2026年7月31日金曜日

ペッテションにおける調的溶解の発展様式のマーラーとの比較——連続的劣化とカタストロフィー的遷移(2026.7.31 改訂)

 

序論

研究の背景と問い

交響曲という形式において、作品を貫く音楽的主体——生成の原理そのもの——は、作曲家が生涯を通じて経験する変容に応じて、どのような発展様式を辿るのか。本研究は、グスタフ・マーラーとアラン・ペッテションという、20世紀の交響曲に独自の刻印を残した二人の作曲家を対象に、この問いを定量的な調的分析を通じて経験的に検証する。

対象とするのは、マーラーの全交響曲(第1〜10番、および『大地の歌』)と、ペッテションの中期以降の交響曲群(第6〜16番)である。両者はいずれも、19世紀的な調性的統一性から距離を取りながら、独自の仕方で交響曲という形式と格闘した作曲家である。本研究は、両者の音楽的主体のあり方を対比的に検討することで、「調的溶解」という現象が辿りうる発展様式の多様性——なかでも、連続的な変化と不連続な遷移という、質的に異なる二つの様式——を明らかにすることを目的とする。

なお本研究は、マーラー単独の交響曲群を分析粒度の観点から検討した別稿(「マーラー全交響曲楽章の五度圏重心軌道の分析」)と対をなす研究プロジェクトの一部である。別稿では、全50楽章・全曲統合・主要楽章という3つの分析粒度を横断してマーラーの調的溶解を検証し、分析粒度が粗くなるほど経年トレンドの相関が強化されること、全曲統合分析における年代・編成タイプの明瞭な回収、主要楽章(Hauptsatz)分析が単なる中間粒度ではなくソナタ形式という構成原理と主体が対峙する場として独自の意義を持つこと、を確認した。本研究はこの知見を踏まえ、同じ粒度比較の枠組み(全曲統合・主要楽章)をペッテションとの比較に拡張する。

分析の視座

本研究では、MIDIデータから算出される定量的指標を解釈するにあたり、二つの理論的枠組みを援用する。分析手法の技術的詳細は次章(研究手法)に譲り、ここではその理論的な位置づけのみを述べる。

第一に、自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)における三層構造——生成モデルの安定性(層1)、状態空間における行動パターン(層2)、感覚入力の複雑性(層3)——を用いる。この枠組みは、調的な指標が捉えている現象を、単なる音響的特徴の記述としてではなく、音楽的主体が世界(音空間)をどのように予測し、その予測をどこまで維持できているかという観点から読み替えることを可能にする。 この読み替えが可能になるのは、五度圏上の重心が、ある瞬間に「どの調的仮説が最も支持されているか」を近似的に表現していると見なせるためである。ある瞬間に鳴っている音の集合が五度圏の特定の領域に強く偏っていること(重心の半径rが大きいこと)は、その瞬間、特定の調的領域を中心とする一つの調的仮説――言い換えれば一つの生成モデル――が、他の可能性を排して優勢に立っていることに対応する。逆に重心が中心(r≈0)に近づくということは、単一の調的仮説では説明のつかない、複数の調的可能性が拮抗している状態、すなわち生成モデルが特定の仮説にコミットできず、予測の確信度(精度)が低下している状態に対応すると読み替えられる。 同様に、この重心が時間とともにどれだけ・どのように移動するかという軌道の性質は、その生成モデルが自らの仮説をどれだけ、どのように更新し続けているかに対応する。重心の移動が小さく緩やかであれば、既存の調的仮説の範囲内での微修正(局所的な予測誤差の解消)と見なせるが、重心が大きく、あるいは繰り返し遠方へ跳躍するのであれば、それはより根本的な仮説の書き換え――精度の低い予測を維持するコストが、仮説そのものを放棄し新たな生成モデルへ乗り換えるコストを上回った結果としての転換――に相当すると解釈できる。 このように、五度圏上の重心とその軌道という幾何学的に定義された量は、それ自体としては単なる音響的事実の要約にすぎない。しかし、これを「ある行為主体が、自らの置かれた音空間について抱く予測とその確信度が、時間とともにどのように維持され、あるいは崩れていくか」を表す代理指標として読み替えることで、初めてFEPという理論的語彙で意味づけることが可能になる。なお、この読み替えの妥当性そのものは証明された事実ではなく、本研究が採用する解釈的枠組み(作業仮説)である点には留意されたい。

第二に、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルを用いる。この枠組みは、経年的な変化が常に滑らかな連続過程として進行するとは限らず、ある臨界点を境に不連続な遷移が生じうるという可能性を形式的に扱うために導入される。後述するように、マーラーとペッテションはこの点で対照的な軌跡を描く。ただし本稿でのカタストロフィー理論の援用は、あくまでも類推レベルのものに限定され、定量的なカスプ曲面へのフィッティングを行うわけではない。この点については本稿の末尾の今後の課題の項で詳述する。

本研究の構成

本論では、(A) マーラー・ペッテション両者の全曲を統合した粒度、(B) マーラーについては各曲のHauptsatz(主要楽章)のみを取り出した粒度(ペッテションは全曲)、という2つの分析単位で結合PCAを実施する。ペッテションの交響曲は、今回の分析対象の中期以降の交響曲は第8番が2楽章形式という例外はあるものの、実質的には全て単一楽章形式と見做し得るため、いずれの場合でも全曲を一体とした分析を行った。同一の対比を(マーラーに関してのみだが)異なる粒度で検証することで、得られる知見——マーラーにおける連続的劣化とペッテションにおける破局的遷移という対比——が特定の分析設定に依存しない頑健な構造であるかを確認する。

続く各章の構成は以下の通りである。第I章「研究手法」では分析手法を詳述する。続く2節(A・B)では各粒度での結果を報告し、末尾でその含意をまとめる。結論部では、得られた知見を統合し、本研究の問いに対する回答を述べる。

研究手法

五度圏上の重心という考え方

本研究の分析手法の出発点は、ある瞬間(小節)に鳴っている音の集合を、五度圏上の一点として表現するというアイデアである。五度圏とは、Cから始めてG、D、A……と完全五度ずつ音を並べていくと12音すべてを一周する、調的な近さ・遠さを視覚化した円環である。隣り合う音は調的に近く、円環上で対極に位置する音(例えばCとF♯)は調的に遠い。

ある小節に複数の音が同時に鳴っている場合、それらの音を五度圏上の点として配置し、その「重心」(平均的な位置)を計算する。この重心は、その小節がどの調的領域に位置しているかを要約する一種の座標として機能する。曲全体にわたってこの重心を小節ごとに計算し続けることで、楽曲が五度圏上をどのように移動していくかという軌跡が得られる。この軌跡の形状——どのくらい活発に動くか、どのくらい広い範囲を巡るか、特定の領域に留まりがちか——が、本研究における「調的な安定性」あるいは「調的な溶解」を測る基礎データとなる。

円環上での重心計算には、単純な数値(角度やピッチクラス番号)としての平均では扱えない周期性の問題がある。本研究では、各音を最初から五度圏の単位円上の(x, y)座標として表現することで、この問題を回避している。この座標系においては、複数の音の重心は通常の算術平均(x座標の平均・y座標の平均)としてそのまま計算でき、重心からの距離(半径r)が調的な収束度を表す指標として自然に得られる。

サンプリングの単位と対象範囲

分析はMIDIデータから小節単位で行う。各小節の先頭拍(拍頭)で実際に鳴っている音(ピッチクラス)の集合を五度圏上に投影し、重心とその関連量を計算する。小節内部で生じる経過音・倚音・刺繍音等の非和声音、および四六の和音を含む転回形の違いは、この計算には反映されない(転回形はピッチクラス集合として同一であるため、五度圏上の重心も同一の位置になる)。ただし、単一の音や2音のみで構成される小節は、和声的な情報量が乏しく、テクスチュアの薄さそのものが調的指標を歪めるノイズ源となりうるため、3音以上(PC≥3)を含む小節のみを分析対象とするフィルタを適用している。単音・二音の小節が持つテクスチュア上の特徴は、別途Harmonic_Coverage等の指標で捕捉される。

このフィルタには、和声的情報量の乏しさとは別に、五度圏重心という計算の定義そのものに起因する、より根本的な理由がある。単一のピッチクラスのみが鳴っている瞬間、その「重心」は当該ピッチクラス自身の単位円上の点と一致するため、r(原点からの距離)は常に1という最大値を取る。これはどの音が鳴っていようと、その音がどのような文脈に置かれていようと機械的に成立する等式であり、複数の音が特定の調的中心へと収束しているという実質的な意味での「調的集中」を何ら反映しない。同様に、2音のみが鳴っている小節では、重心のrはもっぱらその2音の五度圏上での隔たり(音程関係)のみによって決定される。たとえば完全五度の関係にある2音はr≈0.97ときわめて高い値を取り、増四度(三全音)の関係にある2音はr=0(五度圏上で正反対の位置にあるため相殺)となる。すなわち2音小節のrは、複数声部が和声的に収束する度合いではなく、単にどの音程が選ばれたかを言い換えているに過ぎない。これらの小節を分析に含めると、テクスチュアが薄い箇所ほどAvg_r・Tonal_Focusが不自然に高騰し、両指標が測定しようとしている「和声的収束」という概念そのものが変質してしまう。したがって本フィルタは、単なるノイズ除去という消極的な理由だけでなく、重心という幾何学的量が定義上意味を持つための最小条件——複数の独立した音による収束・分散が観測できること——を確保するという、より積極的な理由に基づいている。 なお、テクスチュアの薄さに起因する情報不足という問題自体は、本研究に固有のものではなく、他の調性推定手法においても等しく生じる。たとえばクラムハンスル=シュムックラーの調的階層モデルでは、単一時点のピッチクラスだけで24の調プロファイルとの相関を取ろうとすると同様に不安定な推定になるため、実務上は前後の一定区間(ウィンドウ)にわたるピッチクラス分布を集計してから相関を計算することで、この問題を緩和している。しかし、この種の時間窓による平滑化は、本研究が採用する瞬間ごとのサンプリング設計とは相容れない。本研究の五度圏重心分析は、拍頭(または各拍)という特定の時点における瞬間的な調的重心を、小節・楽章を通じて高い時間分解能で追跡することを目的としており、前後の文脈を参照して各時点の推定値を補強するという操作は、この時間分解能そのものを損なってしまう。したがって本研究では、クラムハンスル型の手法のようにウィンドウ処理で情報不足を補うのではなく、情報量が一定の閾値に満たない時点(PC<3の小節)を測定対象から除外するという、より単純な対処を選択している。

分析対象となる楽章・作品の範囲は、マーラーに関しては本研究の各セクションで異なるが、ペッテションの側は共通である。全曲統合分析(A)ではマーラーの各曲の全楽章を連結したものを、主要楽章分析(B)ではマーラーの交響曲の各曲のHauptsatz(多くは第1楽章。ただしマーラー第5番は第2楽章Stürmisch bewegtを採用)のみを、それぞれサンプリング単位とする。ペッテションの交響曲は(B)(A)いずれにおいても全曲を単位とする。


拍頭サンプリングの妥当性


本研究は、和声音/非和声音の判定という機能和声的な規範的操作を経由しない。小節先頭拍という拍節構造上の一点のみを機械的にサンプリングするのは、作曲慣習上、拍頭が和声的に最も安定した瞬間になりやすいという統計的傾向に依拠している。経過音・倚音・刺繍音の類は、定義上、拍の弱部や非アクセント位置に置かれる頻度が高く、逆に拍頭には和声の支えとなる音が置かれる頻度が高い。この傾向は例外のない規則ではなく確率的な傾向にとどまるため、個々の小節について見れば、拍頭サンプリングが非和声音を拾ってしまう誤差を含みうる。しかし本研究が対象とするのは数百から数千小節に及ぶ集計値であり、この規模においては、こうした誤差はある程度打ち消し合うと考えられる。

したがって本手法が主張できるのは、個々の小節の重心が和声学的に厳密に正確であることではなく、小節単位で一貫した規則に基づき機械的にサンプリングした値を、交響曲全曲・全楽章にわたって同一基準で集計することで、意味のある巨視的パターン(軌道の形状、収束・拡散の推移)が浮かび上がる、という点である。本研究における「調的重心」は、機能和声における調性中心(トニック、和声進行の目的地としての調)とは別の構成概念であり、ある瞬間に拍頭で同時に鳴っているピッチクラスの集合が、五度圏という調的近接性を表現する空間上のどこに位置するかを示す、より即物的で局所的な指標である。機能和声分析が前提とする文脈依存的判断(和声音か非和声音か、いかなる調のいかなる機能か)を一切経由しない分、作曲者の意図的な和声設計とは独立に、音同士の物理的な近接・遠隔関係だけを機械的に積算できるという性質を持つ。

