本稿は、既報「交響曲の『調性の地図』——複数作曲家の比較分析(詳報)」および「交響曲的思考における音楽的主体の存在様式についての覚書」に対する続報として、アラン・ペッテションの交響曲群の位置づけを、主成分分析に基づく調性力学の観点から再検討するものである。
既に覚書の改訂版第7章において、ペッテションは「損傷した主体の持続と閉域的時間」として理論的に位置づけられている。本稿の目的は、この規定が調性空間における統計的構造としても支持されることを示すと同時に、それを現代の意識理論と接続する点にある。
1. 分析枠組みの拡張
本分析では、既存の比較枠組み(古典派、ブラームス、ブルックナー後期、シベリウス後期、マーラー、ショスタコーヴィチ)に加え、ペッテションの交響曲11作品を同一指標空間に投入し、主成分分析を再実行した。
これにより、ペッテションは単独分析ではなく、交響曲史全体の中での相対的位置として評価される。結果として得られたPCA空間および各指標の集計結果を以下に示す。
図1 分析結果のPCA空間(作曲家別重心つき、横軸:第1主成分、縦軸:第2主成分)
図2 分析結果のPCA空間(作品ラベルつき、横軸:第1主成分、縦軸:第2主成分)
図3 各指標の計算結果
表1 重心データ(PC1, PC2)
表2 主成分負荷
表3 ペッテション交響曲における主成分得点
(注)PC1は調性重心の安定性、PC2は運動の方向性を表す。
2. PC1軸:調性重心の崩壊(数値的確認)
分析結果において最も顕著なのは、ペッテションがPC1軸の負方向に極端に偏在する点である。
後期作品においては、
交響曲第10番:PC1 = −4.59
交響曲第11番:PC1 = −4.88(本分析の全作品中の最負極値)
交響曲第12番:PC1 = −3.98
という値が観測される。第11番と第10番がPC1の最負極を形成し、第12・15番がそれに次ぐ。
これに対し、他の作曲家群の重心値は、
マーラー:PC1 = +0.82
ブルックナー:PC1 = +1.31
ショスタコーヴィチ:PC1 = +0.50
であり、ペッテションの重心(PC1 = −2.47)がこれらすべてを大きく超えて負方向に位置することがわかる。
さらに注目すべきは、ペッテション初期(第6〜8番)がPC1 = −0.75〜+0.13とほぼ中央に位置するのに対し、第10番以降が一挙に−4前後へ落ち込むという落差の大きさである。調性重心の維持が単に弱まるのではなく、第9交響曲を臨界点として構造的な変容が生じていることがここからも読み取れる。
3. PC2軸:超越なき持続(数値的補強)
PC2軸においても特徴的な分布が確認される。
他の作曲家群の重心値を参照すると、
ショスタコーヴィチ:PC2 = +2.68
ブルックナー:PC2 = +1.09
シベリウス:PC2 = −1.43
という対比が確認できる。ショスタコーヴィチがPC2の最正方向、シベリウスが最負方向に位置し、ブルックナーが正中域を占めるという配置は、先に確認した各作曲家の「主体の在り方」との対応において理解しやすい。
これに対し、ペッテションのPC2は時期によって大きく異なる二段階の分布を示す。
初期(第6〜9番)では、
第6番:PC2 = +0.23
第7番:PC2 = +1.32(初期の最大値)
第8番:PC2 = +0.93
第9番:PC2 = +1.20
とPC2が正方向に位置し、ショスタコーヴィチやブルックナーの領域に近接する。
しかしSym10以降では一転して、
第10番:PC2 = −1.87
第11番:PC2 = −2.01
第12番:PC2 = −1.38
第13〜16番:PC2 = −0.51〜−0.11
と後期全体が負方向に収束し、その平均は−0.94である。
すなわちペッテション後期の音楽は、
ショスタコーヴィチが示す強い正方向(+2.68)にも達せず
シベリウスが示す明確な負方向(−1.43)にも対応せず
Sym10〜16の平均で−0.94という、両極のいずれにも帰属しない中負域に収束している。重要なのはこの「中域」が揺らぎによる平均ではなく、第11・12番の深い負値(−2.01、−1.38)からは大きく緩和され、−0.1〜−0.5付近に落ち着いているという点である。すなわち彼の音楽は、
上昇(ショスタコーヴィチ的な方向性・到達志向)にも至らず
自然化・収束(シベリウス的な方向)にも至らず
中負域に拘束されたまま持続する運動として特徴づけられる。
4. 内部相転移:臨界点としての第9交響曲
さらに重要なのは、ペッテション内部における構造的断絶である。
第6〜8交響曲:PC1は比較的中立的、PC2は正方向
第9交響曲:PC1負方向への急激な移行とPC2正の緊張的共存
第10以降:PC1強負、PC2は停滞または弱負
この推移は、単なる様式変化ではなく、調性空間における相転移として理解されるべきである。
特に第9交響曲は、PC1 ≈ -1.5、PC2 ≈ +1.2という値を取り、
崩壊(負方向)と上昇志向(正方向)が同時に極大化する臨界点として理解される。
5. 理論的接続 I:自由エネルギー原理(FEP)との対応
