2026年6月14日日曜日

交響曲はどのように「考える」のか——音楽の構造を地図にする試み

 

はじめに——数字で音楽を読む、という発想

交響曲を聴くとき、私たちは作曲家の感情や物語を感じとろうとします。でも「この音楽はどこかブルックナーっぽい」「マーラーは他の誰とも違う」という直感的な印象は、いったい何に由来するのでしょうか。

そのような問いに、データ分析という方法で向き合った研究を行いました。ハイドンからペッテションまで6名の作曲家、41楽章の交響曲の主要楽章(単一楽章の作品の場合には全曲)を対象に、音の動きを数値化してマッピングし、「各作曲家の音楽がどんな空間を動き回っているか」を可視化しようという試みです。

ただしこの研究は、単に「どの作曲家の音楽が複雑か」を測りたいわけではありません。もっと大きな問いがあります——音楽の中に「主体」はどのように宿っているのか、という問いです。


「音楽的主体」とは何か

「主体」というと難しく聞こえますが、ここでの意味はシンプルです。ある音楽を聴いたとき、私たちはそこに「語りかけてくる何か」「進もうとする力」「葛藤したり安定したりする動き」を感じます。その「感じ」を生み出している音楽内部の仕組みのことを、この研究では「音楽的主体」と呼びます。

それは作曲家の気持ちではなく、音の組織そのものの中に埋め込まれた論理のことです。ブルックナーの音楽に宿るものとマーラーのそれとシベリウスのそれは、感覚的に明らかに違います。この研究は「その違いを言葉だけでなく、計量的に示せるか」に挑戦しています。


五度圏という地図——音の「重力」を測る

この研究の核心的な分析ツールが五度圏の重心分析です。少し説明しましょう。

音楽には、ある音が「安定している」「不安定で解決を求めている」という感覚があります。ハ長調ならドの音が「家」で、遠い音ほど「遠くに来た感じ」がします。この「近い・遠い」関係を整理したのが五度圏です。ドから完全五度ずつ積み上げていくと(ド→ソ→レ→ラ→…)、やがて一周して元に戻る——その円環が五度圏です。

この研究では、ある瞬間に鳴っている音たちが五度圏のどこに集まっているかを計算し、その「重心」(音の集まりの中心点)を求めます。

重心が五度圏の円の縁に近い——安定した調性の響き。 たとえばハ長調の主和音(ド・ミ・ソ)を考えてみましょう。この3音は五度圏上でほぼ同じ場所に集まっています。重心は円の縁の近く、「ハ長調の家」のあたりに位置します。聴き手はここに「落ち着いた」「家に帰った」感覚を覚えます。

重心が中心に近い——音が広く分散した、調性的に宙づりの響き。 一方、ド・ミ・ソ・シ・レ・ファ・ラという7音が同時に鳴っているとしましょう。これだけ多くの音が鳴ると、五度圏上の音は広い範囲に分散します。重心は円の中心に引き寄せられ、「どの調性にも属さない」浮遊した響きになります。後期ロマン派の交響曲に頻繁に現れる、方向感の定まらない緊張感はこうした状態に対応します。

重心がどう動いていくか——旅の経路。 音楽が時間の中で展開するにつれ、この重心は動き続けます。たとえばハ長調の主和音(ド・ミ・ソ)からト長調の主和音(ソ・シ・レ)へと転調する瞬間、五度圏上の重心はわずかに隣の「ソの方向」へ移動します。これは穏やかな一歩です。しかし遠い調性へ急激に転調したり、多くの音が一度に変化したりすると、重心は大きく飛躍します。この「重心がどれくらい激しく、どんな方向へ動いたか」の総体が、その音楽の「旅の経路」を描き出します。

