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2026年7月31日金曜日

ペッテションにおける調的溶解の発展様式のマーラーとの比較——連続的劣化とカタストロフィー的遷移(2026.7.31 改訂)

 

序論

研究の背景と問い

交響曲という形式において、作品を貫く音楽的主体——生成の原理そのもの——は、作曲家が生涯を通じて経験する変容に応じて、どのような発展様式を辿るのか。本研究は、グスタフ・マーラーとアラン・ペッテションという、20世紀の交響曲に独自の刻印を残した二人の作曲家を対象に、この問いを定量的な調的分析を通じて経験的に検証する。

対象とするのは、マーラーの全交響曲(第1〜10番、および『大地の歌』)と、ペッテションの中期以降の交響曲群(第6〜16番)である。両者はいずれも、19世紀的な調性的統一性から距離を取りながら、独自の仕方で交響曲という形式と格闘した作曲家である。本研究は、両者の音楽的主体のあり方を対比的に検討することで、「調的溶解」という現象が辿りうる発展様式の多様性——なかでも、連続的な変化と不連続な遷移という、質的に異なる二つの様式——を明らかにすることを目的とする。

なお本研究は、マーラー単独の交響曲群を分析粒度の観点から検討した別稿(「マーラー全交響曲楽章の五度圏重心軌道の分析」)と対をなす研究プロジェクトの一部である。別稿では、全50楽章・全曲統合・主要楽章という3つの分析粒度を横断してマーラーの調的溶解を検証し、分析粒度が粗くなるほど経年トレンドの相関が強化されること、全曲統合分析における年代・編成タイプの明瞭な回収、主要楽章(Hauptsatz)分析が単なる中間粒度ではなくソナタ形式という構成原理と主体が対峙する場として独自の意義を持つこと、を確認した。本研究はこの知見を踏まえ、同じ粒度比較の枠組み(全曲統合・主要楽章)をペッテションとの比較に拡張する。

分析の視座

本研究では、MIDIデータから算出される定量的指標を解釈するにあたり、二つの理論的枠組みを援用する。分析手法の技術的詳細は次章(研究手法)に譲り、ここではその理論的な位置づけのみを述べる。

第一に、自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)における三層構造——生成モデルの安定性(層1)、状態空間における行動パターン(層2)、感覚入力の複雑性(層3)——を用いる。この枠組みは、調的な指標が捉えている現象を、単なる音響的特徴の記述としてではなく、音楽的主体が世界(音空間)をどのように予測し、その予測をどこまで維持できているかという観点から読み替えることを可能にする。 この読み替えが可能になるのは、五度圏上の重心が、ある瞬間に「どの調的仮説が最も支持されているか」を近似的に表現していると見なせるためである。ある瞬間に鳴っている音の集合が五度圏の特定の領域に強く偏っていること(重心の半径rが大きいこと)は、その瞬間、特定の調的領域を中心とする一つの調的仮説――言い換えれば一つの生成モデル――が、他の可能性を排して優勢に立っていることに対応する。逆に重心が中心(r≈0)に近づくということは、単一の調的仮説では説明のつかない、複数の調的可能性が拮抗している状態、すなわち生成モデルが特定の仮説にコミットできず、予測の確信度(精度)が低下している状態に対応すると読み替えられる。 同様に、この重心が時間とともにどれだけ・どのように移動するかという軌道の性質は、その生成モデルが自らの仮説をどれだけ、どのように更新し続けているかに対応する。重心の移動が小さく緩やかであれば、既存の調的仮説の範囲内での微修正(局所的な予測誤差の解消)と見なせるが、重心が大きく、あるいは繰り返し遠方へ跳躍するのであれば、それはより根本的な仮説の書き換え――精度の低い予測を維持するコストが、仮説そのものを放棄し新たな生成モデルへ乗り換えるコストを上回った結果としての転換――に相当すると解釈できる。 このように、五度圏上の重心とその軌道という幾何学的に定義された量は、それ自体としては単なる音響的事実の要約にすぎない。しかし、これを「ある行為主体が、自らの置かれた音空間について抱く予測とその確信度が、時間とともにどのように維持され、あるいは崩れていくか」を表す代理指標として読み替えることで、初めてFEPという理論的語彙で意味づけることが可能になる。なお、この読み替えの妥当性そのものは証明された事実ではなく、本研究が採用する解釈的枠組み(作業仮説)である点には留意されたい。

第二に、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルを用いる。この枠組みは、経年的な変化が常に滑らかな連続過程として進行するとは限らず、ある臨界点を境に不連続な遷移が生じうるという可能性を形式的に扱うために導入される。後述するように、マーラーとペッテションはこの点で対照的な軌跡を描く。ただし本稿でのカタストロフィー理論の援用は、あくまでも類推レベルのものに限定され、定量的なカスプ曲面へのフィッティングを行うわけではない。この点については本稿の末尾の今後の課題の項で詳述する。

本研究の構成

本論では、(A) マーラー・ペッテション両者の全曲を統合した粒度、(B) マーラーについては各曲のHauptsatz(主要楽章)のみを取り出した粒度(ペッテションは全曲)、という2つの分析単位で結合PCAを実施する。ペッテションの交響曲は、今回の分析対象の中期以降の交響曲は第8番が2楽章形式という例外はあるものの、実質的には全て単一楽章形式と見做し得るため、いずれの場合でも全曲を一体とした分析を行った。同一の対比を(マーラーに関してのみだが)異なる粒度で検証することで、得られる知見——マーラーにおける連続的劣化とペッテションにおける破局的遷移という対比——が特定の分析設定に依存しない頑健な構造であるかを確認する。

続く各章の構成は以下の通りである。第I章「研究手法」では分析手法を詳述する。続く2節(A・B)では各粒度での結果を報告し、末尾でその含意をまとめる。結論部では、得られた知見を統合し、本研究の問いに対する回答を述べる。

研究手法

五度圏上の重心という考え方

本研究の分析手法の出発点は、ある瞬間(小節)に鳴っている音の集合を、五度圏上の一点として表現するというアイデアである。五度圏とは、Cから始めてG、D、A……と完全五度ずつ音を並べていくと12音すべてを一周する、調的な近さ・遠さを視覚化した円環である。隣り合う音は調的に近く、円環上で対極に位置する音(例えばCとF♯)は調的に遠い。

ある小節に複数の音が同時に鳴っている場合、それらの音を五度圏上の点として配置し、その「重心」(平均的な位置)を計算する。この重心は、その小節がどの調的領域に位置しているかを要約する一種の座標として機能する。曲全体にわたってこの重心を小節ごとに計算し続けることで、楽曲が五度圏上をどのように移動していくかという軌跡が得られる。この軌跡の形状——どのくらい活発に動くか、どのくらい広い範囲を巡るか、特定の領域に留まりがちか——が、本研究における「調的な安定性」あるいは「調的な溶解」を測る基礎データとなる。

円環上での重心計算には、単純な数値(角度やピッチクラス番号)としての平均では扱えない周期性の問題がある。本研究では、各音を最初から五度圏の単位円上の(x, y)座標として表現することで、この問題を回避している。この座標系においては、複数の音の重心は通常の算術平均(x座標の平均・y座標の平均)としてそのまま計算でき、重心からの距離(半径r)が調的な収束度を表す指標として自然に得られる。

サンプリングの単位と対象範囲

分析はMIDIデータから小節単位で行う。各小節の先頭拍(拍頭)で実際に鳴っている音(ピッチクラス)の集合を五度圏上に投影し、重心とその関連量を計算する。小節内部で生じる経過音・倚音・刺繍音等の非和声音、および四六の和音を含む転回形の違いは、この計算には反映されない(転回形はピッチクラス集合として同一であるため、五度圏上の重心も同一の位置になる)。ただし、単一の音や2音のみで構成される小節は、和声的な情報量が乏しく、テクスチュアの薄さそのものが調的指標を歪めるノイズ源となりうるため、3音以上(PC≥3)を含む小節のみを分析対象とするフィルタを適用している。単音・二音の小節が持つテクスチュア上の特徴は、別途Harmonic_Coverage等の指標で捕捉される。

