2022年4月9日土曜日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

 モーツァルトの音楽について何かを言うのは私には不可能事に思われる。だが、それが何故不可能に感じられるのかを書くことはできるだろう。

 モーツァルトの音楽の美は無償のもの、現実的な観点から言えば何のためのものでもないものであり、あらゆる目的論的図式による説明を拒絶するかに見える。ただしそれはその美が人間的な尺度から出発していながらも、あまりに普遍的で、人間的なものを超えた過剰を孕んでいるからなのだが。それは人間を超えた秩序に奉仕するものであったり、崇高さの表現であることを目的とし、そうした意図の下に創られたものではないのだが、まさにそのことによって逆説的に人間が自己を超越した領域に到達する可能性を証言しているかに見える。それは最も個別的で主観的なクオリアの領域から出発して、普遍的なものへと自己を滅し、喪っていく過程そのものであり、無限への飛躍のシミュレーションなのではないか。それゆえにその音楽は、200年後の、「人間」という概念そのものが変貌しつつある時期にあっても決して古びることなく、文化遺産として博物館に陳列されて鑑賞される骨董と化することなく、自己の岸辺に漂着したそれを受け取った人間が壜を開けるや否や、その心の中に棲みついて響きわたることによって想像上の風景を一変させ、その人間を変えてしまう力を喪うことがないのではないだろうか。それについて語ることが不可能に感じられるのは、それがまさに人間の可能性そのものだからなのではないか。

 他の多くの場合とは異なって、モーツァルトの場合には、私は作曲者に対する関心が沸かない。勿論、それなりの伝記的事実を知らないわけではないし、実は私がここで何かを言うことに困難を感じる「モーツァルトの音楽」として想定しているのは、彼がその短い生涯における早すぎる晩年に書いた幾つかの作品に限られるのであって、私はそれらの作品が理解できる聴衆がほとんどいない状況で、貧困と病苦の中で作曲されだことを知ってしまっている。だが残った音楽は、そうした状況の痕跡を全くとどめていない。奇跡的にも、その音楽はそうした状況にあって逆説的にこの世ならぬ輝きを帯びて、まるでそうした現実には無関心であるかの如く響く。私はここに作曲家個人の声を聴き取るよりも寧ろ、西欧音楽が産み出した最高の作曲職人が、苛酷な状況の中で世の中からほとんど身を退くことによって作り出すことができた、人間の限界を超えてしまった響きを見出すのである。

 だが、こうした印象は、モーツァルトの音楽にー勿論、全くの制限がないということはありえないにせよ、後述するような事情からーほぼタブラ・ラサに近いかたちで接して以来の聴経験にその根拠を持つもので、他の作曲家の場合とは異なって、モーツァルトについては詳細を極める伝記的な著作や、膨大な批評的著作というものを読む気がしない。一例として、些か極端な例を挙げるならば、日本では小林秀雄の文章が強く、広範な影響力を持ってきたし、今でも持ち続けているのかも知れないが、私は何度読んでも、反撥や違和を覚えること夥しいばかりで、共感するところはほとんどない。寧ろ或る時この文章に関する高橋悠治さんのコメントを聞き及んで強く共感した程なのであって、結局のところ冒頭記したように、モーツァルトの音楽について何かを言うのは不可能なのではないかという認識に傾くのである。一言付言するならば、これは小林秀雄のいうところの「沈黙」とは全く異なる位相にあるのであって、寧ろ小林秀雄の文章において「沈黙」を枕にした饒舌な語りが展開されているという状況があるかと思えば、モーツァルトの音楽そのものとの関わりが些かも明らかでない個人的な体験が語られてしまうーそこで読者が受け取るのは、せいぜいが書き手の経験なり「理解」なるものの在り様であって、結局、そこで語られているのはモーツァルトの音楽であるよりは作者自身に過ぎず、なおかつそこで拘っているかに見える作者の「理解」なるものがモーツァルトの音楽の側の何を語るのかは、それがひどく陳腐な紋切型でないとしたならば、結局のところ些かも明らかにならないーことに対する苛立ちが、そうした認識に大きく与かっていることを指摘しておきたい。とはいうものの、勿論、全てがそうであるということではなく、一例を挙げるならば、後でも触れるカール・バルトの小論には例外的に永らく接して来たし、近年では、この稿の初稿よりも後に書かれたものになるが、岡田暁生さんの『よみがえる天才 モーツァルト』(ちくまプリマー新書, 2020)は、伝記的事実の詳細を追うよりも寧ろ、モーツァルトの天才の在り様を、彼が生きた時代の社会的・文化的な状況を踏まえた上で、オペラを中心とした作品そのものから読み解こうとするもので、これまで目にしてきたモーツァルトを巡る著作の中で、最も違和感無く読むことができたものであり、21世紀の日本でのモーツァルトへのアプローチとして申し分ないものと考える。客観的にモーツァルトが第一義的には空前絶後にして唯一無二のオペラの創作者であることに異論なく、岡田さんの著作を一読して寧ろ、私のこの文章が扱う対象がモーツァルトの人と作品の総体から見た時に如何に限定されたものであるか、のみならず偏ったものであるかを認識させられた点でも私にとって貴重な著作である。

 また私はモーツァルトの同時代の音楽一般に関心があるわけでもない。否、そういう観点からすれば、200年以上前の異郷はあまりに遠く、それ以降の、自分にとってもっとずっと接近しやすく感じられる音楽に比べて、寧ろ自分にとっては理解し難く、無媒介に接することが困難なジャンルであると言って良い。同様にして、モーツァルトという作曲家の作品の総体というのに関心があるわけではなく、私は明らかにモーツァルティアンではない。モーツァルトはロマン派的な天才像、霊感の赴くままに自己の個性の刻印がされた作品を産み出す英雄からは程遠く、寧ろ音楽的能力におけるサヴァン、特定の能力に関する標準からの著しい逸脱としての天才なのであるけれど、彼の遺した音楽のうち、晩年に書かれた幾つかの作品は、それだけでは説明のつかない或る種のスティグマを帯びているように思われる。それは一回性の現象であり、偶然の、偏奇の産物であって、文化的・歴史的な因果に還元する説明を拒むところがある。