こうして各楽章を通じた重心の動きのパターンから、複数の指標(どれくらい激しく動くか、どれくらい広い範囲を旅するか、など)を算出します。


自由エネルギー原理(FEP)とは——生き物の「勘違いを減らす」戦略

ここで、この研究が参照する理論的な枠組みを紹介しなければなりません。**自由エネルギー原理(Free Energy Principle、FEP)**です。

FEPは神経科学者カール・フリストンが提唱した理論で、「生き物はなぜそのように行動するのか」を説明しようとするものです。ポイントはこうです。

私たちの脳は、世界をそのまま見ているわけではありません。脳は常に「こうなっているはずだ」という**予測(生成モデル)**を持ち、実際に感覚器から入ってくる情報と予測のズレ——予測誤差——を最小化しようとしています。

あなたが暗い部屋でドアが開く音を聞いたとき、「風かな?猫かな?」と一瞬で複数の仮説を立て、どれが一番そのズレを小さくできるかを評価する。これがFEP的な「知覚」です。行動もまた、予測誤差を減らすための一つの手段です(「確かめに行く」)。

FEPが描く主体は、明確な境界を持ち、内部モデルで世界をシミュレートし行動によって誤差を解消しようとする存在です。これが「動物型主体」と呼ばれるものです。

では、動物とは違う存在——たとえば植物は?植物も環境に応答します。でも「確かめに行く」ことはしません。光に向かってゆっくり成長する、根が水源の方向に伸びる——これは「行動による誤差解消」ではなく、成長の形そのものが環境への応答になっています。これを「植物型主体」と呼びます。

この「動物型か植物型か」という対比が、音楽の分析に活かされます。


音楽と五度圏重心とFEPをつなぐもの

五度圏の重心分析とFEPは、どのように結びつくのでしょうか。

五度圏の重心が「縁に近い」状態は、音楽が特定の調性に集中し、予測可能な展開をしている状態です。FEP的に言えば、生成モデルが安定して機能しており、予測誤差が小さい。逆に重心が中心に向かって落ちていく動きは、調性的な「重力」が弱まり、予測が立てにくくなることに対応します。

また重心がどれくらい激しく動くか、どれくらい広い範囲を飛び回るか、どれくらい頻繁に大きく跳躍するかは、「音楽という主体がどのように誤差と向き合っているか」の指標になります。

  • 大きく力強く動き回るのは「誤差に積極的に向き合い、行動で解決しようとする動物型主体」

  • ゆっくりと、環境に溶け込むように動くのは「誤差を解消するのではなく、形の変化として吸収する植物型主体」

  • 重心が動かず凝集したままなのは「安定した生成モデルが効率よく機能している古典的主体」


「音楽の地図」はどのように作られるか——指標の抽出と次元圧縮

五度圏の重心分析によって、各楽章の各小節に「その瞬間の音の重心座標」が得られます。しかしそのままでは膨大な数値の羅列であり、作曲家同士を比較する「地図」にはなりません。そこで二つのステップを踏みます。

まず、重心の動きのパターンから9種類の指標を算出します。たとえば「重心が五度圏の縁にどれくらい近いか(平均)」は調性の安定度を、「重心がどれくらい激しく動くか」は転調の歩幅を、「重心がどれくらい広い範囲を動き回るか」は音高空間の利用域を、「三和音以上が鳴っている小節の割合」は和声の厚みを示します。こうして一つの楽章が、9次元の数値ベクトルとして表現されます。

次に、この9次元の数値群を**主成分分析(PCA)**という手法で二次元に圧縮します。PCAとは、多数の変数の中から「全体のばらつきを最もよく説明する方向」を順番に見つけていく手法です。身長・体重・骨格など多くの身体測定値を持つ集団があるとき、「全体として最も人を区別できる軸」を探すようなイメージです。今回であれば、45楽章の9指標のうち「作曲家間の違いを最もよく説明する方向」が第一主成分(PC1)として、それと直交する次に重要な方向がPC2として抽出されます。

こうして45楽章それぞれが、PC1とPC2という二つの数値で表せるようになり、それを平面上に点として打てば「音楽の地図」が完成します。この地図の縦横の軸が何を意味するかは、どの指標がPC1・PC2に強く寄与しているかを見ることでわかります——それが次のセクションで述べることです。


