2025年9月6日土曜日

モーツァルト レクイエムK.626

 かつて何度か寄稿させて頂いた雑誌『詩と音楽のための「洪水」』の或る特集で、「自分にとっての一曲」ということで寄稿のお誘いを主宰者・編集者の池田康さんから受けたことがあった。どういう理由に拠るものか、恐らくは一曲を選ぶことに困難を感じ、更に「自分が愛する対象について語り損じる」ことへの懼れもあってか、結果としてそのお誘いにお応えすることはできずにその特集号は刊行された。間もなくして『洪水』誌は刊行を終え、結局私は「自分にとっての一曲」について語る機会を逸することになった、

 だが、その後幾つかの記事を書いて顧みて、「自分が愛する対象について語り損じる」ことについては依然(否、恐らく永久に)乗り越え難いにしても、一曲を選ぶことについて限ってしまえば、自分の音楽との関わりを振り返ってみた時に、客観的には自ずと選択されるであろう作品があることに気づいた。それは私が音楽の聴き始めたばかりの時期に、出会った瞬間に心惹かれ、繰り返し繰り返し飽きることなくのめり込んだ作品、モーツァルトのレクイエムK.626である。

 記憶によれば、確かエレーヌ・グリモーがまだ少女だった頃に、この作品を毎晩のように聴いていたと自伝に記していたのを、これはずっと後になってから目にして、彼女が色聴を持っていることと相俟って、彼女への親近感が増したことがあった。だが彼女のような天才でなくても、また他にもいわゆるアドレッセンス前後(私の場合には少し早く、アドレッセンスの手前で接して、アドレッセンスへの参入の同伴者だったのだが)の子供に対して影響を与えた例があるのか寡聞にして知らないが、この音楽の持つ凄まじい力は、私のような平凡な市井の人間に対してさえも、その後の生き方を方向づけるような決定なものであったことを思えば、どうして池田さんよりお声がけ頂いた時に、この曲を取り上げた一文を以て応答しなかったのか、今更後悔しても仕方ないとは言え、斬鬼の念に堪えない。池田康さんへの遅ればせの応答、果たせなかった応答の償いとして、書かれたかも知れない小文を、改めて草して以下に書き留めておきたい。

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 そもそも私が音楽を熱心に聴くようになったきっかけは、モーツァルトの交響曲第39番をとある演奏会で聴いたことだったが、そうした私が初めてのめりこんだ音楽はモーツァルトのレクイエムK.626だった。父がFM放送をエアチェックしながら録音した演奏者不明の演奏に接したのがその出会いである。その後何十年も経過し、父も没した後しばらくしてから、ふとしたきっかけで、それがフリッチャイがベルリンRIAS放送交響楽団を指揮して1951年に録音した演奏であることに気付いて、そのことがモーツァルトについての別の小文を草する契機の一つとなったことは、当の小文の中で触れている通りである。

 今思えば、偶然の為せる業によりモーツァルトのレクイエムに接したのが他ならぬフリッチャイの演奏を通してであったことの幸運を私は感じずにはいられない。私見では、技巧的には容易に見えるけれども十全に弾くことの極めて困難なモーツァルトの音楽に生命を与えるために欠かせないフレージングに関して誰にも増して卓越しているだけでなく、疑いなく確かなものと感じられる音楽に対する彼の誠実さに触れることによって、音楽に対する聴き手の共感を呼び起こさずにはいないフリッチャイのモーツァルトの作品の演奏の記録は、この曲に限らず、時代と録音技術の制約を超えた貴重な遺産であると確信しているが故に、自分が決定的な影響を受けたレクイエムの演奏が他ならぬ彼のものであったことに気づいた時には、あまりの僥倖に深く感動して、目に見えぬ摂理の如きものに感謝の念を覚えた程であった。

 聴き始めて程なくして未完成の作品で後半が補筆されていることを知るが、そんなことにはお構いなく、また、些か強調される嫌いのある、作曲依頼に纏わるあまりに有名なエピソードもまた、それを知ったところで自分の中に響きわたる音楽が変わることもなく、45分のテープの録音時間の制限でCommunioが始まってまもなく音楽が切れてしまっていたその録音を、それを聴くことこそが私を「形成した」といっても誇張でないほど繰り返し聴いた。12歳くらいのある時期には、なけなしの小遣いをはたいて買ったヴォーカルスコアを手に毎晩必ず聴いていたのである。

