序 交響曲は何を語るのか
交響曲とは何を表現する芸術なのだろうか。
形式の歴史として見れば、その発展はソナタ形式や管弦楽法の変遷として記述することができる。また思想史の立場から見れば、交響曲は近代ヨーロッパの精神史を映し出す鏡として理解することもできる。しかし、こうした見方だけではなお十分ではない。なぜなら、私たちは交響曲を聴くとき、単に形式や理念に触れているのではなく、そこに一人の主体が生きた時間そのものを聴いているからである。
この意味で、交響曲とは主体が世界とどのように関わり、その関係が時間のなかでどのように変容していくかを描く芸術である。そこでは出来事そのものではなく、出来事を経験する主体の時間が音楽として構築される。交響曲の歴史とは、形式の歴史である以前に、人間が経験しうる時間の歴史でもある。
このような視点に立つならば、グスタフ・マーラーの交響曲は、一つの典型を示している。マーラーにおいて主体は、世界との関係を築き、その葛藤を経験し、その変容を経て後期様式へと至る。彼の交響曲には、近代的主体が世界を理解しようとする意志と、その限界が刻まれている。そこでは主体は常に変容の過程にあり、その創作史全体が、一人の人間が生きた時間の軌跡として読むことができる。
では、そのような主体の時間は、二十世紀後半においてどのような姿を取りうるのだろうか。
この問いに対して、アラン・ペッテションほど根源的な応答を示した作曲家は多くない。十六曲の交響曲を書き続けた彼は、その創作の大半を重い病とともに生きた作曲家として知られている。しかし、その音楽を単なる病苦の表現として理解するならば、私たちは最も重要なものを見失うだろう。同じ苦難に直面した人々が同じ音楽を書くわけではないからである。
むしろ問われるべきなのは、ペッテションにとって交響曲とは何であったのか、ということである。
この問いに答えるためには、作品を分析するだけでは十分ではない。彼自身が繰り返し語った、自らの創作についての言葉に耳を傾ける必要がある。そこには、交響曲を単なる作品ではなく、自らの人生そのものとして捉える作曲家の姿がある。そして、その言葉を手がかりに創作史をたどるとき、私たちは彼の交響曲が、損傷した主体が「早すぎる後期」という存在条件を引き受け、その時間を生き続ける過程を刻み続けた記録であったことに気づくのである。
本稿は、このような視点から、マーラーとの比較を手がかりとして、ペッテションの交響曲的主体を考察する試みである。その目的は、病や伝記的事実から作品を説明することではない。ペッテション自身の言葉と作品を読み直すことによって、交響曲という芸術がなお描きうる「主体の時間」の一つの可能性を明らかにすることにある。
Ⅰ マーラー──変容する主体の時間
交響曲を主体の時間として理解するならば、マーラーはその最も典型的な作曲家である。
彼の交響曲には、一人の主体が世界と関係を結び、その関係が時間のなかで変容していく過程が、一つの創作史として刻み込まれている。そこでは各作品は独立した音楽作品であると同時に、一つの主体が経験した異なる時間の局面でもある。
初期の交響曲において主体は、なお世界を理解し、その意味を統合しうるという可能性を保持している。自然、民衆、宗教、死──多様な経験は交響曲という形式のなかへ組み込まれ、たとえ葛藤を含みながらも、一つの全体性を志向する運動として展開される。主体は世界のなかに置かれているが、その世界との対話はなお可能なのである。
しかし創作が進むにつれて、その関係は少しずつ変質していく。世界はもはや統合される対象ではなく、主体そのものを揺るがす存在となる。時間は直線的な発展ではなく、反復や断絶、記憶や予感を織り込みながら、多層的な経験として構成される。交響曲は完成された世界像ではなく、主体が世界との関係を問い直し続ける過程そのものとなる。
そして晩年の作品では、その変容はさらに深い次元へ及ぶ。主体は世界を統合することを断念する。しかし、それは主体の消滅ではない。世界との緊張を引き受けながら、それでもなお存在し続ける時間が、新たな音楽的地平を開いていく。
こうした創作史は、一人の主体が後期様式へと至る時間として理解することができる。後期様式とは、単に晩年の作品群を指す様式史上の概念ではない。それは主体が世界との関係を生涯にわたって変容させた末に到達する、一つの存在様式なのである。
