2026年4月6日月曜日

交響曲の「調性の地図」——複数作曲家の比較分析(詳報)

  本稿は公開済みの概要紹介記事の技術的補足として、対象作品の選択・指標の定義・PCA成分負荷・主要数値結果を詳述する。


1. 分析対象と方針

本稿で報告するのは、「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」で中心的に取り上げたMahler・Bruckner・Sibelius、比較対象として取り上げたBrahms・Shostakovichに加え古典派参照点を加えた全25作品・27楽章の比較分析の結果である。

各作品の第一楽章(または相当する代表楽章)のMIDIデータを使用した。分析にはピッチクラス情報のみを用い、ダイナミクス・テンポ情報は含めない。

各作品から取り上げる楽章については、ソナタ楽章ないしそれに準拠した構造を持つ主要楽章(Hauptsatz)を原則として選択した。これは方法論上の消極的な制約ではなく積極的な選択である。中間楽章には性格・構造を異にする楽章(スケルツォ・緩徐楽章・行進曲など)が含まれる一方、Mahlerの場合は楽章数も作品ごとに大きく異なり、各作品の楽章構成の個別性が高い。様式変遷の縦断的把握および作曲家間の横断的比較においては、同一の構造的役割を担う楽章を揃える方が指標の比較可能性が高いと判断した。なお第5番はI楽章は実質序奏が独立した葬送行進曲であり、主要楽章はII楽章であるためII楽章を、第6番はI楽章のみならず、マーラー的なソナタ形式の典型とされるIV楽章も含め、双方を対象とした。

ブラームス、ブルックナーの作品については古典的な4楽章形式であり、主要楽章がそれぞれの第1楽章であることに関しては異論の余地はないだろう。それは参照点として加えたモーツァルトの第41番「ジュピター」、ハイドンの第104番「ロンドン」についても同様である。ショスタコーヴィチについてもここで取り上げた第9、第10交響曲の第1楽章はソナタ形式をベースにしているのは明らかであろう。一方、シベリウスの後期作品では伝統的な意味でのソナタ形式は最早機能していないが、第6交響曲については第1、第4楽章を取り上げる一方、第7と「タピオラ」は単一楽章形式であるため、全曲を取り上げることにした。

ブルックナー、シベリウスを後期作品に限ったのは、交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」において定式化した交響曲的主体の特徴が明確に現れているのが両者の後期作品であると考えられることによる。一方、マーラーについてはその創作史の全体に広がる交響曲創作の時系列に沿った変容自体が、その交響曲的主体の特徴を示していると考えた。ブラームスについては比較対象としての位置づけであるが、そもそも交響曲はその創作史の中では中期に集中しており、一定のコヒーレンスを持っていることから全4作品を取り上げた。

ショスタコーヴィチについても比較対象としての位置づけだが、ここでの選択はより消極的、偶然的なものであり、単に主要楽章のMIDIデータが存在していたのが、第9,第10交響曲のみであったという理由に拠る。また同様に比較対象の位置づけで取り上げているカンチェリを本分析では対象としていないのも、単に利用できるMIDIデータを用意できなかったからである。実際には類似の事情はブルックナーやシベリウスについても程度の差はあれ存在しており、仮にその交響曲全体を取り上げたくても、MIDIデータが存在しない作品がある――具体的にはシベリウスでは第1、第4は全くないし、第5第1楽章のMIDIデータは確認できていない。ブルックナーについては第1楽章に限れば第6が欠番となる——ためできないということが後期作品に絞った一因であることは注記しておきたい。

一方、ハイドンとモーツァルトの作品の選択は、あくまでも参照点という観点で、典型度の高いものということで、これまた両者の交響曲の到達点である掉尾を飾る作品を選択した。実際には両者とも多数の作品があり、それらは本分析の観点から見ても、個別に採り上げるに値する多様性を備えており、特にハイドンについてはその傾向が顕著だが、ここでは参照点という観点を重視した選択を行った。

結果として選択された分析対象の一覧を以下に掲げる。


分析対象一覧

作曲家

対象

n

備考

Mahler

Sym. 1〜10・大地の歌

12

第5はII楽章、第6はI・IV楽章

Brahms

Sym. 1〜4(各I楽章)