 勿論、Communioの残りの部分が気にならない筈がなく、間もなく当時住んでいた地方都市にあったレコード屋さんで、これまた自分のお小遣いで買ったカラヤンの一度目の録音(1961年の、ベルリン・フィルとウィーンの楽友協会の合唱団と、ベルリンのイエス・キリスト教会で収録したもの)のレコード(それが選択された理由は、偶々在庫されていた幾つかのレコードの中で、単にそれが廉価盤であり、子供にとって入手が容易だったという理由だったと記憶している)を、こちらも貧弱な再生装置で擦り切れるまで聴いた。

 もともとモノラルの録音である上に、ポータブルの貧弱なラジカセでFM放送のエアチェックをテープに録音したものに比べれば、こちらもまた恐らくはオーディオマニアからの侮蔑を、事によったら怒りすら買うであろうような粗末な再生装置での再生であったとしてもなお、ステレオ録音のLPレコードの持つ響きのイメージは強烈である。このカラヤンの録音は数多あるこの作品の録音の中では寧ろネガティブな評価が付き纏い、聞くところによればその響きを酷評されたことさえあったようだが、勿論音楽を聴き始めたばかりの子供であった当時の私がそのような消息を知る筈もなく、この演奏の録音の特徴といって良い、特に冒頭に顕著に感じ取れる独特の雰囲気に只々圧倒されていたように思うし、そうした世評を知り、それが効果たっぷりの「演出」であるという意見も知った上で、今なお聴き直す度に、出会って熱中した当時の私がそこに聴き取っていた他に替え難い「音調」を聴き取ることができる。端的な言い方をすれば、それは「幽霊」性を帯びていたし、今でもそれを私は感じ取ることができる。もっと重厚な、もっと真摯な、或いはその演奏が置かれた特異な状況故にもっと切迫し、深い思いを湛えた演奏もあれば、特にピリオド・アプローチが一般的になるにつれて、もっとスマートであったり、爽やかであったり、軽やかであったりする演奏があるのを知った上で、だが子供の私が覗き込んだ深淵、私がその中に進んで入って行こうとした闇の深さを感じさせる演奏は他にないようである。

 フリッチャイの演奏もそうだがカラヤンの演奏もまた、(その事実に当時の私が気付いていなかったにせよ)それが自分の生まれる前の世界に属していて、テクノロジーの支えによって時と場所を隔てて再生されることも相俟って、恐らくそれは三輪眞弘さんの指摘する「録楽」の或る種の効果であるのだろうが、まるで異界から響いてくるかのようなその響きは、12歳のアドレッセンスを迎えようとする子供を魅了するに十二分な力を備えていた。未完成の作品は、客観的な意味合いでも一般に、存在論的に言って完成された作品のようにこの世に確固とした拠り所を持たないが、それだけではなく、その来歴(様々なエピソードは措いても、結果としてモーツァルト自身を弔う音楽になり、モーツァルト自身がその自覚を持っていたという事実は残るだろう)もそうだし、何よりも結果としてその音楽の音調自体が幽霊性を帯びているように私には感じられる。カラヤンの演奏の録音について言えば、それが意識的に「演出」されたものであるならば極めて巧妙なものということになるのだろうが、もしそうだとしても、この音調が実現された事実は残るし、そこには後に生涯に3度もセッション録音を行うことになるカラヤンのこの作品に対する深い思いも反映しているであろうし、最初のセッション録音ならではの鬼気迫るばかりの表現意欲があるのも間違いないだろう。

 今ならそれが残響豊かな教会で大規模な合唱団がソット・ヴォ―チェで歌うのを録音したことによって生じたものである(更に言えば、そこには合唱を支える管弦楽との絶妙のバランスについての演奏上、録音上の技術的な処理が介在していることもまた間違いない)ことに気づかずにいることはできないけれども、それを知らない子供でさえ、例えばAgnus Deiのdona eis requiemの章句につけられた音楽の、繰り返される度に少しずつ異なる和声進行に心を奪われることはできたし、その陶酔と没入の度合いは、寧ろかつての方が勝っていたに違いない。録音を聴くだけでは飽き足らずに私は、ヴォーカルスコアを開き、ここの部分の声部進行をピアノで弾いて確かめることを何度となく繰り返して、その響きに聴き入ったのを記憶している。

