2023年12月14日木曜日

ヨハネス・ブラームス

 ブラームスについて、今更語るべきことが残されているとは思えない。時代を超えた大作曲家として、恰も時代と地理的な隔たりがないかの如くの伝記的解説から始まって、パウル・ベッカーによる中部ドイツ的な交響曲作家のトレンドに位置づける試み、更にはその音楽を19世紀のドイツ・オーストリアの 社会的・文化的文脈に位置づける試みは、小市民的な親密さを湛えた音楽、ロマン派時代に台頭した知識人たち、ブラームスがともに生きた人たちのための音楽としての特質を浮かび上がらせる。形式に対する保守的な姿勢、過去の音楽に対する明確な歴史主義的視線を共有するシェーンベルクによる「進歩主義者」としてのブラームス像は、シェーンベルクの側の文脈を寧ろ浮かび上がらせ、証言しはするが、だとしたらそのブラームス像は、それから更に1世紀が経過しようとしている21世紀の今日においては、最早徹底的に過去のもの、それ自体歴史のフレームに収まったものであるはずだ。

 そう、「大作曲家」ブラームスの人と作品は、彼自身がある側面においてそのように接したであろう、彼自身にとっての過去の「偉大な」音楽と同様、文化財として陳列され、鑑賞されるようになっている。今日的なコンサート、つまり同時代に作曲されたのではない、過去の作品を中心としてプログラミングされたコンサートのスタイルそのものの確立にブラームス自身、少なからず寄与しているし、自筆譜の収集、演奏用の楽譜の校訂といった今日では音楽学上の当たり前のプロセスとなっている作業もまた、ブラームス自身が行い、その確立に寄与したものであることを忘れてはなるまい。要するに、それまでも作曲家個々人の水準においては、過去の伝統への参照というのは為されてきたのではあるけれど、そしてメンデルスゾーンによるJ.S.バッハの「マタイ受難曲」蘇演のような出来事に先立たれているとはいえ、ブラームスこそ「歴史意識」というのを公の場に持ち込んだ張本人に他ならないのだ。良く知られるように、当時それは少なからぬ反響を喚起し、ブラームスは「進歩派」を自認する陣営から批難されるといったことも起きたが、現実にはブラームスが持ち込んだ姿勢・態度は今や当たり前のこと、或る種の前了解に属するものになっているという点を認識すべきであろう。そして、彼自身のひいたレールに乗るようにして、今日ブラームスの音楽が演奏される コンサートホールは、寧ろ美術館、博物館の類に似ているのかも知れない。嘗ては彼自身の友人達が時には彼自身ともに演奏したであろう室内楽や歌曲は、今日ではより多く、三輪眞弘さんの言う「録楽」として、室内で、一人きりで聴かれるに相応しい音楽であるかのようだ。そしてこれもまた、ブラームスがエジソンによる蝋管シリンダーによる蓄音機の発明に興味を持ち、発明から12年後というごく初期に自作自演の記録を試みたことを思い起こせば、彼自身がひいたレールに乗っているという見方ができるのではなかろうか。

*       *       *

 ブラームスの音楽は、歌詞を持つ作品、即ち独唱曲、重唱曲、合唱曲の数もまた膨大なものであり、全作品において大きな比重を占めるものの、基本的には標題音楽ではないし、描写的な要素が支配的であることもないけれど、そして同時代の美学者に「絶対音楽」の代表に奉られたにも関わらず、その器楽曲や管弦楽曲は、具体的な「風景」を非常に強く喚起する力を備えていると私には感じられる。尤もこの点については、まさに歌詞を持つ作品群の多くが今日等閑視されつつあること、更に言えば、歌詞を持つかどうかというよりは寧ろ、ブラームスが、コンサートホールでの公的な性格を持つ演奏ではなく、身近にいる人々との私的な演奏を想定して書いた作品が、しばしばビーダーマイヤー的で当時の社会的状況(「成り上がり者」のブラームスはまさにそこに自分の居場所を見つけたのだとされるのだが)に拘束され過ぎた過去の遺物として、今日顧みられることが少ないことの結果に過ぎないという見方もできるだろう。それらの作品は両義性を帯びていて、一方では商品として流通し、消費されるのに適していた。作曲だけで富を得ることに成功したブラームスは、王侯貴族の占有物であることをやめて市民社会で流通するようになった商品としての音楽、賞味期限付きの消費される音楽の製作者という観点でも先駆者であって、作品表の中で一定の分量を占めているそれらの作品は、或る意味では時代の経過とともに忘れ去られて当然という見方も成り立つのかも知れない。つまりブラームスが「絶対音楽」の作曲家だというのは、既に同時代に始まった見方であるにせよ、その後遺された作品が作曲者が属していた社会的・文化的環境から遠ざかるにつれてますますその傾向が強まった遠近法的な倒錯に過ぎず、その本来の文脈において、絶対音楽かどうかなどという議論とは別の次元でブラームスの音楽が強く結びついていた、具体的で個別的な契機が忘却されたことに拠るのだと考えれば、それは不思議なことでも何でもないだろう。

