2012年4月29日日曜日

アレクサンドル・スクリャービン 「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」オフィシャルブックの解説を読んで思ったこと

 スクリャービンの音楽は決して長くはないその創作期間の中で大きな変化を遂げたと見做されている。実際、交響曲・管弦楽曲でもいいしピアノ・ソナタでもいいが、その初期の作品と後期の作品は、伝統的な調的な組織のあり方から「神秘和音」と名付けられたものを含めたいわゆる合成和音(それはその後ロスラヴェッツによって音響を組織する理論として整理され、実作で実現される音響においてもより一般的で多様性のあるものとなる)に基づく音響の組織のありかたへ、多楽章形式から単一楽章形式への収斂、動機の労作による有機的な構成から、移置の操作を含むものの結局は動機群を代わる代わる反復させるだけの時間的な組織のあり方へ変わっていった。それに応じて(例えば同時代のシェーンベルクやヴェーベルンについても並行した現象が見られ、例えば前者なら「浄夜」を、後者なら作品1のパッサカリアに先行する作品を評価する声があるとのと同様、)聴き手の嗜好も、初期の作品を評価し、その変化を或る種の錯誤、不毛と見做す立場と、後期の作品の達成を評価する立場に分裂しもするだろう。


だが、ショパンもどきのジャンルのタイトルを持つ初期のピアノ作品やピアノ協奏曲、交響曲と規定される初期の管弦楽作品にも、「詩」と名付けられる後期のピアノ作品や管弦楽曲にも、一貫して通底する傾向を見てとることはそんなに難しいことではないように感じられる。つまり表面的にはあからさまで、断絶すら見出すことができそうな変化は、もともとスクリャービンの持っている或る種の資質によってドライヴされたものであり、その変遷は寧ろ一貫したものであると言う事すらできるのではないかということである。こういう視点に立つとき、(つい最近も「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」オフィシャルブックのスクリャービンに関する解説においてそうした記述を見かけたばかりなのだが)そこに己の資質を思想に殉じることで打ち枯らす痛ましさを見出すのは全くの見当違いということになるだろう。表面的な様式が類似するのは同時代の作曲家には良く起きることだが、それは作曲家の資質とは別の位相のことであるのが普通だろう。12音技法を用いた音楽であってもシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクのそれぞれの音楽の間の隔たりは甚だしい。同様にスクリャービンの初期のピアノ曲のショパンのそれとの様式的な類似は、出発点として他ならぬそれを選択したという事実そのものが物語るものを除けば、スクリャービンの資質とはとりあえず別のものである。別の文脈への引用とははっきりと区別されるべきだが、初期のスクリャービンが選択した様式は、どことなく借り物の、表面的な模倣の色合いが強いものに感じられる。それは現実性に乏しく、観念的、抽象的な空間で響いていて、タイトルが告げるジャンルが元々持っていたはずの身体性を欠いて宙に漂っているように見える。


そしてその傾向は、中期や後期の作品においても変わることがない。その音楽は相変わらず具体的な現実の中には場を持たず、観念的な性質のものだ。例えばワグナー的なクロマティズムの中で鳥の歌が聴かれる中期の管弦楽曲の緩徐楽章は、だが具体的な現実の風景を描き出すことはない。それはあくまでも空想された、生暖かく気だるい空気に充たされた観念の上での楽園であり、印象派風な外の音楽とは根本的に異質だし、表現主義的な不安、外部の予感は微塵も感じられない。それは極端に自閉的な空間で、何物にも脅かされずにエゴがまどろみ、空想の翼を広げ、まるでそこでは重力の束縛を逃れることができるかのようだ。一方で外部から遮断された場においては、音楽に備わっている情動的な側面は希薄にならざるを得ない。初期作品の憂愁や後期作品の官能性は、だが身体的、情緒的な強度を持たず、透明でさらさらしたものに過ぎないし、動機群もまるで記号そのものであるかのように現実的な重みを、(ホワイトヘッド的な意味合いでの)因果的効果のベクトル性の深さを欠いている。恍惚や熱狂すら、ここでは身体を欠いた観念の戯れであるかのようだ。


後期の大規模な作品は、概ねソナタ形式を枠組みとして借りた単一楽章であることが多いが、そこではソナタ形式の実質は骨抜きにされていて、単なる対比的な性格の動機群が少しずつ姿と組み合わせを変えながら繰り返し交替する閉ざされた空間に過ぎない。多楽章形式が可能にする層や場の多重性、視点の複数性は放棄され、単一の内部に音楽的自我は引きこもる。それはもはや交響曲ではなく、詩と呼ばれるのが適切だ。ピアノ曲の方はそれでもまだ辛うじてソナタと呼ばれるが動機労作もなく、叙事的で有機的な時間性は放棄され、音楽はどこに向かうわけではなく、同じ風景の中で緊張と弛緩を繰り返すばかりだ。時間的な推移の原理は緊張の増大の果ての痙攣といった生理学的といっても良い単純なもので、晩年のピアノのための詩「焔に向かって」はそれがほとんど剥き出しになるまでに抽象化された到達点を示している。いわゆる「神秘和音」をはじめとする特定の和音に対する偏愛もまた、その音楽を有機的な生成変化による展開や発展のないものにする。

