2026年7月5日日曜日

早すぎる後期を生きる──アラン・ペッテションの交響曲的主体

 序 交響曲は何を語るのか

交響曲とは何を表現する芸術なのだろうか。

形式の歴史として見れば、その発展はソナタ形式や管弦楽法の変遷として記述することができる。また思想史の立場から見れば、交響曲は近代ヨーロッパの精神史を映し出す鏡として理解することもできる。しかし、こうした見方だけではなお十分ではない。なぜなら、私たちは交響曲を聴くとき、単に形式や理念に触れているのではなく、そこに一人の主体が生きた時間そのものを聴いているからである。

この意味で、交響曲とは主体が世界とどのように関わり、その関係が時間のなかでどのように変容していくかを描く芸術である。そこでは出来事そのものではなく、出来事を経験する主体の時間が音楽として構築される。交響曲の歴史とは、形式の歴史である以前に、人間が経験しうる時間の歴史でもある。

このような視点に立つならば、グスタフ・マーラーの交響曲は、一つの典型を示している。マーラーにおいて主体は、世界との関係を築き、その葛藤を経験し、その変容を経て後期様式へと至る。彼の交響曲には、近代的主体が世界を理解しようとする意志と、その限界が刻まれている。そこでは主体は常に変容の過程にあり、その創作史全体が、一人の人間が生きた時間の軌跡として読むことができる。

では、そのような主体の時間は、二十世紀後半においてどのような姿を取りうるのだろうか。

この問いに対して、アラン・ペッテションほど根源的な応答を示した作曲家は多くない。十六曲の交響曲を書き続けた彼は、その創作の大半を重い病とともに生きた作曲家として知られている。しかし、その音楽を単なる病苦の表現として理解するならば、私たちは最も重要なものを見失うだろう。同じ苦難に直面した人々が同じ音楽を書くわけではないからである。

むしろ問われるべきなのは、ペッテションにとって交響曲とは何であったのか、ということである。

この問いに答えるためには、作品を分析するだけでは十分ではない。彼自身が繰り返し語った、自らの創作についての言葉に耳を傾ける必要がある。そこには、交響曲を単なる作品ではなく、自らの人生そのものとして捉える作曲家の姿がある。そして、その言葉を手がかりに創作史をたどるとき、私たちは彼の交響曲が、損傷した主体が「早すぎる後期」という存在条件を引き受け、その時間を生き続ける過程を刻み続けた記録であったことに気づくのである。

本稿は、このような視点から、マーラーとの比較を手がかりとして、ペッテションの交響曲的主体を考察する試みである。その目的は、病や伝記的事実から作品を説明することではない。ペッテション自身の言葉と作品を読み直すことによって、交響曲という芸術がなお描きうる「主体の時間」の一つの可能性を明らかにすることにある。

Ⅰ マーラー──変容する主体の時間

交響曲を主体の時間として理解するならば、マーラーはその最も典型的な作曲家である。

彼の交響曲には、一人の主体が世界と関係を結び、その関係が時間のなかで変容していく過程が、一つの創作史として刻み込まれている。そこでは各作品は独立した音楽作品であると同時に、一つの主体が経験した異なる時間の局面でもある。

初期の交響曲において主体は、なお世界を理解し、その意味を統合しうるという可能性を保持している。自然、民衆、宗教、死──多様な経験は交響曲という形式のなかへ組み込まれ、たとえ葛藤を含みながらも、一つの全体性を志向する運動として展開される。主体は世界のなかに置かれているが、その世界との対話はなお可能なのである。

しかし創作が進むにつれて、その関係は少しずつ変質していく。世界はもはや統合される対象ではなく、主体そのものを揺るがす存在となる。時間は直線的な発展ではなく、反復や断絶、記憶や予感を織り込みながら、多層的な経験として構成される。交響曲は完成された世界像ではなく、主体が世界との関係を問い直し続ける過程そのものとなる。

そして晩年の作品では、その変容はさらに深い次元へ及ぶ。主体は世界を統合することを断念する。しかし、それは主体の消滅ではない。世界との緊張を引き受けながら、それでもなお存在し続ける時間が、新たな音楽的地平を開いていく。