このフィルタには、和声的情報量の乏しさとは別に、五度圏重心という計算の定義そのものに起因する、より根本的な理由がある。単一のピッチクラスのみが鳴っている瞬間、その「重心」は当該ピッチクラス自身の単位円上の点と一致するため、r(原点からの距離)は常に1という最大値を取る。これはどの音が鳴っていようと、その音がどのような文脈に置かれていようと機械的に成立する等式であり、複数の音が特定の調的中心へと収束しているという実質的な意味での「調的集中」を何ら反映しない。同様に、2音のみが鳴っている小節では、重心のrはもっぱらその2音の五度圏上での隔たり(音程関係)のみによって決定される。たとえば完全五度の関係にある2音はr≈0.97ときわめて高い値を取り、増四度(三全音)の関係にある2音はr=0(五度圏上で正反対の位置にあるため相殺)となる。すなわち2音小節のrは、複数声部が和声的に収束する度合いではなく、単にどの音程が選ばれたかを言い換えているに過ぎない。これらの小節を分析に含めると、テクスチュアが薄い箇所ほどAvg_r・Tonal_Focusが不自然に高騰し、両指標が測定しようとしている「和声的収束」という概念そのものが変質してしまう。したがって本フィルタは、単なるノイズ除去という消極的な理由だけでなく、重心という幾何学的量が定義上意味を持つための最小条件——複数の独立した音による収束・分散が観測できること——を確保するという、より積極的な理由に基づいている。 なお、テクスチュアの薄さに起因する情報不足という問題自体は、本研究に固有のものではなく、他の調性推定手法においても等しく生じる。たとえばクラムハンスル=シュムックラーの調的階層モデルでは、単一時点のピッチクラスだけで24の調プロファイルとの相関を取ろうとすると同様に不安定な推定になるため、実務上は前後の一定区間(ウィンドウ)にわたるピッチクラス分布を集計してから相関を計算することで、この問題を緩和している。しかし、この種の時間窓による平滑化は、本研究が採用する瞬間ごとのサンプリング設計とは相容れない。本研究の五度圏重心分析は、拍頭(または各拍)という特定の時点における瞬間的な調的重心を、小節・楽章を通じて高い時間分解能で追跡することを目的としており、前後の文脈を参照して各時点の推定値を補強するという操作は、この時間分解能そのものを損なってしまう。したがって本研究では、クラムハンスル型の手法のようにウィンドウ処理で情報不足を補うのではなく、情報量が一定の閾値に満たない時点(PC<3の小節)を測定対象から除外するという、より単純な対処を選択している。

分析対象となる楽章・作品の範囲は、マーラーに関しては本研究の各セクションで異なるが、ペッテションの側は共通である。全曲統合分析(A)ではマーラーの各曲の全楽章を連結したものを、主要楽章分析(B)ではマーラーの交響曲の各曲のHauptsatz(多くは第1楽章。ただしマーラー第5番は第2楽章Stürmisch bewegtを採用)のみを、それぞれサンプリング単位とする。ペッテションの交響曲は(B)(A)いずれにおいても全曲を単位とする。


拍頭サンプリングの妥当性


本研究は、和声音/非和声音の判定という機能和声的な規範的操作を経由しない。小節先頭拍という拍節構造上の一点のみを機械的にサンプリングするのは、作曲慣習上、拍頭が和声的に最も安定した瞬間になりやすいという統計的傾向に依拠している。経過音・倚音・刺繍音の類は、定義上、拍の弱部や非アクセント位置に置かれる頻度が高く、逆に拍頭には和声の支えとなる音が置かれる頻度が高い。この傾向は例外のない規則ではなく確率的な傾向にとどまるため、個々の小節について見れば、拍頭サンプリングが非和声音を拾ってしまう誤差を含みうる。しかし本研究が対象とするのは数百から数千小節に及ぶ集計値であり、この規模においては、こうした誤差はある程度打ち消し合うと考えられる。

したがって本手法が主張できるのは、個々の小節の重心が和声学的に厳密に正確であることではなく、小節単位で一貫した規則に基づき機械的にサンプリングした値を、交響曲全曲・全楽章にわたって同一基準で集計することで、意味のある巨視的パターン(軌道の形状、収束・拡散の推移)が浮かび上がる、という点である。本研究における「調的重心」は、機能和声における調性中心(トニック、和声進行の目的地としての調)とは別の構成概念であり、ある瞬間に拍頭で同時に鳴っているピッチクラスの集合が、五度圏という調的近接性を表現する空間上のどこに位置するかを示す、より即物的で局所的な指標である。機能和声分析が前提とする文脈依存的判断(和声音か非和声音か、いかなる調のいかなる機能か)を一切経由しない分、作曲者の意図的な和声設計とは独立に、音同士の物理的な近接・遠隔関係だけを機械的に積算できるという性質を持つ。

他の調的空間モデルとの関係


五度圏重心という設計は、理論的な比較検討のみから最初に選ばれたものではなく、実際に他の2つのアプローチを試みたうえで、それぞれに固有の理由で退けた結果として採用されたものである。

第一に、クラムハンスル=シュムックラー(K-S)の調的階層モデルによる調性推定を、全50楽章に対して実際に行い、結果を公開している(「MIDIファイルを入力とした分析の準備(2):クラムハンスルの『調的階層』を用いた調性推定と和音のラベリング」)。この方法は各時点について24の調(長調12・短調12)それぞれに対する尤度を与える。ここで得られる出力は24次元の尤度ベクトルであり、これをそのまま一本の連続的な軌道として扱うことはできない。最尤の調を選んで時系列を構成することは可能だが、これは複数の調に対する尤度が拮抗している「調的に曖昧な」瞬間について、その曖昧さの度合いを消去して単一のラベルを強制的に割り当てることを意味する。本研究が捉えようとする調的溶解——複数の調的可能性の間で重心が定まらなくなっていく過程——を、K-Sのカテゴリカルな出力形式は原理的に表現しにくい。

第二に、三度関係(長三度・短三度の隣接性)を五度関係と同時に組み込む、Chewのスパイラル・アレイのようなモデルも検討した。三度関係がロマン派の和声、とりわけマーラーにおいて重要な役割を果たすことは認識しているが、この方向は採用しなかった。三度関係を空間の構成要素として明示的に組み込むことは、それ自体が「三度関係は音楽的に重要である」という音楽理論的主張を空間の定義に埋め込むことになり、機能和声とは異なるが、それによく似た理論的バイアスを持ち込むことになると判断したためである。本研究が最終的に目指すのは、マーラー後期からペッテションに至るまでを同一の枠組みで扱うことであり、古典的な三度堆積の和声語法自体が前提として成立しにくい書法(ペッテション)に対しては、三度関係を軸の一つとして組み込んだ空間は適合しない危険がある。

五度圏重心は、この2つの試行を経たうえで採用された、単一の関係軸のみを用いる最も単純な幾何学的写像である。この単純さは、より精緻な方法を知らなかった結果ではなく、複数作曲家を横断する連続的な調的溶解の軌道を、理論負荷を最小化した形で追跡するという目的に照らして、消去法的に選択された設計である。


MIDIデータの信頼性に関する留意点

MIDIデータは、DTM(デスクトップミュージック)の制作手段としてだけでなく、音楽情報処理の研究材料としても広く用いられてきた。ピッチクラス・タイミング・デュレーションといった情報が構造化された形で得られるという性質は、本研究のような音楽構造の定量分析にとっても適した入力形式であり、本研究もフリーで利用可能なMIDIデータを利用させていただいている。しかし、拍頭サンプリングという手法を採用する場合、現実に流通しているMIDIデータには看過できない制約があることに注意しなければならない。
MIDIデータの制作経路は、大別すると(a)MIDIシーケンサ等を用いて楽譜情報を手入力したものと、(b)MIDIインタフェースを備えた楽器での演奏を収録し、MIDIフォーマットに変換して保存したものの2種類に分けられる。(b)の代表例としてはGiantMIDI-Pianoのような大規模リポジトリが存在するが、本研究が対象とする交響曲のような管弦楽作品の場合、演奏収録の対象は必然的にピアノ編曲版とならざるを得ない。しかし、それ以上に本質的な問題は、演奏を収録したMIDIデータには拍節(小節・拍)に関する情報がそもそも含まれていないという点である。拍頭サンプリングを行うには拍節情報が不可欠であるため、これを事後的に推定する必要が生じるが、拍節推定を高精度に行うことは現時点の技術水準でも依然として困難な課題である。
一方、(a)のMIDIシーケンサによる手入力データであっても、それが再生・鑑賞を目的として制作されたものである場合、必ずしも小節・拍の情報が正確に、あるいはそもそも付与されているとは限らない。また、拍節情報が存在する場合であっても、手入力に起因する入力誤りや音価の揺れが混入する可能性は排除できない。さらに、入力誤りとは別の問題として、拍頭サンプリングにおいて小節先頭拍のtick位置に厳密に鳴っている音のみをサンプリングした場合、人間の聴覚では十分に「その拍で鳴っている」と知覚されるにもかかわらず、ごくわずかな発音タイミングの遅れ(ヒューマナイズや演奏由来のずれ等)によってサンプリングから漏れてしまう音が生じうる。
以上のように、現実のMIDIデータを用いて分析の信頼性を担保しようとする場合、いくつかの構造的な制約が存在し、可能な範囲でこれに対策を講じる必要がある。本研究が採用した対策は主として以下の2点である。第一に、拍頭における発音タイミングの遅れの問題に対しては、拍頭tickの一点のみをサンプリングするのではなく、その前後に一定の幅を持たせた区間内で鳴っている音をサンプリングする方式を採用した。ただし、この幅を過度に広く取ると、本来は拍頭では鳴っていない経過音等を誤って拾ってしまう可能性が生じるため、幅は必要最小限の短さに設定している。第二に、同一作品について複数のMIDIファイルが公開されている場合には、それらの信頼性を比較評価した上で、相対的に信頼性が高いと判断される制作者のデータを一貫して採用することとし、分析全体を通じたデータの一貫性を確保している。