 外延的に定義することはずっと容易だから、そちらから先にしてしまえば、私にとっての
「モーツァルトの音楽」というのは、レクイエムK.626、アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618、クラリネット協奏曲K.622、ピアノ協奏曲第27番K.595、交響曲第39番K.543、第38番K.504といった作品と、その周辺に、ピアノ協奏曲第20番K.466、第21番K.467、第23番K.488、第24番K.491、弦楽四重奏曲K.465「不協和音」、クラリネット五重奏曲K.581、交響曲第41番K.551、第40番K.550、アダージョK.540を加えた15作品に限定される。

 勿論この選択は、私の個人的な文脈に由来する恣意的なものであって、何ら客観的な分類によって抽出され限定されたものではない。上記の作品は客観的に見ても非の打ち所のない、いわゆる傑作・名作ばかりだとは思うが、かといって上記以外に傑作がないと考えているわけでもないし、上記の作品しか知らないという訳ではない。上記の一連の作品は特に幼少時に繰り返し繰り返し聴き、その結果として隅々まで記憶している作品であることは確かであって、或いは追加されても不思議はないその周辺の幾つかの作品は、 そうした基準に照らしたとき、上記のグループには含まれないのだ。上記に含めても些かも支障なかったけれども、単にそれを知るのが遅かったという偶然により恣意的にグループから除外された作品として、例えばピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503、歌劇「魔笛」K.620を挙げることができる。実際問題として、現時点においては聴く頻度としてもグループに含まれる作品群と全く変わることがないし、その価値においても全く遜色ないと考える。

 だが例えば、ピアノ協奏曲第17番K.453や第18番K.456といった作品についてどうかということになれば、これは上記のグループには含まれない。とりわけても上記の一連の作品群の開始である弦楽四重奏曲「不協和音」K.465を分水嶺であるとした時ーそしてそれは単なる偶然ではなく、幾つかの点で、実質的にも転回点であるように思うのだがー、とりわけてもK.453の協奏曲はその手前にあって、まさにそれが手前にあるということによって、奇跡的な例外となっているように感じるし、メシアンがこの作品を、特に第2楽章を最大限に評価したのは全くもって正当であるように思われる。(ちなみに第2楽章のメシアンの評価については、後述する共感覚=色聴とという観点から、この楽章が際立って色彩の変化に富んでいることから、納得できるものがある。)だが、にも関わらず、それと分水嶺を手前に移動させること、例えばハイドン・セットの最初まで移動させるーこれは伝記的事実に照らしても一定の妥当性があるだろうーことになるかと言えば、そうはならないのだ。喩えて言えば、第17番の協奏曲はモーツァルトが頂上に登り詰めるほんの少し手前の上向きのベクトルを孕んでいて、私が「晩年」という言い方で些か強引に(というのも、それは伝記的な意味合いでは正当化できないだろうから)特徴づけた徴候、後述する「デカダンス」、或る種の破れの兆候が見られないという点で区別されるように思えるのだ。そしてK.453が奇跡的だというのは、これがまさに分水嶺の手前の、これ一度きりの輝きに満たされているという点に存しているのであって、だから寧ろこちらこそが頂点に相応しいという見方があってもそれに異を唱えるつもりはない。かてて加えて、更に、出会いが遅かったという事実が加わることによって、受容する場のベクトル性が加わることになる。私の側の生体の中で流れる時間の重層の中に含まれる「デカダンス」が、もし同様に幼少期に出会っていたのなら向いていたかも知れないベクトルに更に偏向をもたらすことになり、結果として私の「モーツァルトの音楽」からは除外されるというメカニズムが存在するようなのだ。だから上記の分水嶺というのは、モーツァルトの側に客観的に存在するものいうよりは、あくまでもベクトルの合成の結果として生じるものだと言うのが正しいのかも知れない。

 そういう訳で選択された作品は明らかに彼の晩年に集中しているが、かといって晩年の作品なら何でもというわけでもない。ジャンルの偏りも明らかで、室内楽や器楽曲はほとんどなく、歌劇は全く抜けている。そもそも私はモーツァルトの作品の全てを知っているわけではないから当然なのだが、勿論、知ってはいても含めていない作品もある。歌劇について言えば、それに接することは極東の異郷の地方都市に住む子供にとってはほぼ不可能事であったが、ことモーツァルトに限れば、遅ればせながらDVDのような媒体を通じて「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「女はみんなこうしたもの」「皇帝ティトの慈悲」「魔笛」には接していて、その経験を踏まえた上で、モーツァルトが第一義的にオペラの作曲家であることを認めるに吝かではないのは既に述べた通りであるし、器楽偏重ということでは一見共通してはいても、オペラに接するに目を瞑ってするだろうというような小林秀雄の発言に与するつもりは全くない。だがそれは上記の「モーツァルトの音楽」のリストの成立とは関係なく、実際にはこのリストは私という情報が集積する場においてはほとんど数十年も前に確定してしまっているようであって、今後変わることは恐らくないであろう。その選択は言ってみれば、その来歴も含め、私自身の一部に他ならないのである。