 ともあれ何れにしても、それが私の場合に固有の個別的なものなのか、一般的にそうであるかはわからないが、それらに聴き手が垣間見る風景の多くは屋外のもの、屋外への室内からの眺望、屋外から差し込む光、屋外の風景の幻覚や回想であり、それらは非常に強い五感に働きかける力を持つ。雨の音を聴くばかりではなく、明るさを、温度を、湿度を、立ち込める香りや匂いを生々しい程に 喚起する力を備えている。(その一方で、一般にそう考えられる程、色彩に乏しいわけでは決してなく、ただ、それが或る種抽象的な、例えば調性と結びつくような水準のものではなく、都度非常に具体的な風景のそれであることや、知覚よりはより強く情動に働きかける、その力の持つ特性が、色彩の次元を分離することを困難にしているかのように思われる。)そして、その風景、聴き手にとっては未知のものである筈なのに、懐かしさや或る種の親密さに強く彩られたそれは、だが、決定的に過去のものなのだ。例えばだが、道は舗装されているようには見えず、自動車は走っていないし、電柱や街灯が立っていることもない。飛行機雲というのは存在しないし、高層ビルが林立することもない。

 それはそうした風景を色付けする情動が懐旧的、回想的であることのみを意味するのではない。そもそもその風景は私がかつて実際に見て、記憶の底に留まっているものではないのだ。その風景は、三輪眞弘さんの言う「電力芸術」以前の時代、今日の聴き手が置かれている世界とは根本的に異質な、電力のない世界の風景なのである。現実にはブラームスの晩年の時代には、室内照明に電気が用いられ、それは成功した作曲家であり、最先端の技術を導入することのできる富を蓄えていたブラームス自身の住まいを照らしたようだし、新たな都市計画に基づいて相次いで新築された街路や建造物の照明も、ガス燈から電力へと移行しつつある時期にあった。また、既に触れたように、最初期の蓄音機の記録の一つに、 ブラームス自身のピアノ演奏を記録したものがあるのは良く知られているだろうし、電力以外でも、鉄道網の発達(彼自身の死の前年にクララ・ シューマンの葬儀に向かったブラームスが、どのような心理的機制によってか、あるいは単なる偶然によってか、列車の乗継に失敗して、葬儀に間に合わなかったエピソードはあまりに有名だろう)、リゾード開発、はたまたブラームス自身の風貌や、彼が見たはずの風景を今に告げる写真技術など、現代に繋がる技術革新はブラームスの最晩年には確実に風景を変えつつあった筈である。だが、にも関わらず、その音楽の喚起する風景はそうした技術以前のものである。音楽が喚起する仮想の風景が、外的な現実よりも心的な現実を証言するものであるとしたならば、ブラームスの音楽が生きる世界は、やはり電力以前のそれであり、今日、電力の大量消費に支えられたコンサートホールで演奏されるブラームスの音楽は、だが、それ自身は「非電力芸術」である。要するにそれは、端的に言って私とは無縁の、徹底的に過去の時代と場所に属する「遺物」に過ぎない筈なのだ。生物学的には変わっていなくても、異なる身体性を持ち、異なる知覚の様式を持ち、異なる情動の様態、異なる時間意識を持ち、異質の時間を生きる、かつての「人間」の音楽の筈である。

