クルト・アイヒホルンがリンツ・ブルックナー管弦楽団を指揮したブルックナーの交響曲選集は、私にとって少なくとも3つの理由で 関心を惹くものであった。
1.最初はこの録音の企画に起因するもの。(1)第9交響曲の終楽章つきバージョンが収録されていること。 ここではサマーレ、フィリップス、マッツーカ校訂の「現存手稿譜による自筆スコア復元の試み」演奏会用バージョン(1992年12月)が 採用されている。(2)第2交響曲のキャラガン校訂による2種の初期稿(1872年稿, 1873年稿)が収録されていること。 私はブルックナーの残した様々な稿態そのものに別段の関心はなく、寧ろ改稿が行われた作品とそうでない作品との間にありえる かも知れない違いに関心がある。そしてどちらかと言えば改訂が行われなかった作品をより好む傾向がある。例外はこの第2交響曲 ということになるのだろう。
2.結果的に生じた曲の「選択」に起因するもの。「選集」と銘打って販売されているが、実際には「選択」が行われたというのは 事態を正確に言い表していないだろう。1990年4月に第7番から開始された録音は、1994年3月の第6番でいわば永久に 中断された、と寧ろ言うべきだろう。1994年6月29日、ミュンヘン郊外のムルナウでアイヒホルンは86年に及ぶ生涯を終える。 その結果、企画されていたらしい、第0,1,3,4番の録音は行われることがなかった。いわば企画は「未完成」に終わったのである。 だが私の嗜好からすれば、遺された録音が図らずも私が好きで、よく聴きもする作品とほぼ一致するような結果になった。
3.演奏の傾向に起因するもの。私はブルックナーの音楽の「ローカルな風景」といったものに惹かれる傾向があるので、 ブルックナーにとって「地元」であったに違いないリンツのオーケストラをミュンヘン生まれの指揮者が振った演奏の録音は 大層好ましい。必ずしも機能的に一流とは言い難いかも知れないが、独特の間合い、呼吸から生み出されるフレージングの 自然さは、いわゆる「即物的」で「客観的」と言われるであろうアプローチとは全く異質でありながら、この上なく「自然」であると 私には感じられる。オーケストラ自体の響きは(あくまで私にとって、だが)理想的と言ってよく、金管楽器群・木管楽器群・ 弦楽器群の間のバランスも大層好ましい。
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上記の3点を参照点に、個別の作品の解釈について幾つか書き留めておくことにすると、まず印象的なのが、最も小節数の多い 最初の構想を示す1872年稿を用いていることもあって70分に近づく演奏時間を持つ第2交響曲へのアプローチで、これは 第2と第3の間に相転移があったと見做す立場ではなく、第1(あるいは第0)と第2の間に相転移があり、第2から第5までが いわばツィクルスを為すとする立場に近い。いわば前哨的な小品と見做される傾向さえあるこの作品が、ようやく第8番に至って 再び採用される緩徐楽章をフィナーレの手前に置く構想を備え、しかもいわゆる「フィナーレ交響曲」でもあることを闡明する 演奏であると私には思われる。
第2からのツィクルスの棹尾を飾る第5交響曲と第6からのツィクルスで第5の位置に来る筈であった第9交響曲がまるで対を 為すように、非常に構えの大きな(だが決して巨大趣味で威圧するのではない)解釈を与えられていること、それと対照的に 常には最も雄大に演奏されることの多い第8交響曲が、あたかも第7交響曲と対を為す作品、同じ風景の変奏であるかのように、 一貫して壮大さを拒絶した解釈で提示されているのも興味深い。総じてこうした作品間の解釈づけの変化のベクトル自体が、 多くの演奏のそれとは異なって、私が考えるそれに近いように感じられ、我が意を得たりという気がする。
ブルックナーの改訂作業は、その作品が初演されるまでの紆余曲折と少なくとも無関係ではない。だが個別に見れば単純な図式化 には慎重にならざるを得ない。いわゆる第1次改訂の波と第2次改訂の波の間にも改訂のポリシーについての無視できない差がある。 この第2交響曲の改訂は、第1次改訂の波に含まれ、第2次改訂の対象にはならなかったが、事後的には改訂がなかったように 見える第5交響曲の成立のプロセスの只中にこの第2交響曲の改訂が挟み込まれるようなプロセスになっていることは留意されて いいだろう。しかしアイヒホルンがここで演奏しているのはそれに先立つ、初演に至るまでのプロセスに含まれる異稿である。 即ち1782年稿が試演の結果キャンセルされることになった最初の形態であり、1873年稿は初演された形態である。
留意すべきは、現実の改訂のプロセスは明確に区分できるようなリズムをもっておらず、例えば「最初の形態」と呼ばれるものが 各楽章毎にそれぞれ独立に設定しえて、時系列のある断面において1872年稿の形態が存在していたわけではないということである。 このような事情もあって私は、第2交響曲については、現在提示されている稿態のどれかにオーセンシティを認めるといった姿勢 自体に懐疑的である。寧ろ各稿態は、例えて言えば植物の生育のプロセスのスナップショットのようなものであり、かつ(ここは 非常に重要な点だが)そのスナップショットは、時系列の観点から言えば事後的に編集されたものなのだ。だが、意識された 時間流自体が事後的に編集されたものである(というか、時間意識の構成は、そうした編集作業そのものなのであり、しかも 意識があとから振り返っても編集のプロセスは消去されている。つまり編集の主体は意識ではなく、意識は結果を受け取る だけなのだ)から、時間のスケールは異なるとはいえ、それとここでの改訂とは同型のプロセスと見做すことができよう。 だが、であるとしたら、ここで「意識」に相当するもの、結果を受け取るものは「誰」なのだろう。作品の「完成」の条件は 「何」なのか。それが「演奏」されることを想定して書かれたということとは別に、(だから「作者」にとってではなく)「作品」の ある稿態にとってそれが「演奏」されたという事実の持つ意義はどこにあるのか。ここで演奏されている第2交響曲のヴァリアントは そうした問いを聴き手に差し向けているように思われる。