 確定してしまっているようだ、という書き方をするのは、それが私の自発的な選択によるものであるよりも、寧ろそのように私の脳の中に抽象的な音楽作品からなる空間が形成されたという方が、より事態の的確な記述になっていると思うからだ。その選択は偶然の産物であり、何が含まれて、何が含まれないについて、権利上の問題を持ち出されても何とも抗弁のしようがないのだ。それらは200年後の極東に済む1人の平凡な人間に複製されたミームたちの複合体、コロニーの一つなのである。文化的生態系の形成過程には幾つもの偶然的要因が介在するのは当然のことだろう。それは(ミーム自体が)それ自体でアプリオリに何か価値のあるものではない。その経緯を書けば、以下のようなことになるだろうか。


1.モーツァルトの交響曲第39番は私が演奏会で聴いたほぼ最初の音楽作品であったが、その経験こそ、私が音楽を熱心に聴くようになったきっかけなのである。生の演奏を聴いたあとで、家で父のコレクションに含まれる演奏者不明の録音があることを知って、それを繰り返し聴いた。
 その次にはレクイエムK.626、未完成の作品で後半が補筆されていることも知ってはいたがお構いなく、その些か強調される嫌いのある依頼に纏わるエピソードも知ったところで自分の中に響きわたる音楽が変わることもなく、これもまた父が録音していた演奏者不明(ただし、先日ふとしたきっかけで、フリッチャイがベルリンRIAS放送交響楽団を指揮して1951年に録音した演奏であるらしいことに気付いた、そしてそのことがこの文章を書く契機の一つとなった)で、かつ45分のテープの録音時間の制限でコンムニオが始まってまもなく
音楽が切れてしまっている録音があって、それを聴くことこそが私を「形成した」といっても誇張でないほど繰り返し聴いた。12歳くらいのある時期には、私はなけなしの小遣いをはたいて買ったヴォーカルスコアを手に、毎晩必ず聴いていたのだ。恐らくは人格が形成される時期というのがあって、そうした時期に聴いた音楽というのは他の時期に出逢った場合とは質的に異なった意味を持つことになることがあるのではと思うのだが、私の場合について言えば、他にも幾つかの作品はあるにしても、後にも先にもこれ一度きりといったのめりこみ方で最も深く関わったのは、モーツァルトのレクイエムK.626であった。

 その後もモーツァルトは(決して頻度は高くないが)ピアノ協奏曲や交響曲の実演に何度か接していて、三輪眞弘さんの言う、いわゆる「録楽」のみによる聴取に限定されているわけでもない。とはいえ私にとってのモーツァルトの音楽は、第一義的には演奏会場で演奏されるそれではなく、自宅で一人で聴くそれであるのは間違いないようだ。

 勿論それは演奏者の身体を介して私の身体に届くのだし、私はそのことを意識していないわけではなく、媒体を透明にし、音響に無媒介に接しているという意識を、ことモーツァルトの音楽については持つことができないのだが、人間を介しつつ、人間の身体を経由して生じる音楽が開示する風景は、にも関わらず、どこかでそうした公共的な演奏の場、集団的な聴取の場と断絶しているように思えてならない。

 私見によれば、その点において「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(これが、人間となって地上で受難に遭った子イエス・キリストの「まことのお身体」であることに留意されたい)に代表されるモーツァルトの音楽は、「フーガの技法」に代表されるようなJ.S.バッハの音楽の場合と明確に異なる。バッハの音楽がどこで人間とは別の秩序に拠ったリズムと息遣いを持っていて、人間を人間から超越した非人間的な秩序に従属させることを可能にするように感じられるのに対して、モーツァルトの音楽は、人間の息遣い、身体的な反応、情動と感情の移ろいに深く結びついていて、その和声とアーティキュレーションと音色の微細に目まぐるしく移ろう変化の悉くが、私の身体を楽器のように共鳴させ、そのまま心の絶えざる動きを惹き起こすのであって、キネティックで、生理的な身体性を介して、人間の心の秘められた次元を開示するように感じられる。結果としてバッハの音楽はそれがアリアであったとしても、機械仕掛けでありうるのだが、モーツァルトの音楽は、それが器楽曲であったとしても、機械仕掛けの再現というのはモーツァルトの音楽のもっとも繊細で微妙な領域を掬い
取れないのではないかと感じられてしまうのである。(否、実は人間ですら、モーツァルトの音楽を「正しく」演奏することがどんなに難しいことであるかは、多くの名演奏者が語っていることでもあり、幾つかの演奏を聴き比べてみればわかることであり、更には自分で演奏してみればわかることでもある。)

 その音楽は寧ろ無意識の次元からおのずと湧き上がってくるようにさえ感じられるのであって、それは演奏会場のような公共の場でも、凡そ共有するということが考えられないほどに、自分の内部の深奥の次元へと降りていくタイプの音楽なのである。演奏者もそうだが、もしかしたら作曲者もまた、或る種の媒体に過ぎず、更に言えば聴いている私もまた私が聴いているのではなく、私が聴くことを通して音楽が現実に場を持つことで何かが開示されることが寧ろ重要であるかのような感覚すら覚える程である。そこでは音楽こそが主体であって、人は音が伝わり、通り抜ける通路のような、いわば作り手も奏者も聴き手もひっくるめて、楽器に過ぎないような印象がある。

2.モーツァルトの作品は技術的な難易度からいえばさほど高度な技巧が必要なものではないから、自分の楽しみのためにピアノで弾くことも多く、レクイエムなどもヴォーカル・スコアを入手して、繰り返し自分で弾いて確かめてその音楽を定着させていった側面があり、幾つかのディヴェルティメントでの弦楽合奏のアンサンブルの経験、リハーサルでの指揮の経験もあって、いわゆる身体性という点でも他の作曲家に比べて特殊な位置づけにあるし、和声の進行を取り出して確かめるといったことについてもやはり特殊な位置を占めている。

