1. 本分析の位置づけと対象作品一覧
「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」で取り上げた作曲家についてMIDIデータによる調性力学的分析を行った結果は既に、「交響曲の「調性の地図」——複数作曲家の比較分析(速報)」と「交響曲の「調性の地図」——複数作曲家の比較分析(詳報)」にて報告済だが、本稿で報告する分析は、その続編として、上記覚書で主要な主体様式として取り上げたブルックナー、マーラー、シベリウスについて、それぞれの創作史的軌跡を確認し、違いを検討することを目的としている。
本分析の対象は以下の27楽章である。MIDIデータが入手可能な範囲で各作曲家の創作史を可能な限り広くカバーすることを原則とし、楽章の選択は主要楽章(Hauptsatz、原則として第1楽章のソナタ形式楽章)を基本とした。
先行分析ではブラームスの交響曲4曲(第1〜4番)およびショスタコーヴィチの交響曲第9番・第10番を比較対象として含めていたが、本分析ではこれらを除外した。ブラームスの除外理由は、4曲が創作史の中期に集中し、PCA空間内でのコヒーレンスが高く、様式的変容の経緯を追うという本分析の目的に対して比較軸として機能しにくいためである。ショスタコーヴィチの除外は、サンプル数が2曲と少なく創作史の一部しか参照できないことに加え、PC2方向への強い突出が三者とは別の原理によるものであり、解釈が拡散するリスクがあったためである。
その代わりとして、ブルックナーにはMIDIデータが入手できた交響曲第0・2・3・4・5番の第1楽章を追加し、シベリウスには第2・3番の第1楽章および第5番の第3楽章を追加した。これにより各作曲家の創作史の広い範囲をカバーし、PCA空間内に時系列的軌跡を描くことが可能となった。
2. 分析方針
2.1 三者への絞り込みの設計的合理性
本分析は、ブルックナー・マーラー・シベリウスの三者に対象を絞り込み、各作曲家の創作の発展過程を追うことを目的として設計された。覚書の中心的問いである「音楽的主体の存在様式」との適合性において、この設計は以下の理由から正当化される。
ブラームスの除外は、単なるサンプル数の問題ではなく、研究問いの構造に対する感度の問題として的確に捉えられた判断である。変容幅の小さい作曲家は「音楽的主体の様式的変容を追う」という目的において比較対象として機能しにくい。
ショスタコーヴィチの除外は、サンプル数の制約に加えて、様式的な文脈の断絶という観点による。「社会的圧力下の主体」や「極限まで圧縮された主体」は、覚書の三項図式とは別の哲学的枠組みを要請する。
三者に絞ることで、「ロマン派的調性思考の内部での多様な解」という比較の文脈が整った。ブルックナー(客体への溶解・多孔的自我)、マーラー(近代主体の過剰化)、シベリウス(環境内在的主体)という三項図式が、より純粋な形でデータに問いかけられる構成になっている。
2.2 前期作品拡張の意義
ブルックナーとシベリウスに前期作品を加えたことで、創作の時系列的軌跡がPCA空間に描けるようになった。「どの方向に」「どの速さで」スコアが移動するか、という問いが立てられるようになる点で、これは単なるサンプル増加以上の意味を持つ。三者の軌跡はPCA空間内で質的に異なるパターンを示しており、この拡張の有効性が実際の分布から確認できる。
2.3 先行分析との関係
本分析に至るまでに、複数の探索的比較PCA(マーラー・シベリウス・ショスタコーヴィチ・ペッテション4者、さらに多作曲家を含む比較)を実施した。これらは「20世紀交響曲における調性的思考の多様な解体経路」を鳥瞰する広角レンズとして機能しており、本分析の問いとはスケールが異なる。本分析はその探索的比較を経て三者の有効性を確認したうえで設計されたものである。
3. 主成分荷重構造
3.1 使用指標
分析には以下の9指標を用いた。各指標は小節頭の和音をサンプリングし、12のピッチクラスを単位円上に等間隔(五度圏順に30度ずつ)に配置した五度圏へのピッチクラスセット重心として算出している。
3.2 指標計算結果
3.3 主成分分析結果
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| 主成分分析結果:作曲家別の作品重心と作曲年代順の軌跡を追加 |
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| 主成分分析結果:作品別ラベル |
3.3 PC1:調性安定性軸
PC1はAvg_r主導(+0.921)の調性安定性軸であり、Avg_Step(-0.779)、Step_Rate_100(-0.780)、PC_Density(-0.835)、Texture_Volatility(-0.713)が負方向に位置する構造は先行分析から一貫して安定している。「平均重心半径が高く、ステップ幅・ピッチクラス密度・テクスチュア揺らぎが小さい」状態がPC1正方向、その逆がPC1負方向として読まれる。
この荷重構造が多作曲家コーパスを経て三者分析でも維持されていることは、指標セットの安定性を示す方法論的確認として重要である。
3.4 PC2:空間分散度対調的集中度軸
今回の三者コーパスではPC2においてSpatial_Dispersion(+0.790)が正方向の主荷重となり、Tonal_Focus(-0.689)が負方向の主荷重となった。Avg_StepとStep_Rate_100もPC2正方向(それぞれ+0.566・+0.568)に位置する。これは「広い跳躍で五度圏上の重心を広く移動させながら特定の調的集中度を散逸させる」対「狭い動きで調的集中度を保ちながら空間分散度を低く抑える」という対立軸として解釈できる。
三者に絞ることで、三者内部に固有のSpatial_Dispersion対Tonal_Focusの対立が第二の主要な変動として可視化された。これはPCAの分散最大化原理に基づく必然的な結果であり、「コーパスを絞ることで、より問いに特化した比較軸が現れた」という方法論的知見として積極的に評価できる。