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しかしこの「選集」が最も異彩を放ち、存在感を示すのは何といっても第9交響曲が、勿論完全とは言えないまでも、本来構想された 形態に近づいた形でリアライズされた点にあるだろう。勿論、フィナーレの補完作業は既に長い歴史を持っているし、その過程の 折節に成果をリアライズする試みも行われてきた。例えば、初期稿による全集として話題になったインバルの全集では、まるで それが初期稿の延長線、クロノロジカルには寧ろ初期稿の更に手前に位置づけられるかのように、このアイヒホルンの演奏で使用された それに先立つ別のバージョンで収録されていた。ただし私の記憶では、リリース時には第9交響曲の一部としてではなく、第5交響曲の いわばフィルアップとして、あたかも「参考資料」であるかのような形態で提示されたのではなかったか。そしてそのリアライズの結果もまた、 ここではまさに「参考資料」でしかないものに留まっているように感じられた。
だが、このサマーレ、フィリップス、マッツーカ校訂の1992年12月版のアイヒホルンの演奏によってようやくこのフィナーレが本来あるべき 姿を、控えめに言っても「予見」させるような質を備えて提示されたように思う。勿論、稿態自体の完成度が完成された先行3楽章に 比較して大きく落ちるのは明らかであるし、構造的にも細部のテクスチュアにおいてもまだ、これまた先行3楽章が辿ったような変遷を 辿ったに違いないことは想像に難くない。マーラーの第10交響曲の場合と比べると、その作曲法の違い(それは作品の構成法の違い と極めて密接な関係にあるのだが)に起因するハンディは拭いがたい。コーダはインバルの演奏のバージョンのそれに比べれば遥かに 出来の良いものであるとはいえ、そしてその素材は証言に基づき慎重に推定されたもの(アレルヤのモチーフ)に基づいているとはいえ、 補作であることは否定すべくもない。だがそれでもなお、この演奏そのものが先行3楽章に釣り合ったこのフィナーレの構想を予見させるに 充分な質を備えていると私には感じられる。端的に言ってしまえば、この演奏によって初めて4楽章通して聴くことができる、否、 聴きたくなる水準が達成されたと感じられるのである。マーラーの第10交響曲について、それが如何に不充分なものであったとしても尚、 第2楽章以降を知っているのと、アダージョのみしか知らないのとでは作品についての理解が全く異なるように、この演奏に至ってようやく、 第9交響曲において目指されていた方向が浮かび上がったのであり、第3楽章のアダージョの終りをもって「完結した」と見做す理解と 根本的に異なった作品理解への手がかりが与えられたといって良いと思う。
否、仮にこの第4楽章の価値について最大限の留保をつけたとしても、しかもこれを私は録音で聴いているという制限を考慮して尚、 私はここにブルックナーの最晩年の姿を見出す思いがする。私はここであえて「姿」と言い、「心境」とか「心理状態」とかいう言葉を使うのを 避けておきたい。彼は自分の衰えを自覚し、今度は間に合わないかも知れないという思いに囚われつつ、それでもなお、神が彼を この世の営みから解放する直前まで彼は書くことを止めなかった。私が(誤解だろうが、思い込みだろうが)ここに見出すことが出来る、 遥かに遅れて、しかも間接的な仕方で垣間見るに過ぎないにしても、「出会う」ことが出来ると感じるのは、そうした彼の「あり方」の総体 であって、決して「内面」とか「心境」といった言葉で矮小化してしまえるような類のものではないのだ。既に別のところで書いた思いを私は 再びここで書き付けずにはいられない。シェーンベルクがマーラーの第10交響曲に関して述べたと言われる、人間的なものが超えることのできない 一線を、この音楽もまた超えているように私には思われる、と。人間がそのままの姿では通ることができない門。だが、まさに彼のために、 専ら彼だけのために設けられた門。その場をこの世には端的に持たない、ユートピアの音楽。予めその痕跡しか残らない、「幽霊的」にしか 存在しえなかったのかも知れないような、原理的に未聞(未聴)の音楽。自筆譜に書き留められたそれは、だがブルックナーの頭の中で 鳴っていたそれの不完全なコピーなどではないだろう。ここには彼の到達点(それは事前に定められたのではなく、突然、事後的に確定 してしまったのだが)において彼が探り当てた「姿」が書き留められている。しかしその一方で、こうしたケースにおいて「実演」に至らなかった ばかりか、「完成」すらしなかったかも知れない「作品」を単純に「存在しない」ものと決め付けてしまうことに、私は非常に強い抵抗を覚える。 彼はこの未完の自筆譜すら破棄することなく、まるでいつか続きの作業を再開することを予期するかのように遺した。(残念ながら、それは この世においてはその価値への無理解から散逸してしまい、もしかしたら彼が見出した全てを現在の我々が見ているのではない可能性が 高いことにも留意しておこう。)要するにこの世というのは、そうした場所なのだ。ここで眺望を妨げる制約は、ありうべき、 来るべき「作品」の側ではなく、この世に生きる我々の側に専ら起因するものであることを銘記すべきであろう。この作品がこの世において 完成しないのは、「幽霊」たらざるを得ないのは、この世ゆえなのだとさえ言いうるのではなかろうか。だとしたら私に出来ることは、そうした 「幽霊」を決して厄払いすることなく、「幽霊」として歓待することしかない。それゆえ私はこの演奏を今後も聴き続けるであろう。
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