他の調的空間モデルとの関係


五度圏重心という設計は、理論的な比較検討のみから最初に選ばれたものではなく、実際に他の2つのアプローチを試みたうえで、それぞれに固有の理由で退けた結果として採用されたものである。

第一に、クラムハンスル=シュムックラー(K-S)の調的階層モデルによる調性推定を、全50楽章に対して実際に行い、結果を公開している(「MIDIファイルを入力とした分析の準備(2):クラムハンスルの『調的階層』を用いた調性推定と和音のラベリング」)。この方法は各時点について24の調(長調12・短調12)それぞれに対する尤度を与える。ここで得られる出力は24次元の尤度ベクトルであり、これをそのまま一本の連続的な軌道として扱うことはできない。最尤の調を選んで時系列を構成することは可能だが、これは複数の調に対する尤度が拮抗している「調的に曖昧な」瞬間について、その曖昧さの度合いを消去して単一のラベルを強制的に割り当てることを意味する。本研究が捉えようとする調的溶解——複数の調的可能性の間で重心が定まらなくなっていく過程——を、K-Sのカテゴリカルな出力形式は原理的に表現しにくい。

第二に、三度関係(長三度・短三度の隣接性)を五度関係と同時に組み込む、Chewのスパイラル・アレイのようなモデルも検討した。三度関係がロマン派の和声、とりわけマーラーにおいて重要な役割を果たすことは認識しているが、この方向は採用しなかった。三度関係を空間の構成要素として明示的に組み込むことは、それ自体が「三度関係は音楽的に重要である」という音楽理論的主張を空間の定義に埋め込むことになり、機能和声とは異なるが、それによく似た理論的バイアスを持ち込むことになると判断したためである。本研究が最終的に目指すのは、マーラー後期からペッテションに至るまでを同一の枠組みで扱うことであり、古典的な三度堆積の和声語法自体が前提として成立しにくい書法(ペッテション)に対しては、三度関係を軸の一つとして組み込んだ空間は適合しない危険がある。

五度圏重心は、この2つの試行を経たうえで採用された、単一の関係軸のみを用いる最も単純な幾何学的写像である。この単純さは、より精緻な方法を知らなかった結果ではなく、複数作曲家を横断する連続的な調的溶解の軌道を、理論負荷を最小化した形で追跡するという目的に照らして、消去法的に選択された設計である。


MIDIデータの信頼性に関する留意点

MIDIデータは、DTM(デスクトップミュージック)の制作手段としてだけでなく、音楽情報処理の研究材料としても広く用いられてきた。ピッチクラス・タイミング・デュレーションといった情報が構造化された形で得られるという性質は、本研究のような音楽構造の定量分析にとっても適した入力形式であり、本研究もフリーで利用可能なMIDIデータを利用させていただいている。しかし、拍頭サンプリングという手法を採用する場合、現実に流通しているMIDIデータには看過できない制約があることに注意しなければならない。
MIDIデータの制作経路は、大別すると(a)MIDIシーケンサ等を用いて楽譜情報を手入力したものと、(b)MIDIインタフェースを備えた楽器での演奏を収録し、MIDIフォーマットに変換して保存したものの2種類に分けられる。(b)の代表例としてはGiantMIDI-Pianoのような大規模リポジトリが存在するが、本研究が対象とする交響曲のような管弦楽作品の場合、演奏収録の対象は必然的にピアノ編曲版とならざるを得ない。しかし、それ以上に本質的な問題は、演奏を収録したMIDIデータには拍節(小節・拍)に関する情報がそもそも含まれていないという点である。拍頭サンプリングを行うには拍節情報が不可欠であるため、これを事後的に推定する必要が生じるが、拍節推定を高精度に行うことは現時点の技術水準でも依然として困難な課題である。
一方、(a)のMIDIシーケンサによる手入力データであっても、それが再生・鑑賞を目的として制作されたものである場合、必ずしも小節・拍の情報が正確に、あるいはそもそも付与されているとは限らない。また、拍節情報が存在する場合であっても、手入力に起因する入力誤りや音価の揺れが混入する可能性は排除できない。さらに、入力誤りとは別の問題として、拍頭サンプリングにおいて小節先頭拍のtick位置に厳密に鳴っている音のみをサンプリングした場合、人間の聴覚では十分に「その拍で鳴っている」と知覚されるにもかかわらず、ごくわずかな発音タイミングの遅れ(ヒューマナイズや演奏由来のずれ等)によってサンプリングから漏れてしまう音が生じうる。
以上のように、現実のMIDIデータを用いて分析の信頼性を担保しようとする場合、いくつかの構造的な制約が存在し、可能な範囲でこれに対策を講じる必要がある。本研究が採用した対策は主として以下の2点である。第一に、拍頭における発音タイミングの遅れの問題に対しては、拍頭tickの一点のみをサンプリングするのではなく、その前後に一定の幅を持たせた区間内で鳴っている音をサンプリングする方式を採用した。ただし、この幅を過度に広く取ると、本来は拍頭では鳴っていない経過音等を誤って拾ってしまう可能性が生じるため、幅は必要最小限の短さに設定している。第二に、同一作品について複数のMIDIファイルが公開されている場合には、それらの信頼性を比較評価した上で、相対的に信頼性が高いと判断される制作者のデータを一貫して採用することとし、分析全体を通じたデータの一貫性を確保している。

本稿で報告するペッテションの交響曲の場合には、残念ながら同一曲について複数のMIDIデータが存在するわけではないが、その一方で、幸いにして、第6交響曲から第16交響曲まで、7e(youtube)/ 6d(twitter, 現X)氏作成のMIDIデータを利用することができた。本稿執筆時点において音響的実現はyoutubeにて確認することができるものの、残念ながらMIDIデータ自体は既に非公開となっているようだが、確認出来る限り、ペッテションの交響曲のMIDIデータは世界的にも他に例がなく極めて貴重であり、このMIDIデータの存在が本研究を行う動機の一つとなったことは疑いなく、この場を借りて御礼を申し上げたい。

一方、マーラーの交響曲の場合は、全てではないにせよ、いくつかの作品には、制作者が異なる複数のMIDIファイルが存在する。さらに、加藤隆太郎氏による第1〜9交響曲に加えて「大地の歌」を含む「MIDI版マーラー全集」が存在する。比較検討の結果、幸運にも加藤隆太郎氏のバージョンの信頼性がより高いことが確認できたため、第10交響曲以外については、加藤隆太郎氏の全集を利用させていただいている。本稿執筆時点では既に公開を終了しているが、研究への利用を許諾してくださったことと併せ、この場を借りて御礼を申し上げたい。一方、第10交響曲(クックの補筆による全曲版)については別の作者によるバージョンが唯一のものであるため、これを利用するほかない。補筆版であるという事情もあり、これはそのまま利用することとした。

9つの基本特徴量


各分析単位(楽章または作品)について、以下の9つの指標を算出する。これらはいずれも、小節ごとの重心座標という一次データ(軌道)を、平均・標準偏差・角度差の平均といった形に要約した二次的な統計量である。これらは軌道の「形状の特徴」を数値化したものであり、軌道そのもの――すなわち、どの小節で、どの方向に、どれだけ急激に重心が動いたかという時間発展の具体的な経路――を保持していない。

9次元のベクトルに要約することで、初めて楽章間・作品間・作曲家間でのPCA・クラスタリングといった比較統計の手法を適用できるようになる。裏を返せば、この要約の過程で、作品内部の急激な転換点がどこにあるかといった、カタストロフィー理論的に興味深い情報は失われる。この点は本研究の限界としても後述するが、軌道内部の時間発展そのものへのカタストロフィー分析(急激な遷移点の検出等)は、追加のデータ収集なしに着手できる今後の課題として位置づけられる。

ここで選択された9つの統計量は、軌道の要約統計量として一般的なもの(平均・分散・変化量の平均等)を機械的に採用したものではなく、前述のFEP三層構造という理論的な問いに対応させる形で、各層に最低3つずつ、意味の異なる統計量を配置している。以下、個別に、なぜこの統計量がこの目的に資するのかを説明する。

層1:生成モデルの安定性(その曲は、自らの調的仮説にどれだけ確信を持ち続けているか)
  • Avg_r(平均重心半径):全小節を通じた重心半径の平均。生成モデルが平均してどれだけ強くコミットした予測(=特定の調的領域)を維持しているかの、いわば「デフォルトの確信度」に対応する。

  • SD_r(重心半径の標準偏差):Avg_rが曲内でどれだけ揺れ動くか。これはAvg_rだけでは捉えられない情報である。同じAvg_rでも、終始一定の精度水準を保ちながら予測を維持する曲と、精度を動的に上下させながら予測誤差に対する感受性を能動的に再調整する曲とは、FEP的には全く異なる主体のあり方を意味する。SD_rはこの精度変動の大きさそのものを測る。

  • Tonal_Focus(調的集中度):Avg_r・SD_r的な情報を統合したうえで、r=0近傍(無調的に近い状態)にどれだけの時間比重が割かれているかを重み付けした総合指標である。平均値だけでは希釈されてしまう「特に拡散した瞬間の存在」を強調的に捉える設計になっており、層1の代表的単一スカラーとして機能する。

層2:状態空間における行動パターン(重心はどう動き回るか)

  • Avg_Step(平均ステップ幅):隣接小節間の重心移動角度の平均。FEP的には、一歩ごとにどれだけ予測を更新しているかに対応する。値が大きいほど、調的な文脈の書き換えが頻繁であることを意味する。

  • Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):Avg_Stepの曲長正規化版である。マーラーの交響曲は第1番と第3番のように長さが数倍異なるため、正規化を行わないと総移動量が単に曲の長さに比例してしまい、作品固有の「動きの烈しさ」ではなく単なる長さの効果を測ることになる。この正規化は、作品間比較を可能にするための必須の設計である。

  • Spatial_Dispersion(空間分散度):重心が実際に訪れた領域の広がり(分散)。Avg_Stepとは独立の情報である。転調の歩幅(Avg_Step)が同程度であっても、五度圏上の特定領域を集中的に往復する動きと、広域にわたって分散しながら移動する動きとでは、Spatial_Dispersionの値は大きく異なる。FEP的には、前者は同一の調的仮説の周辺で予測誤差を局所的に微修正し続ける状態に、後者は生成モデルそのものが想定する調的仮説の範囲が広く、より根本的な書き換え(遠い調的領域への探索的飛躍)が生じやすい状態に対応すると解釈できる。

層3:感覚入力の複雑性(拍頭で実際に何が鳴っているか)

  • PC_Density(ピッチクラス密度):拍頭で同時に鳴っているピッチクラス数の平均。瞬間ごとの感覚入力そのものの複雑さを表す、最も直接的な指標である。

  • Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):PC_Densityが小節ごとにどれだけ変動するか。同じ平均密度でも、常に一定の厚みで鳴り続ける曲と、薄い瞬間と厚い瞬間が激しく交代する曲とでは、感覚入力として与えられる「驚き」の量が異なる。これはPC_Densityの平均だけでは失われる情報である。

  • Harmonic_Coverage(和声被覆率):楽曲全体を通じて、三和音以上の有効和声が成立している小節の比率(=有効小節数/全小節数)。PC_Densityが「ある拍頭で何声部鳴っているか」という瞬間の密度を測るのに対し、Harmonic_Coverageは「そのような有効な和声が楽曲全体の何割の時間にわたって途切れずに存在しているか」という被覆の持続性を測る。FEP的には、生成モデルへの感覚入力が供給され続けている時間的割合——すなわち主体の予測機構がどれだけ継続的に駆動されているか——に対応する。値が低い楽章は、テクスチャが希薄な時間帯(単音・重音・休止が支配的な区間)が相対的に多く、感覚入力が断続的になっている状態として読める。探索的な活動領域の広さはSpatial_Dispersionが担う概念であり、両者は独立した情報を持つ。


まとめると、9指標は「平均・分散・広がり」という統計的操作を無差別に適用したものではなく、各層について「平均的な水準」「その水準の一貫性」「探索・変動の広がり」という異なる情報を最低限セットで揃えるという設計方針のもとに選ばれている。これにより、同じ平均値を持つ2曲でも、変動の仕方や探索範囲の違いによって、PCA空間上では異なる位置に配置されうるという分解能が確保されている。

なお、これらとは別にWinding_Rate_100(五度圏上での回転方向を考慮した累積移動量)という補助指標も算出しているが、複数楽章を連結した際に楽章境界での人為的な接続が値を歪めやすいという性質があるため、PCA本体には含めず、補足的な検証にのみ使用している。