 それがモーツァルトが書いた部分ではなくジュスマイヤーの補筆部分であることを知ったからといって、そこに見出すものが変わるものでもない。この作品が未完成であるが故に、更には補筆の拙さ故に作品全体の価値を留保し、特に補筆部分を否定する人も少なくないが、当時の私にとってそんなことは問題外だった。最初に聴いた「刷り込み」の効果もあるだろうが、他の補筆案のこの箇所のヴァリアントと比較してもなお、私にはジュスマイヤーのそれが最も魅力あるものに今なお感じられる。(勿論、ジュスマイヤーの補筆を凡庸と断じる人からすれば、その補筆の和声進行に惹き付けられることそのものが、私の音楽的素養の無さの証であり、他の補筆と比べての評価もまた然りということになるのかも知れず、もしそうであるならば、この点については異論を唱えるつもりもなく、恐らくそうに違いないと甘受する他ないのだが。)

 今、改めて聴き返してみるならば、Agnus Deiのdona eis requiemの進行についてはカラヤンの演奏の方が印象的なのに対し、その後のIntroitusの音楽の回帰の瞬間の強度についてはフリッチャイの演奏の方がより強烈だと感じられるが、以降の音楽の運びは甲乙つけがなく、今なお聴く度にそれぞれに圧倒される。だがそもそも当時の私は2つの録音の「聴き比べ」をして優劣を論じることなど思いつきもしなかったし、今でもそんなことをしたいとは思わない。今でこそ、レクイエムの別の補筆の試み(例えばアーノンクールが取り上げたバイヤー版や、ノーリントンが取り上げたドルース版等)を知らない訳ではないし、そうした別の補筆のリアリゼーションの中に、同様に心を揺さぶられるものがあることを否定しようとも思わないが、それでもここに書き留めようとしている12歳の私固有の文脈においては、そうした別の補筆版を知らなかったこともあるし、その時に私が偶々出会った2つの演奏がジュスマイヤー版だったという偶然によって、版の問題もまた実際上存在しようがなかったのである。

 そして何より、当時の私にとっても今の私にとっても、dona eis requiemが三度繰り返された後、sempiternamのブリッジを経て、あろうことか冒頭のIntroitusの音楽がその途中から回帰する、その瞬間に自分の心に流れ込むものはかけがえのないものなのだ。この回帰は、(モーツァルトがそのように指示したものであるかどうかに依らず)、或る種の現実的な便法が採用された結果であって、本来このような回帰が為されることはなかったであろうに違いない。してみれば未完成であるということが当時の私にとって意味していたのは、ジュスマイヤー版の「怪我の功名」とでも言うべきものだったと言えるだろう。結果としてCommunioでIntroitusの音楽が回帰することの意義は、だが一般に言われるように(確かヴォーカルスコアの別宮貞雄さんの解説も、ジュスマイヤーの補筆を凡庸と断じた上でそう述べていたと記憶するのだが)単にモーツァルト自身の音楽で作品が閉じられるというだけではない。もともと意図されたものではないにせよ、或いはそれ故に、その再現が持つことになる独特の効果が問題になるのだ。

 同じ旋律、同じ和声付けだが、二度目には一度目とは異なる音調を帯びる。現象学的時間論の枠組みで言えば、第二次想起には、その想起された感受の生々しさの記憶と、現在の感受の効果が重層を成しており、このような再現においてはまさに聞いている「同じ」音楽の感受が二重化されるが故に起きる変容なのだが、そのことに加えて、ここでは更に歌詞の違いが加わる。これはこの作品の補筆に固有の偶然だが、Introitus(Requiem)で歌詞に対してきめ細かく反応するように作曲された音楽は、それ故にCommunioにおいて再現される時には歌詞に対して全く違った関係におかれることになるのは避け難い。一般には辻褄合わせと見做され、批判されるのが常で、価値を限定する要因となるであろうそうした側面が、だがこの作品全体に、不思議なこれ一度きりの雰囲気を与えているように私には感じられるのである。

