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2026年6月14日日曜日

交響曲はどのように「考える」のか——音楽の構造を地図にする試み(2026.6.23 改訂)

 

はじめに——数字で音楽を読む、という発想

交響曲を聴くとき、私たちは作曲家の感情や物語を感じとろうとします。でも「この音楽はどこかブルックナーっぽい」「マーラーは他の誰とも違う」という直感的な印象は、いったい何に由来するのでしょうか。

そのような問いに、データ分析という方法で向き合った研究を行いました。ハイドンからペッテションまで6名の作曲家、41楽章の交響曲の主要楽章(単一楽章の作品の場合には全曲)を対象に、音の動きを数値化してマッピングし、「各作曲家の音楽がどんな空間を動き回っているか」を可視化しようという試みです。

ただしこの研究は、単に「どの作曲家の音楽が複雑か」を測りたいわけではありません。もっと大きな問いがあります——音楽の中に「主体」はどのように宿っているのか、という問いです。


「音楽的主体」とは何か

「主体」というと難しく聞こえますが、ここでの意味はシンプルです。ある音楽を聴いたとき、私たちはそこに「語りかけてくる何か」「進もうとする力」「葛藤したり安定したりする動き」を感じます。その「感じ」を生み出している音楽内部の仕組みのことを、この研究では「音楽的主体」と呼びます。

それは作曲家の気持ちではなく、音の組織そのものの中に埋め込まれた論理のことです。ブルックナーの音楽に宿るものとマーラーのそれとシベリウスのそれは、感覚的に明らかに違います。この研究は「その違いを言葉だけでなく、計量的に示せるか」に挑戦しています。


五度圏という地図——音の「重力」を測る

この研究の核心的な分析ツールが五度圏の重心分析です。少し説明しましょう。

音楽には、ある音が「安定している」「不安定で解決を求めている」という感覚があります。ハ長調ならドの音が「家」で、遠い音ほど「遠くに来た感じ」がします。この「近い・遠い」関係を整理したのが五度圏です。ドから完全五度ずつ積み上げていくと(ド→ソ→レ→ラ→…)、やがて一周して元に戻る——その円環が五度圏です。

この研究では、ある瞬間に鳴っている音たちが五度圏のどこに集まっているかを計算し、その「重心」(音の集まりの中心点)を求めます。

重心が五度圏の円の縁に近い——安定した調性の響き。 たとえばハ長調の主和音(ド・ミ・ソ)を考えてみましょう。この3音は五度圏上でほぼ同じ場所に集まっています。重心は円の縁の近く、「ハ長調の家」のあたりに位置します。聴き手はここに「落ち着いた」「家に帰った」感覚を覚えます。

重心が中心に近い——音が広く分散した、調性的に宙づりの響き。 一方、ド・ミ・ソ・シ・レ・ファ・ラという7音が同時に鳴っているとしましょう。これだけ多くの音が鳴ると、五度圏上の音は広い範囲に分散します。重心は円の中心に引き寄せられ、「どの調性にも属さない」浮遊した響きになります。後期ロマン派の交響曲に頻繁に現れる、方向感の定まらない緊張感はこうした状態に対応します。

重心がどう動いていくか——旅の経路。 音楽が時間の中で展開するにつれ、この重心は動き続けます。たとえばハ長調の主和音(ド・ミ・ソ)からト長調の主和音(ソ・シ・レ)へと転調する瞬間、五度圏上の重心はわずかに隣の「ソの方向」へ移動します。これは穏やかな一歩です。しかし遠い調性へ急激に転調したり、多くの音が一度に変化したりすると、重心は大きく飛躍します。この「重心がどれくらい激しく、どんな方向へ動いたか」の総体が、その音楽の「旅の経路」を描き出します。

この重心はどの時点の音を使って計算しているのか、補足しておきます。 MIDIデータから各小節の先頭の拍(拍頭)で実際に鳴っている音を取り出し、そのピッチクラス(オクターブの違いを無視した音名)の集合について重心を計算しています。つまり小節の中で経過音や倚音がどのように動こうと、それらは重心計算には反映されません。和声理論的に「これは和声音か非和声音か」を判定する処理も行っていません。鳴っている音はすべて等価に扱われます。

