2026年5月20日水曜日

古典派作品群を拡張した調性力学PCA分析― ハイドン/モーツァルトとブルックナー・マーラー・シベリウスの相対的位置づけ ―(2026.5.20 更新)

1. 分析の目的

これまでの分析では、古典派作品は主として参照点として扱われ、対象はJoseph Haydnの交響曲第104番第1楽章とWolfgang Amadeus Mozartの交響曲第41番第1楽章の2作品に限定されていた。しかしこの構成では、古典派内部の多様性、ハイドンとモーツァルトの差異、古典派内部に存在する潜在的方向性を十分に評価できない可能性があった。

そこで今回、古典派作品群を12作品へ拡張し、Anton Bruckner・Gustav Mahler・Jean Sibeliusの作品群を含むPCA分析(全37作品)を再実施した。


2. 分析対象

2.1 古典派(今回新規追加)

ハイドン:第83・88・96・99・100・101・103・104番(各第1楽章)

モーツァルト:第38・39・40・41番(各第1楽章)

ハイドンはパリ交響曲集(第83番)、トスト交響曲集(第88番)、ザロモン・セット第1期(第96番)、ザロモン・セット第2期(第99・100・101・103・104番)から選択した。

2.2 既存作品群(継続)

ブルックナー:交響曲第0・2・3・4・5・7・8・9番(各第1楽章)

マーラー:交響曲第1〜10番の主要楽章(Hauptsatz)として、第1・2・3・4・6・7・9・10番第1楽章、第5番第2楽章、第6番第4楽章、第8番第1部

シベリウス:交響曲第2・3番第1楽章、第5番第3楽章、第6番第1・4楽章、第7番全曲、交響詩「タピオラ」全曲


3. PCA空間の安定性

最も重要な結果は、古典派作品数を2作品から12作品へ大幅に増加させても、PCA空間そのものの構造、PC1 / PC2の意味、ブルックナー・マーラー・シベリウスの相対的位置関係が大きく崩れなかった点である。(図1)

これは、今回用いた調性力学指標群が個別作品の偶然的特徴ではなく、長期的な様式構造・主体構造を捉えている可能性を強く示唆する。


図1:PCA散布図——作曲家別作品分布(PC1 vs. PC2)。楕円は固有値分解による主軸方向+75パーセンタイルスケーリング。×は重心。矢印は時系列順。黄:ハイドン、青:モーツァルト、赤:ブルックナー、緑:マーラー、紫:シベリウス

4. 主成分の意味

4.1 PC1:調和的凝集 vs. 高密度運動性

PC1の正方向にはAvg_Step・Step_Rate_100・PC_Density・Texture_Volatility・SD_rが寄与し、負方向にはAvg_r・Tonal_Focusが寄与する。この軸は「調性的求心性」と「局所運動が自己増殖する高密度調性空間」の対立として理解できる。特にマーラー後期やタピオラのように高PC1に位置する作品では、単に音楽的動きが多いのではなく、調性的中心そのものが局所化・流動化しており、中心統御から解放された局所運動の増殖がこの軸の本質を構成している。

古典派12作品のPC1平均はハイドン −2.23、モーツァルト −2.06であり、後期ロマン派群(ブルックナー +0.76、マーラー +1.41、シベリウス +0.84)と2.5〜3.5ポイントの明確な隔たりがある。この隔たりは、PC1が様式史的な質的断絶を捉えていることを示す。

4.2 PC2:空間的局所性 vs. 広域分散

PC2の主要荷重変数はSpatial_Dispersionである。この軸は調性重心の音高空間的拡散の度合いを示す。古典派はPC2平均がほぼゼロ近傍(ハイドン −0.43、モーツァルト −0.36)であり、ブルックナー(+1.48)とシベリウス(−1.23)が正負の対極を形成する中で、古典派は「中立点」として機能する。


5. グループ重心と分離構造


グループ

n

PC1 平均

PC2 平均

ハイドン

8

−2.23

−0.43

モーツァルト

4

−2.06

−0.36

ブルックナー

8

+0.76

+1.48

マーラー

11

+1.41

+0.17

シベリウス

7

+0.84

−1.23


古典派12作品の追加後も各グループの分離は維持された。特に、古典派群は比較的コンパクトなまとまりを示し、ブルックナーは高PC2方向、マーラーは高PC1方向、シベリウスは低PC2方向という構図が保持された。