PCAとクラスタリングの設定

上記9指標(またはその一部)を標準化したうえで、主成分分析(PCA)により2次元(PC1・PC2)に圧縮する。PC1・PC2の意味づけ(何が「正」で何が「負」を意味するか)は、分析対象となるデータセットの構成によって変わりうる。これはPCAという手法自体の性質——主成分の向きは統計的に決まるが、正負の符号は数学的に恣意的である——によるものであり、本研究では各分析セクションの冒頭で、その都度、負荷量(各指標がPC1・PC2にどの程度・どの方向に寄与しているか)を明示することで、符号の意味を確定させている。

作品・楽章のグルーピングには、PC1・PC2平面上でのk-meansクラスタリングを用いる。クラスタ数kは、対象とする作品群の理論的に想定される区分数(本研究では主にk=4)に基づいて設定している。

統計的検定

作曲年代とPCAスコアとの関係は、Pearsonの積率相関係数(線形関係の強さ)とSpearmanの順位相関係数(単調関係の強さ、外れ値や非線形性に頑健)の両方を算出し、併記する。作曲家間の比較では、独立2群のt検定によりPC1平均値の差の有意性を検証する。有意水準は特に断りのない限り5%とする。


A. 全曲統合での比較


図1:マーラー(赤)・ペッテション(青)の交響曲の全曲統合での五度圏和声重心軌道のPCA分析結果。作品間を有効グラフで連結して時系列の変化を示した。

符号規約に関する注記

本データセットの負荷量は、Avg_r = +1.003、Spatial_Dispersion = +0.961、Avg_Step = −0.963、PC_Density = −0.967、Texture_Volatility = −0.842であり、正のPC1=調的安定性、負のPC1=調的溶解を意味する。これはマーラー単独での作品レベル分析(別稿参照)と同方向の符号だが、楽章レベル・主要楽章レベルでの分析とは逆であり、本稿内でも都度確認を要する。

手法

マーラー全11曲(第1〜10番+大地の歌)およびペッテション全11曲(第6〜16番)を、各曲の全楽章を統合した22データ点として扱い、統一9指標セットに基づく結合PCAを実施した。

1. 作曲家間の分離:明確かつ強固


PC1範囲

Mahler

+0.542 〜 +3.001

Pettersson

−4.440 〜 +1.019

t検定:t = 5.771, p = 0.000012。両者はPC1軸上で強く有意に分離しており、マーラー作品群が調的安定側(正)に、ペッテション作品群が調的溶解側(負)に偏って分布する。この構図は、本研究の理論的類型論——マーラー=肥大化した近代的主体、ペッテション=損傷した主体——とPC1軸の方向性が整合することを示している。

2. マーラー晩期とペッテション初期の重なり

両者は完全に分離しているわけではなく、境界領域に重なりが見られる。

PC1

マーラー最晩期

Sym9

0.542


Sym10

0.542

ペッテション Stage I

Sym6

0.011


Sym7

0.884


Sym8

1.019

マーラーの到達点(晩期)とペッテションの出発点(Stage I)が、PC1上でほぼ同じ帯域に位置する。これは、ペッテションの音楽的主体が、マーラーが生涯をかけて到達した調的溶解の水準からすでに出発していることを示唆する。

3. マーラー:連続的劣化

マーラーはPC1と作曲順の間に強く有意な負の相関を示す(Pearson r = −0.887, p = 0.0003; Spearman ρ = −0.927, p < 0.0001)。結合PCA空間内でもこの単調減少傾向は保持されており、マーラー単独での分析(別稿)と同様の連続的・漸進的な調的溶解過程が確認できる。

4. ペッテション:破局的遷移

これに対しペッテションは、単独でのPC1と交響曲番号の相関が有意水準に届かない(Pearson r = −0.587, p = 0.058; Spearman ρ = −0.509, p = 0.110)。マーラーのような滑らかな単調減少ではなく、段階的なジャンプを伴う非線形な軌道を描く。

段階

PC1平均

Stage I

6, 7, 8

+0.638

転換期I

9

−0.648

Stage III

10, 11

−4.379

転換期II

12

−3.572

Stage V

13–16

−2.375

転換期I(−0.648)からStage III(−4.379)への落差は**−3.731ポイント**という極端な跳躍であり、その後は転換期II・Stage Vにかけて−2〜−3台へと部分的に回復・再安定化する。これは連続的・線形的な劣化ではなく、ある閾値を境に一気に異なる状態へ遷移し、その後新しい水準で再安定化するという挙動であり、カタストロフィー理論的なcusp型遷移パターンと形式的に符合する。

解釈:発展様式の質的相違

マーラーとペッテションは、PC1軸上での調的溶解という共通の方向性を持ちながら、その経年的発展様式において質的に異なる。マーラーにおける生成モデルの劣化は、作曲年代を追うごとに滑らかに進行する連続的過程であり、FEP的には生成モデルの精度パラメータが漸進的に低下していく描像に対応する。一方ペッテションにおいては、Stage IからStage IIIへの遷移が示すように、ある種の臨界点を境に生成モデルが急激に異なる状態へと移行し、その後新たな(劣化した)状態で再安定化するという非連続的・破局的な過程が観察される。

この対比は、両者の音楽的主体の存在様式そのものの違いを反映していると考えられる。マーラーの「肥大化した近代的主体」は、可能な限り連続性を保ちながら自らの生成モデルを更新し続けようとする主体であるのに対し、ペッテションの「損傷した主体」は、ある臨界点において既存のモデルを維持しきれず崩壊し、破局的な再編成を経て新しい(しかし損傷した)水準での存在を続ける主体として特徴づけられる。


B. 主要楽章での比較


図2:マーラー(赤)の交響曲の主要楽章のみ・ペッテション(青)の交響曲での五度圏和声重心軌道のPCA分析結果。作品間を有効グラフで連結して時系列の変化を示した。

符号規約に関する注記

本データセットの負荷量は、Avg_r = +0.998、Spatial_Dispersion = +0.918、Avg_Step = −0.982、Step_Rate_100 = −0.983、PC_Density = −0.932であり、正のPC1=調的安定性、負のPC1=調的溶解を意味する。既述のAとも同方向であり、この点は結合分析(A・B)を通じて共通している。

手法

マーラーの全交響曲の主要楽章11曲(Hauptsatz)およびペッテションの中期以降の交響曲、つまり第6~第16交響曲の11曲全曲を、22データ点として扱い、統一9指標セットに基づく結合PCAを実施した。マーラー側での主要楽章の選定基準は、マーラー単独での主要楽章分析(別稿)と同一である。ペッテションの交響曲の作品選択も、ペッテション単独での分析(別稿)と同一である。

1. 作曲家間の分離:粒度不変性の確認


A(全曲統合)

B(主要楽章)

t検定(Mahler vs Pettersson, PC1)

t=5.771, p=0.000012

t=4.998, p=0.000069

Mahler PC1範囲

+0.542〜+3.001

−0.244〜+4.470

Pettersson PC1範囲

−4.440〜+1.019

−4.076〜+1.090

主要楽章のみに絞っても作曲家間の分離は同等に強固である。ただしMahler_Sym10-1(第10番第1楽章、アダージョ)がわずかに負の値(−0.244)まで沈み込み、全曲統合分析には見られなかった軽微な越境が生じている。これは第10番第1楽章が持つ、全曲平均を上回る半音階的・実験的な性格を反映していると考えられ、両分析の基本構図を崩すものではない。

2. マーラー:年代相関はやや弱まるが有意性は維持


Pearson r

p

Spearman ρ

p

A(全曲統合)

−0.887

0.0003

−0.927

<0.0001

B(主要楽章)

−0.791

0.0038

−0.818

0.0021

単一楽章に絞ると相関はやや弱まるが、依然として強く有意である。これは、マーラー単独分析(別稿)で確認された粒度依存性のパターン(集約が進むほど相関が先鋭化する)と同型であり、結合分析においても再現された。

なお主要楽章のみで見ると、マーラーの軌道は必ずしも単調ではない。第7番(0.273)で一旦谷を作った後、第8番(1.606)・大地の歌(2.398)でPC1が再上昇し、その後第9番(0.678)・第10番(−0.244)で急落するというジグザグが見られる。これは、マーラー単独での主要楽章分析(別稿)で確認された「4番が初期群から離脱し8番・大地の歌側に合流する」構造——Hauptsatzがソナタ原理に対して取る構造的態度の質的差異——が、結合分析空間でも一貫して現れていることを示す。

3. ペッテション:破局的ジャンプは分析粒度を問わず再現

段階別PC1平均は以下の通り。

段階

A(全曲統合)PC1平均

B(主要楽章)PC1平均

Stage I (6-8)

+0.638

+0.716

転換期I (9)

−0.648

−0.770

Stage III (10-11)

−4.379

−3.982

転換期II (12)

−3.572

−3.370

Stage V (13-16)

−2.375

−2.310

転換期I→Stage IIIの落差は、全曲統合で−3.731、主要楽章のみで**−3.212**とほぼ同規模で再現される。段階ごとのプロファイル(Stage Iで正、転換期Iで軽度に負転、Stage IIIで急落、その後転換期II・Stage Vにかけて部分的に回復)という定性的パターンも完全に一致する。

ペッテション単独でのPC1対番号の相関は、主要楽章のみではPearson r=−0.619, p=0.042とぎりぎり有意に転じる(全曲統合ではp=0.058で非有意)が、Spearman順位相関は両分析で完全に同一の値(ρ=−0.509, p=0.110)である。作品間の相対的順位構造が両分析で完全に保存されていることは、線形相関の有意性の僅かな揺れが、あくまで非線形な破局的遷移パターン自体の反映であることを裏付ける。

解釈:粒度不変性としての破局的遷移

この一致が示す最も重要な点は、Stage IIIへの破局的遷移という知見が、分析単位(楽章統合か主要楽章単独か)に依存しないロバストな構造であるということである。 単一楽章分析でも同じ規模の跳躍が現れるということは、この遷移が特定楽章の異常値によるアーティファクトではなく、Stage III期の作曲様式そのものに根差した質的変化であることを強く示唆する。

これは、別稿(マーラー単独分析)で確立した粒度不変性の検証原則——複数の分析単位を通じて再現される構造のみをロバストな知見とみなす基準——を、マーラーとの結合分析という枠組みの中でも再確認するものである。マーラーの連続的劣化・ペッテションの破局的遷移という対比は、単一の分析粒度に依存した見かけ上の結果ではなく、分析単位を横断して観察される構造的事実として位置づけられる。


まとめ:連続的劣化とカタストロフィー的遷移——二つの発展様式の理論的定式化


第2部では、マーラー全11曲とペッテション全11曲(第6〜16番)を対象に、マーラーの交響曲について(A) 全曲統合、(B) 主要楽章、という2つの粒度で、ペッテションの交響曲(こちらは常に全曲)との結合PCAを実施した。ここでは両分析を横断して得られた知見を統合し、両作曲家の音楽的主体が示す発展様式の質的差異を、カタストロフィー理論とFEP三層構造の観点から理論的に定式化する。

1. 分離の頑健性——粒度を問わない作曲家間の境界


A(全曲統合)

B(主要楽章)

t検定(PC1)

t=5.771, p=0.000012

t=4.998, p=0.000069

マーラーとペッテションはPC1軸上で強く有意に分離しており、この分離は分析粒度に依存しない。これは、別稿(マーラー単独分析)で確立した粒度不変性の原則——ロバストな構造的知見は分析単位を変えても再現されるべきである——が、単一作曲家内の分析だけでなく、作曲家間の比較という枠組みにおいても成立することを示す。

同時に、両者の分布には境界領域での重なりが確認された。マーラー最晩期(第9・10番)とペッテションStage I(第6〜8番)がPC1上でほぼ同じ帯域に位置するという事実は、示唆的である。ペッテションの音楽的主体は、マーラーが生涯をかけて到達した調的溶解の水準から出発している。 この関係は、両者を単純に「安定から溶解へ」という単一の尺度上に並べる直線的な発展史観を許さない。むしろペッテションは、マーラー的主体が最終的に到達した状態を初期条件として引き受けたうえで、そこからさらに独自の——そして質的に異なる——崩壊過程へと進んでいく主体として位置づけられる。

2. 二つの発展様式

マーラー:連続的劣化

マーラーのPC1は作曲順に対して強く有意な単調減少相関を示し(A: Spearman ρ=−0.927;B: ρ=−0.818)、この傾向は全曲統合・主要楽章の両粒度で一貫している。別稿(マーラー単独分析)で確認された滑らかな経年的トレンドが、ペッテションという比較対象を導入した結合分析空間においても保持される。これは、生成モデルの精度パラメータが時間とともに漸進的に低下していく、連続的な劣化過程として記述できる。

ペッテション:破局的遷移

これに対しペッテションは、単独でのPC1対番号相関が弱い、あるいは境界的にしか有意とならない(A: p=0.058;B: p=0.042)。段階別に見ると、転換期I(第9番)からStage III(第10・11番)への落差は、Aで−3.731、Bで−3.212と、両粒度でほぼ同規模の跳躍として再現される。この後、転換期II・Stage Vにかけて値は部分的に回復し、新しい水準で再安定化する。