 結果としてその回帰の持つ力は圧倒的なものとなる。Introitusにおいてはその冒頭の深淵の暗闇から浮かび上がってくる音楽(requiem aeternam)が頂点を迎えた後、et lux perpetuaで切り替わった音調がluceat eisで静まっていって、この上ない慰安に満ちた音調に転じる箇所に、その後の数十分の音楽の経過を経て、Agnus Deiが終わった後で帰ってくる。Introitusでは詩篇65番に由来する言葉を歌うソプラノソロが、Commnioの冒頭の祈りの言葉を歌うことでCommnioが始まり、音楽としては冒頭の再現が途中から始まることになるのだ。Introitusではあれ程歌詞の変化に敏感に反応して音調と表情を変えた音楽が、ここでは歌詞の違いにより、微妙にアクセントを変えて再現される。そしてAgnus Deiに続けて歌われるCommnioの歌詞はIntroitusに比べてずっと慰安に満ちたものであり、同じ音楽が二度目に湛える表情は、回顧がもたらす情動も交わって懐かしさや追憶のような情調を纏うことになる。そこで聴き手は、「戻って来た」という感情に圧倒され、自分が今いる場所がどこなのかがわからないことによる軽い恐慌状態に陥いりながら、同じ音楽が異なった歌詞を歌っていくのを聴くことになる。もともと死者のためのミサのCommnioの固有文には途中でIntroitusと同じ章句が登場するが、そこでようやく音楽もまた冒頭と同じ部分が充てられて、元の鞘に収まったかのように、一時文字通りの再現となる。だがその後に続く掉尾のフーガは最初はKyrieであったのが、Cum Sanctis tuis in æternum,quia pius es.の繰り返しに充てられて曲末に至る。

 これは追憶の反復が備える時間性そのものの音楽化ではないかとさえ感じられる。これは例えばソナタ形式の再現部ではないけれども、知る限りここ以上に音楽が回帰することの圧倒的な力を感じさせる作品を思いつくのは難しい。私個人として、ここに匹敵するものとして思いつくのは、マーラーの第8交響曲第2部の終わり近く、かつてグレートヒェンと呼ばれた女がファウストの復活を歌う部分で、第1部再現部で省略されてしまった第2主題が回帰する部分くらいである。マーラーがその再現を決定的な瞬間として非常に強く意識していたことは楽譜に書き込まれた指示から明らかだし(特にここでマーラーが、再現する音楽を最初と全く同じように演奏するのではなく、最初とは異なって演奏するように指示していることに注意しよう)、再現する音楽をどのような歌詞に充てたかについてもマーラーが明確に意図をもって選択したことは明らかで、そのことによって再現というよりは予告されたものの実現のような未来完了的な構造が意図されていることが窺える。一方モーツァルトのレクイエムの場合には、そうした芸術上の意図はなく、それが状況が引き起こした偶然の産物であることを思えば、それがもたらす効果に対する驚きはいや増すことになる。「怪我の功名」であるモーツァルトのレイクエムの場合には、もしかしたら、再現部分における歌詞と音楽との不一致が、ないものねだりとはいえ本来は正当な批判を呼び起こす筈のところで、結果として別種の時間性を実現しているのだ。

 その差異が「戻って来た」けれども「最早同じではない」という感覚を増幅する。だがここではマーラーの場合と異なって、時間性は未来完了的な徴を帯びる事はない。寧ろそれは過ぎ去ってしまい、喪われてしまったことが最早取り返しがつかず、決して戻ることができないという不可逆性が引き起こす痛切さを帯びて、残された主体の受動性と無力とを顕わにするかのようだ。ここでは何かが成就することはなく、ただ喪失のみがあり、残されたのは慈悲への祈りと、聖者とともにあることへの願いだけである。それは自らもまた限界を意識した主体の、「いずれ私もまた」でなくて何だろうか。ここでは死者に対して祈る主体もまた「末期の眼差し」をもって世界を眺める他ないかのようだ。それはアドレッセンスの入り口に立つ子供が、自らがか抱えてしまった「踏み外し」「破調」という意味での「デカダンス」を認識し、或いはまた自らの「老い」にそうとは気づかずに触れた瞬間でもあったのかも知れない。