*       *       *

 それなら何故、私は今、ブラームスを聴くのだろうか。その理由はしかし、ごく個人的な仕方でしか語れないようだし、しかもそうした事情自体が何故ブラームスを聴くかについての消息を告げているようだ。父がFM放送をエアチェックしつつカセット・テープに録音した音楽の中にはブラームスの作品が少なからず含まれており、それ故それは私が幼少時からごく普通に慣れ親しんできた音楽であった。(父のコレクションの中では、特にヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」、第3番や弦楽六重奏曲第1番、更には4つの交響曲が該当するだろう。)しかも周辺にあった様々な音楽の中から、自分にとってとりわけ親密なものとして自ら選択した音楽だし、父のコレクションには含まれず、自分で発見した作品も少なくない。一例を挙げれば、「ドイツ・レクイエム」は父にとってはよくわからない作品だったようだが、自ら探り当てて後、或る時期以降の私にとって、精神的な支えとなるかけがえのない作品となった。またブラームスが遺言状をしたためて後の、いわば「晩年」の作品、つまり作品116~119までのピアノ曲集、作品114,115,120のクラリネットを用いた作品、更に四つの厳粛な歌(作品121)とコラール前奏曲集(作品122)もまた、私が自ら見いだし、親しんでいった作品と言えるだろう。そしてこれまで様々な角度から述べてきたような反省的な距離の感覚なしにそれを無媒介に体内化してしまった私は、自分がその多くの時間を生きている環境とは異なる身体性、異なる知覚の様式、異なる情動の様態、異なる時間意識を体内化し、 異質の時間を自分の時間として自己自体を構築したのであり、だからそれは私の一部なのである。ある時期以降、その音楽は自分が意識的・主題的に扱う存在ではなくなり、一見したところ周縁的な存在になったかのようであったが、実際には或る種の無意識的・前意識的な基層として「自己」の一部になったに過ぎない。それは埋め込まれ、クリプト化され、完全に表層から姿を消してしまったという訳でもないし、自己の形成上の不可逆的な過程の痕跡というわけでもなく、常に意識的・意志的な活動の傍らにあり続けてきた。

 良い意味でも悪い意味でもそれは私にとっての「癒し」の音楽であるかも知れない。私に宛てられたのではない、自分にとって問題に富んでいるわけでも、解き明かすべき何かを提示するわけでもなく、寧ろ、滞った感情を解き放ち、緊張を解きほぐし、比喩的な意味で意識を麻痺させ、眠りに誘う音楽。その音楽を聴いてごく自然に涙を流すことができる音楽。 そこに時として確実に存在する途方もない、決して飼い馴らされることのない、強烈な、あてどのない絶望的な怒りの感情の噴出によってすら、その感情に一時同調し、ともに嗚咽することによってカタルシスを得ることができ、その後で日常にそっと自分を押し戻してくれる音楽。 どこにも連れて行かない退却の、休息の音楽。寧ろ見慣れたものであったはずの、懐かしい、だが平凡で、そこから特別な何かが生じるわけではない 「日常」の風景に連れ戻してくれる音楽。一見したところ崇高な何かに捧げられることのない、 寧ろ日々の平凡な、だが時として困難でありながら必ずしも稔りが約束されているわけでもない営みの同伴者。 ブラームスの音楽は、だからある一面において、あたかも演歌のようなものであるかも知れない。ただし、一見素材に見合わないほど緊密に織り上げられた、まるで絶望と怒りの深さが漏洩し飛散するのを避けるための堅固な格納容器のごとき構造がもたらす、他に比較するものが思いつかない程強烈な、時に形式を毀損するのではと思わせるような緊張の大きさは全く特異なものだ。「偉大な芸術音楽」にも関わらず、もしかしたら「ありえたかもしれない芸能」でしかない音楽。根無し草の、歴史も文化も異なる人間にとっての芸能。