本分析において得られたPC1(調性重心の保持/拡散)およびPC2(運動の方向性)の構造は、自由エネルギー原理(Free Energy Principle)の枠組みにおける主体の安定性の問題と、一定の対応関係において理解することが可能である。
ただしここで強調すべきは、本分析がFEPの直接的適用を意図するものではなく、調性空間において抽出された構造が、FEPにおける生成モデルの振る舞いと構造的に類比しうるという点である。
この観点から見ると、交響曲史における諸様態は、生成モデルの異なる作動様式として再解釈されうる。
古典派においては、生成モデルは比較的低自由度かつ高精度の形で安定しているとみなすことができる。調性中心は強く保持され(PC1正方向)、予測誤差に相当する不確定性は低く抑えられているように見える。
ブラームスにおいては、この安定性は維持されつつも、内部構造の複雑化が顕著になる。これは、生成モデルが外部への拡張ではなく、内部的な再帰構造の深化によって安定性を確保している状態として解釈しうる。
ブルックナーにおいては、モデルの安定性は階層的拡張によって支えられているように見える。すなわち、局所的な不確定性は、より高次の構造へと包摂されることで処理される。この傾向はPC1正・PC2正方向の配置と整合的であり、超越的志向を持つモデルとして理解することが可能である。
これに対しシベリウスは、異なる様式を示す。ここでは複雑性の増大ではなく、むしろ構造の単純化と収束によって安定性が達成されているように見える。この状態は、生成モデルの自由度が縮減される方向で予測誤差が抑制されるケースとして解釈することができる。
マーラー後期においては、これらのいずれの戦略も限界に達し、モデルの安定性が著しく揺らぐ状態が観測される。これは予測誤差の増大に相当する状況として理解しうるが、その処理は完全には達成されず、臨界的な状態にとどまる。
ペッテションにおいて観測されるのは、さらに特異な構造である。すなわち、安定化のいずれの戦略も有効に機能しないにもかかわらず、状態そのものは持続する。この点は、自由エネルギー最小化が困難な系において、なお運動が継続する場合と類比的に理解されうる。
以上のように、本分析で得られた配置は、生成モデルの安定・内在化・階層化・収束・臨界・非収束的持続といった複数の様態と対応づけて解釈することが可能である。
6. 理論的接続 II:ダマシオ的自己モデル
ダマシオの自己モデル(原自己/中核自己/自伝的自己)の区別を参照することにより、本分析の結果は意識の層構造との関連においても理解されうる。
ここでも同様に、以下の対応は直接的同定ではなく、構造的類比として提示されるものである。
古典派においては、中核自己が安定的に作動している状態に類比することができる。身体的時間と環境との整合が保たれ、運動は均衡的に組織される。
ブラームスにおいては、この基盤の上に自伝的自己が強く組織され、内在的に統合された主体が形成されると考えることができる。ここでは時間は内省的・再帰的な構造を持つ。
ブルックナーにおいては、自己は自己内部を超えて、より高次の意味構造へと接続されるように見える。この状態は、自己の垂直的拡張として解釈されうる。
これに対しシベリウスにおいては、自己の構造は縮減し、運動はより非個人的・身体的な時間へと接近する。この傾向は、自己の消失というよりも、むしろその極小化として理解することができる。
マーラーにおいては、自伝的自己が過剰に展開され、その統合が困難になる。複数の時間層や意味層が競合し、主体は不安定化する。
ペッテションにおいては、このような崩壊の後に残る状態が問題となる。そこでは統合的な意味構造は弱まり、運動は断片的に反復される。この状態は、意味の統合が困難になった後にも身体的時間が持続する状況として解釈することができる。
7. 理論的接続 III:ジェインズと二分心の崩壊
ジェインズの理論において、意識は二分心の崩壊後に成立した内面語りのシステムとして理解される。本分析の結果は、この枠組みとの関係においても一定の対応関係を示す。
古典派は、内面語りが強く前景化する以前の、統合的な行為構造に対応づけて考えることができる。
ブラームスにおいては、内面語りは深化し、主体は自己内部における対話を強化する。この段階では語りは依然として統合的である。
ブルックナーにおいては、語りは内面に閉じるのではなく、外部的・超越的な声として再構成される傾向を示す。
シベリウスにおいては、語りそのものが後退し、音楽はより非言語的・構造的な運動へと移行する。この状態は、語りによる意味生成からの離脱として理解しうる。
マーラーにおいては、語りは過剰化し、複数の声が競合することで統合が困難になる。語りは飽和し、不安定化する。
ペッテションにおいては、この崩壊の後に残る状態が観測される。そこでは語りは統合的機能を失い、断片として反復される。このような構造は、意味を生成する語りではなく、その残響としての語りとして理解されうる。
8. 小括:構造的対応としての交響曲的主体
以上の三つの理論枠組みは、本分析で得られたPC空間の構造と直接的に同一視されるものではないが、それぞれの観点において構造的対応関係を見出すことが可能である。
この対応に基づけば、交響曲史は単一の進化系列ではなく、