また、同じ和音であっても低音に何の音が来ているか(たとえば基本形か四六の和音か)という転回形の違いも、ピッチクラスという音名だけの情報では区別されません。ドミソという音の集合であれば、根音がドにあろうとソにあろうと、重心の位置は同じです。

この方法は、和声分析者が聴いて判断する「機能和声としての響き」とは別の、ある種の「機械的な近似」です。倚音が作り出す瞬間的な緊張や、転回形による響きの色合いの違いは、この重心軌道には現れません。その代わりに、小節という単位で音楽全体を均一に扫描し、長大な交響曲全曲を通じた変化のパターンを追跡できるという利点があります。

こうして各楽章を通じた重心の動きのパターンから、複数の指標(どれくらい激しく動くか、どれくらい広い範囲を旅するか、など)を算出します。


自由エネルギー原理(FEP)とは——生き物の「勘違いを減らす」戦略

ここで、この研究が参照する理論的な枠組みを紹介しなければなりません。**自由エネルギー原理(Free Energy Principle、FEP)**です。

FEPは神経科学者カール・フリストンが提唱した理論で、「生き物はなぜそのように行動するのか」を説明しようとするものです。ポイントはこうです。

私たちの脳は、世界をそのまま見ているわけではありません。脳は常に「こうなっているはずだ」という**予測(生成モデル)**を持ち、実際に感覚器から入ってくる情報と予測のズレ——予測誤差——を最小化しようとしています。

あなたが暗い部屋でドアが開く音を聞いたとき、「風かな?猫かな?」と一瞬で複数の仮説を立て、どれが一番そのズレを小さくできるかを評価する。これがFEP的な「知覚」です。行動もまた、予測誤差を減らすための一つの手段です(「確かめに行く」)。

FEPが描く主体は、明確な境界を持ち、内部モデルで世界をシミュレートし、行動によって誤差を解消しようとする存在です。これが「動物型主体」と呼ばれるものです。

では、動物とは違う存在——たとえば植物は?植物も環境に応答します。でも「確かめに行く」ことはしません。光に向かってゆっくり成長する、根が水源の方向に伸びる——これは「行動による誤差解消」ではなく、成長の形そのものが環境への応答になっています。これを「植物型主体」と呼びます。

この「動物型か植物型か」という対比が、音楽の分析に活かされます。


音楽と五度圏重心とFEPをつなぐもの

五度圏の重心分析とFEPは、どのように結びつくのでしょうか。

五度圏の重心が「縁に近い」状態は、音楽が特定の調性に集中し、予測可能な展開をしている状態です。FEP的に言えば、生成モデルが安定して機能しており、予測誤差が小さい。逆に重心が中心に向かって落ちていく動きは、調性的な「重力」が弱まり、予測が立てにくくなることに対応します。

また重心がどれくらい激しく動くか、どれくらい広い範囲を飛び回るか、どれくらい頻繁に大きく跳躍するかは、「音楽という主体がどのように誤差と向き合っているか」の指標になります。

  • 大きく力強く動き回るのは「誤差に積極的に向き合い、行動で解決しようとする動物型主体」

  • ゆっくりと、環境に溶け込むように動くのは「誤差を解消するのではなく、形の変化として吸収する植物型主体」

  • 重心が動かず凝集したままなのは「安定した生成モデルが効率よく機能している古典的主体」


「音楽の地図」はどのように作られるか——指標の抽出と次元圧縮

五度圏の重心分析によって、各楽章の各小節に「その瞬間の音の重心座標」が得られます。しかしそのままでは膨大な数値の羅列であり、作曲家同士を比較する「地図」にはなりません。そこで二つのステップを踏みます。