こうした創作史は、一人の主体が後期様式へと至る時間として理解することができる。後期様式とは、単に晩年の作品群を指す様式史上の概念ではない。それは主体が世界との関係を生涯にわたって変容させた末に到達する、一つの存在様式なのである。

この点において、マーラーは近代的主体の歴史を体現した作曲家であったと言えるだろう。彼の交響曲は、主体が世界を経験し、その経験によって変わり続けることを音楽として描いた。その意味で、彼の交響曲は「変容する主体」の時間である。

しかし、このような時間構造は、交響曲的主体の唯一のあり方ではない。主体は必ずしも世界との豊かな対話から出発するとは限らない。主体そのものが、すでに世界との深い亀裂を抱えながら形成されることもある。そのとき交響曲は、変容の物語ではなく、存在そのものを支え続ける時間として現れる。

アラン・ペッテションの交響曲は、まさにそのような時間から始まる。そのことを理解するためには、まず彼自身が、自らの音楽についてどのように語っていたのか、その言葉に耳を傾ける必要がある。

Ⅱ 「不協和音と歌」──損傷した主体の生成

ペッテションは、自らの音楽がどこから生まれたのかを、抽象的な作曲技法によってではなく、一つのきわめて率直な言葉によって語っている。

1952年の論考「Dissonance douleur」において、彼は次のように記している。

「私が育った環境で、私は人々の痛みを吸収した。彼らは貧しく、病み、衰え――そして何より、屈服させられていた。[…]作曲の最中、その痛みは不協和音という、あらかじめ用意された型の中に物質化した。……しかし、そこから歌が生まれる。」

この言葉は、しばしばペッテションの創作理念として引用される。しかし、その意味は単なる美学的宣言にとどまらない。ここで彼は、自らの音楽語法を説明している以前に、自らがどのような主体として形成されたかを語っているのである。

彼がいう「痛み」は、病気だけを意味しない。そこには、貧困、暴力、病、社会的疎外、そして幼少期から日常的に目撃してきた他者の苦しみが含まれている。それらは外から主体へ付け加えられた経験ではなく、主体が世界を経験する最初の条件そのものとなっている。

したがって、ペッテションにとって創作とは、自らの感情を音に置き換える営みではない。主体そのものが世界から受け取った痛みを、不協和音という音楽的現実へ変換し、その内部からなお「歌」を生み出そうとする行為なのである。

ここで重要なのは、「歌」が不協和音の否定として現れるのではないということである。歌は暴力や苦痛を克服した結果ではない。むしろ、不協和音の内部からしか現れえないものとして構想されている。

この構造は、ペッテションの生涯そのものとも深く重なっている。彼は貧困と家庭内暴力のなかに生まれ、幼少期から社会の周縁に生きた。さらに壮年期以降は重度の関節リウマチ、腎不全、癌といった病苦に見舞われる。しかし、その創作をこれらの伝記的事実から説明することはできない。なぜなら、彼自身が語っているのは、「病気が音楽を生んだ」という因果関係ではなく、世界の痛みを引き受ける主体のあり方だからである。

この意味で、本稿が用いる「損傷した主体」という概念は、病理学的概念でも心理学的概念でもない。それは、主体が世界と関係を結ぶ最初の条件が、すでに深い亀裂を含んでいたことを指している。

ペッテションは、損傷した主体になったのではない。損傷という存在条件のもとで主体を形成したのである。そして、その主体は沈黙を選ばなかった。世界から吸収した痛みを不協和音へ、さらにその内部から歌へと変えていく営みこそが、彼の交響曲の出発点となった。

このことは、第六交響曲以降の創作を理解する上で決定的な意味を持つ。そこでは、損傷した主体はもはや自己を形成する段階を終え、自らの存在条件そのものを交響曲という巨大な時間形式のなかで引き受け始めるのである。

Ⅲ 「交響曲という人生」──早すぎる後期を生きる

1960年代初頭、ペッテションは友人宛の書簡のなかで、自らの創作について次のように記している。

「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である――祝福され、呪われたもの。魂がかつて歌っていた歌を再び見出すこと、それが私の仕事なのだ。」