本稿で報告するペッテションの交響曲の場合には、残念ながら同一曲について複数のMIDIデータが存在するわけではないが、その一方で、幸いにして、第6交響曲から第16交響曲まで、7e(youtube)/ 6d(twitter, 現X)氏作成のMIDIデータを利用することができた。本稿執筆時点において音響的実現はyoutubeにて確認することができるものの、残念ながらMIDIデータ自体は既に非公開となっているようだが、確認出来る限り、ペッテションの交響曲のMIDIデータは世界的にも他に例がなく極めて貴重であり、このMIDIデータの存在が本研究を行う動機の一つとなったことは疑いなく、この場を借りて御礼を申し上げたい。

一方、マーラーの交響曲の場合は、全てではないにせよ、いくつかの作品には、制作者が異なる複数のMIDIファイルが存在する。さらに、加藤隆太郎氏による第1〜9交響曲に加えて「大地の歌」を含む「MIDI版マーラー全集」が存在する。比較検討の結果、幸運にも加藤隆太郎氏のバージョンの信頼性がより高いことが確認できたため、第10交響曲以外については、加藤隆太郎氏の全集を利用させていただいている。本稿執筆時点では既に公開を終了しているが、研究への利用を許諾してくださったことと併せ、この場を借りて御礼を申し上げたい。一方、第10交響曲(クックの補筆による全曲版)については別の作者によるバージョンが唯一のものであるため、これを利用するほかない。補筆版であるという事情もあり、これはそのまま利用することとした。

9つの基本特徴量


各分析単位(楽章または作品)について、以下の9つの指標を算出する。これらはいずれも、小節ごとの重心座標という一次データ(軌道)を、平均・標準偏差・角度差の平均といった形に要約した二次的な統計量である。これらは軌道の「形状の特徴」を数値化したものであり、軌道そのもの――すなわち、どの小節で、どの方向に、どれだけ急激に重心が動いたかという時間発展の具体的な経路――を保持していない。

9次元のベクトルに要約することで、初めて楽章間・作品間・作曲家間でのPCA・クラスタリングといった比較統計の手法を適用できるようになる。裏を返せば、この要約の過程で、作品内部の急激な転換点がどこにあるかといった、カタストロフィー理論的に興味深い情報は失われる。この点は本研究の限界としても後述するが、軌道内部の時間発展そのものへのカタストロフィー分析(急激な遷移点の検出等)は、追加のデータ収集なしに着手できる今後の課題として位置づけられる。

ここで選択された9つの統計量は、軌道の要約統計量として一般的なもの(平均・分散・変化量の平均等)を機械的に採用したものではなく、前述のFEP三層構造という理論的な問いに対応させる形で、各層に最低3つずつ、意味の異なる統計量を配置している。以下、個別に、なぜこの統計量がこの目的に資するのかを説明する。

層1:生成モデルの安定性(その曲は、自らの調的仮説にどれだけ確信を持ち続けているか)
  • Avg_r(平均重心半径):全小節を通じた重心半径の平均。生成モデルが平均してどれだけ強くコミットした予測(=特定の調的領域)を維持しているかの、いわば「デフォルトの確信度」に対応する。

  • SD_r(重心半径の標準偏差):Avg_rが曲内でどれだけ揺れ動くか。これはAvg_rだけでは捉えられない情報である。同じAvg_rでも、終始一定の精度水準を保ちながら予測を維持する曲と、精度を動的に上下させながら予測誤差に対する感受性を能動的に再調整する曲とは、FEP的には全く異なる主体のあり方を意味する。SD_rはこの精度変動の大きさそのものを測る。

  • Tonal_Focus(調的集中度):Avg_r・SD_r的な情報を統合したうえで、r=0近傍(無調的に近い状態)にどれだけの時間比重が割かれているかを重み付けした総合指標である。平均値だけでは希釈されてしまう「特に拡散した瞬間の存在」を強調的に捉える設計になっており、層1の代表的単一スカラーとして機能する。

層2:状態空間における行動パターン(重心はどう動き回るか)

  • Avg_Step(平均ステップ幅):隣接小節間の重心移動角度の平均。FEP的には、一歩ごとにどれだけ予測を更新しているかに対応する。値が大きいほど、調的な文脈の書き換えが頻繁であることを意味する。

  • Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):Avg_Stepの曲長正規化版である。マーラーの交響曲は第1番と第3番のように長さが数倍異なるため、正規化を行わないと総移動量が単に曲の長さに比例してしまい、作品固有の「動きの烈しさ」ではなく単なる長さの効果を測ることになる。この正規化は、作品間比較を可能にするための必須の設計である。

  • Spatial_Dispersion(空間分散度):重心が実際に訪れた領域の広がり(分散)。Avg_Stepとは独立の情報である。転調の歩幅(Avg_Step)が同程度であっても、五度圏上の特定領域を集中的に往復する動きと、広域にわたって分散しながら移動する動きとでは、Spatial_Dispersionの値は大きく異なる。FEP的には、前者は同一の調的仮説の周辺で予測誤差を局所的に微修正し続ける状態に、後者は生成モデルそのものが想定する調的仮説の範囲が広く、より根本的な書き換え(遠い調的領域への探索的飛躍)が生じやすい状態に対応すると解釈できる。

層3:感覚入力の複雑性(拍頭で実際に何が鳴っているか)

  • PC_Density(ピッチクラス密度):拍頭で同時に鳴っているピッチクラス数の平均。瞬間ごとの感覚入力そのものの複雑さを表す、最も直接的な指標である。

  • Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):PC_Densityが小節ごとにどれだけ変動するか。同じ平均密度でも、常に一定の厚みで鳴り続ける曲と、薄い瞬間と厚い瞬間が激しく交代する曲とでは、感覚入力として与えられる「驚き」の量が異なる。これはPC_Densityの平均だけでは失われる情報である。

  • Harmonic_Coverage(和声被覆率):楽曲全体を通じて、三和音以上の有効和声が成立している小節の比率(=有効小節数/全小節数)。PC_Densityが「ある拍頭で何声部鳴っているか」という瞬間の密度を測るのに対し、Harmonic_Coverageは「そのような有効な和声が楽曲全体の何割の時間にわたって途切れずに存在しているか」という被覆の持続性を測る。FEP的には、生成モデルへの感覚入力が供給され続けている時間的割合——すなわち主体の予測機構がどれだけ継続的に駆動されているか——に対応する。値が低い楽章は、テクスチャが希薄な時間帯(単音・重音・休止が支配的な区間)が相対的に多く、感覚入力が断続的になっている状態として読める。探索的な活動領域の広さはSpatial_Dispersionが担う概念であり、両者は独立した情報を持つ。


まとめると、9指標は「平均・分散・広がり」という統計的操作を無差別に適用したものではなく、各層について「平均的な水準」「その水準の一貫性」「探索・変動の広がり」という異なる情報を最低限セットで揃えるという設計方針のもとに選ばれている。これにより、同じ平均値を持つ2曲でも、変動の仕方や探索範囲の違いによって、PCA空間上では異なる位置に配置されうるという分解能が確保されている。

なお、これらとは別にWinding_Rate_100(五度圏上での回転方向を考慮した累積移動量)という補助指標も算出しているが、複数楽章を連結した際に楽章境界での人為的な接続が値を歪めやすいという性質があるため、PCA本体には含めず、補足的な検証にのみ使用している。


PCAとクラスタリングの設定

上記9指標(またはその一部)を標準化したうえで、主成分分析(PCA)により2次元(PC1・PC2)に圧縮する。PC1・PC2の意味づけ(何が「正」で何が「負」を意味するか)は、分析対象となるデータセットの構成によって変わりうる。これはPCAという手法自体の性質——主成分の向きは統計的に決まるが、正負の符号は数学的に恣意的である——によるものであり、本研究では各分析セクションの冒頭で、その都度、負荷量(各指標がPC1・PC2にどの程度・どの方向に寄与しているか)を明示することで、符号の意味を確定させている。

作品・楽章のグルーピングには、PC1・PC2平面上でのk-meansクラスタリングを用いる。クラスタ数kは、対象とする作品群の理論的に想定される区分数(本研究では主にk=4)に基づいて設定している。

統計的検定

作曲年代とPCAスコアとの関係は、Pearsonの積率相関係数(線形関係の強さ)とSpearmanの順位相関係数(単調関係の強さ、外れ値や非線形性に頑健)の両方を算出し、併記する。作曲家間の比較では、独立2群のt検定によりPC1平均値の差の有意性を検証する。有意水準は特に断りのない限り5%とする。


