2026年6月8日月曜日

ペッテション交響曲における調性力学の時系列変化と自由エネルギー原理―交響曲的主体はいかにして「生存可能な音響環境」を構築するか―(2026.7.5 更新)

 アラン・ペッテションの交響曲は、しばしば一様に「重く」「緊張に満ちた」音楽として語られる。しかし、創作年代順に作品群を精査すると、その内部には明確な構造的転換と段階的変化が存在している。本稿では、五度圏重心軌道に基づく調性力学指標の主成分分析(PCA)を用いて、この時系列的変化を可視化し、その結果を自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)の枠組みから再解釈する。

本分析の目的は二重である。第一に、ペッテションの交響曲において、データ分析が可能な中期以降の様式変化を、単なる印象や記述ではなく、定量的な指標に基づいて把握すること。第二に、その変化を「交響曲的主体」のあり方の変容として読み替えることである。

対象とした作品は、利用できるMIDIデータが存在する交響曲第6番~第16番である。残念ながら初期も含めた全創作史を俯瞰する分析は叶わないが、ペッテションの創作史において概ねその個人的様式が確立すると言われる中期から後期にかけてを概ね網羅しており、その時系列変化の主要な部分についてデータ分析を通して明らかにできたことがあると考える。

なお本稿の理論的枠組みと問題設定は、別稿「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」において詳細に展開されており、本稿はその計量的照合・検証・拡張の一環として位置づけられる。理論的背景の詳細については覚書を参照されたい。また、上記覚書の内容全般の検証は、別稿「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式——調性構造のPCA分析によるFEP的解釈」にて行っているので、併せて参照されたい。


1. 分析枠組みと主成分の解釈

1.1 使用指標

分析には以下の9指標を用いた。各指標は小節頭の和音をサンプリングし、鳴っているピッチクラス数3以上の和音について、12のピッチクラスを単位円上に等間隔(五度圏順に30度ずつ)に配置した五度圏へのピッチクラスセット重心として算出している。

指標

定義

Avg_r(平均重心半径)

重心半径 r = √(x²+y²) の楽章内平均値。調性的安定度(重力)。鳴っているピッチクラスが五度圏上で特定の領域に集中しているほど(例:長三和音)大きく、分散しているほど(例:増三和音・減七和音)小さくなる。

Avg_Step(平均ステップ幅)

隣接データ点間の位相角の変化量(角速度 ω)の平均。転調の歩幅。

SD_r(重心半径の標準偏差)

r の標準偏差。重力の揺らぎ。

Step_Rate_100(100小節あたりステップ量)

100小節あたりの累積移動距離(弧長)。和声的活動量。

PC_Density(ピッチクラス密度)

各小節で使用されるPitch Class(PC)数の平均(三和音以上)。和声の複雑さ。

Tonal_Focus(調的集中度)

全軌跡の平均座標の原点からの距離。調性的焦点。

Spatial_Dispersion(空間分散度)

重心位置の時系列的な分散。五度圏上での活動領域の広さ。

Harmonic_Coverage(和音被覆率)

(三和音以上の有効小節数) / (楽譜上の全小節数)。テクスチュアの厚み。和音の多様性は考慮しない。

Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ)

各小節で使用されるPitch Class(PC)数の標準偏差。テクスチャの流動性。

補助指標(PCA非採用)

Winding_Rate_100(五度圏上の正味回転速度)およびTerz_Ratio(三度進行比率)は算出したが、PCA入力には含めず補助的指標として扱う。

1.2 指標計算結果




1.3 主成分分析結果


図1:ペッテション交響曲第6〜16番 PCA散布図(PC1×PC2)

図2:ペッテション交響曲第6〜16番 主成分負荷・得点

表1 主成分負荷


指標

PC1荷重

PC2荷重

Avg_r(平均重心半径)

1.024 

-0.111 

Avg_Step(平均ステップ幅)

-0.925 

-0.446 

SD_r(重心半径の標準偏差)

1.003 

0.035 

Step_Rate_100(100小節あたりステップ量)

-0.926 

-0.447 

PC_Density(ピッチクラス密度)

-1.011 

0.258 

Tonal_Focus(調的集中度)

-0.038 

1.009 

Spatial_Dispersion(空間分散度)

0.946 

-0.251

Harmonic_Coverage(和音被覆率)

-0.901 

-0.313 

Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ)

-0.722

0.683 



表2 ペッテション交響曲における主成分得点



作品

PC1

PC2

Sym6

2.494 

1.240 

Sym7

3.529 

1.264 

Sym8

3.966 

0.624 

Sym9

1.936 

-0.888 

Sym10

-3.065 

2.254 

Sym11

-3.452 

1.632 

Sym12

-2.512 

-0.135 

Sym13

-0.969 

-1.211 

Sym14

0.412 

-1.844 

Sym15

-1.697 

-1.506 

Sym16

-0.642 

-1.430 


今回のPCAにおいて、第1主成分(PC1)は主として以下の指標と強く相関する。

  • 空間分散・平均半径(正方向)