Spearman順位相関がAとBで完全に同一の値(ρ=−0.509, p=0.110)を示した事実は特筆に値する。これは、作品間の相対的な順位構造——どの曲がどの曲より調的に安定または不安定か——が分析粒度によらず完全に保存されていることを意味し、線形相関の有意性の微妙な揺れが、経年トレンドそのものの不在ではなく、非線形・非単調な軌道の反映であることを裏付けている。

3. カタストロフィー理論による定式化

この対比は、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルによって形式的に整理できる。マーラーの軌道が状態空間上の滑らかな曲面に沿った連続的な移動として描けるのに対し、ペッテションの軌道は、ある制御パラメータ(作曲年代、あるいはそれに伴う生成モデルへの負荷)が臨界値を超えた地点で、安定状態から離れた別の安定状態へと不連続に「飛ぶ」——fold(折り目)を越える——挙動として記述される。転換期I(第9番)は、この折り目に接近しつつある不安定な移行段階に相当し、Stage III(第10・11番)への急落は、系がもはや旧来の安定状態を維持できずfold surfaceの下葉へと落下する過程として理解できる。その後の転換期II・Stage Vにおける部分的回復は、系が新しい(より低い)安定状態の周辺で再び平衡を見出す過程に対応する。

このモデルは、単なる比喩ではなく、両粒度で再現された「転換期Iから Stage IIIへの一定規模の跳躍」という定量的事実によって裏づけられている。

4. FEP三層構造による統合的解釈

本研究で導入したFEP三層構造の観点から見ると、両者の相違は層1・層2(生成モデルの安定性・状態空間における行動パターン)の変化様式そのものの違いとして捉えられる。

マーラーの「肥大化した近代的主体」は、生成モデルの精度低下という不可避の過程に直面しながらも、各作品を経るごとにモデルを漸進的に更新し続け、破局的な崩壊を回避しようとする。この意味で、マーラーの主体は最後まで「連続性を保とうとする」動的努力の軌跡として記述できる。

これに対しペッテションの「損傷した主体」は、Stage Iにおいて(マーラー晩期に匹敵する水準ではあるが)一定の安定性を保持していたのが、転換期Iを境にその安定性を維持しきれなくなり、Stage IIIで生成モデルそのものが崩壊的に再編成される。その後の部分的回復(転換期II・Stage V)は、崩壊した生成モデルが、崩壊以前とは異なる、より低い精度水準において新たな均衡を模索する過程として理解できる。「損傷」とは、単なる一方向的な劣化ではなく、破局的な崩壊とそれに続く不完全な再統合という、cusp型のダイナミクスそのものを指す、という定式化が、本研究の結合分析によって定量的に裏付けられたことになる。

5. 総括

第2部の結合分析は、マーラーとペッテションという二つの音楽的主体が、共通の調的溶解という大きな方向性を共有しながらも、その経年的発展様式において根本的に異なる力学に従うことを示した。マーラーは連続的劣化という滑らかな曲面上の運動として、ペッテションはStage IIIを折り目とするcusp型の破局的遷移として、それぞれ異なる幾何学によって記述される。この対比は分析粒度(全曲統合/主要楽章)を問わず頑健に再現されており、単一の分析設定に依存する偶然の産物ではなく、両作曲家の生成モデルが辿る構造的差異そのものを反映していると結論づけられる。

この「発展様式そのものが作曲家によって異なる幾何学に従う」という知見は、別稿で確立した「分析粒度が音楽的主体の階層的構造を異なる解像度で露呈させる」という知見と合わせて、交響曲的思考における音楽的主体が、単一の尺度や単一の物語に還元されない、多層的かつ多様式的な存在様式を持つことを、定量的・理論的の両面から示すものである。


結論

本研究が明らかにしたこと

本研究は、マーラーとペッテションという二人の作曲家の交響曲群を対象に、全曲統合・主要楽章という2つの分析粒度から結合PCAを実施し、両者の音楽的主体が辿る発展様式を比較検討した。得られた知見は以下の三点に集約される。

第一に、両者はPC1軸上で強く有意に分離する(A: t=5.771, p=0.000012;B: t=4.998, p=0.000069)。この分離は分析粒度に依存せず頑健であり、マーラーの「肥大化した近代的主体」とペッテションの「損傷した主体」という理論的類型論を、定量的に裏付けるものである。同時に、マーラー最晩期とペッテションStage Iの間にPC1上での重なりが確認され、ペッテションの音楽的主体がマーラーの到達点から出発していることが示唆された。

第二に、両者の発展様式は質的に異なる。マーラーの調的溶解は作曲年代を通じて滑らかに進行する連続的過程である(A: Spearman ρ=−0.927;B: ρ=−0.818、いずれも有意)。これに対しペッテションは、転換期IからStage IIIへの急激な跳躍(A: −3.731、B: −3.212)を伴う破局的な遷移を示し、その後転換期II・Stage Vにかけて新しい水準で部分的に再安定化する。

第三に、このペッテションの破局的遷移という知見は、分析粒度を問わず再現される頑健な構造である。全曲統合と主要楽章という異なる時間解像度で、転換期IからStage IIIへの落差がほぼ同規模で確認されたことは、この遷移が特定楽章のアーティファクトではなく、Stage III期の作曲様式そのものに根差した質的変化であることを強く示唆する。

理論的定式化

マーラーとペッテションの対比は、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルによって形式的に整理できる。マーラーの軌道が状態空間上の滑らかな曲面に沿った連続的な移動として描けるのに対し、ペッテションの軌道は、制御パラメータ(作曲年代、あるいはそれに伴う生成モデルへの負荷)が臨界値を超えた地点で、安定状態から離れた別の安定状態へと不連続に「飛ぶ」——foldを越える——挙動として記述される。転換期Iはこの折り目に接近しつつある不安定な移行段階に相当し、Stage IIIへの急落は、系が旧来の安定状態を維持できずfold surfaceの下葉へと落下する過程として理解できる。

FEP三層構造の観点からは、マーラーの主体が「連続性を保とうとする動的努力」として、ペッテションの主体が「崩壊とそれに続く不完全な再統合」として、それぞれ異なる幾何学に従うことが定式化される。

限界と今後の課題

本研究にはいくつかの限界がある。第一に、対象をマーラーとペッテションの2人に限定しており、他の作曲家との比較は行っていない。MIDIデータの可用性という制約から、ショスタコーヴィチ・シュニトケへの拡張は現実的でない。ブルックナー・シベリウスは主要楽章分析ではある程度網羅的な検討が可能だが、全曲(全楽章)を対象とする分析への拡張は困難である。交響曲という形式を離れ、創作史全体を横断できるという観点に立てば、ピアノソナタや室内楽まで対象を広げた上でのブラームスが、現実的な候補として挙げられる程度に留まる。

第二に、ペッテションのStage IIIへの跳躍という現象は、カタストロフィー理論のcuspモデルによって形式的に記述されたが、実際のcusp方程式への定量的なフィッティングには至っていない。この跳躍を、作曲年代を制御パラメータとする実際のcusp catastrophe surfaceに当てはめ、fold(折り目)の位置や急峻さを定量化することは、今後の重要な発展方向である。ただしサンプル数(11)の制限からも、単純なカスプ曲面へのフィッテイングは現実的でない。従って、何らかのかたちでカスプが要求する位相構造をどこまで満たしているかを検証する方法を検討する必要がある。

現時点で検討しているのは、別途FEPとの関連を分析するために設定した、ピッチクラスの音数密度、ロバストネス、重み付き予測誤差の3次元からなる相空間での作品内部の軌道について、作品毎の統計量を求めて状態空間軌道を構成し、その軌道のトポロジーを分析することによりアプローチすることを考えている。そこでの仮説は、例えば以下のような形を採るものと予想される。「第9番から第10番への遷移において、状態空間軌道の速度・加速度・曲率が同時に極値を示す。このことは、作品系列が二つの安定領域を結ぶ臨界遷移を含むことを示唆し、その位相構造は cusp catastrophe が要求する幾何学と整合的である。 」

第三に、本研究で用いた9指標はいずれも五度圏上の重心軌跡から導出されるマクロな統計量であり、軌跡そのもの——特にStage III前後での重心軌跡の内部的な変化過程——を直接分析対象とするものではない。この内部軌道に対するカタストロフィー理論的な分析(急激な遷移点や分岐構造の検出)は、Stage IIIの跳躍という現象をより精緻に理解するための有力な方向である。

(2026.7.7 公開、 7.13~16 序論および研究手法を補筆・改訂, 7.31 基本特徴量の記述を修正)

2026年7月23日木曜日

アンドレイ・エシュパイ

  私のエシュパイとの関りは、専ら彼がフィン・ウゴル系の民族の一つであるマリ人の父を持ち、父の研究対象であったマリの民族音楽のイディオムに深く根差した作品を生み出した作曲家であるという点に拠るものである。例えば彼の第3交響曲は父親への追憶として書かれた作品だが、一聴して明確に聴き取ることができるように、その音楽は所謂「ロシア的」なものとは一線を画しており、マリの民族音楽のイディオムの影響は明確であろう。この点に関して、例えばかつてWebに存在したOnno van Rijenの Soviet Composer's Page(現在はWayback Machineのコピーで確認できる)のエシュパイの項目では、そのスタイルの説明として以下のような指摘をしていた。

His musical expressive means are very unusual due to his usage of the folklore of his native Mari people. Typically his colourful orchestral sound seems to distill the essence of the natural world of the far north. He uses syncopated rhythms; his rhythms seem to be related to the music of Bartok. He uses often alternations of ostinato-tuttis and rhythmic shifts from folklore music.

(Andrei Eshpai, Internet Edition compiled by Onno van Rijen, Last update: 17 May 2007)

 彼の音楽の表現の特異性がマリの民謡に由来することから始まり、極北の自然のエッセンスを蒸留したかのような管弦楽法、シンコペーションを伴うリズム処理におけるバルトークの音楽との関わりに触れた後、もう一度オスティナートとリズム上のずらしの交替の利用がマリの民族音楽に由来するという指摘であるが、これは実際に彼の作品をある程度まとまって聞いた印象と概ね一致しており、首肯できるものと考える。この指摘が意味するのは、エシュパイの音楽にとってマリ人が住んでいる土地の風土や音楽的伝統が、単なる音による描写の素材であったりエキゾチックな雰囲気を醸し出す効果のための素材であるといった通俗化した「国民楽派」的なイディオムのレベルに留まらない、本質的なものであることを告げており、旧ソ連における文化の公式のイデオロギーであった「形式においては民族的、内容においては社会主義的」といった硬直化した「社会主義リアリズム」とは(その出発点はともかく結果としては)距離を措いたものであることを告げている。

 エシュパイの作品の幾つか、それも著名な幾つかを一聴してあからさまなジャズのイディオム面(特にリズム)や楽器編成上の活用は、旧ソ連においては退廃した西欧の文化の象徴としてしばしば排撃の対象となった筈であるが、ここではそうした文化的な記号として機能しておらず、同時に例えばシュニトケが「引用」を行った時のイデオロギーへの抵抗の身振りのようなものとも無縁で、奇妙に根無し草のような雰囲気を帯びていると私には感じられる。突飛な譬えと捉えられるかも知れないが、スクリャービンにおけるショパン的な作品ジャンルやイディオムが、もともとのショパンにおいては民俗的なルーツとの繋がりを持っていたものが、身体性を欠いた奇妙に抽象的なものに変容してしまっていることを思い浮かべてしまう。敢えて比較の対象を求めるならば、上に引用した文章で指摘されているバルトークの音楽(ジャズということならまず「コントラスツ」が思い浮かぶ)よりも、マルティヌーにおけるモラヴィア風のリズム処理の自在さとジャズ的なイディオムの奇妙な混淆の方が近いようにも思える。もっともこのことは寧ろ、単に私自身にとってジャズが疎遠なものであることに由来しているに過ぎないかも知れない。