A. 全曲統合での比較


図1:マーラー(赤)・ペッテション(青)の交響曲の全曲統合での五度圏和声重心軌道のPCA分析結果。作品間を有効グラフで連結して時系列の変化を示した。

符号規約に関する注記

本データセットの負荷量は、Avg_r = +1.003、Spatial_Dispersion = +0.961、Avg_Step = −0.963、PC_Density = −0.967、Texture_Volatility = −0.842であり、正のPC1=調的安定性、負のPC1=調的溶解を意味する。これはマーラー単独での作品レベル分析(別稿参照)と同方向の符号だが、楽章レベル・主要楽章レベルでの分析とは逆であり、本稿内でも都度確認を要する。

手法

マーラー全11曲(第1〜10番+大地の歌)およびペッテション全11曲(第6〜16番)を、各曲の全楽章を統合した22データ点として扱い、統一9指標セットに基づく結合PCAを実施した。

1. 作曲家間の分離:明確かつ強固


PC1範囲

Mahler

+0.542 〜 +3.001

Pettersson

−4.440 〜 +1.019

t検定:t = 5.771, p = 0.000012。両者はPC1軸上で強く有意に分離しており、マーラー作品群が調的安定側(正)に、ペッテション作品群が調的溶解側(負)に偏って分布する。この構図は、本研究の理論的類型論——マーラー=肥大化した近代的主体、ペッテション=損傷した主体——とPC1軸の方向性が整合することを示している。

2. マーラー晩期とペッテション初期の重なり

両者は完全に分離しているわけではなく、境界領域に重なりが見られる。

PC1

マーラー最晩期

Sym9

0.542


Sym10

0.542

ペッテション Stage I

Sym6

0.011


Sym7

0.884


Sym8

1.019

マーラーの到達点(晩期)とペッテションの出発点(Stage I)が、PC1上でほぼ同じ帯域に位置する。これは、ペッテションの音楽的主体が、マーラーが生涯をかけて到達した調的溶解の水準からすでに出発していることを示唆する。

3. マーラー:連続的劣化

マーラーはPC1と作曲順の間に強く有意な負の相関を示す(Pearson r = −0.887, p = 0.0003; Spearman ρ = −0.927, p < 0.0001)。結合PCA空間内でもこの単調減少傾向は保持されており、マーラー単独での分析(別稿)と同様の連続的・漸進的な調的溶解過程が確認できる。

4. ペッテション:破局的遷移

これに対しペッテションは、単独でのPC1と交響曲番号の相関が有意水準に届かない(Pearson r = −0.587, p = 0.058; Spearman ρ = −0.509, p = 0.110)。マーラーのような滑らかな単調減少ではなく、段階的なジャンプを伴う非線形な軌道を描く。

段階

PC1平均

Stage I

6, 7, 8

+0.638

転換期I

9

−0.648

Stage III

10, 11

−4.379

転換期II

12

−3.572

Stage V

13–16

−2.375

転換期I(−0.648)からStage III(−4.379)への落差は**−3.731ポイント**という極端な跳躍であり、その後は転換期II・Stage Vにかけて−2〜−3台へと部分的に回復・再安定化する。これは連続的・線形的な劣化ではなく、ある閾値を境に一気に異なる状態へ遷移し、その後新しい水準で再安定化するという挙動であり、カタストロフィー理論的なcusp型遷移パターンと形式的に符合する。

解釈:発展様式の質的相違

マーラーとペッテションは、PC1軸上での調的溶解という共通の方向性を持ちながら、その経年的発展様式において質的に異なる。マーラーにおける生成モデルの劣化は、作曲年代を追うごとに滑らかに進行する連続的過程であり、FEP的には生成モデルの精度パラメータが漸進的に低下していく描像に対応する。一方ペッテションにおいては、Stage IからStage IIIへの遷移が示すように、ある種の臨界点を境に生成モデルが急激に異なる状態へと移行し、その後新たな(劣化した)状態で再安定化するという非連続的・破局的な過程が観察される。

この対比は、両者の音楽的主体の存在様式そのものの違いを反映していると考えられる。マーラーの「肥大化した近代的主体」は、可能な限り連続性を保ちながら自らの生成モデルを更新し続けようとする主体であるのに対し、ペッテションの「損傷した主体」は、ある臨界点において既存のモデルを維持しきれず崩壊し、破局的な再編成を経て新しい(しかし損傷した)水準での存在を続ける主体として特徴づけられる。


B. 主要楽章での比較


図2:マーラー(赤)の交響曲の主要楽章のみ・ペッテション(青)の交響曲での五度圏和声重心軌道のPCA分析結果。作品間を有効グラフで連結して時系列の変化を示した。

符号規約に関する注記

本データセットの負荷量は、Avg_r = +0.998、Spatial_Dispersion = +0.918、Avg_Step = −0.982、Step_Rate_100 = −0.983、PC_Density = −0.932であり、正のPC1=調的安定性、負のPC1=調的溶解を意味する。既述のAとも同方向であり、この点は結合分析(A・B)を通じて共通している。

手法

マーラーの全交響曲の主要楽章11曲(Hauptsatz)およびペッテションの中期以降の交響曲、つまり第6~第16交響曲の11曲全曲を、22データ点として扱い、統一9指標セットに基づく結合PCAを実施した。マーラー側での主要楽章の選定基準は、マーラー単独での主要楽章分析(別稿)と同一である。ペッテションの交響曲の作品選択も、ペッテション単独での分析(別稿)と同一である。

1. 作曲家間の分離:粒度不変性の確認


A(全曲統合)

B(主要楽章)

t検定(Mahler vs Pettersson, PC1)

t=5.771, p=0.000012

t=4.998, p=0.000069

Mahler PC1範囲

+0.542〜+3.001

−0.244〜+4.470

Pettersson PC1範囲

−4.440〜+1.019

−4.076〜+1.090

主要楽章のみに絞っても作曲家間の分離は同等に強固である。ただしMahler_Sym10-1(第10番第1楽章、アダージョ)がわずかに負の値(−0.244)まで沈み込み、全曲統合分析には見られなかった軽微な越境が生じている。これは第10番第1楽章が持つ、全曲平均を上回る半音階的・実験的な性格を反映していると考えられ、両分析の基本構図を崩すものではない。

2. マーラー:年代相関はやや弱まるが有意性は維持


Pearson r

p

Spearman ρ

p

A(全曲統合)

−0.887

0.0003

−0.927

<0.0001

B(主要楽章)

−0.791

0.0038

−0.818

0.0021

単一楽章に絞ると相関はやや弱まるが、依然として強く有意である。これは、マーラー単独分析(別稿)で確認された粒度依存性のパターン(集約が進むほど相関が先鋭化する)と同型であり、結合分析においても再現された。

なお主要楽章のみで見ると、マーラーの軌道は必ずしも単調ではない。第7番(0.273)で一旦谷を作った後、第8番(1.606)・大地の歌(2.398)でPC1が再上昇し、その後第9番(0.678)・第10番(−0.244)で急落するというジグザグが見られる。これは、マーラー単独での主要楽章分析(別稿)で確認された「4番が初期群から離脱し8番・大地の歌側に合流する」構造——Hauptsatzがソナタ原理に対して取る構造的態度の質的差異——が、結合分析空間でも一貫して現れていることを示す。

3. ペッテション:破局的ジャンプは分析粒度を問わず再現

段階別PC1平均は以下の通り。

段階

A(全曲統合)PC1平均

B(主要楽章)PC1平均

Stage I (6-8)

+0.638

+0.716

転換期I (9)

−0.648

−0.770

Stage III (10-11)

−4.379

−3.982

転換期II (12)

−3.572

−3.370

Stage V (13-16)

−2.375

−2.310

転換期I→Stage IIIの落差は、全曲統合で−3.731、主要楽章のみで**−3.212**とほぼ同規模で再現される。段階ごとのプロファイル(Stage Iで正、転換期Iで軽度に負転、Stage IIIで急落、その後転換期II・Stage Vにかけて部分的に回復)という定性的パターンも完全に一致する。

ペッテション単独でのPC1対番号の相関は、主要楽章のみではPearson r=−0.619, p=0.042とぎりぎり有意に転じる(全曲統合ではp=0.058で非有意)が、Spearman順位相関は両分析で完全に同一の値(ρ=−0.509, p=0.110)である。作品間の相対的順位構造が両分析で完全に保存されていることは、線形相関の有意性の僅かな揺れが、あくまで非線形な破局的遷移パターン自体の反映であることを裏付ける。

解釈:粒度不変性としての破局的遷移

この一致が示す最も重要な点は、Stage IIIへの破局的遷移という知見が、分析単位(楽章統合か主要楽章単独か)に依存しないロバストな構造であるということである。 単一楽章分析でも同じ規模の跳躍が現れるということは、この遷移が特定楽章の異常値によるアーティファクトではなく、Stage III期の作曲様式そのものに根差した質的変化であることを強く示唆する。