だがそうした傾向の萌芽は、既に初期作品においても見出すことができるものなのだ。スクリャービンが共感覚の持ち主であったかの事実関係はおくとして、完成した作品としては「プロメテウス」が、更には未完成というよりは概ね構想のみで終わったというべき「ミステリウム」がより徹底して志向するはずだったマルチメディア的、複合的な方向性にも関わらず、その音楽そのものは変化に乏しい。単色ではないとしても、色彩の変化や対比のパターンは単調で、可能性はすぐに汲み尽くされてしまい、同じことの繰り返しに過ぎなくなる。


スクリャービンの音楽を分析する際にしばしば引き合いに出されるメシアンのM.T.L.のような構成的な旋法的システムを スクリャービンの音楽が持つことはなかった。こちらもまた決まって後継者、あるいはエピゴーネンとして引き合いに出されるロスラヴェッツの合成和音が持つ音響を組織するための方法論としての客観性をスクリャービンが持つこともまた同様になかった。個別の響きは一見似ているかも知れないが、その音楽の実質は随分と異なったものであることは実際の聴取でもはっきりと感じられることだ。メシアンの音楽もまた巨視的な過程においてパネルのような極めて静的な時間構造を持つが、その不動性の印象は遥かに豊かで多様な仕掛によって実現された細部によって支えられた構造的なものであるし、けばけばしいばかりの非現実的な色彩に富んでいるとはいえ、ベルリオーズばりの描写性に事欠かず、つまるところ印象派的な外部の風景の音楽だ。ロスラヴェッツの音楽もまた、伝統的な機能和声のような推移規則を持たないが故にふにゃふにゃした軟体動物のような捉えどころのなさはあるけれど、少なくともそこには響きの変化や対比があって、音楽的自我が浮遊して移動する空間が存在する。スクリャービンの音楽はそのいずれとも異なった実質のものに聴こえる。或る意味ではその音楽はどこにも行かないし、何も描き出したり指し示したりしない。


そうした特質を備えたスクリャービンの音楽の風景は、いわゆるステロタイプとしての「ロシアの大地」では勿論ないだろうから、この音楽の風景を捉えてそこに「ロシア的」なものの不在を見出すこと自体は間違っていないだろう。だがしかし、その一方で スクリャービンの音楽の持つ極端な観念性、自閉性は逆説的に作曲者の出自を炙り出すように私には感じられる。つまるところ民謡を使うかどうかといった水準のみで「ロシア的」かどうかを語るのは随分と肌理の粗い議論にしか感じられない。さりとてスクリャービンをロシア・アヴァンギャルドの先駆とし、その影響関係を顕揚するような見方は、それ自体は事実でもあろうし、別の水準での「ロシア性」のようなものを論じることを可能にするだろうが、それを考慮したとしても、今度はスクリャービンの音楽の固有性を些かも救い出さない。その音楽を取り囲んでいた文脈、神智学のようなイデオロギー、こちらも実は初期から一貫していた スクリャービン自身の些か誇大妄想的な音楽観(例えば自作の詩を終楽章で歌わせる第1交響曲を思い浮かべて見れば良い)を文化史的に跡付けてみたところで21世紀の極東に生きる人間にとっての意義は甚だ疑わしいし、かつては音楽史上に孤立し、後継者を持たない存在と思われていたのを否定する作業はとっくに行われており、今更「俗説」をでっちあげて否定してみせるのは(どうやらよくあることのようだが)滑稽なだけだろう。


例えばスクリャービンについてなら、高橋悠治さんが既に生誕100年の1972年の時点で距離を測る作業を済ませている。私は偶々中学生であった1978年くらいの時期に、その記事が載った「レコード芸術」の1972年10月号を目にする機会があって、他の記事は忘れてしまったが、高橋悠治さんの文章のみは繰り返し読み自分の記憶の中にその内容を定着させる作業をした経験がある。それは何より、必ずしも豊富とはいえなかったとはいえ、その時点での自分の聴経験に照らしてみて、他の記事が表面的な様式ばかりを論じたり音楽を取り囲む文脈を語るばかりで少しもその音楽の質を言い当てているようには感じられなかったのに対し、唯一、高橋悠治さんの記事のみがスクリャービンの音楽の持っている特異な質を闡明していると思われたからに過ぎない。勿論、今後は没後100年が近づきつつある時点で距離を改めて測れば、当然のこととして違った結果になるだろうが、だからといって恰も初めて距離を測るかのごとくそれを行うのは、(どうせ、そうした風景が3年後には繰り返されることになるのは容易に想像がつくとはいえ、)やはり滑稽なことにしか思えない。