3.モーツァルトの作品はバロック以来の調性格論の枠組みが有効であり、短調であれば二短調(レクイエムと20番のピアノ協奏曲)、ハ短調(24番のピアノ協奏曲)、ロ短調(アダージョK.540)、ト短調(交響曲第40番)、長調の方も変ホ長調(第39番の交響曲)、変ロ長調(27番のピアノ協奏曲)、ハ長調(41番の交響曲と21番のピアノ協奏曲、「不協和音」)、ニ長調(38番の交響曲とアヴェ・ヴェルム・コルプス)、イ長調(クラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲、23番のピアノ協奏曲)とそれぞれ固有の性格を備えているのを明確に感じ取ることができる。主調から属調、あるいは平行調への色合いや光の加減、温度の変化もモーツァルトにおいては非常に鮮明である。


4.絶対音感や共感覚(この場合にはいわゆる「色聴」)というのはある程度は先天的な基盤があって後成的に形成されていくものではないかと思うが、私の場合には、39番の交響曲の
変ホ調(眩い金色)と変二長調(トパーズのような暖色系の光の充溢)、レクイエムの二短調(非常に暗い紫がかった赤)、アダージョのロ短調(黒に近い紫)、23番のピアノ協奏曲のイ長調(明るい青)と嬰へ短調(暗い青)、41番の交響曲のハ長調(まばゆい白)とヘ長調(柔らかい乳白色)、27番のピアノ協奏曲の変ロ長調(柔らかで透明な象牙色)、38番の交響曲のニ長調(青緑)とト長調(緑)、24番のピアノ協奏曲のハ短調(鈍い灰色がかった暗赤色)、40番の交響曲のト短調(暗い灰褐色、だが第2楽章の変ロ長調の光のコントラストの印象の方が鮮明である)というように色彩と調性との対応はモーツァルトの作品において、他の作曲家の作品にも増して最も明確なのである。だがそうした色聴自体がまさにモーツァルトの作品の持つ性格によって条件付けされ、あるいはそれを繰り返し聴く事で強化されたものであることは疑いないように思える。なお、私の受容がいわゆるピリオドスタイルの歴史的アプローチの演奏が一般になる以前に始まっていることもあって、私の音感は特に色聴についてはモダン・ピッチで形成されていて、バロック・ピッチでは色彩を感じることが困難である。

5.三輪眞弘さんの言う、いわゆる「録楽」(媒体に録音され再生されて享受される音楽)としてのみならず、楽譜でも実演でも、自分で鳴らすという形態でもモーツァルトの音楽に接しているにも関わらず、あるいはこの場合にはそうした多様な媒体による接し方がそのような傾向にあるいは寄与しているのも知れないが、私にとってのモーツァルトの音楽は、ある意味では非常にイデアルな存在である。典礼のため教会で、あるいは演奏会場で特定の目的のための演奏される機会音楽として使用されることを否定するものではないが、こと上掲の作品群に関して言えば、例えば数学的なオブジェクトのように具体的な媒体とは独立の存在に感じられる。とはいえそれは特定の楽器の音色を備えていて、人間的な感情表現と密接に結びつくものであって、非人間的で超越的な秩序の啓示(例えば神の摂理の如きもの)であるわけではない。否、例えば交響曲や協奏曲の緩徐楽章を聴いたとき私が感じ取ることのできる風景に備わる具体性は生理的な生々しさを備えていて、色彩は勿論、光の加減、温度の変化や湿度、更には風のそよぎまで喚起させられるほどなのだが、それでいてその風景は、私が現実に見たものではないし、恐らくモーツァルトその人が見たそれでもないという点で、徹底的にヴァーチャルな、想像上の風景なのである。

 そうしたモーツァルトの音楽の中でもとりわけピアノ協奏曲第27番K.595、クラリネット協奏曲K.622はその音楽の持つ独特の質によって、まだ音楽を熱心に聴き始めて間もない小学生高学年くらいの私の心に確固たる位置を占めるとになる。そしてその位置は人生の半ばを過ぎ、既に当時、予感するというよりは、既に子供なりの仕方で耐え忍んでいた世の成り行きに今や徹底的に翻弄され、しばしば一日一日を気息奄々、やっとの思いで乗り切り、時折はふと気を緩めてもいい筈の瞬間にすら、息を抜く仕方を忘れてしまって、緊張を解くことがなかなかできずにいるような毎日を過している現在においても全く変わることがない。それはますます絶え間なくなっている現実の侵食の中にあってしばしばその存在を見喪いがちになりこそすれ、ふとした折に自分の内側に降りていけば、そうした現実の侵食の影響を受けることなく、手付かずのままで存在している。

 それではそれは私が過去に生きた生を回想するためのマドレーヌケーキの如きものなのかと言えば、はっきりとそうでないと断言できる。例えばピアノ協奏曲第27番K.595について言えば、私が嘗てその音楽と出逢ったのは、これもまた父のコレクションに含まれていた、エミール・ギレリスがピアノを弾き、ベームが指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏した録音を聴く事によってだったが、その後聴いたルドルフ・ゼルキンのピアノとアバド指揮・ロンドン交響楽団の演奏の録音や、現時点でのリファレンスとなっているハスキルがフリッチャイ指揮のバイエルン国立管弦楽団をバックにピアノを弾いた古い演奏の録音を聴くことによっても、私は同じ風景に出会うことができる。そしてそれは私の過去の生に結びついたものではなく、寧ろ私の現実の生とは独立に存在している別の世界の風景であり、風景というものが同じ風景であっても日々異なって同一でありえないように、上に掲げたような素晴らしい演奏のそれぞれは、同じ風景の少しずつ異なった相を見せてくれているように感じられるのである。