これは、別稿(マーラー単独分析)で確立した粒度不変性の検証原則——複数の分析単位を通じて再現される構造のみをロバストな知見とみなす基準——を、マーラーとの結合分析という枠組みの中でも再確認するものである。マーラーの連続的劣化・ペッテションの破局的遷移という対比は、単一の分析粒度に依存した見かけ上の結果ではなく、分析単位を横断して観察される構造的事実として位置づけられる。


まとめ:連続的劣化とカタストロフィー的遷移——二つの発展様式の理論的定式化


第2部では、マーラー全11曲とペッテション全11曲(第6〜16番)を対象に、マーラーの交響曲について(A) 全曲統合、(B) 主要楽章、という2つの粒度で、ペッテションの交響曲(こちらは常に全曲)との結合PCAを実施した。ここでは両分析を横断して得られた知見を統合し、両作曲家の音楽的主体が示す発展様式の質的差異を、カタストロフィー理論とFEP三層構造の観点から理論的に定式化する。

1. 分離の頑健性——粒度を問わない作曲家間の境界


A(全曲統合)

B(主要楽章)

t検定(PC1)

t=5.771, p=0.000012

t=4.998, p=0.000069

マーラーとペッテションはPC1軸上で強く有意に分離しており、この分離は分析粒度に依存しない。これは、別稿(マーラー単独分析)で確立した粒度不変性の原則——ロバストな構造的知見は分析単位を変えても再現されるべきである——が、単一作曲家内の分析だけでなく、作曲家間の比較という枠組みにおいても成立することを示す。

同時に、両者の分布には境界領域での重なりが確認された。マーラー最晩期(第9・10番)とペッテションStage I(第6〜8番)がPC1上でほぼ同じ帯域に位置するという事実は、示唆的である。ペッテションの音楽的主体は、マーラーが生涯をかけて到達した調的溶解の水準から出発している。 この関係は、両者を単純に「安定から溶解へ」という単一の尺度上に並べる直線的な発展史観を許さない。むしろペッテションは、マーラー的主体が最終的に到達した状態を初期条件として引き受けたうえで、そこからさらに独自の——そして質的に異なる——崩壊過程へと進んでいく主体として位置づけられる。

2. 二つの発展様式

マーラー:連続的劣化

マーラーのPC1は作曲順に対して強く有意な単調減少相関を示し(A: Spearman ρ=−0.927;B: ρ=−0.818)、この傾向は全曲統合・主要楽章の両粒度で一貫している。別稿(マーラー単独分析)で確認された滑らかな経年的トレンドが、ペッテションという比較対象を導入した結合分析空間においても保持される。これは、生成モデルの精度パラメータが時間とともに漸進的に低下していく、連続的な劣化過程として記述できる。

ペッテション:破局的遷移

これに対しペッテションは、単独でのPC1対番号相関が弱い、あるいは境界的にしか有意とならない(A: p=0.058;B: p=0.042)。段階別に見ると、転換期I(第9番)からStage III(第10・11番)への落差は、Aで−3.731、Bで−3.212と、両粒度でほぼ同規模の跳躍として再現される。この後、転換期II・Stage Vにかけて値は部分的に回復し、新しい水準で再安定化する。

Spearman順位相関がAとBで完全に同一の値(ρ=−0.509, p=0.110)を示した事実は特筆に値する。これは、作品間の相対的な順位構造——どの曲がどの曲より調的に安定または不安定か——が分析粒度によらず完全に保存されていることを意味し、線形相関の有意性の微妙な揺れが、経年トレンドそのものの不在ではなく、非線形・非単調な軌道の反映であることを裏付けている。

3. カタストロフィー理論による定式化

この対比は、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルによって形式的に整理できる。マーラーの軌道が状態空間上の滑らかな曲面に沿った連続的な移動として描けるのに対し、ペッテションの軌道は、ある制御パラメータ(作曲年代、あるいはそれに伴う生成モデルへの負荷)が臨界値を超えた地点で、安定状態から離れた別の安定状態へと不連続に「飛ぶ」——fold(折り目)を越える——挙動として記述される。転換期I(第9番)は、この折り目に接近しつつある不安定な移行段階に相当し、Stage III(第10・11番)への急落は、系がもはや旧来の安定状態を維持できずfold surfaceの下葉へと落下する過程として理解できる。その後の転換期II・Stage Vにおける部分的回復は、系が新しい(より低い)安定状態の周辺で再び平衡を見出す過程に対応する。

このモデルは、単なる比喩ではなく、両粒度で再現された「転換期Iから Stage IIIへの一定規模の跳躍」という定量的事実によって裏づけられている。

4. FEP三層構造による統合的解釈

本研究で導入したFEP三層構造の観点から見ると、両者の相違は層1・層2(生成モデルの安定性・状態空間における行動パターン)の変化様式そのものの違いとして捉えられる。

マーラーの「肥大化した近代的主体」は、生成モデルの精度低下という不可避の過程に直面しながらも、各作品を経るごとにモデルを漸進的に更新し続け、破局的な崩壊を回避しようとする。この意味で、マーラーの主体は最後まで「連続性を保とうとする」動的努力の軌跡として記述できる。

これに対しペッテションの「損傷した主体」は、Stage Iにおいて(マーラー晩期に匹敵する水準ではあるが)一定の安定性を保持していたのが、転換期Iを境にその安定性を維持しきれなくなり、Stage IIIで生成モデルそのものが崩壊的に再編成される。その後の部分的回復(転換期II・Stage V)は、崩壊した生成モデルが、崩壊以前とは異なる、より低い精度水準において新たな均衡を模索する過程として理解できる。「損傷」とは、単なる一方向的な劣化ではなく、破局的な崩壊とそれに続く不完全な再統合という、cusp型のダイナミクスそのものを指す、という定式化が、本研究の結合分析によって定量的に裏付けられたことになる。

5. 総括

第2部の結合分析は、マーラーとペッテションという二つの音楽的主体が、共通の調的溶解という大きな方向性を共有しながらも、その経年的発展様式において根本的に異なる力学に従うことを示した。マーラーは連続的劣化という滑らかな曲面上の運動として、ペッテションはStage IIIを折り目とするcusp型の破局的遷移として、それぞれ異なる幾何学によって記述される。この対比は分析粒度(全曲統合/主要楽章)を問わず頑健に再現されており、単一の分析設定に依存する偶然の産物ではなく、両作曲家の生成モデルが辿る構造的差異そのものを反映していると結論づけられる。

この「発展様式そのものが作曲家によって異なる幾何学に従う」という知見は、別稿で確立した「分析粒度が音楽的主体の階層的構造を異なる解像度で露呈させる」という知見と合わせて、交響曲的思考における音楽的主体が、単一の尺度や単一の物語に還元されない、多層的かつ多様式的な存在様式を持つことを、定量的・理論的の両面から示すものである。


結論

本研究が明らかにしたこと

本研究は、マーラーとペッテションという二人の作曲家の交響曲群を対象に、全曲統合・主要楽章という2つの分析粒度から結合PCAを実施し、両者の音楽的主体が辿る発展様式を比較検討した。得られた知見は以下の三点に集約される。

第一に、両者はPC1軸上で強く有意に分離する(A: t=5.771, p=0.000012;B: t=4.998, p=0.000069)。この分離は分析粒度に依存せず頑健であり、マーラーの「肥大化した近代的主体」とペッテションの「損傷した主体」という理論的類型論を、定量的に裏付けるものである。同時に、マーラー最晩期とペッテションStage Iの間にPC1上での重なりが確認され、ペッテションの音楽的主体がマーラーの到達点から出発していることが示唆された。

第二に、両者の発展様式は質的に異なる。マーラーの調的溶解は作曲年代を通じて滑らかに進行する連続的過程である(A: Spearman ρ=−0.927;B: ρ=−0.818、いずれも有意)。これに対しペッテションは、転換期IからStage IIIへの急激な跳躍(A: −3.731、B: −3.212)を伴う破局的な遷移を示し、その後転換期II・Stage Vにかけて新しい水準で部分的に再安定化する。

第三に、このペッテションの破局的遷移という知見は、分析粒度を問わず再現される頑健な構造である。全曲統合と主要楽章という異なる時間解像度で、転換期IからStage IIIへの落差がほぼ同規模で確認されたことは、この遷移が特定楽章のアーティファクトではなく、Stage III期の作曲様式そのものに根差した質的変化であることを強く示唆する。

理論的定式化

マーラーとペッテションの対比は、カタストロフィー理論のcusp(尖点)モデルによって形式的に整理できる。マーラーの軌道が状態空間上の滑らかな曲面に沿った連続的な移動として描けるのに対し、ペッテションの軌道は、制御パラメータ(作曲年代、あるいはそれに伴う生成モデルへの負荷)が臨界値を超えた地点で、安定状態から離れた別の安定状態へと不連続に「飛ぶ」——foldを越える——挙動として記述される。転換期Iはこの折り目に接近しつつある不安定な移行段階に相当し、Stage IIIへの急落は、系が旧来の安定状態を維持できずfold surfaceの下葉へと落下する過程として理解できる。