まず、重心の動きのパターンから9種類の指標を算出します。たとえば「重心が五度圏の縁にどれくらい近いか(平均)」は調性の安定度を、「重心がどれくらい激しく動くか」は転調の歩幅を、「重心がどれくらい広い範囲を動き回るか」は音高空間の利用域を、「三和音以上が鳴っている小節の割合」は和声の厚みを示します。こうして一つの楽章が、9次元の数値ベクトルとして表現されます。

次に、この9次元の数値群を**主成分分析(PCA)**という手法で二次元に圧縮します。PCAとは、多数の変数の中から「全体のばらつきを最もよく説明する方向」を順番に見つけていく手法です。身長・体重・骨格など多くの身体測定値を持つ集団があるとき、「全体として最も人を区別できる軸」を探すようなイメージです。今回であれば、41楽章の9指標のうち「作曲家間の違いを最もよく説明する方向」が第一主成分(PC1)として、それと直交する次に重要な方向がPC2として抽出されます。

こうして41楽章それぞれが、PC1とPC2という二つの数値で表せるようになり、それを平面上に点として打てば「音楽の地図」が完成します。この地図の縦横の軸が何を意味するかは、どの指標がPC1・PC2に強く寄与しているかを見ることでわかります——それが次のセクションで述べることです。

分析対象とした作品(楽章)は以下の通りです。

作曲家

対象作品(楽章)

ハイドン

交響曲第100番「軍隊」第1楽章、第101番「時計」第1楽章、第104番「ロンドン」第1楽章

ブルックナー

交響曲第0番・第2番・第3番・第4番・第5番・第7番・第8番・第9番、各第1楽章

マーラー

交響曲第1番〜第4番,第6番~第10番(未完の第10番を含む)各第1楽章、第5番第2楽章、第6番第4楽章、大地の歌第1楽章

シベリウス

交響曲第2番第1楽章、第6番第1楽章・第4楽章、第7番(単一楽章)、タピオラ(単一楽章)

ショスタコーヴィチ

交響曲第9番・第10番、各第1楽章

ペッテション

交響曲第6番〜第16番(第8番は2楽章構成だが全曲を単一の対象として分析、その他は単一楽章作品として全曲)

楽章を選ぶ際の原則は、複数楽章からなる作品については第1楽章を中心とし、分析上の理由がある場合(序奏が第1楽章として独立した場合やフィナーレが主要楽章に準ずると考えられる場合など)に限って他の楽章を加えるという方針です。単一楽章の作品(シベリウスの第7番・タピオラ、ペッテションの作品の多くなど)はその全曲を対象としています。なおペッテションの第8番は形式上2楽章から成りますが、MIDIデータが全体で1ファイルとして作成されており、また第1楽章のみを独立した分析単位とみなす音楽的な根拠も薄いことから、全曲を一つの対象として扱っています。


地図の「縦軸」と「横軸」が語るもの

こうして41楽章を二次元の地図(主成分分析によるPCA散布図)に配置すると、作曲家ごとに特徴的な「居住域」が現れてきます。(図1)

図1:PCA散布図——作曲家別作品分布(PC1 vs. PC2)。楕円は固有値分解による主軸方向+75パーセンタイルスケーリング。×は各作曲家の対象作品の平均。矢印は各作曲家の対象作品の時系列順で●が起点、▲が終点を示します。橙:ハイドン、赤:ブルックナー、緑:マーラー、紫:シベリウス、靑:ショスタコーヴィチ、靑緑:ペッテション

散布図を眺める前に、この地図の軸そのものが何を意味しているかを確認しておきましょう。

横軸(PC1)は「調性の重力」の強さを示します。 右に行くほど音は特定の調性中心に凝集し、左に行くほど調性的な「故郷」から遠ざかります。ハイドンが最右端に、ペッテションの後期作品が最左端に位置するこの軸は、FEP的に言えば「生成モデルがどれくらい安定して世界を予測できているか」の軸です。右にいるほど予測は精確で、誤差は構造化された形で処理される。左に行くほど予測の枠組み自体が揺らぎ、生成モデルの再構築を迫られる圧力が高まります。