 現実とのコントラストが強まるにつれ、その空間の持つ純度と光は眩いばかりのものとなり、私を圧倒するようにはなっているけれども。ふとした折に上記の作品を聴く(それは録楽であったとしても自分を物理的に揺すぶる身体的な働きかけのプロセスが必ず伴わなくてはならないのだが)とき、しばしばそのあまりの美しさに対して涙をこらえることができない。そしてこんなに現実に追い詰められてなお、まだ自分がそれほどまでに美しい風景を見ることを禁じられていないことに対して深い慰めを感じずにはいられない。そしてその通路を250年前の異郷の地で、やはり現実に追い詰められた極限においてなお、あるいはそうした状況であったからこそ啓く事ができた人間の創造力の偉大さに圧倒されずにはいられない。ヘルダーリンがその讃歌の頂点である「パトモス島」の冒頭において破格の自由律によって歌った、「危険のあるところにこそ救いの力が育つ」という言葉が、ほぼ同時代に、まさに同時性の相対論的な定義に従って全く独立に、別の場所で、別の仕方でも達成されていたことに対してもまた圧倒されずにはいられない。

 それは或る種の「末期の眼」とでも言うべきものなのではないか、と幼い私は感じたように記憶している。或る種のデタッチメントによって、現象から身を引き離すことによって、
初めて世界はそのような相貌を人間に顕すのであろうと。それは(仮にもう一度眺めることが出来たとしても、その都度)常に最後の春の風景、いずれ自分がそこから消え去った後も存続し、循環することによって「永遠」である風景であり、自分がそこには属することのできない、だけれどもそれゆえに客体的不滅性を備えたヴァーチャルな場なのだ。それは現実からみれば存在せず、寧ろ端的に無い、どこでもない場所(だが、ユートピアというのは語源的にまさにそうした非場所のことに他ならない)なのだ。勿論、個別の時空にその生の領域を限定されている私は自分の経験を頼りに、そうした場所を想像するほかないのだが、それは決して経験されるものではなく、だからモーツァルトが作品を書いた時代と場所とをいくら調べても決して見つけることはできない、創造行為によって産み出され、聴き手の想像によって初めてこの世に像を結ぶ場所なのだ。聴き手が縛られる環境の個別性を恐らくは超えて、それは時空を超えた何か、自分より優りたる何かのヴィジョンなのだという感覚は、今も昔も変わることなく、寧ろ現実との葛藤がもたらす疲労と渇きとが激しくなって自分を圧倒しそうになればなるほど、そうした思いは確信に近いものになっていくことを感じる。

 そうしたヴァーチャリティに類例がないかどうかを探ってみると、全く同じではないにせよ、幾つかの点で非常に近いものを感じる例が、ほぼ同時代(実際には少し後、1800年という句切りを超えてからになるが)にあることに気付かされる。それはヘルダーリンが長い後半生に遺した最後期の詩篇群、その一部に彼が架空の日付とスカルダネリという仮名で署名した詩篇群である。それらはヘルダーリンの後期讃歌群のような自由律から離れ、再び韻律を厳密に守るようになっていて概ね一連からなる短いものだ。その多くは題名として、季節の名を冠するか、あるいは「眺望」といった題名を持つか、端的に宛名だけのものもある。詠まれるのはその題名の通り専ら風景であって、そこには人の影は薄い。詩人の「私」も大きく後退し、ほとんど詩節の表層に現れることはなく、非人称的な風景が描写されていく。その風景は勿論、彼の身近にあるありふれた風景に由来するのだろうが、詩に読み込まれた途端、一人の人間の尺度を超えた四季の循環や昼夜の交替といった秩序が優位にたち、そこから見下ろすように人間の営みが言及される。

 ヘルダーリンが晩年の薄明と寂静の中で記した詩篇をよりによってモーツァルトの音楽に比するのはあまりに突飛と受け止められるかも知れない。かつてモーツァルトを愛する友人の一人に対して、私自身に聴こえているがままに、モーツァルトの音楽に感じ取れる或る種の破調、カダンスの乱れという意味合いでの「デカダンス」について語ったことがあるが、「デカダンス」ということばの持つ文化的コノテーションに妨げられてか、強い違和感をもって拒絶されたことがあったのを思い出す。確かにそれは文化史等の文脈でのデカダンス、典型的には19世紀末の或る種の芸術の傾向とは全く異なるものであるし、それ自体の質について言えばそれは寧ろ、岡田暁生さんの「晴れた日のメランコリー」「晴れた青空の諦観」といった形容こそ正鵠を射ているように思うけれど、それでもなお、私がモーツァルトの音楽とヘルダーリンの詩篇に見出すのは、意図してか意図せずしてかはともかく、啓蒙の時代を自ら切り開きつつ、時代の様式を遥かに超えて、最早時代の嗜好とは無縁の地点に、もしかしたら過って抜け出して、留まることなく「踏み外し」てしまったかも知れない、時代の中に場所を持たない芸術作品なのである。そしてその音楽も詩篇も、いずれも時代の嗜好に
合致するには余りに人間的な感情から超然としてしまっていて、その出自である多感様式や雄弁な饒舌さから完全に逸脱し、聴き手を快くさせるためには余りに多くの陰影と断絶と破格を孕みすぎている。その振幅は人間の感情のそれでは最早無く、寧ろかつては神話的な、あるいは宗教的な形象を借りて語られるような人間の尺度を超えた出来事に近く、寧ろ自然現象の変化に似て、聴き手は辛うじて自分の卑小な心の揺らぎをそれに同調させることができるばかりであるかのようだ。