  • ステップ運動量・ピッチクラス密度・テクスチャ変動・和声被覆(負方向)

したがって PC1 は、

広い音高空間における拡散的運動

圧縮された空間における高密度・高運動・高被覆の持続

を表す軸として解釈できる。

一方、第2主成分(PC2)は、

  • 調的焦点(Tonal Focus)

  • テクスチュア揺らぎ

に正の寄与を持ち、ステップ幅、ステップ量に負の寄与を持つ。したがって PC2 は、

高密度に焦点化されているが散乱的な状態

密度が下がり、揺らぎも減って焦点が弱い状態

を表す。

この二軸を組み合わせることで、本分析は単なる「複雑さ」の増減ではなく、

  • 音響空間の拘束度(PC1)

  • その内部における統御性・焦点性(PC2)

という二次元の構造として、ペッテションの様式変化を捉える。


2. 時系列的推移の概観

図3:交響曲第6〜16番の創作年代順軌跡(矢印付き)

創作年代順にプロットすると、今回分析対象としたペッテションの中期以降の交響曲(第6番~第16番)は明確に五つの段階に分かれる。


第I段階(第6〜8番):可塑的な空間と拡散的運動

  • PC1:正方向

  • PC2:正の範囲で漸減(+0.62~+1.26)

この段階では、

  • 音高空間は比較的広く

  • 分散も大きく

  • 密度はまだ抑制されている

つまり比較的明瞭な調性感を残しつつ、五度圏の広い範囲を動き回る一方で、調的焦点は比較的強く、素材はやや散乱的に推移する。

ここでの主体は、

広い状態空間を移動しながら変化を受け止める主体

である。FEP 的に言えば、これは探索的(exploratory)モードに近い。予測誤差は存在するが、それは空間的な移動や変化によって処理される。


第II段階(第9番):移行期Iとしての不安定化

  • PC1:負方向へ移行

  • PC2:負方向へ移行

第9番は、前段階から明確に逸脱する位置を占める。

ここでは、

  • 空間は圧縮され始めるが

  • 焦点は形成されず

  • 誤差は散乱的に増幅される

これは、

後期様式の成立以前における「不安定な極限」

として解釈できる。

FEP 的には、ここは

予測誤差が増大するが、それを統御する精度(precision)がまだ確立していない状態

に相当する。


第III段階(第10〜11番):決定的転回と高密度化

  • PC1:大幅に負

  • PC2:大幅に正

第10番以降、座標は一挙に移動し、明確なクラスターを形成する。

この段階では、

  • 音高空間が急激に収縮

  • ステップ運動・密度・被覆が急増

  • テクスチャ変動も最大化

  • しかし同時に焦点性(PC2)が強化される

ここで起きているのは、

単なる複雑化ではなく、「圧縮された空間における高密度・高統御状態」の成立

である。

FEP の観点からは、これは決定的である。

主体はもはや外界を探索して予測誤差を減らすのではなく、
許容可能な状態空間を急激に狭め、その内部で誤差を処理するモードへ移行する。

この意味で、第10〜12番は

「生存可能な音響環境」の成立点

である。


第IV段階(第12番):移行期IIとしての焦点喪失

  • PC1:大きく負(第10〜11番と同水準)

  • ほぼゼロ(第10〜11番の+1.6〜+2.25から中立化)

第12番は、圧縮・高密度という第III段階の構造的特徴をそのまま維持しながら、PC2の急落によって焦点性(precision weighting)を失い始める。PC1の極性は変わらないが、PC2の中立化は質的な転換を意味する。

PC2の推移を通覧すると、これは単純な「第12番を境に正から負へ転換した」という単調な変化ではない。第I段階(第6〜8番)では終始正、第9番で一時的に負へ転じ、しかし第III段階(第10〜11番)では再び正、しかも全曲中最大の値を記録したのち、第12番以降は一貫して負の領域に落ち着く。すなわち第9番における「不安定化」は、PC1の下降開始点であると同時に、PC2にとっても最初の予兆的な反転点であった。ただしその反転は一時的であり、PC2が最終的に負の領域に定着するのは第III段階を経た第12番以降である。

第9番はPC1・PC2両軸にまたがる一時的な擾乱点であり、第III段階(第10〜11番)はPC2が最大化する"過剰補償"的局面であり、第12番以降はPC2が最終的に負の領域へ定着する段階である。