この言葉は、しばしば伝記的告白として読まれてきた。しかし、それだけでは十分ではない。ここでペッテションが「人生」と呼んでいるものは、単なる生涯の出来事の総和ではなく、一人の主体が生きる時間そのものだからである。

前章で見たように、ペッテションは世界の痛みを主体形成の条件として引き受けた。その主体にとって、創作とは自己表現ではなく、存在そのものを維持する営みであった。だからこそ、彼は作品と人生とを区別しない。交響曲は人生を描く作品ではなく、主体がその人生を生きる形式そのものなのである。

この視点から眺めると、第六交響曲は単なる作風上の成熟ではなく、主体の時間における決定的な転回点として理解される。

それ以前の作品においても、ペッテション固有の旋律法や持続的な時間感覚はすでに形成されつつあった。しかし、第六交響曲以降、それらはもはや様式上の特徴ではなく、一つの存在様式として結晶していく。主体は世界との亀裂を修復しようとはしない。その亀裂そのものを、自らが生きる時間の条件として引き受け始めるのである。

本稿では、この時間を「早すぎる後期」と呼びたい。

ここでいう後期とは、年齢によって規定される晩年ではない。また、病苦そのものを意味するものでもない。それは、本来であれば人生の終末において経験されるはずの存在条件──有限性、喪失、身体的制約、世界との和解不可能性──を、中年期から引き受けて生きる時間である。

もちろん、ペッテションの創作を病歴へ還元することはできない。同じ病を得ても、同じ音楽を書く人はいないからである。しかし一方で、彼の身体的条件を創作と無関係な偶然として切り離すこともまた適切ではない。重要なのは、彼がそれらの条件を、主体の時間そのものとして引き受けたという事実である。

第六交響曲以降の創作史は、その時間を生きる過程として読むことができる。

重い関節リウマチによる慢性的な激痛、入退院の反復、腎疾患、そして晩年の癌。これらは伝記的事実であるにとどまらず、主体が世界を経験する条件を根本から変えていった。しかし、それによって主体は沈黙しなかった。むしろ、その条件のもとでなお巨大な交響曲を書き続けたのである。

ここにおいて、「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である」という言葉は、新たな意味を帯びる。それは、作品が自伝であるという意味ではない。人生そのものが、交響曲という時間形式のうちで持続しているという意味なのである。そして、その持続は静止ではない。同じ存在条件を日々引き受け続けることによって、主体はゆるやかに、しかし不可逆的に変容していく。

早すぎる後期とは、人生の早い段階で老いたことではない。損傷した主体が、自らの存在条件を時間として生き続けることであり、その長い持続そのものが、ペッテションの交響曲なのである。

Ⅳ 持続する後期──分析が可視化した主体の時間

前章では、第六交響曲以降のペッテションの創作を、「早すぎる後期」という主体の時間として捉えた。しかし、この理解は伝記的事実のみに依拠したものではない。むしろ近年行った全交響曲を対象とする分析は、そのような主体の時間が作品そのものの内部に刻まれていることを示唆している。

この分析では、ペッテションの作風が確立したとされ、本稿が「早すぎる後期」と呼んだ時期が、まさにそこから始まる第六交響曲以降の全十ー曲の交響曲について五度圏上の調性重心軌道を算出し、その特徴量に主成分分析(PCA)を適用した。その目的は、様式を分類することではなく、創作史全体の構造を、作品間の関係性として記述することであった。

分析結果結果を見てみよう。図の横軸(第1主成分)は調性的安定性(ここでは右側に行くほど安定)と調性熔解(左側に行くほど調的に不明瞭)の対立を表す軸、縦軸(第2主成分)は調性空間の利用様式を反映する軸(ここでは高密度だが焦点化された状態(上側)↔散乱的で焦点の弱い状態(下側))として解釈された。