 それが偶然の産物であり、この音楽の「生まれ損ない」の結果であるとして、そんな事情は今の私にとってもどうでも良いことだが、そもそもかつての子供であった私にとっては、そうした意識さえなく、それこそが「モーツァルトのレクイエム」そのものだったのだ。Agnus Deiのdona eis requiemの和声進行がそうであったように、ここの部分もまた、かつての私が聴くだけでは足らずに、ヴォーカルスコアを開いてピアノで弾いて確かめることを繰り返した箇所である。特にソプラノ独唱を支えて弦が織りなす対位法的な線の美しさは筆舌に尽くし難く、それが最後に瞬く間に短調に転化し、冒頭ではExaudi / ad te、ここではLux aeterna / Cum Sanctisの箇所に繋がるモーツァルトらしい変化、更には後続の、引きつり、喘ぐような弦の音型に縁どられたRequiem aeternamの歌詞に充てられた短調のゼクエンツの和声進行の悲痛さもまた子供の私を魅惑して止まないもので、それを聴いている者が居たとしたら、寧ろ、その自同症的な反復に病的なものを見出し、非音楽的な騒音と見做して苛立ったかも知れない程、それを繰り返し繰り返し辿ったことを今尚、鮮明に記憶している。私はひととき言葉を喪い、まるで「過渡的対象(移行対象)」(但し、本来の精神分析学のそれよりは、ASDにおけるこだわりの対象としてのそれに近いもの)のようにその音楽に魅入られたのではないかと、今思い返してみて思うのである。

 当時の私がしていたこと、そしてこのモーツァルトのレクイエムを聴くときに私が今なおそこに立ち戻らざるを得ない聴取の在り方は、補筆の版の相違を含めた音楽の出来栄えや演奏を比較し、批評し、評価して優劣を論じることとは全く無縁なのであって、音楽を楽譜に記譜された音に限定し、それのみを自律したものとして受容し論じることが「音楽の聴取」であるとする立場からするならば、今もかつても、とりわけてもかつての私がしていたことはそもそも「音楽の聴取」と呼べるようなものではなかったのかも知れない。

 それは当時の私にとって、それなしでは生きていくことができない、かけがえのない「自分だけの空間」であり、リアルなどんな人間よりも自分をさらけ出すことができる、かけがえのない「友人」だったのだ。ヴォーカルスコアの別宮貞雄さんの解説には、様式的に見た場合のこの作品のモーツァルトの作品としての特殊性について論じた部分があったり、作品委嘱のエピソードは勿論、これまたモーツァルトの生涯に関するエピソードとして決まって言及される「死は友人である」という彼の言葉が引かれていたように記憶するのだが、性急で視界狭窄に陥っていることなどものともしない夜郎自大な子供であった当時の私にとっては、自分が受け止めたものが全てであり、より様式的に妥当な補筆の可能性など眼中になかった一方で、「死は友人である」という言葉については、こちらも、その思想的な背景(フリーメイソンの教義に基づく)等知る筈もなく、或いはまた第二バチカン公会議以前のカトリックの儀礼についての知識は勿論、レクイエムの章句が背後に持っている文化的な背景や世界観も知らずに、悪しきディレッタンティズムの常として、客観的には噴飯物であろう仕方で、自分が気分的に共感できる部分だけをつまみ食いして、ひどく独りよがりにその章句とモーツァルトの言葉を引き合わせるのが関の山だったのだが、そうすることによって子供ながらに自分を取り囲む世界との葛藤多く、自分の世界に閉じこもることで自分を支えるのに精一杯であった自分が生き延びるためのマントラのようなものとして接していたというのが実態であったように思われる。