 ブラームスが進歩主義者であるかどうかといった規定は、当事者であるシェーンベルクにとっては抜き差しならぬ価値を帯びていたかも知れないが、 進歩か保守かといった二分法が既に意味を喪った世界に生きている私にとってはどうでもいいことだ。しかしシェーンベルクが見出したブラームスの作曲技法の次元が持つ効果はまた別の問題である。ブラームスにあって技法は衒学趣味に留まらない。一見したところ民謡風の、親しみやすい旋律は、だが一見類似した他の音楽とはっきりと異なった徴を帯びているが、その差異のために技法が総動員されているのだ。結果が洗練され、高度であっても所詮は芸能に過ぎないのであれば、泰山鳴動して鼠一匹という見方もあるだろう。だが、そうした細部の彫琢こそがブラームスの音楽を単なる「癒し」の、単なる「美」の次元に留めず、「崇高」な何かの予感を、その親しみやすく日常的な表情の背後に忍び込ませるのだ。恐らく周到で知的であったブラームス自身の意図に従って、慎重に秘匿されて。だがそれはしばしば意図を超え、意図に反して浮かび上がる。否、聴取の表層においては気付かなくとも、その音楽が自分の身体に定着し、水路づけが行われるに従って、そうした背後の部分こそが機能していることに気付かざるを得なくなる。だからブラームスの場合、彼自身の幾つかの証言をおけば、 評伝や評論の類は私にとって無用なものだ。それよりは例えば池辺晋一郎さんが「同業者」の視点でその一部を示してくださっているような技術的な細部の方が余程重要だし、ブラームスの音楽の持つ特質を正しく言い当てていると思われる。私は勿論同業者ではないけれど、ブラームスの音楽が優れて「癒し」の音楽たりえているのは技術的な細部によるものだということは、私のような今や一方的な享受者に過ぎない、否、もしかしたら十分な享受者ですらたり得ないまでに音楽との関わりが縮退してしまった聴取の落伍者にとっても明白なことなのだ。

*       *       *

 否、ブラームスの音楽が不要に思える瞬間というのも私には確かに存在する。ブラームスの音楽を聴くことは私にとって明らかに停滞、休止であり、出口のない感情の吐け口であり、時として或る種の退行であろう。マーラーはオペラ指揮者としての自分を高く評価してくれているブラームスについて、ブラームスと直接接触のあった時期には作曲家としての円熟をも評価する発言をしている(ナターリエ・バウアー=レヒナーの証言がある)一方で、後年の妻アルマへの1904年6月のマイアーニヒ発とされる手紙の中では、ワグナーやベートーヴェンと対比しつつ「うすっぺらな胸をした貧相な小男」(酒田健一訳、アルマ・マーラー『マーラーの思い出』, p.284)と批判もしているが、このマーラーの言葉には、私なりに同感できる部分がある。ブラームスの音楽は大言壮語をすることなく、日常のすぐ隣にあって、ひととき変貌して、あたかも奇跡が生じたかのように人の心を奪う不思議な風景の変容を垣間見せるような魔術はそこにはない。その一方で、その高度な技術は平凡な生を形作るひっそりとした細やかな心の動きを過たずに捉えることには用いられても、何か他のものを探索し、ありえたかも知れない世界を構築することに用いられることも、またない。結果としてブラームスの音楽は、私がこの場で立ち続けることを手助けしてくれることはあっても、私をどこか他の場所に誘うということをしない。端的な言い方をすれば、ザドラとスティックゴールドが『夢を見るとき脳は』(邦訳は藤井留美訳、紀伊国屋書店、 2021)で仮説として提示する「可能性理解のためのネットワーク探索」(NEXTUP:Network EXploration To Understand Possibilities)としての「夢」の役割に通じるような、ありえたかもしれない世界の構築としての音楽作品の創造という契機(それはブラームスをかくの如く批判するマーラーにおいては極めて明確であり、マーラー自身もまたそのことに自覚的であったし、1世紀以上が経過した今日の展望においては、三輪眞弘さんの「逆シミュレーション」音楽の「命名」の相に関連して、自ら「…という夢をみた」という「由来」を必ず作品に付加することに本質的に関わる)がブラームスの音楽には希薄で、音楽の展開が厳しい自制によって堅固ではあるけれど抑制的に為されるのに応じてか、その探索範囲があまりに狭く、貧しいように感じられるのだ。だがしかし、こと私についていえば、それはブラームスの音楽の側ではなく、私の側の受容の姿勢の問題なのかも知れない。私は音楽自体ではなく、音楽によって惹き起こされる自分の中の反応様式を求め、それにひととき溺れることで癒しを得ているのかも知れない。 そうした姿勢は唾棄されるもので、ブラームスの音楽に対する冒涜と見做す人もいるだろう。自分の弱さを自己正当化する甘えでしかない情けない祈りしかそこにはないのかも知れない。