ペッテションの第6~16交響曲の分析結果

まずここで取り上げた第六交響曲以降の作品群は、一つの連続した軌跡を形成しながら推移していることがわかる。そこでは各交響曲が独立した様式的実験として存在するのではなく、一人の主体が同じ存在条件を生き続けるなかで経験した、連続的な変容として配置されるのである。しかし、その軌跡は直線的ではない。

第七、第八交響曲では、第六交響曲で獲得された主体の時間が一貫して深化していく一方、第九交響曲から変化が始まり、第十・第十一交響曲付近では軌跡が大きく屈曲し、それまでとは異なる位相へ移行することが確認された。この変化は、新しい主体の出現を意味するものではない。むしろ、第六交響曲以来持続してきた主体の時間そのものが、一つの臨界点へ到達した結果として理解される。

この意味で、第十・第十一交響曲は、一種のカタストロフとして位置づけることができる。ただし、それは主体の崩壊ではない。長年にわたり持続してきた存在条件が、ある一点において質的転換として現れたのである。

さらに分析が示したもう一つの重要な特徴は、第十三交響曲以降の軌跡である。

第十・第十一交響曲を経た後、それ以前の第九交響曲がそうであったように、第十二交響曲から再び変化が始まり、第十三交響曲以降、創作史は再び安定した推移を示すようになる。しかし、それは第六交響曲以前への回帰ではなく、大きな変動を経験した後に獲得された新しい均衡である。軌跡は以前よりも収束し、その揺らぎは静かな持続へと変わっていく。

この変化は、創作力の衰退では説明できない。むしろ、長く「早すぎる後期」を生き続けた主体が、その存在条件との新たな均衡を獲得した結果として理解すべきであろう。

ここで想起されるのは、エドワード・サイードが後期様式について述べた「和解しない成熟」である。しかしペッテションの場合、それは「早すぎる後期」としての第六交響曲以降の創作史全体に対して相応しいものであろう。そこから紆余曲折を経て到達したペッテションその人の「晩年」は、その否定性だけでは尽くし難い。そこには、ゲオルク・ジンメルがゲーテ論で描いた「現象からの退去」を思わせる静かな変容が認められる。世界との緊張は消えない。しかし主体は、その緊張を克服しようとするのではなく、それを存在条件として引き受けながら、世界との距離そのものを組み替えていく。

ここで重要なのは、第十三交響曲以降を新たな「第二の後期」と考える必要はないということである。主体が再び変わったのではない。第六交響曲以来続いてきた同じ後期という存在条件が、二十年近い持続のなかで成熟したのである。

比較のための参考として、以下に、マーラーの全交響曲を対象にした分析結果を示す。
マーラーの全交響曲(第1~第10交響曲および「大地の歌」の全楽章)の分析結果

マーラーの交響曲の場合には、作曲年代順に右から左への推移がより明確に見てとれる。(稍々詳細に立ち入るならば、中期交響曲が第6交響曲をピークとして、それ以降、若干ではあるが右方向に逆行している点も、一般的な創作史上の転換と一致している。)

この傾向は、マーラーの交響曲の主要楽章(ソナタ形式かそれに準じる構造を持つ冒頭楽章。但し第5交響曲は序奏にあたる葬送行進曲が第1楽章として独立しているので第2楽章)のみを取り出して分析した以下の結果からも読み取れる。

なお、ペッテションの交響曲のみを対象とした分析と比較すると、縦軸(第2主成分)の符号関係は単純な全体反転ではなく、作品ごとに異なる変化を示す。とりわけ第9番は、単独分析では第6〜8番から負方向へ落ち込む一時的な擾乱点として現れていたが、複合分析ではむしろペッテション作品中で最も高いPC2値をとる。逆に、単独分析でPC2が最大化していた第10・11番は、複合分析では負の値へと転じる。第6〜8番および第12番についてはおおむね符号が維持される。このように、複合分析への拡張によって第9番と第10・11番の相対的な高低関係が入れ替わっている点は、主成分分析の座標が分析対象の構成に応じて変化するという性質上生じるものであり、後述する段階区分(第6〜9番/第10・11番/第12番/第13〜16番)そのものの妥当性を損なうものではない。。