6. 古典派内部の分化

古典派は単一領域ではなく、内部に複数の方向性を持つことが今回の分析で可視化された。以下では特徴的な位置にある4作品を取り上げる。

6.1 ハイドン第100番――古典的秩序の極

ハイドン第100番第1楽章はPC1 = −4.785と全38作品中の最低値を記録した。個別指標を見るとAvg_Stepが20.541(全最低)、Step_Rate_100が2047(全最低)、Tonal_Focusが0.307(全最高水準)、Harmonic_Coverage 0.790(古典派中最高水準)、Texture_Volatility 0.807(全最低)である。

これらは跳躍を極力排した順次進行の支配、強い調性的求心力、均質なテクスチャーという特徴を示す。なお本作品の通称「軍隊」はトルコ軍楽的要素に基づくが、それは第2楽章と第4楽章に限定される。第1楽章はむしろ流麗な順次進行と生き生きとした旋律が際立っており、指標が示す「閉じた均衡系」はこの楽章固有の歌謡的語法の帰結として理解すべきである。

6.2 モーツァルト第41番・第38番、ハイドン第104番――古典派的統御の完成形

第41番(PC1 = −3.451)・第38番(PC1 = −3.004)はともに安定した古典派領域に位置し、特に第41番はTonal_Focus 0.277、Harmonic_Coverage 0.724と高い統御性を示す。これらは「古典派的統御の完成形」として位置づけられる。ハイドンでは第104番(PC1=−3.086)が該当する。

6.3 ハイドン第83番――ブルックナー群重心への近接と跳躍語法の突出

ハイドン第83番(ト短調)はPC1 = +0.961、PC2 = +1.537に位置する。ブルックナー群の重心はPC1 = +0.758、PC2 = +1.479であり、ブルックナー8作品のどれよりもブルックナー群の重心に近く、第83番はこのPCA空間においてブルックナー群の中心近くに位置づけられる。個別指標ではAvg_Stepが58.88と全38作品中第2位(ブルックナー第5番の61.67に次ぐ)、Step_Rate_100も5864とブルックナー・マーラー後期群と同水準である。

ただしこの重心近接は「ブルックナーそのもの」を意味しない。Spatial_Dispersionは0.233にとどまり、ブルックナー平均には達していない。PCA空間上の重心一致はAvg_Step・Step_Rate_100という「動き」の指標によって牽引されており、「音高空間の拡張」という側面では古典派域に留まっている。ここで重要なのは、ブルックナーにおいてはこの高い運動性が巨大な調性的建築空間へと組織化されるのに対し、第83番では高いStep系指標が示すエネルギーはなお「空間生成」ではなく「運動そのものの劇的突出」として現れている点である。運動は局所的・劇場的次元に留まり、ブルックナー的な空間統合には至らない。第83番はブルックナー的交響曲空間の成立に先行する"運動エネルギーの突出"として位置づけられ、"部分的連続"と"質的断絶"が同時に成立する固有の位置を占めている。

6.4 モーツァルト第39番――音高空間収束型の内的緊張

モーツァルト第39番(変ホ長調)はPC1 = −0.291、PC2 = −1.750とモーツァルト群から乖離し、PC2負方向へ突出する。しかしこれはシベリウスへの近接ではない。

シベリウスのPC2負値はSpatial_Dispersion高・Avg_Step高に由来するのに対し、第39番のSpatial_Dispersionは0.111と全作品中最低値であり、逆方向の極を示す。Avg_rも0.496と低く、SD_r 0.211・Texture_Volatility 1.150はいずれもモーツァルト最大値である。すなわち第39番の逸脱は「音高空間が狭い範囲に収束しながら内的変動が大きい」という、シベリウス的拡散とは対照的な緊張構造から生じている。シベリウスが調性空間そのものを開くのに対し、第39番では空間は閉じたまま内部が揺らぐ。これは「局所的に強く収束した音高空間の内部で、調性的状態が絶えず揺れ動く構造」として独自に記述すべき位置である。


7. 理論的含意

今回の分析は次の二点を示した。第一に、古典派内部には既に複数の潜在的方向性が存在する。第83番の跳躍語法、第39番の空間収束的緊張は、それぞれ後代の様式的展開と指標レベルで部分的に連続している。

第二に、しかしその多様性を単純に拡大しただけでは、ブルックナー・マーラー・シベリウスにはならない。後者では空間スケール・時間構造・調性重心運動・密度変化のレベルで質的転換が起きている。第83番のSpatial_Dispersionが依然として古典派域に留まる事実は、この質的断絶を端的に示す。