 それに比べれば、マリの民族音楽も含めた地理的・文化的風土とエシュパイの音楽との関りの様相は私にとってずっと違和感のないものであるが、こちらはこちらで私がエシュパイの音楽に関心を抱いた経緯に拠ったものに過ぎず、そうした偶然的な要因を超えた何かがそこにあるかどうかは必要なら別途検討するべきであろうが、私のエシュパイへの関心はマリ人という民族やマリ語という言語への関心に先立たれていて、そこから謂わば派生したものなのである(そしてこれは例えばシベリウスやバルトークの場合とは順番が逆であり、ヤナーチェクの場合とは同じ順序であった)。それではマリ人への関心の由来はと言えば、私が音楽を聴き始めて間もなくの中学生になったばかりの頃に出会って強く魅了されたシベリウスの音楽が、直接民族音楽に由来する素材を用いるといった、いわゆる「国民楽派」の典型的なイメージとして思い浮かべるような仕方ではなく、だが明らかに西洋の音楽の伝統とは異なる時間の流れや風景を感じさせるものであり(それ故私が魅了され、今日なお聴き続けているシベリウスの作品は、マーラーによって「通俗的なまがいものの節まわしが例の≪北欧的≫な和声とやらという国民的ソースをまぶして料理されていた」(1907年11月2日付ヘルシンキ発のアルマ宛の書簡、引用は酒田健一訳の『回想と手紙』白水社版による)と評されたような初期の作品(正確を期すならば、ここでマーラーが言及しているのは、マーラーが聴いた10月29日夜のカヤヌス指揮のコンサートで演奏された交響詩『春の歌』op.16とアンコールとして演奏された『悲しきワルツ』であることが判明している)、フィンランドナショナリズムのアイコンとなった「フィンランディア」などではなく、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ』に取材した『クレルヴォ』や『レンミンカイネン』連作のような交響詩をはじめとする一連の作品群でもなく、最初に出会った作品である第2交響曲を除けば、後期の交響曲と交響詩「タピオラ」の数曲のみである)、結局のところその独自性の一部はフィンランドという国の地理的・歴史的条件やフィン人という民族の言語や文化的伝統に根差しているように思えたことが起点にあった。特に言語については、フィンランド語はヨーロッパで主流のインド・ヨーロッパ語族とは異なる系統の言語であり、(実はシベリウス自身の母語はスウェーデン語であり、フィンランド語は後から習得したものなのだが、にも関わらず)特に後期のシベリウスの音楽のリズムやアクセントに、フィンランド語の持つ、印欧語とははっきりと異なった特徴がこだましているように感じられたこともあって、フィンランド語をはじめとするウラル語族に関心を持つようになり、その中でも特に民族の故地と想定されるウラル山脈の西側に程近い、ヴォルガ川の沿岸に今なお居住するマリ人やモルドヴィン人、ウドムルト人といった民族と言語にも興味を持つようになったのがきっかけなのである。

 とはいうもののインターネット普及前で、海外の情報へのアクセス手段が限定されていた時代であり、ましてや冷戦の「鉄のカーテン」の向こう側について、地方都市に住む平凡な子供が入手できる情報は事実上皆無に近く、ようやくまとまった情報に接したのは、ウラル語学者の小泉保さんが公刊した『ウラル語のはなし』を入手したのが最初であったと記憶するから、昭和が終わり平成になってしばらくしての時期ということになる。同様にして、旧ソ連圏の作曲家とその作品に接することができるようになったのも、LPの時代が終わり、CDが急速に普及するのと並行して、ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカが推進され、それまではカーテンの向こう側にあって手が届かなかった様々な情報へのアクセスが可能になってから以降のことである。

 だがそれ故にこそ一般的な了解としては、まさに上記のSoviet Composer's Pageの中で取り上げられていることが物語るように、寧ろエシュパイは所謂「旧ソ連(ソビエト連邦)」の作曲家の一人として紹介されてきたように思われる。エシュパイは1925年の生まれだからロシア革命後のソ連で生まれたことになるけれども、そのソ連が1985年のゴルバチョフのソ連共産党書記長就任以降、ペレストロイカの時期を経て1991年に崩壊に至るのと並行するように、1980年代中葉以降、ソ連圏の作曲家のうち、特にその後西側に亡命するなど、体制に順応的ではない作曲家の一群がECMレーベル等により西欧に紹介され、西側の「前衛」の行き詰まりに替わるようにして社会主義リアリズム一辺倒と思われていた鉄のカーテンの向こう側の多様な個性を備えた作曲家達に脚光が浴びるようになったのであったが、エシュパイの名前はその中に含まれることはなかったように記憶する。彼の経歴を辿ると、ソ連作曲家同盟書記として作曲家同盟の要職を占め、ソ連人民芸術家の称号(1981年9月)を受け、国家賞(1976年、マヤコフスキーの詩によるカンタータ «Ленин с нами»(『我々のレーニン』)およびピアノ協奏曲第2番)、レーニン賞(1986年、オーボエ協奏曲(1982)、«Песни горных и луговых мари»(『山地マリ・牧地マリの歌』, 1983)に対して)を受賞していることが確認できる。そしてこれら受賞作も含めた幾つかの作品については録音された演奏が存在して旧ソ連の国営レーベルのレコードとして知られていたようだから(それ故CDの時代を経てネットワーク経由でのダウンロードやストリーミングでの視聴が主流になる一方でLPレコードが再び持て囃されるようになった近年は、希少価値を持つとしてネットオークションなどでも時折見かけるようであるが、当時の私は辛うじて風変りな名前の作曲家がいるくらいの認識で、その作品に接することはなかったのだが)、その限りで寧ろソ連の有力作曲家の一人として、ペレストロイカの時代以前から「知る人ぞ知る」存在であったというべきなのだろう。

 ちなみにエシュパイのソ連作曲家同盟書記としての活動を伺わせる証言が、意外なところにあるので備忘を兼ねて紹介しておきたい。イヴァシキン編『シュニトケとの対話』(秋元里予訳, 春秋社)の第3章はショスタコーヴィチを巡っての対話から開始されるが、その後チシチェンコの話題になったところで、ソ連時代の作曲家同盟に纏わるエピソードが紹介される。その中で、この対談において唯一エシュパイへの言及が為される箇所がある(邦訳、p.125~6)。ヴォルコフ編の偽書『ショスタコーヴィチの証言』によってすっかり「悪役」として人口に膾炙することになった作曲家同盟議長フレンニコフに対する賛成投票をシュニトケが拒否した時に、チシチェンコが明確な擁護の姿勢を示したことが語られるのだが、そのくだりでエシュパイが登場するのである。以下、エシュパイが登録する箇所の前後を引用する。

I(イヴァシキン):理事会のメンバーとして選挙に参加したんですよね?

S(シュニトケ):ええ、1975年頃のことでした。面白いことに、選挙の前、アンドレイ・エシュパイから何度も電話がかかってきました。電話の内容は、「作曲家同盟書記に出世させてやる」「うんといったほうがいいぞ」ということでした。僕は、後悔しているのですが、初めは彼の言うとおりにしようかと思いました。でも、ありがたいことに、すぐ考えを改め、断るべきだと悟ったのです。

I:でも一時期、作曲家同盟の交響曲部会の会合を担当していましたね。

S:それは別の話です。僕はメンバーの一人として委員会に入り、一時期、二ヶ月ほど、公聴会を行っていました。

(イヴァシキン(編)『シュニトケとの対話』邦訳、p.125~6 )

チシチェンコについての話題はこれで終わって、次のやりとりではシチェドリンに話題が移ってしまうのだが、生涯の出来事について語る箇所でも、他の作曲家が話題になる箇所でもエシュパイへの言及はなく、あからさまにフレンニコフの「一味」、その「手下」という役割で描かれている上記の引用箇所が唯一の言及であることからして、シュニトケはエシュパイを自分に敵対する側の人間と看做している上に、作曲家としては全く評価していないということが窺える。イヴァシキンもシュニトケ本人も言及しておらず、注釈もないため、事前に予備知識がなければ知りようがないことだが、後述するようにシュニトケは、ラコフ、ゴルベフの門下であるという点においてエシュパイと同門であり、シュニトケ本人は勿論、イヴァシキンにとってもそのことは言わずもがなの前提知識であった筈である。そしてそのことを踏まえて、エシュパイの方がシュニトケに比べて10年年長であることから考えれば、エシュパイとしては同門の弟弟子に対して、或る種の気配りをしたということなのであろうが、反体制的な立場から見れば、エシュパイは体制に順応し、もしかしたら反体制派への迫害に関与した可能性すらある、胡散臭い存在ということになるのだろう。これもベルリンの壁の破壊に象徴される、旧ソ連および旧ソ連圏の崩壊の後、所謂東側で活躍し、名声を獲得し、ともすれば「芸術的良心」として語られさえした存在が、第二次世界大戦後のドイツでのネオナチへの加担の告発と同様に、体制側の秘密警察のスパイであったり、密告をこととする協力者であったといった事例が溢れた時期があった。そうした点で、旧ソ連の体制崩壊以前に出版されたこともあって一般に強烈な衝撃をもたらし、その後も影響力を持ったのは、ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』だろうが、そこには上で言及したフレンニコフについての「証言」だけではなく、スターリンによる「形式においては民族的、内容においては社会主義的」といった硬直化した「社会主義リアリズム」のイデオロギーの下で、少数民族の作曲家が、その民族の自治共和国において権勢を恣にし、剰えその名前の下でゴーストライターによる作品の偽造さえ組織的に行われていることについての証言、しかもこのケースについては具体的に固有名まで明記した証言があった。(ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』, 水野忠夫訳の第5章「わたしの交響曲は墓碑銘である」にあるムスタル・アシュラフィ(参照文献の訳に従う。英語表記ではMukhtar Ashrafi)の例。 中公文庫版ではp.309以降。実はこの箇所は盗作についての話題の一部であり、ウィリアム・シューマンの或る交響曲をそのまま書き写して自作の交響曲として発表したさる女性作曲家に関する話題に後続している。『証言』では「少数民族」の作曲家に関するエピソードもそれなりの紙幅を費やして語られているが、この部分ではなくもっと後、第六章「はりめぐらされた蜘蛛の糸」に含まれている。但しそこでは特定の作曲家の固有名への言及は確認できる限りではないようだ。)現在では偽書説が確定したとはいえ『ショスタコーヴィチの証言』の証言内容の真偽は別問題であり、個別に検証される必要があるものの(そのせいか、ムスタル・アシュラフィはWikipepiaにエントリが存在するけれど、そこには『証言』での告発内容についての言及はないようだが、『証言』の内容のファクトチェックをやった研究者の報告である Allan B. Ho and Dmitry Feofanov, Shostakovichi's War, 2011, rev. 2014 では『証言』の内容を裏付ける証言が得られたという記述を見かけた。(同書の IV. Corroborating Testimony, 1. Shostakovich on Figures in His Life, c. Mukhtar Ashrafi の項、pdf版では p.100 以降。))、少数民族の作曲家が置かれた地位は、もともと極めて不安定で脆弱なものであったことは疑いなく、公然と批判の対象となったアヴァンギャルド(例えばロスラヴェッツのことを思い起こして頂きたい)と違って、一見したところイデオロギーと対立しないばかりか親和的でさえありうることから、却ってその態度においてショスタコーヴィチのような「ロシアの作曲家」の場合とはまた異なった屈折を孕まざるを得なかったことは疑いないだろう。エシュパイに話を戻せば、彼は「形式においては民族的」という側面に関して自分の民族的出自を利用する一方で、ロシアの作曲家」として振る舞うことで、想像を絶するような苛酷な体制の中を生き延びたかも知れないのである。今ではその良心を疑うものがないように見えるショスタコーヴィチでさえ『証言』が出る遥か以前から、体制順応派として否定する向きから、ダブルミーニングを駆使して内部で抵抗を行っているのだと擁護する向きまで、毀誉褒貶相半ばする状況であったことを思い起こしてもいいだろう。

 とは言いながら、だからと言って旧ソ連やロシアの外部の人間がエシュパイを「ロシアの作曲家」の一人として一括りにしてしまうことが正当化される訳ではない。これはECMレーベルで紹介された作曲家の一人でもあるグルジア出身のギヤ・カンチェリについて記した時に触れたことだが、かつて21世紀になって間もない頃、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」というゴールデンウィークに開催される日本国内の音楽祭にて「ロシア音楽」がテーマになった年があった。新書の体裁をとった著名なロシア文学者の手になる「ガイドブック」では「ロシア音楽」の名の下、既にロシア連邦には所属していない、だがそれを言えば、旧ソ連の時代でさえロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の構成体ではなかった筈の国であったり、非ロシア人であることが明らかである作曲家が取り上げられていたのに違和感を抱いたことを記憶している。記憶する限り、ガイドブックで取り上げられるのは専ら既述の西側で有名になった作曲家たちであり、エシュパイは取り上げられていなかったと記憶しているが、上述のようにエシュパイはロシア連邦の構成主体の一つであるマリ・エル共和国(1990年に自治共和国から共和国への昇格を宣言)の作曲家であるだけでなく民族的にもマリ人の血をひいているわけだし、冒頭に引用したSoviet Composer's Pageの記述にもあるように、その音楽における出自の民族に由来する特徴は明らかなのだから、ガイドブックでもし取り上げられたらという仮定をするしないによらず、彼を「ロシアの作曲家」というラベルの下に括ってしまうのはエシュパイの場合にも無理があるように思われる。