4

比較対照用

Bruckner

Sym. 7〜9(各I楽章)

3

後期作品のみ

Sibelius

Sym. 6(I・IV楽章)・7・Tapiola

4

後期作品のみ。第7,タピオラは単一楽章のため全曲

Shostakovich

Sym. 9・10(各I楽章)

2

比較対照用・参考

Haydn

Sym. 104-I

1

古典派参照点

Mozart

Sym. 41-I

1

古典派参照点


2. 指標の定義

MIDIデータを小節単位で集計し、各小節頭の発音音符からピッチクラス分布を算出した。三和音以上の部分のみを対象として、Shepard(1982)に準拠した五度圏上の座標に投影し、重心位置 $\mathbf{c}(t)$ を求めた。この重心時系列から以下の9指標を算出しPCAに入力した。

Avg_r(平均重心半径):重心径 $r = \sqrt{x^2 + y^2}$ の平均値。調性的安定度(重力)

Avg_Step(平均ステップ幅):隣接データ点間の位相角の変化量(角速度 $\omega$)の平均。転調の歩幅

Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量

SD_r(重心半径の標準偏差):$r$ の標準偏差。重力の揺らぎ

Tonal_Focus(調的集中度):全軌跡の平均座標の原点からの距離。調性的焦点

Harmonic_Coverage(和音被覆率):(三和音以上の有効小節数) / (楽譜上の全小節数)。テクスチュアの厚み。

Spatial_Dispersion(空間分散):重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。空間的分散度

Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の標準偏差テクスチャの流動性

PC_Density(ピッチクラス密度):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の平均(三和音以上)和声の複雑さ

なおWinding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)も算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。


3. 比較分析(全25作品・27楽章)の結果

3.1 指標の計算結果

比較分析対象(27楽章)の指標計算結果

3.2 寄与率および成分負荷

主成分分析(PCA)において、第一主成分(PC1)の寄与率46.6%・第二主成分(PC2)が23.1%(累積69.7%)であった。

主成分分析のプロット(横軸:PC1、縦軸:PC2)

指標

PC1

PC2

Avg_Step

+0.871

+0.362

Step_Rate_100

+0.872

+0.359

SD_r

+0.721

−0.164

Texture_Volatility

+0.702

−0.217

PC_Density

+0.648

−0.617

Avg_r

−0.829

+0.496

Tonal_Focus

−0.811

−0.240

Spatial_Dispersion

+0.227

+0.778

Harmonic_Coverage

−0.111

−0.732

第一主成分(上)・第二主成分(下)の主成分得点および負荷


PC1の負荷構造はAvg_Step・Step_Rate_100の強正負荷、Avg_r・Tonal_Focusの強負負荷であり、「調性的求心力——拡散」の次元が第一の変動軸として現れることを示している。

PC2の負荷構造はSpatial_Dispersion(+0.778)とHarmonic_Coverage(−0.732)が主要負荷である。

この負荷構造は、第二の弁別軸として五度圏上の空間的分散様式の次元を捉えていることを示している。これはBrucknerとSibeliusという対照的な様式(広域分散 vs 高密度被覆)の間でMahlerを位置づける軸として機能している。

3.3 グループ別PCAスコアと指標平均


作曲家毎に作品をグループ化した結果

作曲家

n

PC1

PC2

Avg_Step

Tonal_Focus

Harm_Cov

Sp_Disp

Tex_Vol

Haydn

1

−4.053

−0.463

29.0

0.253

0.608

0.151

0.937

Mozart

1

−4.466

−0.278

31.0

0.279

0.719

0.171

0.872

Brahms

4

−0.006

−0.053

48.8

0.135

0.729

0.248

1.023

Bruckner

3

+0.147

+1.504

52.2

0.106

0.619

0.321

1.091

Mahler

12

+0.301

−0.112

46.7

0.107

0.717

0.274

1.114

Sibelius

4

+0.301

−2.126

43.1

0.194

0.750

0.197

1.259

Shostakovich

2

+1.643

+3.144

68.1

0.082

0.386

0.321

1.126

(PC1・PC2はグループ内スコア平均。指標値は生データのグループ内平均。)