縦軸(PC2)は一言では言い表しにくく、そこに面白さがあります。 正方向(上)は音高空間の広い利用と跳躍の激しさ、負方向(下)は調性焦点への収斂と音高集合の充実として現れますが、同じ「上」に位置していても、その内実は作曲家によって異なります。ブルックナーの「上」は音高空間が静かに広がっていく場の拡張であり、ショスタコーヴィチの「上」は激しい跳躍と内部充実度の希薄化が同時に起きる乖離の表れです。この軸は「主体が環境とどのような距離感で向き合っているか」——没入か、離反か、純化か——を、複数の異なる経路を通じて示す軸だと言えます。

この二軸を組み合わせると、音楽的主体の存在様式はおよそ次のように整理されます。「重力が強く、環境に収斂する」領域(右下)にはハイドンに代表される古典的な主体の規範形があります。「重力を保ちながら場が広がっていく」領域(右上)にはブルックナーの前主体的な力学系があります。「重力が落下しながら空間が激しく動く」軌跡(右から左への降下)にはマーラーの裂開する主体の時間的展開があります。「重力は変動しながらも収斂の方向に向かい、跳躍は最小化される」領域(左下への沈降)にはシベリウスの環境内在的な植物型主体があります。そして「重力が最も遠くまで失われた」領域(左端)にはペッテションの、崩壊しながら持続する主体があります。

地図の右から左への移動が「調性崩壊の歴史的進行」を意味するとするなら、上下の軸はその崩壊がどのような様式で起きたかを示しています。崩壊には一つの道しかないのではなく、場として広がる道、激しく格闘しながら落ちる道、環境に溶け込みながら純化する道、損傷のまま持続する道——それぞれが固有の存在様式として、地図の異なる場所に刻まれています。


地図に描かれた「主体の宇宙」

軸の意味を踏まえたうえで、各作曲家の「居住域」を見ていきましょう。

ハイドンは地図の一角に、他の誰からも離れた場所に位置します。PC1が全作曲家中最も高く、PC2は最も負——つまり「調性の重力が最も強く、音高空間が最も収斂している」極点です。予測誤差が最も効率的に処理される「古典的生成モデルの規範形」であり、音楽は整然と機能し、主体がそこに「いる」ことが当然のように成立しています。他のすべての作曲家の位置はここからの距離として測られます。

ブルックナーはPC1が正値域に安定して留まりながら、後期に向けてPC2が緩やかに上昇する軌跡を描きます。この上昇の内実は、音高の跳躍が激しくなるのではなく、音高空間が静かに広がっていくことによって駆動されています。「強固な自己が前へ進む」のではなく「音楽が場として広がり、鳴り続ける」——哲学者チャールズ・テイラーが「多孔質的な自己」と呼んだ、境界が外に開いた存在のあり方と対応します。FEPで言えば、主体とその外部の境界が薄く、環境が主体を「通り抜けて」いくような状態です。

マーラーの地図上の特徴は「最も広い」ことではなく、PC1の正から負への落差が最も劇的であることです。初期作品の高い調性凝集度から出発し、中期に急速に「拡散」し、後期には調性的重心が負方向へ深く落ちていく。そしてその過程は一直線ではなく、一部の作品では一時的に正方向へ回帰するなど複雑な折れ線を描きます。この時系列的な降下の「物語性」——積極的に誤差と格闘し、克服しようとしては失敗し、また格闘するFEP的動物型主体が「過剰化し、裂開していく」過程——こそがマーラーの計量的肖像の核心です。

シベリウスは地図全体でみるとPC1の幅ではマーラーに匹敵するかそれ以上の広がりを持ちますが、その動きの質がまったく異なります。作品全体を通じてPC2は負値域に揃っており——つまり音高空間の利用は比較的収斂的で、激しい跳躍よりも音高集合の内的充実を優先する傾向があります。一方でPC1は大きく変動し、ある作品はハイドンに近い調性凝集度を示し、別の作品は負方向の遠端へと沈んでいく。前者は音の跳躍が最も少なく、音高集合の充実度は高く、かつそれが一点に収斂するという逆説的な特徴を示します。これは古い対位法的な書法への遡行に対応しており、「弱い主体」でも「失敗した主体」でもなく、戦略的な行動原理とは根本的に異なる仕方で環境に内在する「植物型主体」の純化として理解されます。