FEP三層構造の観点からは、マーラーの主体が「連続性を保とうとする動的努力」として、ペッテションの主体が「崩壊とそれに続く不完全な再統合」として、それぞれ異なる幾何学に従うことが定式化される。

限界と今後の課題

本研究にはいくつかの限界がある。第一に、対象をマーラーとペッテションの2人に限定しており、他の作曲家との比較は行っていない。MIDIデータの可用性という制約から、ショスタコーヴィチ・シュニトケへの拡張は現実的でない。ブルックナー・シベリウスは主要楽章分析ではある程度網羅的な検討が可能だが、全曲(全楽章)を対象とする分析への拡張は困難である。交響曲という形式を離れ、創作史全体を横断できるという観点に立てば、ピアノソナタや室内楽まで対象を広げた上でのブラームスが、現実的な候補として挙げられる程度に留まる。

第二に、ペッテションのStage IIIへの跳躍という現象は、カタストロフィー理論のcuspモデルによって形式的に記述されたが、実際のcusp方程式への定量的なフィッティングには至っていない。この跳躍を、作曲年代を制御パラメータとする実際のcusp catastrophe surfaceに当てはめ、fold(折り目)の位置や急峻さを定量化することは、今後の重要な発展方向である。ただしサンプル数(11)の制限からも、単純なカスプ曲面へのフィッテイングは現実的でない。従って、何らかのかたちでカスプが要求する位相構造をどこまで満たしているかを検証する方法を検討する必要がある。

現時点で検討しているのは、別途FEPとの関連を分析するために設定した、ピッチクラスの音数密度、ロバストネス、重み付き予測誤差の3次元からなる相空間での作品内部の軌道について、作品毎の統計量を求めて状態空間軌道を構成し、その軌道のトポロジーを分析することによりアプローチすることを考えている。そこでの仮説は、例えば以下のような形を採るものと予想される。「第9番から第10番への遷移において、状態空間軌道の速度・加速度・曲率が同時に極値を示す。このことは、作品系列が二つの安定領域を結ぶ臨界遷移を含むことを示唆し、その位相構造は cusp catastrophe が要求する幾何学と整合的である。 」

第三に、本研究で用いた9指標はいずれも五度圏上の重心軌跡から導出されるマクロな統計量であり、軌跡そのもの——特にStage III前後での重心軌跡の内部的な変化過程——を直接分析対象とするものではない。この内部軌道に対するカタストロフィー理論的な分析(急激な遷移点や分岐構造の検出)は、Stage IIIの跳躍という現象をより精緻に理解するための有力な方向である。

(2026.7.7 公開、 7.13~16 序論および研究手法を補筆・改訂, 7.31 基本特徴量の記述を修正)

2026年7月6日月曜日

早すぎる後期を生きる──アラン・ペッテションの交響曲的主体(増補版、2026.7.13 更新)

 序 交響曲は何を語るのか

交響曲とは何を表現する芸術なのだろうか。

形式の歴史として見れば、その発展はソナタ形式や管弦楽法の変遷として記述することができる。また思想史の立場から見れば、交響曲は近代ヨーロッパの精神史を映し出す鏡として理解することもできる。しかし、こうした見方だけではなお十分ではない。なぜなら、私たちは交響曲を聴くとき、単に形式や理念に触れているのではなく、そこに一人の主体が生きた時間そのものを聴いているからである。

この意味で、交響曲とは主体が世界とどのように関わり、その関係が時間のなかでどのように変容していくかを描く芸術である。そこでは出来事そのものではなく、出来事を経験する主体の時間が音楽として構築される。交響曲の歴史とは、形式の歴史である以前に、人間が経験しうる時間の歴史でもある。

このような視点に立つならば、グスタフ・マーラーの交響曲は、一つの典型を示している。マーラーにおいて主体は、世界との関係を築き、その葛藤を経験し、その変容を経て後期様式へと至る。彼の交響曲には、近代的主体が世界を理解しようとする意志と、その限界が刻まれている。そこでは主体は常に変容の過程にあり、その創作史全体が、一人の人間が生きた時間の軌跡として読むことができる。

では、そのような主体の時間は、二十世紀後半においてどのような姿を取りうるのだろうか。

この問いに対して、アラン・ペッテションほど根源的な応答を示した作曲家は多くない。十六曲の交響曲を書き続けた彼は、その創作の大半を重い病とともに生きた作曲家として知られている。しかし、その音楽を単なる病苦の表現として理解するならば、私たちは最も重要なものを見失うだろう。同じ苦難に直面した人々が同じ音楽を書くわけではないからである。

むしろ問われるべきなのは、ペッテションにとって交響曲とは何であったのか、ということである。

この問いに答えるためには、作品を分析するだけでは十分ではない。彼自身が繰り返し語った、自らの創作についての言葉に耳を傾ける必要がある。そこには、交響曲を単なる作品ではなく、自らの人生そのものとして捉える作曲家の姿がある。そして、その言葉を手がかりに創作史をたどるとき、私たちは彼の交響曲が、損傷した主体が「早すぎる後期」という存在条件を引き受け、その時間を生き続ける過程を刻み続けた記録であったことに気づくのである。

本稿は、このような視点から、マーラーとの比較を手がかりとして、ペッテションの交響曲的主体を考察する試みである。その目的は、病や伝記的事実から作品を説明することではない。ペッテション自身の言葉と作品を読み直すことによって、交響曲という芸術がなお描きうる「主体の時間」の一つの可能性を明らかにすることにある。

Ⅰ マーラー──変容する主体の時間

交響曲を主体の時間として理解するならば、マーラーはその最も典型的な作曲家である。

彼の交響曲には、一人の主体が世界と関係を結び、その関係が時間のなかで変容していく過程が、一つの創作史として刻み込まれている。そこでは各作品は独立した音楽作品であると同時に、一つの主体が経験した異なる時間の局面でもある。

初期の交響曲において主体は、なお世界を理解し、その意味を統合しうるという可能性を保持している。自然、民衆、宗教、死──多様な経験は交響曲という形式のなかへ組み込まれ、たとえ葛藤を含みながらも、一つの全体性を志向する運動として展開される。主体は世界のなかに置かれているが、その世界との対話はなお可能なのである。

しかし創作が進むにつれて、その関係は少しずつ変質していく。世界はもはや統合される対象ではなく、主体そのものを揺るがす存在となる。時間は直線的な発展ではなく、反復や断絶、記憶や予感を織り込みながら、多層的な経験として構成される。交響曲は完成された世界像ではなく、主体が世界との関係を問い直し続ける過程そのものとなる。

そして晩年の作品では、その変容はさらに深い次元へ及ぶ。主体は世界を統合することを断念する。しかし、それは主体の消滅ではない。世界との緊張を引き受けながら、それでもなお存在し続ける時間が、新たな音楽的地平を開いていく。

こうした創作史は、一人の主体が後期様式へと至る時間として理解することができる。後期様式とは、単に晩年の作品群を指す様式史上の概念ではない。それは主体が世界との関係を生涯にわたって変容させた末に到達する、一つの存在様式なのである。

この点において、マーラーは近代的主体の歴史を体現した作曲家であったと言えるだろう。彼の交響曲は、主体が世界を経験し、その経験によって変わり続けることを音楽として描いた。その意味で、彼の交響曲は「変容する主体」の時間である。

しかし、このような時間構造は、交響曲的主体の唯一のあり方ではない。主体は必ずしも世界との豊かな対話から出発するとは限らない。主体そのものが、すでに世界との深い亀裂を抱えながら形成されることもある。そのとき交響曲は、変容の物語ではなく、存在そのものを支え続ける時間として現れる。

アラン・ペッテションの交響曲は、まさにそのような時間から始まる。そのことを理解するためには、まず彼自身が、自らの音楽についてどのように語っていたのか、その言葉に耳を傾ける必要がある。

Ⅱ 「不協和音と歌」──損傷した主体の生成

ペッテションは、自らの音楽がどこから生まれたのかを、抽象的な作曲技法によってではなく、一つのきわめて率直な言葉によって語っている。

1952年の論考「Dissonance douleur」において、彼は次のように記している。

「私が育った環境で、私は人々の痛みを吸収した。彼らは貧しく、病み、衰え――そして何より、屈服させられていた。[…]作曲の最中、その痛みは不協和音という、あらかじめ用意された型の中に物質化した。……しかし、そこから歌が生まれる。」

この言葉は、しばしばペッテションの創作理念として引用される。しかし、その意味は単なる美学的宣言にとどまらない。ここで彼は、自らの音楽語法を説明している以前に、自らがどのような主体として形成されたかを語っているのである。

彼がいう「痛み」は、病気だけを意味しない。そこには、貧困、暴力、病、社会的疎外、そして幼少期から日常的に目撃してきた他者の苦しみが含まれている。それらは外から主体へ付け加えられた経験ではなく、主体が世界を経験する最初の条件そのものとなっている。