 関連してもう一つ実際にあったことを書き留めておくと、これまたWeb上のさる著名なオンラインCDショップのサイトのエシュパイの紹介で、「父親の故郷、旧ソビエト・マリ自治共和国」という言い回しを見かけた。これだとまるでエシュパイ自身はマリ自治ソビエト社会主義共和国(出生当時の自治共和国名称)の生まれでないかのようだが、実際には彼はコジモデミヤンスクの生まれ、ここはマリ自治ソビエト社会主義共和国以来、今日のマリ・エル共和国に至るまでマリ族の自治共和国内にある。ヴォルガ川はカザンまでは西から東に向かって流れ、カザンで90度曲がって北から南に流れるのだが、マリ・エル共和国は東西に流れる部分の主として北岸を占め、その上流よりにあたる西の端の一部で南岸を含んで広がっている。共和国の首都ヨシュカル=オラが北岸の平地(後述のように「牧地マリ」と呼ばれる)にあるのに対し、コジモデミヤンスクはマリ・エル共和国の南岸に並行して広がるチュバシ共和国の首都チェボクサルよりも更に上流にさかのぼったマリ・エル共和国西端のヴォルガ川南岸の丘陵地帯(「牧地マリ」に対して「山地マリ」と呼ばれる)の中心都市なのだから、父親のみならずアンドレイ・エシュパイ本人も自治共和国の生まれなのである。

 アンドレイの父であるヤコブ・エシュパイはマリ人であり、自分の出自であるマリ族の民謡の研究家であった。一方アンドレイの母親はロシア人だから、ロシアではごく普通のことで、そうした族外婚が普通であることが少数民族にとっては民族のアイデンティティーを持つ人口を減少させる要因になりもするのだが、アンドレイはマリ人とロシア人の両方の血をひいているわけだから、その限りにおいて「ロシアの作曲家」という規定は必ずしも無根拠ではないことになる。更にアンドレイが最初に父親から音楽教育を受けた後に正規の音楽教育を受けたのはモスクワ音楽院(グネーシン音楽院)においてであり、ピアノをスクリャービン弾きとして著名なソフロニツキーに、作曲をシュニトケやデニソフ、ボリス・チャイコフスキーといった著名な作曲家の師でもあるラコフ、交響曲作家として著名なミヤスコフスキー、更にはミヤスコフスキーの弟子であり、これまたシュニトケの師でもあるゴルベフに学んだようであるし、後には短期間とは言え母校の教授も勤めていたようであり、更に没したのはモスクワであることを含め、彼が生きた「ミリュー」を考えれば、彼を「ロシアの作曲家」と呼ぶのは不当でないばかりか一定の正当性を備えているという主張を否定することは難しいだろう。ましてやマリ・エル共和国はロシア連邦の一部であり、マリ人はロシア連邦内の少数民族の一つである。更に言うならば、旧ソ連時代にマリ人を基幹民族とする自治共和国として成立し、更にソ連崩壊に際して主権宣言を行ってマリ・エル共和国になったとはいえ、今日のマリ・エル共和国においては僅差とは言えロシア人の方が人口が多く、しかも傾向として、1920年に成立したマリ自治州以来、当初こそマリ人の方が多かったとはいえ、マリ人は徐々に減少し続け、遂には逆転してしまったという経緯もある。マリ人の減少の原因は既述の族外婚などによるロシア人への同化であり、その傾向はソ連崩壊後一時弱まったものの近年再び強まっており、特に最近になって自治共和国内において基幹民族ではない(とはいいながら既述の通り、マリ・エルの場合には僅差ではあるが人口が最も多いのはロシア人なのだが)ロシア人の権利保護という名目で、公用語の地位にある少数民族言語の教育が必須でなくなったり、文化的領域を除いた公的な領域でのロシア語の優位が強化される傾向が顕著なようである。結果として公用語とは名ばかりで、利用機会は家庭とか地域コミュニティでの会話に限定されて公的な場ではロシア語で話すというダイグロッシアが日常化し、地方では使われていても都市部での利用頻度は低く、更には教育の場での地位が危うくなるのに応じて学校で子供が使うのもロシア語ばかりで民族固有の言語を使うことができない状況すら珍しくないという状況がますます強まることになる。マリ・エルに住んではいても、ロシア人にとってマリ・エルはロシアの一部に過ぎず、ヨシュカルオラはロシアの地方都市の一つであるというのがマリ・エルに住むロシア人の普通の認識のようでさえあるから、名ばかりの基幹民族に過ぎないマリ人との間の認識の溝には深いものがあるようだ。

 そうした言語のおかれた地位の不安定さのそもそもの原因は、旧ソ連の自治共和国の財政がソ連の予算に直接依存していたのを引き継ぐようにロシア連邦の予算へ依存しているために、自治共和国の政治体制は極めて保守的で、その政策がしばしば基幹民族である筈の少数民族に対してあからさまに抑圧的すらあることに存する。かつてはほとんど直接アクセスすることができず、情報も極めて乏しかったロシア連邦内の様子も、インターネットの発達の恩恵を被って、今では文字情報は勿論、画像や動画によって、かつては現地を訪れなければ知ることができない情報もひっくるめて、自宅に居ながらにしてアクセスできるようになっているのだが、インターネット経由で見ることのできる首都ヨシュカル・オラの中心部はマリ語での「赤い街」という意味の通りに赤い煉瓦の色がひときわ目立つ西洋風の真新しい建物が立ち並ぶ様が印象的でも、よく見ると人影もほとんどなく、利用されているかどうか怪しい建物があるかと思えば明らかに作りかけと思しき一角もありで、箱物ばかりが整備されても活用されず一向に賑わいが戻らない日本の地方都市を思わず思い浮かべてしまう。調べて見ると実際この街並みは、2001年から2017年まで長期に亘りマリ・エル共和国の首長にあたる政府議長をつとめたレオニード・マルケロフの肝いりで整備されたもので、現在も建設は継続されているものの、期待された経済効果を生み出すことなく負債ばかりが積み重なり、その果てにマルケロフが収賄容疑で逮捕されて首長が変わっても補助金頼みの体質が変わるわけでもなく、財政は膨大な赤字を抱えるばかりという状況のようである。マルケロフは新型コロナ禍の最中に罹患して死亡したロシアの極右政治家ジリノフスキーが率いていた「自由民主党」に所属し、その後首長在任中の2015年にロシアの政権与党である「統一ロシア」に鞍替えししているが、既に有罪が確定した汚職だけでなく、反体制派への暴力を伴う抑圧や少数民族の迫害の廉で批判が絶えない人物である。ちなみに彼はモスクワ生まれのロシア正教徒のロシア人であり、マリ・エル生まれでもなければマリ語も話せない。それまでの長い歴史に亘ってほぼ一貫してそうであったように、先住者のマリ人のもとに資源その他の利権を求めて外部からやって来て入植し、ほとんどの場合暴力をもって支配者となった人々の一人であると言えるのではなかろうか。Web上でしばしば欧風様式の美しい街並みといったコピーで紹介される一方で作りかけの(あるいは何かの事情で閉鎖されて間もない)テーマパークのようにも見えるヨシュカル・オラの中心の人気のない街区は勿論、第一義的には自治を認められた基幹民族のためではなく、ロシア系の支配者の虚栄の産物でしかないようにさえ感じられる。

 かつては鉄のカーテンの向こう側であった旧ソ連地域も今日では比較的容易に旅行して訪れることが可能になっていて、数は少ないとはいえ、Web上でマリ・エル共和国訪問の記事を幾つか確認できるが、その中にはヨシュカル・オラの駅周辺の警官の多さ、バザールでの写真撮影の禁止など、ヴォルガ川の下流側、東西から南北に向きを変える地点に位置するカザンやヴォルガ川北岸にあるヨシュカル・オラから見て対岸に位置するチュボクサル(既述の通りキリスト教に改宗したトルコ系民族の自治共和国であるチュバシ共和国の首都)といった周辺の都市と比較した時の特異な印象が記録されていたりもするし、本稿執筆時点では確認できなくなっているが、ロシア国内で邦人が被害者となった治安上のトラブルの事例としてヨシュカル・オラで発生した事案が掲出されていたこともあった。

 更にロシアのウクライナ侵攻が当初の予想に反して失敗し、ロシア軍の劣勢が隠しようがなくなった末に予備役動員にまで追い込まれるようになるにつれて、前線に送られて死傷したロシア兵の多くがロシア国内の少数民族の出身者で占められ、予備役徴集にあたっても同様に少数民族出身者が「狙い撃ち」されているといった報道を目にするようになった。ただし日本語で読むことができる記事で直接マリ人が対象となったものはほとんどなく、管見では2022年4月22日のKOREA ECONOMICSという京都のシンクタンクが運営しているWebニュースサイトで、マリ・エルの現地紙の報道に基づく記事を確認することができたのが唯一である。マリ・エルの現地紙「yocity12」の報道によれば、4月13日に戦没したロシア軍第6工兵連隊の指揮官ナガモフ大佐(享年41歳)は、ススロンゲール村生まれで地元の学校を卒業、ここ数年はヤロスラブリ州ロストフ市の工兵連隊の隊長を務めていたとのこと。この記事は「露軍上級将校がまた戦死 「第6工兵隊ナガモフ大佐が作戦中に殺害」現地紙」という見出しが告げているように、寧ろこれもそのころ盛んに報道されていたロシア軍将校の犠牲者の多さにフォーカスした記事なのだろうが、「(…)報道は、ロシア軍のウクライナ侵攻で死亡したヨシュカル・オラ(マリ・エルの首都)の原住民2人がすでに埋葬されたと伝えている。(…)」とも述べており、記事では「原住民」と呼ばれている少数民族、つまりここではマリ人の犠牲者が出ていることを証言する記事にもなっている。(なお、この記事の「原住民」という言葉には差別的な意図はなく、後述のように、マリ人は5世紀には現在居住している地域にいたことが考古学的な調査などで確認されており、その後この地に侵入してきた「タタール人」と総称されるモンゴル系やトルコ系の民族、更にその後に侵入してきたロシア人に対しては先住者であるのだから字義通りに捉えれば正確ですらあるのだが、そうしたニュアンスを感じる人がいるかも知れないという以上に、ロシアの自治共和国の構成主体となる少数民族を「原住民」と呼ぶことは管見の限りでは無いので、どうしてもぎょっとしてしまうのは避けがたい。)もう一つ、この記事を読んで思い浮かべたのは、後述するようにマリ人が紀元5世紀以来居住してきた地域は、色々な民族が通り過ぎ或いは支配した場所であり、しばしば戦乱の巷となったようだが、そうした歴史の中でマリ人は精強をもって知られたという記述が小泉保『ウラル語のはなし』にあったことである。曰く「チェレミス兵は勇猛の誉れが高く、その後も、国外の戦役にたびたび利用させられた。」(同書 p.40)とある。ここで「その」というのはイヴァン4世がカザンを攻略した時であり、「チェレミス」というのは近隣の別系統の民族によるマリ人の他称であるが、その名称の一部は「軍隊」を意味するらしい。ともあれそうしたマリ人の歴史を思い浮かべると、今回のウクライナ侵攻にマリ人が従軍していることは何ら珍しいことではなく、これまでの歴史の中で繰り返されてきたことに過ぎないのかも知れない。

 上述のような例は、それが事実であったとしても、マリ人だけに起きたことではないかも知れないし、マリ人だけに有意に高頻度ないし深刻なレベルで生じている訳ではないかも知れない。また例えばレオニード・マルケロフのケースにしてもそれは彼固有の個人的なものに過ぎず、例外なのではないかという冷静な反論があるかも知れない。実際、前者については、マリ人よりも遥かに深刻な状況に置かれている少数民族も数多いし、既に「死滅」してしまった民族もある中で、自治共和国の基幹民族であり、その言語もまた曲りなりにも公用語の地位を与えられ、特に近年インターネットでの発信や情報交換が可能になると、寧ろデジタル・ネットワークのヴァーチャルな空間の方での言語の利用や文化の発信が活発になるといった状況すら出てきており。結果として紙媒体の書籍としてのマリ語の文法書や辞書、教材へのアクセスを果たせずにいるうちに、Webでpdfで文法書がダウンロードできるようになり、オンライン辞書や翻訳システムが利用できるようになり、youtubeでマリ語の入門のヴィデオ教材が簡単に入手できるようになっているし、マリ・エルとマリ人、マリ語についてのロシア語以外での情報も飛躍的に増えている一方で、マリ語による発信や交流も行われていて、マリ語版のWikipediaもあれば、テキストコーパスの構築も進んでいる。民族固有の文化の継承を目的としたNPOもSNSやyoutube等を用いた発信をしており、こうした面だけを見ると現実の空間の中でのマリ語やマリ人が置かれている状況の深刻さが却って見えなくなってしまう懸念を抱く程である。ロシア連邦を構成する共和国、州や地方の政府の腐敗と様々な領域に及ぶ怠慢も特段マリ・エル固有の問題ではなく、寧ろロシア全体に蔓延しているとはいえ、既述の周辺地域の主要都市に比べた時のヨシュカル・オラの雰囲気は、一見して華々しいプロジェクトが行われている「進んでいる」地域のように見えるところに限って利権を巡っての癒着や争いを背後に抱えているという悪しきサンプルとなっているという見方もできて、マリ・エルの置かれた状況が決して前途に明るい展望が開けているとは言い難いように感じられる。