 それ故客観的にはそれがどんなに的外れで独りよがりなものであったとしても、子供ながらの性急さでその音楽に向かっていたのには、全く個人的な文脈によるものとは言え、それなりの切実さがあったのだということが今の私が為し得る唯一の弁護だろうか。結果的に私はその後、セザール・フランクの音楽に沈潜することで「自己」を発見し、そこからシベリウスの交響曲を経て、マーラーの音楽に至ってようやく自分がそこで自由に動き回ることができる「世界」を見つけることができたように思う。それ故その後の私にとってもセザール・フランクの音楽は「危機」に際して立ち返る場所となったのだが、モーツァルトのレクイエムはと言えば、それに先立つ「他者の痕跡」、所謂「アイデンティティー」の確立の証人の如きものなのかも知れない。

 恐らくは人格が形成される時期というのがあって、そうした時期に聴いた音楽というのは他の時期に出逢った場合とは質的に異なった意味を持つことになることがあるのではと思うのだが、私の場合について言えば、他にも幾つかの作品はあるにしても、後にも先にもこれ一度きりといったのめりこみ方で最も深く関わったのは、モーツァルトのレクイエムK.626であった。

[参考録音]

これも偶然だが、以下に掲げる録音の収録年を確認すると、私自身の生前の演奏・録音であり、この文章が扱う、子供の私が偶然に接した最初の2つの演奏・録音が丁度10年の隔たりを持っていて、その後20年隔てて(その間に私は生まれ、そしてこの作品と出会い、アドレッセンスを迎えることになるのだが)、所謂ピリオド・スタイル(とはいえ、いずれもかなり灰汁の強い、個性的な演奏だが)による残りの2つが、こちらも10年の間隔を経て、私が成人する時期を跨いでおり、全体としては40年間の時間が経過していることに気付く。

  • 指揮:フェレンツ・フリッチャイ
  • 管弦楽:ベルリンRIAS交響楽団
  • 合唱:RIAS室内合唱団、聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊
  • ソプラノ:エリザベート・グリュンマー
  • アルト:ゲルトルート・ピッツィンガー
  • テノール:ヘルムート・クレプス
  • バス:ハンス・ホッター
  • 使用楽譜:ジュスマイヤー版
  • 1951年3月5日

  • 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 合唱:ウィーン楽友協会合唱団
  • ソプラノ:ヴィルマ・リップ
  • アルト:ヒルデ・レッセル=マイダン
  • テノール:アントン・デルモータ
  • バス:ヴァルター・ベリー
  • 使用楽譜:ジュスマイヤー版
  • 1961年10月5-12日、ベルリン:イエス・キリスト教会

  • 指揮:ニコラウス・アーノンクール
  • 管弦楽:ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
  • 合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
  • ソプラノ:ラケル・ヤカール
  • アルト:オルトルン・ヴェンケル
  • テノール:クルト・エクヴィルツ
  • バス:ロベルト・ホル
  • 使用楽譜:バイヤー版
  • 1981年10・11月、ウィーン:ムジークフェラインザール

  • 指揮:ロジャー・ノーリントン
  • 管弦楽:ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ 
  • 合唱:ロンドン・シュッツ合唱団、シュッツ・コンソート
  • ソプラノ:ナンシー・アージェンタ
  • アルト:キャサリン・ロビン
  • テノール:ジョン・マーク・エインズリー
  • バス:アラスティア・マイルズ
  • 使用楽譜:ドルース版
  • 1991年4月

(2025.8.31/9.1 初稿執筆・公開, 9.6加筆)


2 件のコメント:

  1. 8月29日の朝日新聞の『折々のことば』の中に「中央公論」9月号の特集《自分史を書く、先祖をたどる》から「人一人が記録を残さずに死ぬことは『歴史書が一冊消えるよりもダメージが大きい』という」社会学者朴沙羅のことばが引用されています。これは紛れないもない山崎与次兵衛の記録であり、一冊の歴史書が消えずに済んだことを祝福いたします。

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  2. コメントありがとうございます。朴沙羅さんの言葉を教えて頂きありがとうございます。実を言えば私個人は、自分史やルーツを辿ることには関心がない、というより或る種の拒絶反応がありますが、この文章が個人の記録であるならば、或る種の症例報告として価値があることを願います。そして何よりも音楽作品の持つ力の大きさの証言たりえたならば、この文章を書き留めることを突然に思い立った衝動はその目的を達成したことになるように感じています。

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