Haydn・MozartはTonal_Focusが全グループ最高(0.253・0.279)かつAvg_Stepが最小(29.0・31.0)であり、PC1の極端な負方向配置の根拠となっている。

BrucknerはPC2 +1.504と全グループ最高で、Spatial_Dispersion(0.321)の高さとHarmonic_Coverage(0.619)の低さの組み合わせがPC2負荷構造と整合する。SibeliusはPC2 −2.126と最低で、Harmonic_Coverage(0.750)・PC_Density(3.794)の高さとSpatial_Dispersion(0.197)の低さが対応する。この両グループの対称的配置はPC2が「五度圏上の空間的分散様式」を弁別する軸として機能していることの具体的な根拠となる。

ShostakovichはAvg_Step(68.1)・Step_Rate_100(6771)が全グループ最大である一方、Harmonic_Coverage(0.386)は最低値であり、高頻度の跳躍と音高被覆の狭さの共存という特異な指標プロファイルを示す。BrahmsはPC1・PC2ともに原点近傍(各−0.006・−0.053)に収束し、突出した極性を示さない。

Mahler 11作品・12楽章は他の作曲家グループのほぼ中央に位置する。PC1上は概ね年代的配置であり、調性的求心力の漸進的減退という縦断的傾向が確認できる。一方PC2については、Mahlerの変動幅がBruckner(上方・Spatial_Dispersion優位)とSibelius(下方・Harmonic_Coverage優位)に挟まれる形になっている。

3.4 軸の解釈

PC1(寄与率46.6%)は「調性中心への凝集——拡散」軸として解釈できる。Mahler内部ではこの軸が作曲年代と高く対応することが確認され、調性の求心力の漸進的減退の量的裏付けとなる。他との比較ではHaydn・Mozartが負方向極、Mahler Sym. 10・Shostakovichが正方向極を占め、後期ロマン派から20世紀初頭にかけての調性崩壊の方向性を一軸上に配置する。

PC2(寄与率23.1%)ではSpatial_Dispersion(+0.778)とHarmonic_Coverage(−0.732)を主要負荷とし、Bruckner的な「広域分散様式」とSibelius的な「高密度被覆様式」を両極とする「調性運動の空間的様態」軸として機能する。

このPC2を「交響曲的主体」の概念に接続するならば、作曲家間における主体の「持続的推進(Sibelius)——断続的広域変容(Bruckner)」の対比軸として読み替えることができる。ただしこれらは指標から直接導かれる記述ではなく、様式論的な補助的解釈として位置づける。

更にこれが交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」において定式化した交響曲的主体の特徴とどう関連づけられるかについては別途考察が必要であるが、この解釈がそこで提案された特徴づけと、少なくとも矛盾するものではなく、支持する可能性がある点は指摘しうるだろう。


付記:方法論上の留意点

本分析の主な制約として以下を挙げる。

第一に、MIDIデータの品質依存性である。使用したMIDIファイルについては、同一作品の複数ファイルが入手可能な場合には相互比較を行い、信頼性の高いと判断されるものを選択した。ピッチクラス分析の観点からは、声楽パートと器楽パートは同一の処理で扱われるため、声楽付き楽章(Sym. 8-I・大地の歌-I)であっても方法論上の特別な問題は生じない。ただし、MIDIの書き起こし精度そのものはファイルによって異なりうるため、この点は残存する不確実性として認識しておく必要がある。特にMIDIデータが限られる作品——具体的には本分析対象においてはマーラーの第8、第10交響曲、シベリウスの第6交響曲、ショスタコーヴィチの第9、第10交響曲が該当するが、——分析対象とした楽章のMIDIデータが1種類しか存在していないため、存在している唯一のMIDIデータに基づく分析であることを注記しておく。

第二に、ShostakovichはN=2であり、グループとしての統計的安定性は他の作曲家と比較して低い。比較分析における同グループの配置は参考値として扱うことが適切である。


(2026.4.6 公開)