ショスタコーヴィチは地図の別の角に、他の誰とも異なる孤立した位置を占めます。PC2が突出して高く、しかも2作品がほぼ同じ高さに並んでいる——つまりPC2方向への偏りは極端ですが、PC2内での散布は極めて小さい。音の跳躍は激しく広大ですが、実際に使われる音高の集合は狭い——表面の動作と内部の構造が乖離しています。これは「形式の外皮を空の器として借用し、その中身は外部条件によって規定される」様態として解釈され、形式の内部に主体が生成するのではなく、外部から強制された主体の痕跡として読まれます。

ペッテション(20世紀スウェーデンの作曲家、マーラーの精神的後継者とも言われる)は地図の最も遠い辺境に位置し、PC1の幅とPC2の幅の両方を合わせた「占有面積」では全作曲家中最大です。調性的重心が最も遠くまで落下し、生成モデルの「崩壊」が最も進んだ状態を示します。しかし崩壊で終わるわけではない。ある時期の作品で最深部に達したあと、後期の作品群は最深部には戻らず、一種の「慢性的損傷のうちに固定化された持続」という独自の位相に落ち着きます。マーラーのように克服と崩壊が弁証法的に展開するのではなく、崩壊後の状態がそのまま持続する——これがペッテションの音楽的主体の存在様式です。


この研究が示すこと

この研究の重要な主張の一つは、調性の「崩壊」は一方向の直線的進行ではないということです。マーラーのように裂開する道、ブルックナーのように場として拡張する道、シベリウスのように環境へと溶け込む道——それぞれが、音楽的主体の異なる存在様式として、地図の異なる領域に収まります。

また、ブルックナーとショスタコーヴィチはともに「音高空間の広い利用」という表面的特徴を共有しながら、その内部機制がまったく異なります。前者は空間的な場の緩やかな拡張、後者は跳躍の激しさと内部充実度の希薄化という、正反対の理由で似た数値を示す——この発見は、数値の「見た目」が同じでも、音楽が実際にやっていることはまったく違いうることを示しています。

理論と計量のこうした往復を通じて、「なぜブルックナーはブルックナーなのか」「なぜシベリウスはあのような音楽しか書けなかったのか」という問いに、感覚的な印象論でもなく、純粋な数字の羅列でもない仕方で向き合おうという試みが、この研究の核心にあります。

(2026.6.14 公開, 6.23加筆)

2026年5月20日水曜日

古典派作品群を拡張した調性力学PCA分析― ハイドン/モーツァルトとブルックナー・マーラー・シベリウスの相対的位置づけ ―(2026.5.20 更新)

1. 分析の目的

これまでの分析では、古典派作品は主として参照点として扱われ、対象はJoseph Haydnの交響曲第104番第1楽章とWolfgang Amadeus Mozartの交響曲第41番第1楽章の2作品に限定されていた。しかしこの構成では、古典派内部の多様性、ハイドンとモーツァルトの差異、古典派内部に存在する潜在的方向性を十分に評価できない可能性があった。

そこで今回、古典派作品群を12作品へ拡張し、Anton Bruckner・Gustav Mahler・Jean Sibeliusの作品群を含むPCA分析(全37作品)を再実施した。


2. 分析対象

2.1 古典派(今回新規追加)

ハイドン:第83・88・96・99・100・101・103・104番(各第1楽章)

モーツァルト:第38・39・40・41番(各第1楽章)

ハイドンはパリ交響曲集(第83番)、トスト交響曲集(第88番)、ザロモン・セット第1期(第96番)、ザロモン・セット第2期(第99・100・101・103・104番)から選択した。

2.2 既存作品群(継続)

ブルックナー:交響曲第0・2・3・4・5・7・8・9番(各第1楽章)