地図の「縦軸」と「横軸」が語るもの

こうして41楽章を二次元の地図(主成分分析によるPCA散布図)に配置すると、作曲家ごとに特徴的な「居住域」が現れてきます。(図1)

図1:PCA散布図——作曲家別作品分布(PC1 vs. PC2)。楕円は固有値分解による主軸方向+75パーセンタイルスケーリング。×は各作曲家の重心。矢印は各作曲家の作品の時系列順で●が起点、▲が終点を示します。橙:ハイドン、赤:ブルックナー、緑:マーラー、紫:シベリウス、靑:ショスタコーヴィチ、靑緑:ペッテション

散布図を眺める前に、この地図の軸そのものが何を意味しているかを確認しておきましょう。

横軸(PC1)は「調性の重力」の強さを示します。 右に行くほど音は特定の調性中心に凝集し、左に行くほど調性的な「故郷」から遠ざかります。ハイドンが最右端に、ペッテションの後期作品が最左端に位置するこの軸は、FEP的に言えば「生成モデルがどれくらい安定して世界を予測できているか」の軸です。右にいるほど予測は精確で、誤差は構造化された形で処理される。左に行くほど予測の枠組み自体が揺らぎ、生成モデルの再構築を迫られる圧力が高まります。

縦軸(PC2)は一言では言い表しにくく、そこに面白さがあります。 正方向(上)は音高空間の広い利用と跳躍の激しさ、負方向(下)は調性焦点への収斂と音高集合の充実として現れますが、同じ「上」に位置していても、その内実は作曲家によって異なります。ブルックナーの「上」は音高空間が静かに広がっていく場の拡張であり、ショスタコーヴィチの「上」は激しい跳躍と内部充実度の希薄化が同時に起きる乖離の表れです。この軸は「主体が環境とどのような距離感で向き合っているか」——没入か、離反か、純化か——を、複数の異なる経路を通じて示す軸だと言えます。

この二軸を組み合わせると、音楽的主体の存在様式はおよそ次のように整理されます。「重力が強く、環境に収斂する」領域(右下)にはハイドンに代表される古典的な主体の規範形があります。「重力を保ちながら場が広がっていく」領域(右上)にはブルックナーの前主体的な力学系があります。「重力が落下しながら空間が激しく動く」軌跡(右から左への降下)にはマーラーの裂開する主体の時間的展開があります。「重力は変動しながらも収斂の方向に向かい、跳躍は最小化される」領域(左下への沈降)にはシベリウスの環境内在的な植物型主体があります。そして「重力が最も遠くまで失われた」領域(左端)にはペッテションの、崩壊しながら持続する主体があります。

地図の右から左への移動が「調性崩壊の歴史的進行」を意味するとするなら、上下の軸はその崩壊がどのような様式で起きたかを示しています。崩壊には一つの道しかないのではなく、場として広がる道、激しく格闘しながら落ちる道、環境に溶け込みながら純化する道、損傷のまま持続する道——それぞれが固有の存在様式として、地図の異なる場所に刻まれています。


地図に描かれた「主体の宇宙」

軸の意味を踏まえたうえで、各作曲家の「居住域」を見ていきましょう。

ハイドンは地図の一角に、他の誰からも離れた場所に位置します。PC1が全作曲家中最も高く、PC2は最も負——つまり「調性の重力が最も強く、音高空間が最も収斂している」極点です。予測誤差が最も効率的に処理される「古典的生成モデルの規範形」であり、音楽は整然と機能し、主体がそこに「いる」ことが当然のように成立しています。他のすべての作曲家の位置はここからの距離として測られます。

ブルックナーはPC1が正値域に安定して留まりながら、後期に向けてPC2が緩やかに上昇する軌跡を描きます。この上昇の内実は、音高の跳躍が激しくなるのではなく、音高空間が静かに広がっていくことによって駆動されています。「強固な自己が前へ進む」のではなく「音楽が場として広がり、鳴り続ける」——哲学者チャールズ・テイラーが「多孔質的な自己」と呼んだ、境界が外に開いた存在のあり方と対応します。FEPで言えば、主体とその外部の境界が薄く、環境が主体を「通り抜けて」いくような状態です。