FEP的に言えば、高密度の誤差処理が維持されたまま、精度の重みづけ機構そのものが弛緩し始める段階である。


第V段階(第13〜16番):後期様式の持続と再分化

  • PC1:符号は概ね負だが絶対値は大きく縮小(−1.70〜+0.41、平均約−0.72)。第14番は正に転じる。

  • PC2:明確な負(−1.84〜−1.21、平均約−1.50)——実は全11作品中もっとも強く負に振れる段階

後期後半では、

  • 空間的な拘束(PC1)そのものが緩み、第14番のように原点付近ないし正の領域まで戻る例も現れる

  • その一方で、焦点の喪失(PC2)はむしろ深化し、第12番の時点よりもさらに強い負の値をとる

つまり、拘束と焦点は同じ速度で"回復"するのではなく、

空間的な圧縮からは部分的に解放されつつ、 精度の重みづけの喪失はむしろ最大化する

という非対称な過程が進行している。

段階である。

これは単純な「極限状態の持続可能化」というより、

拘束を手放し始めながらも、統御(精度)からはさらに遠ざかっていく段階

といえる。


3. 自由エネルギー原理による再解釈

以上の時系列変化は、自由エネルギー原理の観点から一貫して理解できる。


PC1の再定義:予測誤差の「拘束度」

PC1は単なるサプライズ量ではない。むしろ、

予測誤差がどれだけ広い状態空間に拡散するか/狭い空間に拘束されるか

を表している。

  • 中期(第6~8番):誤差は広い空間で処理される

  • 転回期(第10〜11番):誤差は狭い空間に閉じ込められ、高精度で処理される

  • 後期(第13〜16番):空間的な拘束はやや緩み(一部では原点付近まで回復する)が、精度の重みづけの低下はむしろ深化する——拘束の解放と精度喪失が非対称に進行する


PC2の再定義:精度(precision)と焦点化

PC2は、

予測誤差がどれだけ重みづけ(precision weighting)され、統御されているか

に対応する。

  • 第9番:誤差は増えるが精度が低い(崩壊的)

  • 第10〜12番:誤差は高密度だが高精度に統御される


4. 交響曲的主体の変容

この分析から導かれる主体像は明確である。


中期主体

外界を移動しながら変化を受け止める主体
(探索型)

移行期(第9番)

誤差に圧倒されつつも、まだ安定した処理様式を持たない主体

転回期主体(第10〜11番)

外界を探索して surprise を減らすのではなく、
生き延びられる環境を構築し、その内部で誤差を処理する主体

移行期II(第12番)

高密度の処理様式を保ちながら、精度の重みづけが弛緩し始める主体

後期主体(第13〜16番)

拘束を手放し始めながらも、精度による統御からはさらに離脱していく主体


これらの転換は段階的かつ決定的である。

交響曲はもはや、世界を統合する形式ではなく、主体が生き延びるための音響環境そのものとなる。


5. 結論

ペッテションの交響曲は、創作年代順に見ると、明確な構造的転換を示す。

  • 第6〜8番:拡散的・探索的段階

  • 第9番:移行期I――PC1・PC2両軸にまたがる一時的な擾乱点

  • 第10〜11番:決定的転回と環境形成(PC2は過剰補償的に最大化)

  • 第12番:移行期II――PC2軸上の焦点喪失、精度の中立化

  • 第13〜16番:拘束(PC1)の部分的解放と、精度喪失(PC2)の深化という非対称な再分化

この変化は、単なる様式変化ではない。

それは、

予測誤差をどのように処理するかという、主体の存在様式そのものの転換

である。

特に注目すべきは、後期後半(第13〜16番)において、空間的な拘束からの解放と精度の喪失が同じ速度では進行しないという点である。主体は一度確立した「生存可能な音響環境」の狭さそのものからは部分的に離れていく一方で、その環境を統御していた精度づけの機構は、むしろ確立当初(第10〜12番)よりもさらに手放されていく。すなわち後期主体は、環境の物理的な境界を緩めながらも、その内部を統御する手段そのものは失っていく主体である。

自由エネルギー原理の観点から言い換えれば、

ペッテション後期の交響曲は、

サプライズを消去する音楽ではなく、
サプライズに耐えうる環境を構築し、
やがてその統御の手綱そのものを手放していく音楽

である。

そしてそのとき交響曲的主体は、

世界を理解する主体から、
世界の中で生き延びる条件を自ら作り出す主体へ、
そして最終的にはその条件を統御する精度そのものを手放していく主体へと変容する。

この転位——特に、拘束の緩和と統御の喪失という非対称な最終局面——こそが、ペッテションの交響曲が20世紀音楽史において持つ、最も根本的な意義である。


[謝辞] 本分析では、7e(youtube)/ 6d(twitter, 現X)さん作成のMIDIデータを利用させて頂きました。本稿執筆時点において音響的実現はyoutubeにて確認することができるものの、残念ながらMIDIデータ自体は既に非公開となっているようですが、確認出来る限り、ペッテションの交響曲のMIDIデータは世界的にも他に例がなく極めて貴重である上に、本分析のようなデータ分析の観点から見て高品質のデータであり、その意義は極めて大きいものがあります。この場で感謝の意を表するとともに、その業績につき顕彰させて頂きます。

(2026.4.13 公開, 5.20 再計算結果で差し替え, 7.5 誤記を修正、解釈主旨を徹底し、数値との整合性を高めるために改訂)

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