 そんなことを言えば、勿論、モーツァルトの音楽が西欧の文化的な伝統に如何に根ざしているかを強調し、そしてそれを普遍的なものと考えることが西欧中心的な偏向に基づくものであるとの反論に遭うことになるのだろうが、200年後の異なる文化的伝統に属する極東の島国に生きる人間の脳の中に棲み付いたミームにいわば寄生された宿主である私は、そうした賢しらな、恐らくは良心的であり、客観的に見れば「正しく」すらある意見に対して、抗弁することなく沈黙はしても決して同意することはないだろう。そもそも西欧のある時代の産物である古典派音楽が「普遍的」かどうかなどどうでもいいことだし、実際、それ自体はそれがある文化を持つ社会のある時代に位置づけられる存在として定義されている以上、その定義自体によって決して「普遍的」である筈はない。せいぜいが、その当時のヨーロッパの内部における様々な地方の様式の統合の上に成り立った「国際様式」であるとは言えても、それはここでいう「普遍性」とは何の関わりもない。モーツァルトの音楽が「普遍的」であるとしたら、その理由はそうした定義を超えた部分にこそ存するのだし、だからこそ200年後の極東の子供を強く揺さぶり、毎日のようにその音楽を聴かせることが可能になるのだ。勿論せいせいそれは、音楽としてリアライズされる限りにおいては、同じ可聴域を備えた地球上の他の種にその範囲を拡げるくらいが限界だろうが、モーツァルトの音楽の抽象的な構造は、そうした媒体の制限すら超えたリーチを備えているかも知れない。強い人間原理を前提としなくても他の知的生命体にとっても何らかの価値を持つことに可能性について、否定しさることはできないだろう。

 勿論、この音楽がフランス革命の時代に書かれたもので、超越的な存在への奉納のための音楽から王侯や貴族のための娯楽としての役割を経て、ブルジョワジーに対して公共の場・私的な場の両面での娯楽や気晴らしを与えるものになり、聴きやすく快く、感情に訴える様式へと変遷していく時期にあたるという事実はモーツァルトの音楽の様式を規定するものではあるだろう。だが晩年のモーツァルトは既に同時代の趣味から逸脱しつつあり、私にとっての「モーツァルトの音楽」は、既にそれが産み出されたときには当時の聴き手の理解を超えるものであったこともまた無視してはなるまい。さりとてそれは、しばしば見られるような単に時代に先駆けた作品あったというわけでもない。例えばオペラに関してオペラの改革者グルックと比較したとき、或いは交響曲や弦楽四重奏曲といった器楽に関して絶えざる実験精神によって新しい様式を自ら作り出していったという点で前衛芸術家と見做しうるヨゼフ・ハイドンと比較したとき、モーツァルトが自分の学んだ様々な様式を自在に使いこなすことはできても、それらを更新するような新規な実験を試みるということはなく、寧ろ保守的であった。その一方で、フレーズの組み立ての自在さであったり、一瞬のうちに明暗が交替する和声進行の自在さであったり、不意打ちも厭わない鮮烈なコントラストへの嗜好といった点では全く独創的であり、見方によっては後のロマン派を予告するような側面を備えていたという見方をする人がいても不思議はない。だが、にも関わらず、このような音楽はその後も決して産まれることはなかった。まるでモーツァルトが社会的に孤立して場所を喪ったその地点で書かれたことを裏付けるかのように、その音楽は一方で作曲者の個人的な境遇や心境を語るようなところはほとんどなく、ロマン派の音楽の持つ親密さとは無縁であり、他方で聴き手をうっとりさせたり、感興を誘ったりすることにもまるで関心がないかのように、より上位の法則(それは過去の時代には神話における神々の振る舞いとして物語られたであろうものに相当する)の優位を物語るかのように超然としている。人間のために用意されたはずの様式が、人間を超えたものの息吹を伝えるための媒介になってしまっているのだ。それはもともとが人間を超えた秩序に従うハルモニア・ムンディであるところのバロック期以前の音楽とは異なって、人間のためのもの、人間的なものを媒介にしたものでありながら、同時に人間的なものが超え出て行く彼方を指し示しているかのようだ。それはいわゆるクラング・レーデの伝統に由来するものであるのだろうが、その音の身振りは、最早人形芝居の機械仕掛けでもなく、だが人間の身体ですらなく、人間のようでいて、人間を超えた来るべき何者かのそれであるかのようだ。それは歴史的・文化的な水準のものではなく、人間という知性を備え、意識を持つようになった生物の構造に根差す、より根元的な水準のもののように私には思われる。それが啓蒙の時代である古典期の音楽の一つに起きたというのは確かに理由のないことではないだろうが、そうした「踏み外し」がモーツァルトの音楽においてまるで突然変異のように発現してしまっているその様相の特異性は、決してその周辺では見られない例外的な事象であるには違いないだろう。

 従って寧ろ私がそこに見出すのは、文化的伝統や歴史的文脈といったものを遥かに超えて、ヴァーチャルな場を開示してみせる音楽作品の規格外の力であり、その音楽が描き出す風景の奇跡といって良い清澄さである。幼い日にそれを一旦見てしまった以上、最早それをなかったことにするわけにはいかない。「世の成り行き」の中で翻弄され、担いきれない程の重みに呻きつつ日々をやり過ごす中で、そうしたヴァーチャルな場の存在を知っていること、音楽を通してそこに辿り着くことができることを知っていること、自分がそうした稀有な存在を複製し、伝達していく媒体であること(そう、そのように「選ばれた」という言い方さえしてみたい気持ちになる)がどんなに大きな慰めであることか。それは無限への通路であり、個人的な嗜好を超えた「客観的な美」への漸近であり、能力の限られた、寿命が尽きれば流砂の中に埋もれて忘れ去られていくばかりのちっぽけな人間が、ほんの微細な一握りの部分に過ぎないとしても、そうした途方もないものをそれでもなお担いうるし、実際に担っているということの証でなくてなんであろう。量子コンピュータの発案者であるデイヴィッド・ドイチュが『無限の始まり』で述べている創造性や美や価値の客観性についての議論を読んでいて私がその例証として思い浮かべたのが、他ならぬ自分にとっての「モーツァルトの音楽」であった。それこそは啓蒙の申し子としての音楽史上の特異点であり、文化的進化における最も強力なミームであり、趣味判断としての主観的な美から普遍性な美への飛躍の試みの最高の達成ではなかろうか。多くの人がモーツァルトの音楽、それも彼の晩年の作品から限りない慰めを得ることができるのは、それが人間の心情に直接訴えるものでありながら、人間の持っている可能性の最高の例証であり、まさに「無限の始まり」を告げる存在だからではなかろうか。その音楽が開示する風景を見たものは、普遍的なものへと通じるヴァーチャルな次元が人間にとっては開かれていることを知り、そうした次元に対する畏怖と謙虚な姿勢とともに自分もまたそれに与ることへのいざないを感じ、如何に自分の能力が限られており、自分の生の展望が限定され、可能性が限られているように見えたとしても、その中で最善を尽くそうとする勇気を得るのではなかろうか。