 既述のようにマリ人というのはフィン・ウゴル系の民族であり、ウラル山脈の西側のヴォルガ川流域あたりを故地として遠くフィンランドにまで辿り着いた民族グループのうち、故地のすぐ近くに留まったグループの一つ、ヴォルガ・フィン族の一部とされていて、5世紀頃には既に現在マリ・エル共和国のある場所に居住していたことが考古学調査等によって確実視されている。その後マリ人の居住地は、まず現在のヴォルガ・タタール人がその末裔とされるヴォルガ・ブルガールに支配されて以降、日本ではキプチャク・ハン国として知られるモンゴル族の国家ジョチ・ウルス、カザン・ハンといった国の領土となった。なおマリ人は、かつては寧ろチェレミス人と呼ばれることが多かったようだが、チェレミスというのはトルコ系のチュヴァシ人がマリ人を呼んだ他称に由来するらしい。一方「マリ」というのは自称であり、これもしばしばあるように、マリ語で「人」を意味している。マリ・エルというのも「マリ人の国」の意味のマリ語による自称である。ロシア人がこの地を支配するようになったのはようやく16世紀も後半に入ったモスクワ大公国の時代であり、こうした様々な民族との交錯の影響は、やはりフィン・ウゴル語族に属するマリ語に存在する大量の借用語が雄弁に物語っている他、形態論的水準および統語論的な水準においても語族を異にするトルコ系の言語の接触の痕跡が数多く指摘されている。(その具体的な様相について日本語で読める文献としては、小泉保『ウラル語のはなし』『ウラル語統語論』がある。)マリ語は幾つかの方言を持つとされるが、ヴォルガ川の北の平地にあるマリ・エル共和国の首都ヨシュカル=オラ(マリ語で「赤い街」の意味)を中心にヴォルガ川の北岸の平地で話されているのが「牧地マリ語」、南岸の丘陵地帯で話されているのが「山地マリ語」で、エシュパイの生まれたコジモデミヤンスクは「山地マリ語」が話される地域の中核的な都市なのである。

 冒頭に触れたレーニン賞受賞の理由となった«Песни горных и луговых мари»(1983)を『山地マリ・牧地マリの歌』と訳したのもそれ故なのだが、この分裂もまた、この地域でのタタールとロシアとの衝突の名残とされ、牧地マリがタタール人側に、山地マリはロシア側について、分かれて戦ったとされる。(このことは日本でも戦国時代に、家系断絶を避けるために兄弟が敵対する勢力に分かれて戦うといった事例を思い起こさせるが、マリ人は、近隣の同系の民族であるペルム人とは異なって統一的な国家を形成したわけでもなければ、侵入者を避け、故地を離れて居住地を移動することなく、その場に留まる選択をしたという点では一貫している(但し、その一部は遥かに東に移動して、本体とは遠く離れて散居する東マリ方言を話すグループを形成するようになったが)ので、これは単にマリ人を構成する部族ごとに与する勢力が異なったということに過ぎないようであり、寧ろ人類学で言うところの双分制度に近いものを背景としていると考える方が良いのかも知れない。)ちなみにマリ語の下位区分の方言については大きく4つを区別するのが一般的なようであるが、そのうちコジモデミヤンスクを中心とする山地マリ方言、首都ヨシュカルオラを中心とする牧地マリ方言は、旧ソ連時代の自治共和国において公用語としての地位を獲得し、規範となる標準語が存在して教育が行われ、キリル文字を若干拡張した正書法が定められて出版も行われているが、両者の中間地帯の北西部の方言と既述の通り、現在のマリ・エル共和国の領域の遥かに東に離れてタタールスタン共和国からバシコルトスタン共和国内にかけて点在する東方言とは公的な地位がないために、他民族の接触の中でその存続は危うい状況にあるようだ。また公用語の地位を持つ2つの方言も、確認できる限りではその状況は決して対等ではない。公用語の地位を形式的に持ちながら、その保全の状況は想像されるような安定したものでは決してないことについては既述の通りであり、常に他の言語との接触の中でも様々な意味合いで圧倒的な優位性を持つロシア語への置き換えの強烈な圧力に常にさらされ続けてきたし、今なおそうであるが故に、話者人口のような基本的なデータですら調査によってかなりの数値のばらつきを示していて状況を認識すること自体に困難があるというのが現実のようだ。現時点で最もそうした情報が集約されているWebサイトであるELP(Endengered Language Project)で確認できる限り、牧地マリ語の話者人口については4種類の調査結果があって、いずれも40万~50万人という値が得られているのに対し、山地マリ語は概ね5万以下で最小で3万、最も多い数値で6万6千人の話者を数える(なお、ELPのサイトでは、牧地マリ語は「東マリ語(Eastern Mari)」、山地マリ語は「Western Mari」という名称を用いていること、ここでは東マリ方言はエントリを持たず、北西マリ方言は区別されていないという点に留意する必要がある)。要するに概ね、牧地マリ語10に対し山地マリ語1という極めて偏った分布となっていて、山地マリ語の状況が牧地マリ語に比べて一層脆弱であるのは確実のようだ。

 そうした歴史の中でマリ人は宗教に関しては古来からの伝統的な信仰を強く保持していることで有名であり、近隣の非ロシア系民族でもキリスト教(ロシア正教)を信仰するようになる中で、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に書き留められ、その近くではエストニアの南東に居住するセトゥ人もまたその信仰を今なお堅持している多神教的な自然崇拝を今でも守っており、それゆえに(ウラル山脈から西を「ヨーロッパ」とする立場から)「ヨーロッパ最後の異教徒」と呼ばれることもあるようである。マリ人の伝統的な神話体系は今日では Jugorno と名付けられた民族叙事詩に纏められているが、その成立は遅く、ようやく21世紀になってからのことで、Anatoli Spiridonovにより編纂され、まずロシア語で2002年に出版された後、牧地マリ語に翻訳され、ついでエストニア語に翻訳されてから西側で一般に知られるようになったようだ。これは近隣のウドムルトの民族叙事詩Dorvyzhyが同じくロシア語でではあっても既に1920年代に書かれたのに比べると非常に遅く、寧ろソ連解体後の伝統信仰や伝統文化の復興の動き、特にかつての伝統的な自然崇拝を復興させる、ないし今日的な形態で再構しようとする「ネオペイガニズム(Neo Paganism)」の活動との関りで捉えるべきなのだろう。そうした動きはマリ人のみに限ったことではなく、旧ソ連圏のフィン・ウゴル系民族の場合、いずれもソ連解体後に活発化しているようだが、マリ人においては例えばMari Ushemという団体の活動を挙げることができる。他方、ウドムルトの民族叙事詩Dorvyzhyも、ウドムルト語への翻訳はようやく2004年になってからだし、エルジャ・モルドヴィンの民族叙事詩であるMastoravaは1994年にエルジャ語で刊行されていて、これは前二者に寧ろ先行していることになるが、これらもやはり同様に、ソ連解体後のそうした動きの一つとして捉えることができるだろう。

 そしてこの点は、フィンランド人であるシベリウスと、マリ人であるエシュパイの音楽に数多ある差異の中で、確かに感じ取れ、かつ極めて基本的な認識構造における共通点に通じているように思われる。フィンランド人は後にキリスト教を受容しており、そのことが『カレワラ』の末尾にマリア伝説が差し込まれ、カレワラの神話世界の終焉を示唆する構造になっているのだが、だからといって伝統的な習俗が全く失われたわけではないし、ヨーロッパ全体で程度の差はあれキリスト教の影響力が後退していく過程でネオペイガニズムが盛んな地域の一つとしてフィンランドを挙げることができるだろう。そして遥かに1世紀は時代を遡るシベリウスについてもそうした傾向に通じる面は確実にあって、伝記的・外面的な事実としてルーテル派を信仰するスウェーデン系フィンランド人の家系であるとはいえ、すっかり世俗化した生活を送っていたようだし、音楽作品への反映というアスペクトについても、ジャンルとしての「キリスト教=宗教音楽」の不在は作品リストを眺めていて直ちに気が付く特徴の一つだろう。シベリウスの『カレワラ』に取材した一連の作品群が今日のネオペイガニズムに影響を及ぼした可能性を考えることができる一方で、「キリスト教=宗教音楽」の不在を埋め合わせるかのようなフリーメイソンのための一連の作品の存在もまた無視することはできないだろう。だがそれよりも私にとって重要に思われるのは、交響曲や「タピオラ」といった標題性から距離をおいた抽象度の高い作品群においてはっきりと感じられる垂直方向の超越性の感覚の欠如である。要するにその音楽における宗教性の欠如は単に素材としての問題に留まらず、根源的な認識態度の問題なのだ。音楽は森の中に入っていくがこの世に留まる。秩序はこの世のものでありイデアルなものではない。トゥオネラとこの世は往還可能なものなので、それは寧ろ未知の土地に似ている。超越が垂直方向の運動であるとしたら超越はここにはない。勿論より大きな秩序というのは予感されるがその秩序は隠された次元であるわけではない。ある瞬間に日常的な風景がこの世ならぬものの息吹を受けて変容する奇跡のような瞬間はない。ほとんど人間的なものから離脱してしまいながら啓示とも奇跡とも無縁な音楽に定着された認識の様態は西欧的なものと根本的に異質なもののように感じられるのである。

 そして上記のような構造は、マリ人の伝統的信仰の存続とエシュパイの音楽に定着された認識の様態との間にも極めて類似したものが見出せるというのが私の印象である。エシュパイの音楽は、その抒情的で旋律的なブロックと、時として暴力的と感じられる程に強烈なビートを持つブロックとの対照からか、しばしば「爆裂系」という形容がされ、それは冒頭で検討した意味合いにおいて「ロシア音楽」の特徴の一つであり、従ってエシュパイの音楽はそうした「ロシア音楽」の一翼を担うという認識に通じているのかも知れないが、同じく「爆裂系」の音楽とされるカンチェリのそれが、その時間性においてユニークなものであり、肌理の粗い単純な類型化を拒んで、グルジアの風土に根差したものであるのと同様に、エシュパイのそれも、冒頭引用したOnno van Rijenの Soviet Composer's Pageの指摘にあるようにSoviet Composerの中にあってunusualなのであり、それはマリ人の認識の様態の特異性と構造的に対応しているのであろう。かくして同じ「爆裂系」であってもカンチェリとエシュパイのそれは全くといっていいほどに異質なもので、カンチェリのそれが人間の秩序とは異なった、時として超越的な何かに由来するもので、カンチェリの音楽が明示的にグルジア正教会の典礼音楽であるわけではないにせよ、否、寧ろそうであるが故に一層、グルジアの風土と極めて早期にキリスト教を受容したことで形成された世界の認識の様態の反映であるのと対照的に、エシュパイのそれは、より人間的な制度や社会構造がもたらす暴力と超越を欠いた多神教的な認識様式に基づくものに感じられ、際立って対照的でありながら、「爆裂系ロシア音楽」といった皮相な捉え方を拒む点では共通しているのではなかろうか。そしてエシュパイにおいては、そうした基本的な構造において類似したものを探すとしたらシベリウスが真っ先に思い浮かぶのである。

 従ってその共通性は、フィン族とマリ族が同じウラル系であるが故に、素材としての民族音楽に共通性があるからといった表面的な次元でのみ捉えられるものではない。そもそもシベリウスは素材として民族音楽を直接用いることを拒絶することについては極めて意識的であり、マーラーの批判にも関わらず自己を「国民楽派」の作曲家として規定することを拒絶していたし、学問的実証の水準で、地理的に隔たった同族の民族の音楽の間に起源を同じくするという意味合いでの通時的な関連を証明するのはこれまた全く別の水準の議論であって、フィン族とマリ族の民謡を少しばかり聞いて感じ取れたと錯覚する程度の類似は何の傍証にもなりえないことに留意すべきだろう。