マーラー:交響曲第1〜10番の主要楽章(Hauptsatz)として、第1・2・3・4・6・7・9・10番第1楽章、第5番第2楽章、第6番第4楽章、第8番第1部

シベリウス:交響曲第2・3番第1楽章、第5番第3楽章、第6番第1・4楽章、第7番全曲、交響詩「タピオラ」全曲


3. PCA空間の安定性

最も重要な結果は、古典派作品数を2作品から12作品へ大幅に増加させても、PCA空間そのものの構造、PC1 / PC2の意味、ブルックナー・マーラー・シベリウスの相対的位置関係が大きく崩れなかった点である。(図1)

これは、今回用いた調性力学指標群が個別作品の偶然的特徴ではなく、長期的な様式構造・主体構造を捉えている可能性を強く示唆する。


図1:PCA散布図——作曲家別作品分布(PC1 vs. PC2)。楕円は固有値分解による主軸方向+75パーセンタイルスケーリング。×は重心。矢印は時系列順。黄:ハイドン、青:モーツァルト、赤:ブルックナー、緑:マーラー、紫:シベリウス

4. 主成分の意味

4.1 PC1:調和的凝集 vs. 高密度運動性

PC1の正方向にはAvg_Step・Step_Rate_100・PC_Density・Texture_Volatility・SD_rが寄与し、負方向にはAvg_r・Tonal_Focusが寄与する。この軸は「調性的求心性」と「局所運動が自己増殖する高密度調性空間」の対立として理解できる。特にマーラー後期やタピオラのように高PC1に位置する作品では、単に音楽的動きが多いのではなく、調性的中心そのものが局所化・流動化しており、中心統御から解放された局所運動の増殖がこの軸の本質を構成している。

古典派12作品のPC1平均はハイドン −2.23、モーツァルト −2.06であり、後期ロマン派群(ブルックナー +0.76、マーラー +1.41、シベリウス +0.84)と2.5〜3.5ポイントの明確な隔たりがある。この隔たりは、PC1が様式史的な質的断絶を捉えていることを示す。

4.2 PC2:空間的局所性 vs. 広域分散

PC2の主要荷重変数はSpatial_Dispersionである。この軸は調性重心の音高空間的拡散の度合いを示す。古典派はPC2平均がほぼゼロ近傍(ハイドン −0.43、モーツァルト −0.36)であり、ブルックナー(+1.48)とシベリウス(−1.23)が正負の対極を形成する中で、古典派は「中立点」として機能する。


5. グループ重心と分離構造


グループ

n

PC1 平均

PC2 平均

ハイドン

8

−2.23

−0.43

モーツァルト

4

−2.06

−0.36

ブルックナー

8

+0.76

+1.48

マーラー

11

+1.41

+0.17

シベリウス

7

+0.84

−1.23


古典派12作品の追加後も各グループの分離は維持された。特に、古典派群は比較的コンパクトなまとまりを示し、ブルックナーは高PC2方向、マーラーは高PC1方向、シベリウスは低PC2方向という構図が保持された。


6. 古典派内部の分化

古典派は単一領域ではなく、内部に複数の方向性を持つことが今回の分析で可視化された。以下では特徴的な位置にある4作品を取り上げる。

6.1 ハイドン第100番――古典的秩序の極

ハイドン第100番第1楽章はPC1 = −4.785と全38作品中の最低値を記録した。個別指標を見るとAvg_Stepが20.541(全最低)、Step_Rate_100が2047(全最低)、Tonal_Focusが0.307(全最高水準)、Harmonic_Coverage 0.790(古典派中最高水準)、Texture_Volatility 0.807(全最低)である。

これらは跳躍を極力排した順次進行の支配、強い調性的求心力、均質なテクスチャーという特徴を示す。なお本作品の通称「軍隊」はトルコ軍楽的要素に基づくが、それは第2楽章と第4楽章に限定される。第1楽章はむしろ流麗な順次進行と生き生きとした旋律が際立っており、指標が示す「閉じた均衡系」はこの楽章固有の歌謡的語法の帰結として理解すべきである。