 自分が生業としているモデルを創り、実際に(ヴァーチャルな仕方であれ)システムを組み立てて動かす営みの中で時折垣間見ることのできる風景とそれはどこかで通じているのだし、時間に追われ、様々な現実的な制約に囲まれて自分が創り出すものがどんなに不完全なものであったとしても、そうすることによって、モーツァルトの音楽によって開示される空間に通じていることは、自分のしたことが評価されることなく、非難にさらされ、あるいは嘲笑されても、自分がそのためにしたことが誤解され、あるいは半ば意図的に曲解されて誣告の材料とされ、誹謗されようとも、自分が垣間見ることのできるある抽象的な領域の価値をなおも信じることができるという点においてかけがえのない支えなのだ。そうした空間は、決して私の主観的な妄想の産物ではない。数理の世界の美も、モーツァルトの音楽の美と同様に、ヴァーチャルではあるけれど客観的に存在し、そこで私は、私よりも遥かに優れて、その世界を自在に動き回り、その美しさを示してくれる人たちに会うこともできるのだ。そしてそうした世界に一度は足を踏み入れ、すぐに息切れがしてしまうから遠くまでは辿り着けなくても、その風景に与ることができたことは、そうした風景の背後で、あたかも
そんな風景などありはしないかのように進んでいく容赦ない現実の成り行きを耐え忍ぶための大きな慰めとなる。勿論、それは私の慰めのためにあるのではないけれど、そうした目的性や道具的な存在の様態とは無縁であることこそが、それ自体、ここでは大きな慰めになるのだ。

 否、たとえ自分の営みが全く無価値なものであったとしても、私は自分がモーツァルトの音楽に見たものを、私の寿命とともに墓の中にもって行きたくはないのだ。それは私を遥かに超えた価値を備えたものであり、そうした世界がヴァーチャルな様相であれ存在することは証言しなくてはならない。「何もお前のような人間がやらなくても、他のもっとそうするに相応しい能力を持ち、資格も立場も備えた人間がやるからお前がやることなどない。」という声が聞こえてこないわけではない。だが、その声の主は一体何を見たというのか?勿論、その声の言うことは正しく、そうするに相応しい能力を持ち、資格も立場も備えた人間は恐らく別のところにいて、私の投壜通信がどこの岸にも辿り着くことなく朽ち、誰にも届くことなく埋もれてしまったとしても、そんな些事は取るに足らないことなのもわかっている。ほんの一例を挙げれば、例えばカール・バルトのような人がモーツァルトについて書いているのを私とて知らないわけではない。けれども、それでもなお、私は最後の勇気を奮って投壜をすることをやめることができない。逆にカール・バルトのような人が見たものを、遥かに価値において劣る私もまた垣間見ることができたこと、私が見たものが私の主観的な幻想、妄想の産物などではなく、それが(現実のどこにも場所を持たないという意味で幽霊的であり、従って、或る流儀に従うならば消去記号(バレ)付きで記述するのが適当ということになるのかも知れないが、それでもなお)実在するのであろうということ、それを共有する人が、時空を隔てて他にもいるのだという事実が与えてくれる慰めもあるが、それにも増して、何よりもまず、音楽そのものがその相貌をもって私に命じたことだからだ。それが自分には担いきれない程の重みを持っていたとしても、そして自分に為し能うことがその重みに対して取るに足らないことであったとしても、そうせずには私は、私が出逢ったものに対する責任を果たせず、申し開きをすることができないし、そうせずに生き続けることもできない。「お前になど、生き続ける価値はない」という声に対しては、それでも私の許に、モーツァルトの音楽が届いた以上、その事実を伝えるだけの価値はあるはずだと抗弁するほかない。否、寧ろ私はかつて、それらの音楽を耳にしたことで、自分には担うに耐えないような大きな負債を負ったのであって、自分が受け取ったものを返すことなくしては自分であることを止めることすらできないのだと言うべきなのだろう。それは私が我有化しうるような
何者かではありえない。寧ろ私は通路として、媒体としてそれを響かせ、伝達することしかできない。そして私の中に穿たれた私でないものが開示する、現実の何処にも属さない空間の「美」の客体的不滅性が、主観的な価値判断の相対性を超えて、より優りたるもの、普遍への飛躍であることを私は信じている。モーツァルトの音楽が開く抽象的な場の持つ「美」はそうしたものなのである。
(2014.3.9,10,13, 5.10/2019.1.13,14/2021.10.1,2,3,4)

[参考録音]*は父のコレクションに含まれていたものである。(2022.4.9更新)