これらの差異は、単なる様式的複雑化ではなく、音楽における時間・空間・運動の組織化原理の差異として理解できる可能性がある。古典派の「閉じた均衡系」、ブルックナーの「空間的建築への運動統合」、マーラーの「局所運動の自己増殖」、シベリウスの「環境としての調性空間生成」は、それぞれ異なる組織化原理の帰結として位置づけられる。

この観点は、別稿で論じた「交響曲的主体」論――ブルックナー:多孔的・前主体的力場、マーラー:FEP的動物型主体、シベリウス:環境生成的植物型主体――とも接続可能である。調性力学分析は単なる様式分類ではなく、音楽的主体構造の歴史的変容を記述しうる可能性をこの結果は改めて示している。


付録A:使用指標の定義

  • Avg_r(平均重心半径):重心半径 r = √(x²+y²) の楽章内平均値。調性的安定度(重力)。鳴っているピッチクラスが五度圏上で特定の領域に集中しているほど(例:長三和音)大きく、分散しているほど(例:増三和音・減七和音)小さくなる。 
  • Avg_Step(平均ステップ幅):隣接データ点間の位相角の変化量(角速度 ω)の平均。転調の歩幅。
  • SD_r(重心半径の標準偏差):r の標準偏差。重力の揺らぎ。
  • Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量。
  • PC_Density(ピッチクラス密度):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の平均(三和音以上)。和声の複雑さ。
  • Tonal_Focus(調的集中度):全軌跡の平均座標の原点からの距離。調性的焦点。
  • Spatial_Dispersion(空間分散度):重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。
  • Harmonic_Coverage(和音被覆率):(三和音以上の有効小節数) / (楽譜上の全小節数)。テクスチュアの厚み。和音の多様性は考慮しない。
  • Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の標準偏差。テクスチャの流動性。
補助指標(PCA非採用)Winding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)は算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。


付録B:PCA荷重(全9変数)


変数

PC1 荷重

PC2 荷重

Avg_r

−0.777

+0.572

Avg_Step

+0.883

+0.324

SD_r

+0.803

−0.085

Step_Rate_100

+0.884

+0.324

PC_Density

+0.779

−0.502

Tonal_Focus

−0.799

−0.328

Spatial_Dispersion

+0.467

+0.741

Harmonic_Coverage

+0.129

−0.288

Texture_Volatility

+0.734

−0.327


付録C:各作品PC1 / PC2スコア


作品

PC1

PC2

Haydn Sym83-1

+0.961

+1.537

Haydn Sym88-1

−1.434

−0.112

Haydn Sym96-1

−3.345

−0.155

Haydn Sym99-1

−2.179

−0.803

Haydn Sym100-1

−4.785

−1.377

Haydn Sym101-1

−2.209

−1.085

Haydn Sym103-1

−1.795

−1.040

Haydn Sym104-1

−3.086

−0.642

Mozart Sym38-1

−3.004

−0.238

Mozart Sym39-1

−0.291

−1.750

Mozart Sym40-1

−1.479

+0.527

Mozart Sym41-1

−3.451

+0.026

Bruckner Sym0-1

−0.443

+2.081

Bruckner Sym2-1

+0.660

+0.931

Bruckner Sym3-1

−0.010

+0.875

Bruckner Sym4-1

+0.317

+0.681

Bruckner Sym5-1

+1.828

+2.458

Bruckner Sym7-1

+0.298

+1.786

Bruckner Sym8-1

+1.857

+1.182

Bruckner Sym9-1

+1.546

+1.844

Mahler Sym1-1

−2.191

+0.659

Mahler Sym2-1

+0.933

+0.740

Mahler Sym3-1

−0.189

+0.385

Mahler Sym4-1

−0.057

+0.180

Mahler Sym5-2

+2.128

+0.298

Mahler Sym6-1

+1.993

+0.094

Mahler Sym6-4

-

-

Mahler Sym7-1

+2.765

+0.142

Mahler Sym8-1

+1.220

−0.329

Mahler Sym9-1

+3.079

+0.231

Mahler Sym10-1

+4.012

−0.696

Sibelius Sym2-1

+1.965

−1.950

Sibelius Sym3-1

−1.421

+1.272

Sibelius Sym5-3

+0.024

−0.456

Sibelius Sym6-1

−2.243

−0.494

Sibelius Sym6-4

+1.704

−1.662

Sibelius Sym7

+2.175

−1.432

Sibelius Tapiola

+3.694

−3.881

付録D:全指標値一覧


(2026.5.10 公開, 5.20 再計算結果で差し替え)