安定(古典派)
内在化(ブラームス)
超越(ブルックナー)
収束(シベリウス)
臨界(マーラー)
非収束的持続(ペッテション)
という複数の位相の分岐として理解される。
とりわけペッテションは、これらのいずれの安定化戦略にも回収されない状態を示しており、その意味で、主体の崩壊後における時間の持続という問題を顕在化させる位置にあると考えられる。
9. ショスタコーヴィチとペッテション——歴史的主体と閉域的主体
前節までの分析を踏まえると、20世紀後半における交響曲的主体は、大きく二つの方向に分岐していることが明らかになる。すなわち、ショスタコーヴィチに代表される「歴史的主体」と、ペッテションにおいて極端な形で現れる「閉域的主体」である。
主成分分析において、この差異はPC2軸において最も明確に現れる。
ショスタコーヴィチ群の重心(PC2 = +2.68)は本分析の全グループ中で最大であり、これは運動が明確な方向性を持ち、ある種の到達点(終結・解放・あるいは断罪)を志向していることを意味する。
これに対しペッテションは、PC2において0付近から弱負にとどまり、運動は方向性を持たないまま持続する。
この差異は、単なる様式的対立ではなく、時間構造そのものの差異として理解されるべきである。
すなわちショスタコーヴィチにおいては時間は依然として「歴史的時間」であり、出来事の連鎖とその意味づけが維持されているのに対し、ペッテションにおいては時間は「閉域化」し、出来事は外部へと開かれることなく内部で反復される。
この意味において、両者の差異は以下のように整理される:
ショスタコーヴィチ:意味を生成し続ける主体
ペッテション:意味生成が停止した後も持続する主体
10. 結論:損傷した主体の力学的・認知的実在性
以上のように、ペッテションの位置は
調性力学(PC1/PC2)
認知理論(FEP)
意識理論(ダマシオ/ジェインズ)
のいずれにおいても一貫して説明される。
すなわち彼の音楽は、
中心を持たず
志向性を失い
それにもかかわらず持続する
という構造を持ち、
これは単なる様式ではなく、
主体そのものの損傷状態の持続
として理解されるべきである。
この意味においてペッテションは、交響曲史における終点ではなく、
主体崩壊後の時間の持続を初めて体系的に音楽化した作曲家
として位置づけられる。
補論:残された課題とそれにより検証される仮説
A.閉域的時間の位相空間モデル
この「閉域的時間」の構造は、調性空間における軌道として記述することができる。
古典派からロマン派に至る音楽においては、調性重心の軌道は明確な始点と終点を持ち、位相空間上で開いた曲線として表現される。ブルックナーにおいてはそれが垂直方向(超越)に引き延ばされ、シベリウスにおいては収束する極限軌道として現れる。
これに対しペッテションにおいて観測される軌道は、
同一領域内を反復的に巡回し続ける閉曲線
として特徴づけられる。
ただしそれは単純な周期運動ではない。むしろ、
軌道は完全には閉じない(わずかなドリフトを伴う)
しかし外部へ発散することもない
という意味で、**準閉曲線(quasi-closed orbit)**として理解される。
このような軌道は、力学系においてはアトラクターに近い性質を持つが、安定点へ収束するのではなく、一定の領域内で運動を持続する点において特異である。
したがってペッテションの音楽は、
調性空間における「拘束された運動系」
として定式化することができる。
B. 反復構造の定量化
この閉域的運動のもう一つの特徴は、顕著な反復構造である。
従来、ペッテションの音楽における反復は表現的・心理的観点から論じられてきたが、本分析の枠組みにおいてはこれを定量的に捉えることが可能である。
具体的には、調性重心の時間発展に対して以下の指標を導入できる:
自己距離関数
時間差τに対する重心位置の距離
→ 小さい値が周期的反復を示す軌道再帰率(recurrence rate)
一定閾値内に再訪する頻度
→ 高いほど閉域的構造ドリフト量
長時間における重心の平均移動距離
→ 低いほど閉域性が強い
予備的観察において、ペッテション後期作品は
高い再帰率
低いドリフト量
を示し、これは位相空間モデルにおける準閉軌道の特徴と一致する。
C. 統合的解釈の仮説:閉域的主体の力学
以上の分析を行った結果、ペッテションの音楽において観測されると予想されるのは、
調性中心の崩壊(PC1負極)
方向性の喪失(PC2中域)
軌道の閉域化(準閉曲線)
高い再帰性(反復構造)
という一連の特徴である。
これらはすべて、
外部への開放を失った運動系
として一貫して理解される。
このとき主体とは、もはや世界に対して意味を生成する中心ではなく、
自己の内部で運動を反復する場そのもの
へと変容する。
したがってペッテションの交響曲は、
歴史的主体(ショスタコーヴィチ)
自然的構造(シベリウス)
とは異なる第三の様態として、
閉域的主体の音楽的実現
と呼ぶべき領域を切り開くものと仮定される。この点を実際に検証していくことが残された今後の課題となる。
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