K.626 レクイエム ニ短調
 *フリッチャイ / ベルリンRIAS交響楽団他(当時は知らずに聴いていた:ジュスマイヤー版)
 *カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団他(ジュスマイヤー版)
 カラヤン/ベルリン・フィル他(1961年の最初の録音・自分でLPレコードを購入:ジュスマイヤー版)
 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス他(最初の録音:バイヤー版)
 ヨッフム/ウィーン交響楽団他(モーツァルト命日の追悼ミサ:1955年12月8日、ウィーン・シュテファン大聖堂、司式:大聖堂助任司祭ペナル卿:ジュスマイヤー版)
 ラインスドルフ/ボストン交響楽団他(J・F・ケネディ追悼ミサ:1964年1月19日、ボストン・聖十字架教会、司式:ボストン大司教リチャード・カッシング枢機卿:ジュスマイヤー版)
 ノーリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ他(ドルース版)
 ムーティ/ベルリン・フィル他(ジュスマイヤー版)
 ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団他(ジュスマイヤー版)
 シェルヘン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団他(ジュスマイヤー版)
 グッドマン/ハノーヴァー・バンド他(ランドン版)
 マッケラス/スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ他(レヴィン版)
 ホグウッド/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック他(モーンダー版)
 クルレンツィス/ムジカ・エテルナ他(独自の版)
 アバド/ベルリンフィル他(バイヤー版とレヴィン版の折衷)
K.618 アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調
 ムーティ/スウェーデン放送合唱団・ストックホルム室内合唱団
 ルネ・レイポヴィッツ/ウィーン・アカデミー合唱団
 ノーリントン/ロンドン・シュッツ合唱団
K.622 クラリネット協奏曲 イ長調
 *ライスター/カラヤン/ベルリンフィル
 *プリンツ/ベーム/ウィーンフィル
 ウラッハ/ロジンスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 ヴォルフガング・マイヤー/アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
K.595 ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調
 *ギレリス/ベーム/ウィーンフィル
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
 ハスキル/フリッチャイ/バイエルン国立管弦楽団
K.543 交響曲第39番 変ホ長調
 *ワルター/ニューヨークフィル(当時は知らずに聴いていた)
 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 ベーム/ウィーンフィル
 フリッチャイ/ウィーン交響楽団
 ラインスドルフ/ロイヤルフィル 
K.504 交響曲第38番「プラハ」 ニ長調
 *クリップス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 
 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 ベーム/ウィーンフィル
 クーベリック/バイエルン放送交響楽団(ライヴ録音の方)
 クーベリック/ウィーンフィル
 ラインスドルフ/ロイヤルフィル
 井上喜惟/ジャパンシンフォニア
K.466 ピアノ協奏曲第20番 ニ短調
 *ハスキル/ヴァンデルノート/パリ音楽院管弦楽団
 ハスキル/フリッチャイ/ベルリンRIAS交響楽団
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
 ファン・ブロス/井上喜惟/ジャパンシンフォニア
K.467 ピアノ協奏曲第21番 ハ長調
 *アシュケナージ/NHK交響楽団
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
 グルダ/スワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
K.488 ピアノ協奏曲第23番 イ長調
 *ポリーニ/ベーム/ウィーンフィル
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
 グルダ/アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
K.491 ピアノ協奏曲第24番 ハ短調
 *カーゾン/アバド/ウィーンフィル
 ハスキル/マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
K.465 弦楽四重奏曲「不協和音」 ハ長調
 *東京カルテット
   スメタナ・カルテット
 ウィーン・コンツェルトハウス・カルテット
 アマデウス・カルテット
 クイケン・カルテット
K.581 クラリネット五重奏曲 イ長調
 *プリンツ/ウェラー他(ウィーン室内合奏団)
 ウラッハ/ウィーン・コンツェルトハウス・カルテット
K.551 交響曲第41番「ジュピター」 ハ長調
 *ベーム/ベルリンフィル
 アバド/ロンドン交響楽団
 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 ベーム/ウィーンフィル
 フリッチャイ/ベルリンRIAS交響楽団
 フリッチャイ/ウィーン交響楽団
 クーベリック/ウィーンフィル
 クーベリック/バイエルン放送交響楽団(ライヴ録音の方)
 ラインスドルフ/ロイヤルフィル
 井上喜惟/ジャパンシンフォニア
K.550 交響曲第40番 ト短調
 *ベーム/ベルリンフィル
 アバド/ロンドン交響楽団
 アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 ベーム/ウィーンフィル
 ジュリーニ/ウィーンフィル
 フリッチャイ/ウィーン交響楽団
 クーベリック/バイエルン放送交響楽団(ライヴ録音の方)
 ラインスドルフ/ロイヤルフィル
K.540 アダージョ ロ短調
 内田光子

[番外]
K.620 歌劇「魔笛」 変ホ長調
 フリッチャイ/ベルリンRIAS交響楽団他
K.503 ピアノ協奏曲第25番 ハ長調
 ゼルキン/アバド/ロンドン交響楽団
K.537 ピアノ協奏曲第26番 ニ長調
 グルダ/アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

[参考文献]
カール・バルト『モーツァルト』、小塩節訳、新教出版社、1984
岡田暁生『よみがえる天才 モーツァルト』、ちくまプリマー新書、2020
デイヴィッド・ドイッチュ『無限の始まり』(特に第14章 花はなぜ美しいのか)、熊谷玲美・田沢恭子・松井信彦訳、インターシフト, 2013 

[実演に接したことがある作品]
K.543 交響曲第39番(2回)
K.550 交響曲第40番(1回)
K.551 交響曲第41番(2回)
K.620 歌劇「魔笛」抜粋、演奏会形式(1回)
K.466 ピアノ協奏曲第20番(1回)
K.385 交響曲第35番(1回)

[実演に参加したことがある作品]
K.138 ディヴェルティメント ヘ長調


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