同様に、スクリャービンが100年前に辿り着いた地点を、恰もそんなことはなかったかの如くに、初めてそこに辿り着いたかの如くメディアやら音楽と儀礼的なもの、神秘的なものとの関連を云々するのを目の当たりにするのもまた滑稽にしか感じられない。無論のこととりわけメディアの発達によりすっかり風景は変わったし、音楽が置かれている状況も音楽を聴く人間が置かれている状況も変わったには違いない。だからこそ、例えば今日作曲されるマーラー風の音楽が持つとされるノスタルジーとマーラーの音楽が持っているメランコリアとの間に存在する決定的な質の違い、その音楽の持つ意味合いの違いをそっちのけの姿勢が蔓延っているのと同様の事態は勘弁して欲しいと思わずにはいられない。スクリャービンの資質に含まれていたものもまた、(例えばラフマニノフとは異なって)ノスタルジアではなく、メランコリアではなかったのか。


良きにつけ悪しきにつけ、スクリャービンの営みは自己完結的な偏向がはっきり刻印されたものだ。様式や方法は模倣し、継承することができるが、メランコリアは寧ろ狂気の一種であり、スクリャービンが決して長くはない生涯(既に私は彼が生きた年月より長い年月を無為に生き永らえていることに気付くと、思わずぞっとせずにはいられないし、居たたまれない気分になる)を亡命者のように放浪しなくてはならなかったゆえの個別的・個人的なものなのだ。だが逆説的なことに、模倣も継承もできないものの方にこそ、時代や文化の距離を超えて伝わる何かがあるのだ。そうした何かを読み取るのでなければ、今、ここでスクリャービンの音楽を聴く意味などないのだと私には思えてならない。


そしてもう一度、スクリャービンは2012年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」オフィシャルブックで解説されているような思想の犠牲者などではないし、その歩みが持つとされもする、己の資質を犠牲することを覚悟した凄味など虚像に過ぎないと私には思えてならない。彼は自分の資質に無意識に導かれて観念の世界に亡命することを選んだのだし、その意味では極めて一貫しており、収縮によって前進するその歩みも含めて、「神秘主義」のイメージに反して、総じて合理的とすら言いうるだろう。(ヴェーベルンがそうであったように、更には、具体的な様相は異なるがある意味ではシベリウスもまたそうであったように、 スクリャービンもまた収縮によって前進したが、そうした彼らが揃いも揃って、その収縮が拡散に転じる地点で、不慮の事故に逢い、あるいは断筆に追い込まれ、外傷に基づく病で途を絶たれたのは偶然としては出来すぎているほどだと思えてならない。)「ミステリウム」を構想したスクリャービンは「ミステリウム」を幻想の中でしか実現しないという意味で「架空の」ものと見做すような矮小化した捉え方をし、そのくせ徹底的な唯物論者にもなれずに気分的にその限界を述べ立てる現代人などに些かも似ていはしない。スクリャービンの想像力は誇大妄想的な見かけを超えて音楽芸術のヴァーチャリティの持つ力を作品として定着させることができたし、「ミステリウム」が幻想の中でしか実現しないなどとは夢にも思わなかっただろうし、その一方で音楽芸術の持つヴァーチャリティの力の射程についての直感的な把握(繰り返しになるが、それは初期の第1交響曲においては自己言及的―意地の悪い見方をすれば自家中毒的―と言ってもいいであろう偏向を持つものではあるのだが)に基づき「ミステリウム」を構想したに違いない。


彼の志向は寧ろ、今日では一部のポストヒューマン思想(例えばカーツワイル)に受け継がれている徹底的に唯物論的な進化の特異点の彼方の展望へと通じているように見える。そこでは遺伝子工学とナノテクノロジーと人工知能研究と結びついたロボット工学によって「人間」と「精神」との関係が変容し、その結果として「観念的」という言葉の価値が逆転してしまう。その挙句に、強い「人間原理」さえ主張されるのだ。当然のことながら、「抒情」の意味もまた、そうした概念の布置の変化に応じて変わらなくてはならないし、一見「思想」に殉じたかに見える後期の作品にもそうした意味での「抒情」は確認できるのだ。 スクリャービンが現代に生きていたなら、カーツワイルの主張やスタニスワフ・レムのメタ・フィクション「新しい宇宙創造説」に同調したに違いない。あるいはまた、アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性を論じ、「コンピュータ語族」のための宗教音楽を構想する三輪眞弘さんこそ、表面的な影響関係を超えて、資質の違いすら超えて、スクリャービンのメランコリアを受け継いでいるのだという見方も可能に違いない。(2012.4.29)

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