したがって、ペッテションにとって創作とは、自らの感情を音に置き換える営みではない。主体そのものが世界から受け取った痛みを、不協和音という音楽的現実へ変換し、その内部からなお「歌」を生み出そうとする行為なのである。

ここで重要なのは、「歌」が不協和音の否定として現れるのではないということである。歌は暴力や苦痛を克服した結果ではない。むしろ、不協和音の内部からしか現れえないものとして構想されている。

この構造は、ペッテションの生涯そのものとも深く重なっている。彼は貧困と家庭内暴力のなかに生まれ、幼少期から社会の周縁に生きた。さらに壮年期以降は重度の関節リウマチ、腎不全、癌といった病苦に見舞われる。しかし、その創作をこれらの伝記的事実から説明することはできない。なぜなら、彼自身が語っているのは、「病気が音楽を生んだ」という因果関係ではなく、世界の痛みを引き受ける主体のあり方だからである。

この意味で、本稿が用いる「損傷した主体」という概念は、病理学的概念でも心理学的概念でもない。それは、主体が世界と関係を結ぶ最初の条件が、すでに深い亀裂を含んでいたことを指している。

ペッテションは、損傷した主体になったのではない。損傷という存在条件のもとで主体を形成したのである。そして、その主体は沈黙を選ばなかった。世界から吸収した痛みを不協和音へ、さらにその内部から歌へと変えていく営みこそが、彼の交響曲の出発点となった。

このことは、第六交響曲以降の創作を理解する上で決定的な意味を持つ。そこでは、損傷した主体はもはや自己を形成する段階を終え、自らの存在条件そのものを交響曲という巨大な時間形式のなかで引き受け始めるのである。

Ⅲ 「交響曲という人生」──早すぎる後期を生きる

1960年代初頭、ペッテションは友人宛の書簡のなかで、自らの創作について次のように記している。

「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である――祝福され、呪われたもの。魂がかつて歌っていた歌を再び見出すこと、それが私の仕事なのだ。」

この言葉は、しばしば伝記的告白として読まれてきた。しかし、それだけでは十分ではない。ここでペッテションが「人生」と呼んでいるものは、単なる生涯の出来事の総和ではなく、一人の主体が生きる時間そのものだからである。

前章で見たように、ペッテションは世界の痛みを主体形成の条件として引き受けた。その主体にとって、創作とは自己表現ではなく、存在そのものを維持する営みであった。だからこそ、彼は作品と人生とを区別しない。交響曲は人生を描く作品ではなく、主体がその人生を生きる形式そのものなのである。

この視点から眺めると、第六交響曲は単なる作風上の成熟ではなく、主体の時間における決定的な転回点として理解される。

それ以前の作品においても、ペッテション固有の旋律法や持続的な時間感覚はすでに形成されつつあった。しかし、第六交響曲以降、それらはもはや様式上の特徴ではなく、一つの存在様式として結晶していく。主体は世界との亀裂を修復しようとはしない。その亀裂そのものを、自らが生きる時間の条件として引き受け始めるのである。

本稿では、この時間を「早すぎる後期」と呼びたい。

ここでいう後期とは、年齢によって規定される晩年ではない。また、病苦そのものを意味するものでもない。それは、本来であれば人生の終末において経験されるはずの存在条件──有限性、喪失、身体的制約、世界との和解不可能性──を、中年期から引き受けて生きる時間である。

もちろん、ペッテションの創作を病歴へ還元することはできない。同じ病を得ても、同じ音楽を書く人はいないからである。しかし一方で、彼の身体的条件を創作と無関係な偶然として切り離すこともまた適切ではない。重要なのは、彼がそれらの条件を、主体の時間そのものとして引き受けたという事実である。

第六交響曲以降の創作史は、その時間を生きる過程として読むことができる。

重い関節リウマチによる慢性的な激痛、入退院の反復、腎疾患、そして晩年の癌。これらは伝記的事実であるにとどまらず、主体が世界を経験する条件を根本から変えていった。しかし、それによって主体は沈黙しなかった。むしろ、その条件のもとでなお巨大な交響曲を書き続けたのである。

ここにおいて、「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である」という言葉は、新たな意味を帯びる。それは、作品が自伝であるという意味ではない。人生そのものが、交響曲という時間形式のうちで持続しているという意味なのである。そして、その持続は静止ではない。同じ存在条件を日々引き受け続けることによって、主体はゆるやかに、しかし不可逆的に変容していく。

早すぎる後期とは、人生の早い段階で老いたことではない。損傷した主体が、自らの存在条件を時間として生き続けることであり、その長い持続そのものが、ペッテションの交響曲なのである。

Ⅳ 持続する後期──分析が可視化した主体の時間

前章では、第六交響曲以降のペッテションの創作を、「早すぎる後期」という主体の時間として捉えた。しかし、この理解は伝記的事実のみに依拠したものではない。むしろ近年行った全交響曲を対象とする分析は、そのような主体の時間が作品そのものの内部に刻まれていることを示唆している。

この分析では、ペッテションの作風が確立したとされ、本稿が「早すぎる後期」と呼んだ時期が、まさにそこから始まる第六交響曲以降の全十ー曲の交響曲について五度圏上の調性重心軌道を算出し、その特徴量に主成分分析(PCA)を適用した。その目的は、様式を分類することではなく、創作史全体の構造を、作品間の関係性として記述することであった。

分析結果結果を見てみよう。図の横軸(第1主成分)は調性的安定性(ここでは右側に行くほど安定)と調性熔解(左側に行くほど調的に不明瞭)の対立を表す軸、縦軸(第2主成分)は調性空間の利用様式を反映する軸(ここでは高密度だが焦点化された状態(上側)↔散乱的で焦点の弱い状態(下側))として解釈された。

ペッテションの第6~16交響曲の分析結果

まずここで取り上げた第六交響曲以降の作品群は、一つの連続した軌跡を形成しながら推移していることがわかる。そこでは各交響曲が独立した様式的実験として存在するのではなく、一人の主体が同じ存在条件を生き続けるなかで経験した、連続的な変容として配置されるのである。しかし、その軌跡は直線的ではない。

第七、第八交響曲では、第六交響曲で獲得された主体の時間が一貫して深化していく一方、第九交響曲から変化が始まり、第十・第十一交響曲付近では軌跡が大きく屈曲し、それまでとは異なる位相へ移行することが確認された。この変化は、新しい主体の出現を意味するものではない。むしろ、第六交響曲以来持続してきた主体の時間そのものが、一つの臨界点へ到達した結果として理解される。

この意味で、第十・第十一交響曲は、一種のカタストロフとして位置づけることができる。ただし、それは主体の崩壊ではない。長年にわたり持続してきた存在条件が、ある一点において質的転換として現れたのである。

さらに分析が示したもう一つの重要な特徴は、第十三交響曲以降の軌跡である。

第十・第十一交響曲を経た後、それ以前の第九交響曲がそうであったように、第十二交響曲から再び変化が始まり、第十三交響曲以降、創作史は再び安定した推移を示すようになる。しかし、それは第六交響曲以前への回帰ではなく、大きな変動を経験した後に獲得された新しい均衡である。軌跡は以前よりも収束し、その揺らぎは静かな持続へと変わっていく。

この変化は、創作力の衰退では説明できない。むしろ、長く「早すぎる後期」を生き続けた主体が、その存在条件との新たな均衡を獲得した結果として理解すべきであろう。

ここで想起されるのは、エドワード・サイードが後期様式について述べた「和解しない成熟」である。しかしペッテションの場合、それは「早すぎる後期」としての第六交響曲以降の創作史全体に対して相応しいものであろう。そこから紆余曲折を経て到達したペッテションその人の「晩年」は、その否定性だけでは尽くし難い。そこには、ゲオルク・ジンメルがゲーテ論で描いた「現象からの退去」を思わせる静かな変容が認められる。世界との緊張は消えない。しかし主体は、その緊張を克服しようとするのではなく、それを存在条件として引き受けながら、世界との距離そのものを組み替えていく。

ここで重要なのは、第十三交響曲以降を新たな「第二の後期」と考える必要はないということである。主体が再び変わったのではない。第六交響曲以来続いてきた同じ後期という存在条件が、二十年近い持続のなかで成熟したのである。

比較のための参考として、以下に、マーラーの全交響曲を対象にした分析結果を示す。
マーラーの全交響曲(第1~第10交響曲および「大地の歌」の全楽章)の分析結果

マーラーの交響曲の場合には、作曲年代順に右から左への推移がより明確に見てとれる。(稍々詳細に立ち入るならば、中期交響曲が第6交響曲をピークとして、それ以降、若干ではあるが右方向に逆行している点も、一般的な創作史上の転換と一致している。)

この傾向は、マーラーの交響曲の主要楽章(ソナタ形式かそれに準じる構造を持つ冒頭楽章。但し第5交響曲は序奏にあたる葬送行進曲が第1楽章として独立しているので第2楽章)のみを取り出して分析した以下の結果からも読み取れる。