 一般にマリ人の音楽について考える時、西洋のクラシック音楽の中ですぐに思い浮かぶのは、既述の通り他称に基づく民族別称であるチェレミスの名を冠したフィンランドの作曲家ウノ・クラミのチェロと管弦楽のための『チェレミス幻想曲』かも知れない。実際この作品はマリに取材したものであり、フィン族とマリ族の同族意識に基づくもののようだが、一聴したところ感じられるのは、こと私個人の印象に限っては、マーラーが初期のシベリウスの小品を聴いて感じ取った「紛い物」を聴かされているのではという微妙な違和感である。その一方で西進しヨーロッパに定着したウラル民族のもう一方の枝であるウゴル民族の一員であるハンガリー人(自称はマジャール人)の作曲家であり民族音楽の研究者でもあったコダーイとバルトークは、マジャール民謡とマリの民謡の幾つかの類似点を根拠にマジャール民族の音楽のルーツをヴォルガ川流域に求める仮説を立てている。実際にはこの仮説は弟子による現地調査に基づく検討の結果、既に今日では否定的な結論が出ているようだが、音楽の系統関係の同定というのは言語の系統関係の検証に比べてなお一層の方法論上の困難が伴うだろうし、学問的に厳密な系統関係については留保ないし否定的な見解が結論であったにしても、マリの民族音楽を聴いた印象がそうした仮説を呼び覚ますに足るような類型論的な共通性を備えていることまで否定し去るのは、それはそれで行き過ぎた挙措であろう。

 寧ろ音楽の類型・系統的な観点で一層興味深く、かつ謎めいて私に感じられるのは、音楽におけるポリフォニー的な側面の有無である。多様で複雑なポリフォニー様式を備えた民族音楽で著名なグルジア人であるジョルダーニアの『人間はなぜ歌うのか』は、単純なものから複雑なものへという一見自然に感じられる発展の方向性とは逆に、音楽は言語以前の起源の段階ではポリフォニックであり、言語獲得とともにモノフォニーが生じたという興味深い仮説を提唱した著作だが、そのポリフォニーとモノフォニーの地理的分布について述べた章の中で、ヴォルガ川流域についての記述を読むと奇妙なことに気付く。曰く、

「(ドローン・ポリフォニーは)ヴォルガ川とウラル山脈の間に住むモルドヴァ人とコミ人のあいだにも広く普及している。ウドムルト、バシキール、タタール、そしてチュヴァシにもポリフォニーの要素は存在している。」

ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか』p.42

とあるのだが、まず何れもフィン・ウゴル族であるモルドヴィン人(既述の通り、マリ人とと同じヴォルガ・フィン族であり、マリ人から見ると南側のヴォルガ川流域に広く拡散して居住している)とコミ人(フィン・ウゴル族の支脈のペルミ・フィン族に属し、かつてはペルミ公国という独立国を形成し、後には北方に移動することで後から侵入してきた他の民族による征服を免れた)については、ウラル山脈から見るとヴォルガ川の向こう側にあたる南西側に広範囲に散らばって居住するに至ったモルドヴァ人と、既述のタタール人の侵入を逃れるようにしてヴォルガ川流域から遥かに北方に移動したコミ人の居住地を「ヴォルガ川とウラル山脈の間」と呼ぶのことは、正確さの点で問題あるように思える。だがそれよりも奇妙なのは、コミ人と同じペルミ・フィン族であり、ウラル民族の故地と擬定される地域であるヴォルガ川の支流域に住み、マリ人と同様にタタール系の影響を強く受けたウドムルト人に加えていずれも同地域に居住するトルコ系の民族であるバシキール、タタール、そしてチュヴァシへの言及があるにも関わらず、何故かマリ人への言及がないことであろう。歴史的に様々な民族が交錯し、今なお多くの民族が入り混じって居住する地域の特性か、民族や言語の系統毎に固有の特性を持つような単純な分布にはなっておらず、系統の異なる民族が接触することで宗教や文化を相手から摂取することはごく普通に起きているため、かなり地域の離れたコミとモルドヴァの共通性も、フィン・ウゴル族のウドムルト人とトルコ系の民族であるバシキール、タタール、そしてチュヴァシが音楽的に類似するのも不思議ではないのだが、それならば同じくこの地域のほぼ中心に位置するマリも含まれて当然に思われるにも関わらず、唯一マリだけが取り上げられていないのには奇異の念を抱かざるを得ない。

 そしてマリへの言及がないことを、不注意による言い落としなどではなく、文字通りに受け止めた時には、ヴォルガ川流域からウラル山脈の西側に居住する民族のうち、マリ人のみがポリフォニーに関しては周囲とはやや異なった音楽的伝統を持つという分析がなされていることになる。急いで付け加えなくてはならないのは、ここでの議論の対象は、コダーイやバルトークの仮説がそうであったような、起源に関する問いではないということである。そうではなく、起源や系統の議論は一旦排除して、飽くまでも類型的な観点での類似と相違を問題にしているのである。冒頭に引用したエシュパイの音楽のスタイルは、これも偶然かも知れないにせよポリフォニーの観点を含まない。だがもしそれが偶然であったとしても、結果としてポリフォニーに関する指摘がないこと自体が、控えめに言ってもマリ人の音楽がポリフォニーにおいて特段特徴的ではないか、ポリフォニックではないことを証言していると考えることができるだろう。但し、ジョルダーニアの著作の図を見る限りでは、仮にマリ人が周辺民族のポリフォニックな伝統とは異なる側面を持っていたとして、その特徴は、彼らを囲繞するスラヴ系のヘテロフォニーの類型に属していることになるのかも知れない点には留意すべきであろう。ポリフォニックでないとは言っても、一足飛びにモノフォニーというわけではなく、従ってモノフォニックとされるフィンランドやエストニア、ハンガリーの東部からルーマニアにかけての一帯との共通性を意味するわけでないかも知れないのである。結局のところ、周辺とは異なった特徴を持つ「孤島」のような地域にあって、よりによってまさに自分が知りたいと思っている対象についての情報だけが、まるで測ったかのようにぽっかりと抜け落ちているという状況の前に、茫然と立ち尽くす他ない。

 勿論こうした点についても、民族音楽学者であるならばともかく極東の異国に住む平凡な市井の徒である限り、かつてであればせいぜいが自分が偶然アクセスできた文献での記述に基づく検討のみに終始せざるを得なかっただろうし、よしんばそうした偶然に恵まれたとしても、どの見解が妥当であるかの判断など能くするところではないだろう。だが今日であれば実際にyoutube等でアクセスできるマリの民族音楽を自ら聴くことは可能である。とは言い乍ら、それではその結果として適切な判断が下せるかどうかはまた別の問題であって、専門的な知識がない人間が臆断を弄ぶことは慎むべきであろう。それ故ここではそうした学術的な見地での検討ではなく、その音楽に接した時に受ける「感じ」、その音楽を聴くことによって、そこに引き込まれることになる時間性の感受の様態を、引き込まれる側から記述することに留める他ない。実際にはマリ人のものだけではなく、近隣のウドムルト人のもの(「ブラン村のおばあちゃんたち」というユニットがひととき注目を集めたのは、実はウドムルトであったが)であったり、モルドヴィンの中でも特にエルジャ人の伝統的な音楽と言語や宗教を同時に比較しつつ聞いてみる限りでは、それらの間には明らかな共通性がある一方で、使用される楽器とか、ここで問題にしているポリフォニーのあり方には微妙な差異を認めることができるように思われ、従ってジョルダニアのくだんの記述が、単なる言い落としなのか意図的なものなのかは判然とし難いというのが正直な感覚である。強いて言えば概ね複数の人間によるコーラスの形態をとる近隣の民族の歌唱に比べると、マリ人のそれは、楽器の伴奏を伴った独唱の比率が高いように感じられるが、これが単なるサンプリングの過程で偶然生じた偏りに過ぎないのかどうかについては、結局のところ判断するに足る情報の持ち合わせがないことを認めざるを得ない。

 その限りで私にとってエシュパイの音楽は、上に述べたギャップを直接埋める代補として機能しているように感じられる。そしてそれがあくまでも代補であって、欠如しているピースそのものではありえないということは再び、シベリウスの音楽とフィンランドの民族音楽や文化、風土といったものとの関係を私に想起させる。結局のところフィンランドの風土や文化を見たというのはどちらかというと思い込みであって、そこに見出すことができるのがフィンランドの風土や文化の反映であったとしても、私にとって尽きせぬ魅惑の根拠となっているのはシベリウスが見出し感受した限りのそれであり、正確を期するならば、私が惹かれるのは、自己の外部の感受によってシベリウスという主体が立ち上がる様態そのもの、その時間性なのである。そのことを私がはっきりと自覚したのは、フィンランドの伝統的な民族音楽と並んで、シベリウス以外のフィンランドの作曲家の音楽を色々と聴いた末に、幾つかの例外を除けばシベリウスの音楽に含まれていて私を魅了する音調を見出すことができそうにないと感じた折のことだった。同様のことがエシュパイの音楽の中にも言えて、それがマリの風土や文化を素材としていること以上のものがあるように感じられるのである。それゆえ初期シベリウスの小品に対する或る意味では正当なマーラーの非難が後期のシベリウスの交響曲や「タピオラ」に対しては成り立たないのと同様に、エシュパイの音楽のすべてではないにしてもそのうちに一部には、「国民楽派」的な民族性ともスターリン的に定義づけられた社会主義的リアリズムにおける民族性とも異なった水準での特異性を認めることができるように思えるのである。

 その一方で、私にとってエシュパイの音楽をシベリウスのそれのように聴くことは困難なのだが、その理由を考えてみると、エシュパイの音楽には彼が生きた政治的な体制がもたらしたに違いない屈折が映り込んでいることにありそうである。しばしばエシュパイの音楽について言われる折衷性もまた、それを作曲者本人が積極的に選び取ったかとは恐らく無関係に、そうした屈折の直接的な産物だったのではなかろうか。無論これはエシュパイの音楽がシベリウスのそれに純度において劣っているとしてエシュパイの音楽の価値を切り下げることを意味しない。そのような態度は或る種無い物ねだりに過ぎず、寧ろ音楽そのものへのアクセスを妨げるものでしかないだろう。個別的な水準では、冒頭に触れてそこでは私個人の嗜好の問題として一旦整理したエシュパイの音楽におけるジャズ風の要素は、そうした屈折を証言するものなのかも知れない。特にそれが人が呼ぶところの「爆裂」に関わるのだとしたら、カンチェリとの比較のところで述べた外部から侵入する暴力が、エシュパイの場合には超越的で非人間的なものではなく、より人間的な水準の政治的な抑圧とか社会体制に基づくものであることを告げていると考えることができるのではないか。エシュパイその人が、そうした体制の中で、少数民族の出自という所与に基づき、生き延びるために受け入れた順応は、もしかしたら心理的には攻撃者への同一化のようなレベルにまで及んだのかも知れない。シベリウスの音楽は己の周囲で猛威を振るう陳腐なものに対して身を退き、おしまいには「謎の沈黙」と呼ばれる仕方で対抗したが故に、その音楽の中では生活の資を得るために書いた小品におけるキッチュな側面はあるとしても、彼がそこに己が寧ろ受動的に従うべき論理を見ていた交響曲作品、特に後期のそれら(ここには「タピオラ」が含まれると私は考える)には陳腐な要素は含まれていないのに対して、エシュパイの場合は、寧ろマーラーの場合に通じる(だがこれはエシュパイの音楽が、マーラーに似ているという意味では決してなく、屈折が音楽に避け難く映り込んでいるという構造上の同型性を言っているに過ぎないことは強調しておきたい)陳腐さの音楽そのものへの侵入が避け難かったということを証言するものと私には見えるのである。一方でエシュパイの音楽にはマーラーの音楽におけるような複層性や、バフチン的な意味合いでのポリフォニックな側面が欠けている。それ故私にとってエシュパイの音楽は、それに出会うことによって己の認識のモードが根こそぎ変容させられるような存在にはなり得なかった。だけれどもそれは決して旧ソ連で大量生産された類の陳腐化した社会主義リアリズムの貧弱でトリヴィアルな遺産ではない。一周回って再び、その音楽に接する時の何か割り切れない印象は、マリ人の置かれた状況をより詳しく知るにつれて感じる居心地の悪さと並行していて、エシュパイの音楽は、寧ろそれ自体が私にとっての「異邦人」、自分が直接対面することができず、直接歓待することもできない存在として立ち現れるものになっているのである。

 ここに及んで私は、この文章を書き記しておきたいという己の衝動が、そうした歓待の困難を証言しつつ、為しうる限りでの歓待の意の表明しておきたいという動機に駆動されていたことに気づくのである。それゆえこの文章は、そうした気づきを明記することで閉じられるべきなのだ。このようにして。

(2022.11.20初稿公開, 11.22加筆, 11.26『ショスタコーヴィチの証言』およびThe Shostakovich's Warについて加筆, 2026.7.23 再公開)