この点において、マーラーは近代的主体の歴史を体現した作曲家であったと言えるだろう。彼の交響曲は、主体が世界を経験し、その経験によって変わり続けることを音楽として描いた。その意味で、彼の交響曲は「変容する主体」の時間である。
しかし、このような時間構造は、交響曲的主体の唯一のあり方ではない。主体は必ずしも世界との豊かな対話から出発するとは限らない。主体そのものが、すでに世界との深い亀裂を抱えながら形成されることもある。そのとき交響曲は、変容の物語ではなく、存在そのものを支え続ける時間として現れる。
アラン・ペッテションの交響曲は、まさにそのような時間から始まる。そのことを理解するためには、まず彼自身が、自らの音楽についてどのように語っていたのか、その言葉に耳を傾ける必要がある。
Ⅱ 「不協和音と歌」──損傷した主体の生成
ペッテションは、自らの音楽がどこから生まれたのかを、抽象的な作曲技法によってではなく、一つのきわめて率直な言葉によって語っている。
1952年の論考「Dissonance douleur」において、彼は次のように記している。
「私が育った環境で、私は人々の痛みを吸収した。彼らは貧しく、病み、衰え――そして何より、屈服させられていた。[…]作曲の最中、その痛みは不協和音という、あらかじめ用意された型の中に物質化した。……しかし、そこから歌が生まれる。」
この言葉は、しばしばペッテションの創作理念として引用される。しかし、その意味は単なる美学的宣言にとどまらない。ここで彼は、自らの音楽語法を説明している以前に、自らがどのような主体として形成されたかを語っているのである。
彼がいう「痛み」は、病気だけを意味しない。そこには、貧困、暴力、病、社会的疎外、そして幼少期から日常的に目撃してきた他者の苦しみが含まれている。それらは外から主体へ付け加えられた経験ではなく、主体が世界を経験する最初の条件そのものとなっている。
したがって、ペッテションにとって創作とは、自らの感情を音に置き換える営みではない。主体そのものが世界から受け取った痛みを、不協和音という音楽的現実へ変換し、その内部からなお「歌」を生み出そうとする行為なのである。
ここで重要なのは、「歌」が不協和音の否定として現れるのではないということである。歌は暴力や苦痛を克服した結果ではない。むしろ、不協和音の内部からしか現れえないものとして構想されている。
この構造は、ペッテションの生涯そのものとも深く重なっている。彼は貧困と家庭内暴力のなかに生まれ、幼少期から社会の周縁に生きた。さらに壮年期以降は重度の関節リウマチ、腎不全、癌といった病苦に見舞われる。しかし、その創作をこれらの伝記的事実から説明することはできない。なぜなら、彼自身が語っているのは、「病気が音楽を生んだ」という因果関係ではなく、世界の痛みを引き受ける主体のあり方だからである。
この意味で、本稿が用いる「損傷した主体」という概念は、病理学的概念でも心理学的概念でもない。それは、主体が世界と関係を結ぶ最初の条件が、すでに深い亀裂を含んでいたことを指している。
ペッテションは、損傷した主体になったのではない。損傷という存在条件のもとで主体を形成したのである。そして、その主体は沈黙を選ばなかった。世界から吸収した痛みを不協和音へ、さらにその内部から歌へと変えていく営みこそが、彼の交響曲の出発点となった。
このことは、第六交響曲以降の創作を理解する上で決定的な意味を持つ。そこでは、損傷した主体はもはや自己を形成する段階を終え、自らの存在条件そのものを交響曲という巨大な時間形式のなかで引き受け始めるのである。
Ⅲ 「交響曲という人生」──早すぎる後期を生きる
1960年代初頭、ペッテションは友人宛の書簡のなかで、自らの創作について次のように記している。
「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である――祝福され、呪われたもの。魂がかつて歌っていた歌を再び見出すこと、それが私の仕事なのだ。」
この言葉は、しばしば伝記的告白として読まれてきた。しかし、それだけでは十分ではない。ここでペッテションが「人生」と呼んでいるものは、単なる生涯の出来事の総和ではなく、一人の主体が生きる時間そのものだからである。