交響曲の全楽章を対象とした分析では右→左だった時系列的変化が左→右となっているものの、ここでも一貫していることがわかる。一方、縦軸(第2主成分)についてはおおまかに初期が負→中期で正に移行→後期で負に戻るという、山型の変化を示しており、全般としてℓ字型の軌跡を描いていることが見てとれる。

マーラーの全交響曲(第1~10番+「大地の歌」、主要楽章のみ)の分析結果

上記のようなマーラーの交響曲の成立年代順の変化を踏まえると、第6交響曲以降のペッテションの交響曲における変化の特徴が際立ってくる。それは創作史の全体を通じた、一貫した方向を持った変化ではなく、途中、第10番、第11番のおいてカタストロフ的な変化が生じた後は、或る種の揺り戻しが来るが、完全に元に戻ることはなく、第13番以降、中間的なた領域に安定するというプロセスであることが再確認できる。

その一方で第六交響曲以降のペッテションの交響曲的主体の存在様態を「早すぎる後期」と呼ぶことの傍証もまた、同一の枠組みの分析を、マーラーの全交響曲とペッテションの交響曲の両方を対象として行った結果から得られている。その結果を確認してみよう。

ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果
ペッテション:第6~16交響曲
マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」全楽章)

こちらのプロットでは、マーラー、ペッテション各々について、その交響曲群の重心を”+”で示すとともに、大まかにその交響曲群の分布範囲を楕円で示すとともに、各交響曲を作曲順に繋げることで創作史の軌跡を示した。

マーラー作品群とペッテション作品群は、主成分空間上において異なる領域へ分布した。作品群全体の重心を比較すると、マーラーは横軸(第1主成分)の正側(赤)、ペッテションは負側(青)に位置しており、両者の作品群には調性運動の組織様式に体系的な違いが存在することが示唆された。(なお、ペッテションの交響曲のみを対象とした分析と比較すると、縦軸(第2主成分)の正負が逆転していることがわかるが、これはここで用いた主成分分析の性質上しばしば生じることであり、結果の読み取りには影響しない。)

作品配置を詳細にみると、両作曲家はそれぞれ創作史に沿った特徴的な軌跡を描いている。
マーラーの交響曲については、単独での分析結果と比べると、軸が時計回りに回転して、右→左だったものが、右下→左上となっており、かつ横軸方向がかなり圧縮されているものの、マーラー単独での分析で確認された、概ね作曲年順の連続的な一貫した変化がここでも確認できる。特に第9番および第10番は左上に孤立しており、新たな調性力学的領域へ移行する傾向が確認される。

一方、ペッテションでは、既述の通り、縦軸(第2主成分)は単純な全体反転ではなく、特に第9番と第10・11番の相対的な高低関係が入れ替わるという形で変化しており、かつ全体として圧縮され、更に時計回りに軸が回転している。しかし、これらの変化は主に第2主成分(PC2)上で生じているものであり、段階区分を規定する第1主成分(PC1)上では、第6番から第8番までの作品群と第9番における移行、第10番、第11番での急激なカタストロフ的変化、更に第12番を経た、第13番から第16番以降の逆行しての安定といった傾向は、単独分析と変わらず一貫して保存されていることがわかる。

ここで興味深いのは、マーラーの後期作品である第9番・第10番が、ペッテションの第6番から第9番にかけての作品群に比較的近接して配置されている点である。この近接は、両者の作品が調性力学的観点から何らかの共通した特徴を共有している可能性を示唆しており、ペッテションの第6交響曲以降を「早すぎる後期」と名づけることを支持するものと言える。

またマーラーの交響曲の作曲順の変化の方向と、ペッテションの交響曲の変化の方向は、同一方向ではなく、約60度の角度をなして斜めに交差している点にも留意しよう。両者の変化ベクトルは平行に近いわけでは決してないが、厳密に直交しているわけでもない。マーラーの変化の方向を基準にペッテションの変化を捉えれば、ペッテションの音楽は第6交響曲以降、第16交響曲に至るまで、その変化の少なからぬ部分がマーラーの変化方向とは異なる、独自の次元に沿って進行していることが示唆される。