交響曲の全楽章を対象とした分析では右→左だった時系列的変化が左→右となっているものの、ここでも一貫していることがわかる。一方、縦軸(第2主成分)についてはおおまかに初期が負→中期で正に移行→後期で負に戻るという、山型の変化を示しており、全般としてℓ字型の軌跡を描いていることが見てとれる。

マーラーの全交響曲(第1~10番+「大地の歌」、主要楽章のみ)の分析結果

上記のようなマーラーの交響曲の成立年代順の変化を踏まえると、第6交響曲以降のペッテションの交響曲における変化の特徴が際立ってくる。それは創作史の全体を通じた、一貫した方向を持った変化ではなく、途中、第10番、第11番のおいてカタストロフ的な変化が生じた後は、或る種の揺り戻しが来るが、完全に元に戻ることはなく、第13番以降、中間的なた領域に安定するというプロセスであることが再確認できる。

その一方で第六交響曲以降のペッテションの交響曲的主体の存在様態を「早すぎる後期」と呼ぶことの傍証もまた、同一の枠組みの分析を、マーラーの全交響曲とペッテションの交響曲の両方を対象として行った結果から得られている。その結果を確認してみよう。

ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果
ペッテション:第6~16交響曲
マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」全楽章)

こちらのプロットでは、マーラー、ペッテション各々について、その交響曲群の重心を”+”で示すとともに、大まかにその交響曲群の分布範囲を楕円で示し、各交響曲間を矢印で作曲順に繋げることで創作史の軌跡を示した。

マーラー作品群とペッテション作品群は、主成分空間上において異なる領域へ分布した。作品群全体の重心を比較すると、マーラーは横軸(第1主成分)の正側(赤)、ペッテションは負側(青)に位置しており、両者の作品群には調性運動の組織様式に体系的な違いが存在することが示唆された。(なお、ペッテションの交響曲のみを対象とした分析と比較すると、縦軸(第2主成分)の正負が逆転していることがわかるが、これはここで用いた主成分分析の性質上しばしば生じることであり、結果の読み取りには影響しない。)

作品配置を詳細にみると、両作曲家はそれぞれ創作史に沿った特徴的な軌跡を描いている。
マーラーの交響曲については、単独での分析結果と比べると、軸が時計回りに回転して、右→左だったものが、右下→左上となっており、かつ横軸方向がかなり圧縮されているものの、マーラー単独での分析で確認された、概ね作曲年順の連続的な一貫した変化がここでも確認できる。特に第9番および第10番は左上に孤立しており、新たな調性力学的領域へ移行する傾向が確認される。

一方、ペッテションでは、ペッテションの交響曲のみを対象とした分析と比較すると、縦軸(第2主成分)の符号関係は単純な全体反転ではなく、作品ごとに異なる変化を示す。とりわけ第9番は、単独分析では第6〜8番から負方向へ落ち込む一時的な擾乱点として現れていたが、複合分析ではむしろペッテション作品中で最も高いPC2値をとる。逆に、単独分析でPC2が最大化していた第10・11番は、複合分析では負の値へと転じる。第6〜8番および第12番についてはおおむね符号が維持される。このように、複合分析への拡張によって第9番と第10・11番の相対的な高低関係が入れ替わっている点は、主成分分析の座標が分析対象の構成に応じて変化するという性質上生じるものであり、後述する段階区分(第6〜9番/第10・11番/第12番/第13〜16番)そのものの妥当性を損なうものではない。。

縦軸(第2主成分)は単純な全体反転ではなく、特に第9番と第10・11番の相対的な高低関係が入れ替わるという形で変化しており、かつ全体として圧縮され、更に時計回りに軸が回転している。しかし、これらの変化は主に第2主成分(PC2)上で生じているものであり、段階区分を規定する第1主成分(PC1)上では、第6番から第8番までの作品群と第9番における移行、第10番、第11番での急激なカタストロフ的変化、更に第12番を経た、第13番から第16番以降の逆行しての安定といった傾向は、単独分析と変わらず一貫して保存されていることがわかる。

ここで興味深いのは、マーラーの後期作品である第9番・第10番が、ペッテションの第6番から第9番にかけての作品群に比較的近接して配置されている点である。この近接は、両者の作品が調性力学的観点から何らかの共通した特徴を共有している可能性を示唆しており、ペッテションの第6交響曲以降を「早すぎる後期」と名づけることを支持するものと言える。

またマーラーの交響曲の作曲順の変化の方向と、ペッテションの交響曲の変化の方向は、同一方向ではなく、約60度の角度をなして斜めに交差している点にも留意しよう。両者の変化ベクトルは平行に近いわけでは決してないが、厳密に直交しているわけでもない。マーラーの変化の方向を基準にペッテションの変化を捉えれば、ペッテションの音楽は第6交響曲以降、第16交響曲に至るまで、その変化の少なからぬ部分がマーラーの変化方向とは異なる、独自の次元に沿って進行していることが示唆される。

これは比較のために、マーラーの交響曲の側の分析対象を、全楽章から主要楽章に置き換えた以下の分析結果からも共通して確認できることである。

ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果
ペッテション:第6~16交響曲
マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」主要楽章のみ)

大まかな傾向はマーラーの各交響曲全楽章の場合と同様であるが、主要楽章のみの方が、マーラー後期とペッテションの中期(第6,7,8交響曲)の領域の重なりが視覚的より明確になっていることが見てとれる。

このように見てくると、五度圏重心軌道と主成分分析が可視化したものは、単なる和声語法の変遷ではない。それは、一人の主体が世界との関係をどのような時間として生き、その時間がどのような屈曲と成熟を経験したかという、創作史そのものの軌跡として読むことができそうである。

ペッテションの交響曲は、その軌跡によって、一つの根源的な事実を示している。損傷した主体は変容する。しかも、その変容は主体を失うことによってではなく、同じ存在条件を長く生き続けることによって生じるのである。

分析が明らかにしたのは、まさにその持続の形であった。

Ⅴ 結論──交響曲的主体のもう一つの可能性


本稿では、マーラーとの比較を手がかりとして、アラン・ペッテションの交響曲を「主体の時間」という観点から読み直してきた。

マーラーにおいて交響曲とは、主体が世界との関係を築き、その葛藤を経験し、変容しながら後期様式へ至る過程を描く芸術であった。主体は世界との関係のなかで自己を形成し、その生涯を通じて変わり続ける。

これに対して、ペッテションの出発点は異なる。彼は幼少期から、貧困、家庭内暴力、社会的疎外、そして他者の痛みに囲まれた世界のなかで主体を形成した。その意味で、彼の創作を規定した「損傷」は、壮年期以降の病苦によって突然もたらされたものではない。それは、主体の形成そのものに刻み込まれた存在条件であった。

しかし、損傷は彼の創作を説明する原因ではない。決定的なのは、その存在条件を引き受けながら、なお交響曲を書き続けたという事実である。ペッテション自身は、「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である」と述べた。そこにいう「人生」とは、出来事の集積ではなく、一人の主体が時間を生きることそのものであった。そして、「不協和音と歌」が示しているように、その人生は、世界から受け取った痛みを不協和音として受け止め、その内部からなお歌を生み出そうとする営みとして理解されていた。

この視点から見れば、第六交響曲以降の創作は、「早すぎる後期」を生きる時間として理解することができる。それは、人生の終末に訪れるはずの存在条件を中年期から引き受け、その時間を生き続ける過程であった。そして創作史の分析が示したように、その持続は静止ではない。第十・第十一交響曲における質的転換を経て、第十三交響曲以降には新たな均衡へと至る、一つの長い変容の軌跡が認められる。

ここで重要なのは、この変容が主体の交代によって生じたのではないということである。変わったのは主体ではなく、主体が生き続けた時間そのものであった。このことは、「後期様式」という概念そのものにも再考を促している。

後期様式とは、晩年に到達する様式ではない。それは、主体が自らの有限性や喪失を引き受けながら生きる時間の形式である。そしてペッテションは、その時間を人生の早い段階から生き始め、さらにその後期そのものを成熟させていった。

この意味で、彼はマーラー以後の交響曲的主体に、もう一つの可能性を示した作曲家であったと言えるだろう。マーラーが「変容する主体」の交響曲を書いたとすれば、ペッテションは「持続する主体」の交響曲を書いたのである。

しかし、その持続は停滞ではない。同じ存在条件を生き続けることそのものが、主体をゆるやかに変え、その変容が交響曲という時間形式のなかに刻まれていく。そこに描かれているのは、苦難の物語ではない。損傷した主体が、それでもなお世界のなかで時間を生きるという、一つの存在のかたちである。だからこそ、ペッテションの交響曲は今日なお私たちに問いかけている。交響曲とは、世界を描く芸術なのではない。それは、一人の主体が世界を生きた時間そのものを刻む芸術なのである。

(2026.7.6 公開、7.13 編集ミスを修正)