マーラーの地図上の特徴は「最も広い」ことではなく、PC1の正から負への落差が最も劇的であることです。初期作品の高い調性凝集度から出発し、中期に急速に「拡散」し、後期には調性的重心が負方向へ深く落ちていく。そしてその過程は一直線ではなく、一部の作品では一時的に正方向へ回帰するなど複雑な折れ線を描きます。この時系列的な降下の「物語性」——積極的に誤差と格闘し、克服しようとしては失敗し、また格闘するFEP的動物型主体が「過剰化し、裂開していく」過程——こそがマーラーの計量的肖像の核心です。

シベリウスは地図全体でみるとPC1の幅ではマーラーに匹敵するかそれ以上の広がりを持ちますが、その動きの質がまったく異なります。作品全体を通じてPC2は負値域に揃っており——つまり音高空間の利用は比較的収斂的で、激しい跳躍よりも音高集合の内的充実を優先する傾向があります。一方でPC1は大きく変動し、ある作品はハイドンに近い調性凝集度を示し、別の作品は負方向の遠端へと沈んでいく。前者は音の跳躍が最も少なく、音高集合の充実度は高く、かつそれが一点に収斂するという逆説的な特徴を示します。これは古い対位法的な書法への遡行に対応しており、「弱い主体」でも「失敗した主体」でもなく、戦略的な行動原理とは根本的に異なる仕方で環境に内在する「植物型主体」の純化として理解されます。

ショスタコーヴィチは地図の別の角に、他の誰とも異なる孤立した位置を占めます。PC2が突出して高く、しかも2作品がほぼ同じ高さに並んでいる——つまりPC2方向への偏りは極端ですが、PC2内での散布は極めて小さい。音の跳躍は激しく広大ですが、実際に使われる音高の集合は狭い——表面の動作と内部の構造が乖離しています。これは「形式の外皮を空の器として借用し、その中身は外部条件によって規定される」様態として解釈され、形式の内部に主体が生成するのではなく、外部から強制された主体の痕跡として読まれます。

ペッテション(20世紀スウェーデンの作曲家、マーラーの精神的後継者とも言われる)は地図の最も遠い辺境に位置し、PC1の幅とPC2の幅の両方を合わせた「占有面積」では全作曲家中最大です。調性的重心が最も遠くまで落下し、生成モデルの「崩壊」が最も進んだ状態を示します。しかし崩壊で終わるわけではない。ある時期の作品で最深部に達したあと、後期の作品群は最深部には戻らず、一種の「慢性的損傷のうちに固定化された持続」という独自の位相に落ち着きます。マーラーのように克服と崩壊が弁証法的に展開するのではなく、崩壊後の状態がそのまま持続する——これがペッテションの音楽的主体の存在様式です。


この研究が示すこと

この研究の重要な主張の一つは、調性の「崩壊」は一方向の直線的進行ではないということです。マーラーのように裂開する道、ブルックナーのように場として拡張する道、シベリウスのように環境へと溶け込む道——それぞれが、音楽的主体の異なる存在様式として、地図の異なる領域に収まります。

また、ブルックナーとショスタコーヴィチはともに「音高空間の広い利用」という表面的特徴を共有しながら、その内部機制がまったく異なります。前者は空間的な場の緩やかな拡張、後者は跳躍の激しさと内部充実度の希薄化という、正反対の理由で似た数値を示す——この発見は、数値の「見た目」が同じでも、音楽が実際にやっていることはまったく違いうることを示しています。

理論と計量のこうした往復を通じて、「なぜブルックナーはブルックナーなのか」「なぜシベリウスはあのような音楽しか書けなかったのか」という問いに、感覚的な印象論でもなく、純粋な数字の羅列でもない仕方で向き合おうという試みが、この研究の核心にあります。

(2026.6.14 公開)

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