6.2 モーツァルト第41番・第38番、ハイドン第104番――古典派的統御の完成形

第41番(PC1 = −3.451)・第38番(PC1 = −3.004)はともに安定した古典派領域に位置し、特に第41番はTonal_Focus 0.277、Harmonic_Coverage 0.724と高い統御性を示す。これらは「古典派的統御の完成形」として位置づけられる。ハイドンでは第104番(PC1=−3.086)が該当する。

6.3 ハイドン第83番――ブルックナー群重心への近接と跳躍語法の突出

ハイドン第83番(ト短調)はPC1 = +0.961、PC2 = +1.537に位置する。ブルックナー群の重心はPC1 = +0.758、PC2 = +1.479であり、ブルックナー8作品のどれよりもブルックナー群の重心に近く、第83番はこのPCA空間においてブルックナー群の中心近くに位置づけられる。個別指標ではAvg_Stepが58.88と全38作品中第2位(ブルックナー第5番の61.67に次ぐ)、Step_Rate_100も5864とブルックナー・マーラー後期群と同水準である。

ただしこの重心近接は「ブルックナーそのもの」を意味しない。Spatial_Dispersionは0.233にとどまり、ブルックナー平均には達していない。PCA空間上の重心一致はAvg_Step・Step_Rate_100という「動き」の指標によって牽引されており、「音高空間の拡張」という側面では古典派域に留まっている。ここで重要なのは、ブルックナーにおいてはこの高い運動性が巨大な調性的建築空間へと組織化されるのに対し、第83番では高いStep系指標が示すエネルギーはなお「空間生成」ではなく「運動そのものの劇的突出」として現れている点である。運動は局所的・劇場的次元に留まり、ブルックナー的な空間統合には至らない。第83番はブルックナー的交響曲空間の成立に先行する"運動エネルギーの突出"として位置づけられ、"部分的連続"と"質的断絶"が同時に成立する固有の位置を占めている。

6.4 モーツァルト第39番――音高空間収束型の内的緊張

モーツァルト第39番(変ホ長調)はPC1 = −0.291、PC2 = −1.750とモーツァルト群から乖離し、PC2負方向へ突出する。しかしこれはシベリウスへの近接ではない。

シベリウスのPC2負値はSpatial_Dispersion高・Avg_Step高に由来するのに対し、第39番のSpatial_Dispersionは0.111と全作品中最低値であり、逆方向の極を示す。Avg_rも0.496と低く、SD_r 0.211・Texture_Volatility 1.150はいずれもモーツァルト最大値である。すなわち第39番の逸脱は「音高空間が狭い範囲に収束しながら内的変動が大きい」という、シベリウス的拡散とは対照的な緊張構造から生じている。シベリウスが調性空間そのものを開くのに対し、第39番では空間は閉じたまま内部が揺らぐ。これは「局所的に強く収束した音高空間の内部で、調性的状態が絶えず揺れ動く構造」として独自に記述すべき位置である。


7. 理論的含意

今回の分析は次の二点を示した。第一に、古典派内部には既に複数の潜在的方向性が存在する。第83番の跳躍語法、第39番の空間収束的緊張は、それぞれ後代の様式的展開と指標レベルで部分的に連続している。

第二に、しかしその多様性を単純に拡大しただけでは、ブルックナー・マーラー・シベリウスにはならない。後者では空間スケール・時間構造・調性重心運動・密度変化のレベルで質的転換が起きている。第83番のSpatial_Dispersionが依然として古典派域に留まる事実は、この質的断絶を端的に示す。

これらの差異は、単なる様式的複雑化ではなく、音楽における時間・空間・運動の組織化原理の差異として理解できる可能性がある。古典派の「閉じた均衡系」、ブルックナーの「空間的建築への運動統合」、マーラーの「局所運動の自己増殖」、シベリウスの「環境としての調性空間生成」は、それぞれ異なる組織化原理の帰結として位置づけられる。