 だが、だからといって一体どうすれば良いというのか。そうした音楽なしにやっていけないとしたら。とりわけても3月11日以降。自分が弱っているときの同伴者がここにいる。 場所も時間も、文化の違いも超えて、傍らに、ほとんど無媒介にその音楽は私の隣に存在する。奉納ではないかも知れなくても、懐疑に蝕まれつつも、それだけに切実な、人間ならぬ何かへの祈りがそこには確実にある。「ドイツ・レクイエム」は、端的にレクイエムが不可能である状況の証言であり、そうした状況に陥った人間の声なのだ。だからその声は、そうした状況に陥った人間には全く異なって響く。それは美とか芸術とかとは、差し当たり無縁のものとさえ言えるかもしれない。枚挙に暇はないが一つだけ例を挙げるならば、オリヴァー・サックスの『音楽嗜好症』の中の第25章「哀歌―音楽と狂気と憂鬱」において参照される事例においてブラームスが二度までも(最初は「アルト・ラプソディ」であり次は「ドイツ・レクイエム」だが)登場することは、そうした消息を証言しているように思われる。この音楽は、確実に何人もの人間を文字通り救ってきたし、きっとこれからも救うだろう。「今からのち、主にあって死ぬものは幸いである。」という言葉は、音楽とともに歌われるその瞬間、あたかも成就したかのようではないか。それは既に死んだものたちの音楽であり、今からのち死すべきものの音楽である。それは優れて死すべきものの音楽である。だがしかし、そうでないような音楽があるのだろうか。だとしたら、これこそが「音楽」なのではないか。

 逆転が起きるのか否かは、しかし、この音楽が鳴り響く場ではどうでもいいことのように思える。それが一般的であるか、普遍的であるかもどうでもいいことだ。美学も芸術学も、「癒しを超えることが可能か」という問いもまた。それは感覚を超えた何かではなく、感覚の手前にあるものに対処しなければならないときの同伴者なのだから。個別の癒しを証言することは可能だが、癒しについて論じることは癒しそのものとは無関係だ。 冷静に、部外者の立場であることを宣言し、ある意味では全く正しい批判をしつつ(もっとも、その一方では極めて危険なものに思われる想像力の濫用としか思えない放恣な行使によって、それが担いえたであろう現実認識や気付きを毀損するようなことになってしまうのだが)、だがそれに終始することは、事後的な効果としてであれ、事実上「歓待」の拒絶ではないのか。それは「レクイエムなんか書けない」と言いながら、受け止めたものに限りなく忠実であるが故に異形のものである他ない作品(それは最早人間「だけ」のものでないが、それが「音楽」である以上、人間や動物たち、あるいはより広く生物のものであり続けているし、それゆえ人間のもの「でも」あり続けているのだし、そこには或る種の癒しを、冷徹な現実認識や気付きとともに見出すことすら可能である)を創りあげる作曲家の挙措とどんなに違って見えることか。現実に震災で傷ついた人に対して贈与されたブラームスの「録楽」があたえることができたもの(そう、これは個別的な「証言」であって、 条件法で語られる範例などでは断じてない)と比べて、どちらが同じ圏に属しているのかは、少なくとも私には明らかなことに思われる。「役に立つ」という言葉は確かに両義的だが、それでも、その両義性を引き受けた上でなければ「歓待」は不可能だし、私は危険を引き受けつつも「歓待」を選択するだろう。

