハの劇場で指揮。 | |
1921 | 38 | 夏、メートリンク男声合唱団の合唱指揮、ヴィーン・シューベルト連盟音楽監督 | Die Sonne(M251=Op.14-1), Das Kreuz, das musst'er tragen(M252=Op.15-1), In Gottes Namen aufstehn(M253=Op.15-3) |
1922 | 39 | (2月)ヴィーン・シューベルト連盟音楽監督辞任。 (5月)労働者交響楽演奏会でマーラーの第3交響曲を指揮し、大成功。 (6月)パッサカリアOp.1をデュッセルドルフで指揮。 (8月)弦楽四重奏のための5楽章Op.5の演奏がスキャンダルを引き起こす。 (9月)ヴィーン交響楽団のマチネー・シリーズを指揮。 (10月)ヴィーン交響楽団とのリハーサル中にトラブル。その後の演奏会をキャンセル。 | Morgenlied(M256=Op.15-2), Mein Weg geht jetzt vorueber(M257=Op.15-4) |
1923 | 40 | (6月)ベルクの3つの管弦楽曲Op.6の第1曲,第2曲の初演、自作のパッサカリアOp.1を指揮。 (12月)ヴィーン・ジングフェラインの音楽監督に就任。 | Dormi Jesu(M259=Op.16-2), Crux fidelis(M260=Op.16-3), Asperges me(M261=Op.16-4) |
1924 | 41 | (4月)ヴィーン市賞をベルクとともに受賞(R.シュトラウスらの推挙による)。 | Christus factus est(M270=Op.16-1), Crucem tuam adoramus(M269=Op.16-5), Armer Suender, du(M268=Op.17-1), Kinderstueck(M267) |
1925 | 42 | (3月)ジングフェライン合唱団のデビュー公演を指揮。 | Liebste Jungfrau(M275=Op.17-2), Heiland, unsre Missetaten(M274=Op.17-3), 歌曲集Op.18(M281--283), Weiss wie Lilien(M286=Op.19-1), Klavierstueck (Im Tempo eines Menuetts)(M277), Satz fuer Streichtrio (Ruhig fliessend)(M278) |
1926 | 43 | (4月)労働者交響楽演奏会200回記念公演でマーラーの第8交響曲を指揮。(6月)チューリヒで管弦楽のための5つの作品Op.10の初演を指揮し、成功。(11月)労働者交響楽演奏会でマーラーの嘆きの歌を指揮。ヒルデガルト・ヨーネと出会う。 | Ziehn die Schafe(M287=Op.19-2) |
1927 | 44 | (3月)ベートーヴェン没後100年記念コンサートを指揮。ベルクの室内協奏曲初演を指揮。 (5月)初めてラジオ放送に出演。 | 弦楽三重奏曲Op.20(M290,289) |
1928 | 45 | 交響曲Op.21(M294,293) | |
1929 | 46 | (4月)マーラーの第2交響曲、シェーンベルクの地上の平和を指揮。(11月)ミュンヘン・フィルの演奏会を指揮。フランクフルトの演奏会を指揮。(12月)ロンドンのBBCの演奏会を指揮。 | |
1930 | 47 | 四重奏曲Op.22(M308,305) | |
1931 | 48 | (5月)BBC交響楽団を指揮。 | |
1932 | 49 | 講演「十二音技法への道」を行う。 | |
1933 | 50 | 講演「新音楽への道」を行う。(4月)BBC交響楽団を指揮。(12/2)50歳の記念コンサートがムジークフェラインで行われる。 | Es stuerzt aus Hoehen Frische(M313=Op.23-2), Herr Jesus mein(M312=Op.23-3) |
1934 | 51 | (4月)BBC交響楽団を指揮。 | 協奏曲Op.24(M316,319,320), Das dunkle Herz(M314=Op.23-1), ヨーネ歌曲集Op.25(M317,322,321) |
1935 | 52 | (4月)BBCのコンサートでパッサカリアOp.1、管弦楽のための6つの作品Op.6、バッハのリチェルカーレの編曲を指揮する。(7月)ヴィーンでの最後の演奏会を指揮。 | 眼の光Op.26(M324) |
1936 | 53 | (4月)バルセロナでのベルク追悼のためのヴァイオリン協奏曲初演の指揮を直前にキャンセル。 (5月)ロンドンでBBC交響楽団とベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏し、成功。BBC交響楽団との最後の演奏会を指揮。 | ピアノのための変奏曲Op.27(M326,327,325) |
1937 | 54 | ||
1938 | 55 | (5/12)オーストリア併合。 | 弦楽四重奏曲Op.28(M329,330,328) |
1939 | 56 | (9/3)第2次世界大戦勃発。 | カンタータ第1番Op.29(M332,331,334) |
1940 | 57 | 帝国音楽省に芸術家手当の支給を申請。 | VariationenOp.30(M335) |
1941 | 58 | Leichteste Buerden(M336=Op.31-4) | |
1942 | 59 | Freundselig ist das Wort(M338=Op.31-5), Gelochert aus den Schosse(M339=Op.31-6) | |
1943 | 60 | (5月)変奏曲Op.30の初演のために、ヴィンタートゥーアに旅行。最後の海外旅行であると同時に、自作の演奏を聴く最後の機会。 | Schweigt auch die Welt(M341=Op.31-1), Sehr tiefverhalten(M342=Op.31-2), Schoepfen aus Brunnen(M343=Op.31-3) |
1944 | 61 | ||
1945 | 62 | (2/14)息子のペーターが戦死。(3/31)メートリンクからミッタージルに疎開。(5/7)ドイツ降伏。 (9/15)アメリカ兵の誤射により死亡。 |
(2005.7作成)
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