この観点は、別稿で論じた「交響曲的主体」論――ブルックナー:多孔的・前主体的力場、マーラー:FEP的動物型主体、シベリウス:環境生成的植物型主体――とも接続可能である。調性力学分析は単なる様式分類ではなく、音楽的主体構造の歴史的変容を記述しうる可能性をこの結果は改めて示している。


付録A:使用指標の定義

  • Avg_r(平均重心半径):重心半径 r = √(x²+y²) の楽章内平均値。調性的安定度(重力)。鳴っているピッチクラスが五度圏上で特定の領域に集中しているほど(例:長三和音)大きく、分散しているほど(例:増三和音・減七和音)小さくなる。 
  • Avg_Step(平均ステップ幅):隣接データ点間の位相角の変化量(角速度 ω)の平均。転調の歩幅。
  • SD_r(重心半径の標準偏差):r の標準偏差。重力の揺らぎ。
  • Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量。
  • PC_Density(ピッチクラス密度):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の平均(三和音以上)。和声の複雑さ。
  • Tonal_Focus(調的集中度):全軌跡の平均座標の原点からの距離。調性的焦点。
  • Spatial_Dispersion(空間分散度):重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。
  • Harmonic_Coverage(和音被覆率):(三和音以上の有効小節数) / (楽譜上の全小節数)。テクスチュアの厚み。和音の多様性は考慮しない。
  • Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):各小節で使用されるPitch Class(PC)数の標準偏差。テクスチャの流動性。
補助指標(PCA非採用)Winding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)は算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。


付録B:PCA荷重(全9変数)


変数

PC1 荷重

PC2 荷重

Avg_r

−0.777

+0.572

Avg_Step

+0.883

+0.324

SD_r

+0.803

−0.085

Step_Rate_100

+0.884

+0.324

PC_Density

+0.779

−0.502

Tonal_Focus

−0.799

−0.328

Spatial_Dispersion

+0.467

+0.741

Harmonic_Coverage

+0.129

−0.288

Texture_Volatility

+0.734

−0.327


付録C:各作品PC1 / PC2スコア


作品

PC1

PC2

Haydn Sym83-1

+0.961

+1.537

Haydn Sym88-1

−1.434

−0.112

Haydn Sym96-1

−3.345

−0.155

Haydn Sym99-1

−2.179

−0.803

Haydn Sym100-1

−4.785

−1.377

Haydn Sym101-1

−2.209

−1.085

Haydn Sym103-1

−1.795

−1.040

Haydn Sym104-1

−3.086

−0.642

Mozart Sym38-1

−3.004

−0.238

Mozart Sym39-1

−0.291

−1.750

Mozart Sym40-1

−1.479

+0.527

Mozart Sym41-1

−3.451

+0.026

Bruckner Sym0-1

−0.443

+2.081

Bruckner Sym2-1

+0.660

+0.931

Bruckner Sym3-1

−0.010

+0.875

Bruckner Sym4-1

+0.317

+0.681

Bruckner Sym5-1

+1.828

+2.458

Bruckner Sym7-1

+0.298

+1.786

Bruckner Sym8-1

+1.857

+1.182

Bruckner Sym9-1

+1.546

+1.844

Mahler Sym1-1

−2.191

+0.659

Mahler Sym2-1

+0.933

+0.740

Mahler Sym3-1

−0.189

+0.385

Mahler Sym4-1

−0.057

+0.180

Mahler Sym5-2

+2.128

+0.298

Mahler Sym6-1

+1.993

+0.094

Mahler Sym7-1

+2.765

+0.142

Mahler Sym8-1

+1.220

−0.329

Mahler Sym9-1

+3.079

+0.231

Mahler Sym10-1

+4.012

−0.696

Sibelius Sym2-1

+1.965

−1.950

Sibelius Sym3-1

−1.421

+1.272

Sibelius Sym5-3

+0.024

−0.456

Sibelius Sym6-1

−2.243

−0.494

Sibelius Sym6-4

+1.704

−1.662

Sibelius Sym7

+2.175

−1.432

Sibelius Tapiola

+3.694

−3.881

付録D:全指標値一覧


(2026.5.10 公開, 5.20 再計算結果で差し替え)