4. 各作曲家の配置と創作史的軌跡
4.1 ブルックナー:右上象限への凝集と後期の上昇
ブルックナーの楽章群はPC1: −0.47〜2.55、PC2: −0.24〜2.11という右上〜中央上象限に分布する。PC1の正方向、すなわち高いAvg_rと低いステップ幅という「調性的安定」の傾向は全期間を通じて概ね維持されている。
注目すべきはPC2方向の時系列推移である。Sym0(2.552, 1.068)→Sym3(1.865, 0.136)→Sym4(1.136, −0.243)と初期はPC2が中立的な位置にあるが、Sym5(−0.327, 2.002)→Sym7(1.423, 1.702)→Sym8(−0.472, 1.480)→Sym9(0.171, 2.112)と後期にかけてPC2が明確に上昇する。これは後期ブルックナーにおけるSpatial_Dispersionの増大——五度圏上の重心移動範囲の拡張——を反映している。
「客体への溶解」という様式論的直観と照らすと、後期に向かうほど主体の「輪郭」が空間的に拡散するという読みをこの数値が支持している。Sym5とSym8がPC1でわずかに負方向に入ること(平均重心半径の微低下)も、後期スタイルへの転換点として整合的である。
4.2 マーラー:PC1軸に沿う大幅な左方向移動
マーラーの時系列軌跡は三者の中で最も劇的な移動を示す。Sym1(3.745, −0.761)という右端の位置から後期のSym10(−4.454, 1.146)という左端まで、PC1軸に沿って約8ポイントの移動が見られる。これは全サンプル中最大の個人内変動である。
初期(Sym1〜4)は高いAvg_rと低いAvg_Stepという「調性的凝縮」の状態にあり、これがPC1正方向への位置に現れている。中期以降(Sym5〜7)はPC1が負方向に移行し、Avg_StepとStep_Rate_100の増大、PC_Densityの上昇が組み合わさって「調性的緊張の増大」を示す。Sym10の孤立した極左位置(Avg_r: 0.449、Avg_Step: 71.2)は、調性崩壊の臨界点として際立つ。
PC2方向では概ねSym1(−0.761)から後期(正方向)への移動があり、後期マーラーでのSpatial_Dispersion増大という傾向が確認される。ただしシベリウスほどのPC2方向への移動はなく、マーラーの「解体」はPC1軸(調性安定性の低下)が主軸であり、空間的分散よりも半音的密度の上昇によって駆動されているという構造が見える。
4.3 シベリウス:PC2負方向という独自の軌跡
シベリウスの分布の最大の特徴は全楽章がPC2負方向(−0.628〜−2.948)に位置することである。荷重の解釈によれば、これはTonal_Focusが高くSpatial_Dispersionが低い——「調的集中度を強く保ちながら空間分散度を低く抑える」という状態を示す。三者絞り込みによってシベリウスが専有するPC2負象限という構造が鮮明に現れた。
時系列の観点からは、Sym3(2.854, −1.214)→Sym5(0.858, −0.628)→Sym6(2.813/−1.559, −2.319/−2.627)→Sym7(−1.848, −0.787)→Tapiola(−3.958, −2.485)という軌跡が読み取れる。PC1方向には必ずしも単調な推移はなく、むしろPC2方向の動き——Tapiolaへ向かう下方への移動——が晩年の凝縮化の方向性を示している。
Tapiolaが全サンプル中の最左下に位置することは、「環境内在的主体」という様式論的解釈において、主体の輪郭が空間的にも調性的にも最も「溶け込んだ」状態として読める。
Sym2(−1.796, −2.948)の位置は特殊で、前期作品ながらTapiolaに近いPC2値を持つ。Avg_rが0.435と比較的低く、SD_rが0.260と高いという特徴が影響しており、初期作品の調性的不安定さが別の機序でPC2低値をもたらしている可能性がある。成熟期作品が示すTonal_Focus主導のPC2低値とは原因が異なることを念頭に置いた解釈が必要である。
5. 三者の構造的対比
ブルックナーはPC2正方向に留まりながら後期に上昇する。調性安定性(PC1)を大きく崩さないまま、空間分散度(PC2)を拡大する。
マーラーはPC1の激しい低下が主軸であり、右から左への大移動が際立つ。調性安定性の喪失が、空間的分散よりも先行して、かつより劇的に進行する。
シベリウスはPC2負方向という専有領域を持ち、調的集中度の維持と空間分散度の抑制という方向性を独自に示す。
この三方向への分岐は、まさに「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式」の三つの異なる解として、PCA空間が可視化していると言える。多孔的自我(ブルックナー)・近代主体の過剰化(マーラー)・環境内在的主体(シベリウス)という三項図式に対応する数値的痕跡として、この配置は強力な傍証となり得る。
6. 方法論的留意事項
PC2荷重構造はコーパス構成に依存する。本分析で現れたSpatial_Dispersion対Tonal_Focusの対立軸は三者内部に固有の変動を捉えたものであり、コーパスが変わればPC2の解釈も変わりうる点に留意が必要である。
ブルックナーSym6が分析対象に含まれていない点は、Sym5とSym7の間の空白として認識しておく必要がある。本分析が主要楽章(Hauptsatz)を対象としていることから、Sym6の第1楽章に相当するMIDIデータの入手が将来的に可能となれば、追加することが望ましい。シベリウスSym1, Sym4,も同様であり、シベリウスSym5も第3楽章で代替しているが、第1楽章での分析が望まれる。
PCA空間における各楽章のスコアは相対的な位置関係を示すものであり、絶対的な様式判断の根拠としてではなく、様式論的解釈の補助的な量的根拠として扱うことが適切である。



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