*       *       *

 ブラームスについて今更語るべきことが残されているとは思えないというのは、だから、ブラームスについて多くのことが語られてきたからである一方で、ブラームスについて語られてきたことが、私が聴くブラームスの音楽とは疎遠であるからでもあって、それらの語りの地平が端的に不要のようにすら感じられるということでもある。少なくともブラームス自身は、傷つき、癒しを欲する人間とともにある。「ドイツ・レクイエム」や「アルト・ラプソディ」の歌詞は、ブラームスがまずもって自分のために探し求めた末に見出したものだし、音楽はそうした契機を裏切らない。この文章の初めの方で述べたことを繰り返せば、その音楽がもともと属していた具体的で個別的な契機、即ち「由来」を思えば、それは親しい他者に対する「応答」であり、「贈与」であり、「歓待」であったのであり、それは公的な音楽史における貢献であったり、音楽理論上の機能的特質といったものとは無縁のものだったのだから。それは敢てこういう言い方をするならば、美学的な要請とは裏腹に、優れて「機会音楽」であり、極めて私的な性質を帯びていたとはいえ、それでもなお「芸能」であり、「由来」なしで受容されることを拒絶する性質を備えているのではなかろうか。勿論「由来」は時代の移ろいとともに忘れ去られ、喪われていき、ブラームスの作品の方はそれを乗り越えて存続し続けてきたし、今後もそうであり続けるだろうけれど、だからといって、そのことによって作品が「純粋な」、「本来の」姿を現すと考えるのは誤りなのではないか。寧ろ、作品を演奏し、聴き続けること、聴くことを促すことは、その都度「由来」を再付与することによって、作品を甦らせることに他ならないのではないか。人付き合いが下手で、最も親しい友人に対してもしばしばうまく接することができず、その音楽にも幾重もの屈折と陰翳を持ち込まずにはいられなかったブラームスの音楽が力を持つとしたら、それは「純粋詩」の存在を否定したパウル・ツェランの言う「子午線」を通じて、孤独な「人間」同士が出会うような仕方でしかないのではないか。そして1世紀以上の歳月と地球半周分の隔たりにも関わらず、その後のテクノロジーの発達の結果、シンギュラリティを予感するようになりながらも尚、今、ここに生きる「人間」は、ブラームス自身やその周囲の人々がそうであった、かつての「人間」と変わるところがない。

 没後しばらくは追悼の場で必ずといって良い程に演奏されることでブラームス自身へのレクイエムともなった「4つの厳粛な歌」は、取材されたテキスト(「伝道の書(コヘレトの言葉)」「ベン・シラの知恵(シラ書)」と「コリント前書(コリント人への第一の手紙)」)から言っても、まさしくジュリアン・ジェインズの言う「二分心」(bicameral mind)崩壊以降、レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」(technologiical singularity)以前の「神々の沈黙」「隠れたる神」の時代を生きる「人間」のものであるし、それは自作について「神を蔑ろにする」「キリスト教徒にあるまじき」ものと考えてさえいたブラームスその人のものであるのと同じように、レクイエムなき時代のレクイエムたる三輪眞弘さんの"Lux aeterna..."を自分の生きる時代に相応しいものと受け止める私のものでもあるのだ。そしてオピュールが『追憶のヨハネス・ブラームス』に記した、ブラームス自身によるこの作品の「弾き語り」の記録に接することで、この作品の「由来」を了解することができよう。オピュールは、自分が耳にしたものは「音でもって高められた言葉」であり「芸術歌曲とは全く別のものだった」と述べているのである。(ここで私は、三輪眞弘さんの「逆シミュレーション音楽」の3つの相のことを思い浮かべずにはいられない。それは過去の音楽についても、それらを博物館の収蔵品か骨董品であるかのようにではなく、「投壜通信」を拾い上げた人間が、自分が受取人であることを引き受けつつ、壜の中の手紙を読むように、まさに「今、ここで」再び生成するものとして受容するために何が必要であるかを教えてくれているのではなかろうか。)

 それ故ブラームスの音楽は恐らく、語るに落ちた存在であり続けるのだろう。そしてそうであることによって、「今からのち、主にあって死ぬものは幸いである」と語りかけ続けるのだろう。死者のまなざしとともにあることは、己も死すべきものであるということを突きつけられるような事態におかれることが伴っているのではなかろうか。そしてそうした思いへの目くばせなき言葉は、私が彷徨う空間とは別の場で響いているようにしか感じられない。(2011.12.25/29初稿公開, 2012.1.9, 1.15, 1.21, 3.10, 5.6補筆, 2019.12.26,28改訂・決定稿, 2023.12.11-12,14加筆)

0 件のコメント:

コメントを投稿