これは比較のために、マーラーの交響曲の側の分析対象を、全楽章から主要楽章に置き換えた以下の分析結果からも共通して確認できることである。

ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果
ペッテション:第6~16交響曲
マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」主要楽章のみ)

大まかな傾向はマーラーの各交響曲全楽章の場合と同様であるが、主要楽章のみの方が、マーラー後期とペッテションの中期(第6,7,8交響曲)の領域の重なりが視覚的より明確になっていることが見てとれる。

このように見てくると、五度圏重心軌道と主成分分析が可視化したものは、単なる和声語法の変遷ではない。それは、一人の主体が世界との関係をどのような時間として生き、その時間がどのような屈曲と成熟を経験したかという、創作史そのものの軌跡として読むことができそうである。

ペッテションの交響曲は、その軌跡によって、一つの根源的な事実を示している。損傷した主体は変容する。しかも、その変容は主体を失うことによってではなく、同じ存在条件を長く生き続けることによって生じるのである。

分析が明らかにしたのは、まさにその持続の形であった

Ⅴ 結論──交響曲的主体のもう一つの可能性

本稿では、マーラーとの比較を手がかりとして、アラン・ペッテションの交響曲を「主体の時間」という観点から読み直してきた。

マーラーにおいて交響曲とは、主体が世界との関係を築き、その葛藤を経験し、変容しながら後期様式へ至る過程を描く芸術であった。主体は世界との関係のなかで自己を形成し、その生涯を通じて変わり続ける。

これに対して、ペッテションの出発点は異なる。彼は幼少期から、貧困、家庭内暴力、社会的疎外、そして他者の痛みに囲まれた世界のなかで主体を形成した。その意味で、彼の創作を規定した「損傷」は、壮年期以降の病苦によって突然もたらされたものではない。それは、主体の形成そのものに刻み込まれた存在条件であった。

しかし、損傷は彼の創作を説明する原因ではない。決定的なのは、その存在条件を引き受けながら、なお交響曲を書き続けたという事実である。ペッテション自身は、「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である」と述べた。そこにいう「人生」とは、出来事の集積ではなく、一人の主体が時間を生きることそのものであった。そして、「不協和音と歌」が示しているように、その人生は、世界から受け取った痛みを不協和音として受け止め、その内部からなお歌を生み出そうとする営みとして理解されていた。

この視点から見れば、第六交響曲以降の創作は、「早すぎる後期」を生きる時間として理解することができる。それは、人生の終末に訪れるはずの存在条件を中年期から引き受け、その時間を生き続ける過程であった。そして創作史の分析が示したように、その持続は静止ではない。第十・第十一交響曲における質的転換を経て、第十三交響曲以降には新たな均衡へと至る、一つの長い変容の軌跡が認められる。

ここで重要なのは、この変容が主体の交代によって生じたのではないということである。変わったのは主体ではなく、主体が生き続けた時間そのものであった。このことは、「後期様式」という概念そのものにも再考を促している。

後期様式とは、晩年に到達する様式ではない。それは、主体が自らの有限性や喪失を引き受けながら生きる時間の形式である。そしてペッテションは、その時間を人生の早い段階から生き始め、さらにその後期そのものを成熟させていった。

この意味で、彼はマーラー以後の交響曲的主体に、もう一つの可能性を示した作曲家であったと言えるだろう。マーラーが「変容する主体」の交響曲を書いたとすれば、ペッテションは「持続する主体」の交響曲を書いたのである。

しかし、その持続は停滞ではない。同じ存在条件を生き続けることそのものが、主体をゆるやかに変え、その変容が交響曲という時間形式のなかに刻まれていく。そこに描かれているのは、苦難の物語ではない。損傷した主体が、それでもなお世界のなかで時間を生きるという、一つの存在のかたちである。だからこそ、ペッテションの交響曲は今日なお私たちに問いかけている。交響曲とは、世界を描く芸術なのではない。それは、一人の主体が世界を生きた時間そのものを刻む芸術なのである。

(2026.7.5 公開)

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