前章で見たように、ペッテションは世界の痛みを主体形成の条件として引き受けた。その主体にとって、創作とは自己表現ではなく、存在そのものを維持する営みであった。だからこそ、彼は作品と人生とを区別しない。交響曲は人生を描く作品ではなく、主体がその人生を生きる形式そのものなのである。
この視点から眺めると、第六交響曲は単なる作風上の成熟ではなく、主体の時間における決定的な転回点として理解される。
それ以前の作品においても、ペッテション固有の旋律法や持続的な時間感覚はすでに形成されつつあった。しかし、第六交響曲以降、それらはもはや様式上の特徴ではなく、一つの存在様式として結晶していく。主体は世界との亀裂を修復しようとはしない。その亀裂そのものを、自らが生きる時間の条件として引き受け始めるのである。
本稿では、この時間を「早すぎる後期」と呼びたい。
ここでいう後期とは、年齢によって規定される晩年ではない。また、病苦そのものを意味するものでもない。それは、本来であれば人生の終末において経験されるはずの存在条件──有限性、喪失、身体的制約、世界との和解不可能性──を、中年期から引き受けて生きる時間である。
もちろん、ペッテションの創作を病歴へ還元することはできない。同じ病を得ても、同じ音楽を書く人はいないからである。しかし一方で、彼の身体的条件を創作と無関係な偶然として切り離すこともまた適切ではない。重要なのは、彼がそれらの条件を、主体の時間そのものとして引き受けたという事実である。
第六交響曲以降の創作史は、その時間を生きる過程として読むことができる。
重い関節リウマチによる慢性的な激痛、入退院の反復、腎疾患、そして晩年の癌。これらは伝記的事実であるにとどまらず、主体が世界を経験する条件を根本から変えていった。しかし、それによって主体は沈黙しなかった。むしろ、その条件のもとでなお巨大な交響曲を書き続けたのである。
ここにおいて、「私が取り組んでいる作品は私自身の人生である」という言葉は、新たな意味を帯びる。それは、作品が自伝であるという意味ではない。人生そのものが、交響曲という時間形式のうちで持続しているという意味なのである。そして、その持続は静止ではない。同じ存在条件を日々引き受け続けることによって、主体はゆるやかに、しかし不可逆的に変容していく。
早すぎる後期とは、人生の早い段階で老いたことではない。損傷した主体が、自らの存在条件を時間として生き続けることであり、その長い持続そのものが、ペッテションの交響曲なのである。
Ⅳ 持続する後期──分析が可視化した主体の時間
前章では、第六交響曲以降のペッテションの創作を、「早すぎる後期」という主体の時間として捉えた。しかし、この理解は伝記的事実のみに依拠したものではない。むしろ近年行った全交響曲を対象とする分析は、そのような主体の時間が作品そのものの内部に刻まれていることを示唆している。
この分析では、ペッテションの作風が確立したとされ、本稿が「早すぎる後期」と呼んだ時期が、まさにそこから始まる第六交響曲以降の全十ー曲の交響曲について五度圏上の調性重心軌道を算出し、その特徴量に主成分分析(PCA)を適用した。その目的は、様式を分類することではなく、創作史全体の構造を、作品間の関係性として記述することであった。
分析結果結果を見てみよう。図の横軸(第1主成分)は調性的安定性(ここでは右側に行くほど安定)と調性熔解(左側に行くほど調的に不明瞭)の対立を表す軸、縦軸(第2主成分)は調性空間の利用様式を反映する軸(ここでは高密度だが焦点化された状態(上側)↔散乱的で焦点の弱い状態(下側))として解釈された。
![]() |
| ペッテションの第6~16交響曲の分析結果 |
![]() |
| マーラーの全交響曲(第1~第10交響曲および「大地の歌」の全楽章)の分析結果 |
![]() |
| マーラーの全交響曲(第1~10番+「大地の歌」、主要楽章のみ)の分析結果 |
![]() |
| ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果 ペッテション:第6~16交響曲 マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」全楽章) |
![]() |
| ペッテション(青)・マーラー(赤)の交響曲の分析結果 ペッテション:第6~16交響曲 マーラー:全交響曲(第1~10交響曲+「大地の歌」主要楽章のみ) |





0 件のコメント:
コメントを投稿