ショスタコーヴィチは自分の好きな作曲家なのか、と考えると、どうしても留保がついてしまう。幾つかの曲は非常に頻繁に聴くし、そこに感じられる態度や姿勢のようなものに共感を覚えるようになってきていて、なおかつそれが年を経るに従い強くなってきている。一方ではあのアクの強い語り口、特に交響曲にしばしば見られる騒音すれすれの大音響や暴力的な音響効果には辟易するし、トレードマークとも言いうるであろうグロテスクな効果は些かやりすぎのように感じられることも多い。多分、好きというのとは少し異なるのだが、無視はできない、自分にとってポレミックな音楽なのだ。(ただし、それは一般にショスタコーヴィチの音楽が持っているとされているポレミックな要素とは直接にはほとんど関係がない。後述のように寧ろそうした側面は私が苦手な部分で、それゆえ留保がついているという側面もある。)
実はショスタコーヴィチの生没年を確認してみて、本来は「同時代の作曲家」の一人として取り上げてもいいはずであることに気付いたのだが、結局、そうすることは断念した。なぜなら、私にとってクセナキス、三輪眞弘がそうであるようには彼の音楽は同時代の音楽ではないからだ。私個人にとってのアクチュアリティという点では充分なのだが、それはいわゆる同時代性というのとは異なり、寧ろ、はっきりと過去の音楽であるヴェーベルンやマーラーの音楽の持つそれに近い。勿論、1970年代にショスタコーヴィチが没した時、私はまだ彼の音楽を知らなかったのだから、それをもって同時代性というのは成立しないと言ってもよいのだが、それ以上に、ショスタコーヴィチというのは、すでにその時点で過去の作曲家と見做されていたような気がする。音楽史の年表の中に納まった「過去の大作曲家」の一人。子供にとって、年表に収まった偉人との時代的な距離感など把握しようがない。彼にとっては、年表に収まっているということは、すでに歴史を超えた存在であるということなのだ。(実感としては、子供でなくたって、異郷の地に過去の時代を生きた人間との距離感を測るのは無理だというのが本当だろうが。)色々な事情があって、彼の様式が寧ろ今ならポスト・モダンの先駆ともいえるような多様式主義的な折衷を(そういう意味では非常に「早い時期に」)示していることも、時代的な距離感が狂う原因の一つなのだろう。一方で生年を見て驚くのは、恐らく初期のアヴァンギャルド、モダニストとしての彼を良く知らないためなのだが、モーツァルトの再来と呼ばれたにも関わらず、ある時期より前の作品を敢えて聴こうとは私は思わない。これは個人的な嗜好の問題で、自分が望んでいる音楽が聴けるのは寧ろ中期以降、特に後期の作品だからだ。
というわけで私はショスタコーヴィチについて何か意義あることが語れるほど熱心な聴き手ではない。少し調べればわかることだが、ことショスタコーヴィチについては、実に充実したWebページがたくさん存在する。Webページを見る限り、熱心さの度合いにおいてショスタコーヴィチは他の作曲家に比べて群を抜いているというように感じられる。非常に聴き手に恵まれた作曲家なのだ。それだけではなく、そうしたWebページの作者には実際に演奏もされるという方が多いように思われるのも特徴の一つかも知れず、ショスタコーヴィチが特定の楽器のために作品を書いた作曲家でないことを思えば、それ自体興味深い現象のように思える。
例えばマーラーの場合だって私の態度は熱狂というには程遠く、どちらかといえば距離をおいた聴き手に過ぎないのだが、マーラーの場合には交響曲のみならず歌曲についてもほぼすべての曲に親しんでいると、まずは言えるだろうが、ショスタコーヴィチの場合には、彼が多作家であることもあり、そもそも私はその作品のごく一部しか知らないのである。交響曲と弦楽四重奏曲、24の前奏曲とフーガ、それに加えてヴィオラソナタをはじめとする若干の室内楽や歌曲以外はきちんと聴いたことがないといって良い。そのかわりに聴き比べのようなことに熱心かといえば、そんなこともない。
実演を聴いたのも僅かに数回に過ぎない。もっとも私は極端な出不精なので、実演で主要な作品を聴いたことが複数あって、なおかつ(この点は重要だが)そのいずれも非常に深い感銘を受けたという点で、ショスタコーヴィチの存在感は非常に大きいだのだが。
そうした私が何かを語りうるとしたら、距離をおいた聴き手にとって、ショスタコーヴィチの音楽の受容というのがどういうものであるかくらいしかないだろう。けれども私見では、この受容のありようというのは、ことショスタコーヴィチの場合、私にとっては謎めいた部分が多い、奇妙なものであるように感じられてならないのである。一言で言えば「普通の」聴き方、他の作曲家と同じような聴き方をするというのが、一般的な通念として通用しないように思われるのである。そこでここでは、そうした違和感について書き留めておきたいと考えている。
私のような「部外者」がショスタコーヴィチの音楽とその聴取について一番驚かされるのは、その音楽の社会的機能とでもいうべき側面の歪なまでの強調だ。私が良く聴く音楽では当たり前の、個人的なモノローグが、日常を扱うことが「公式に」禁じられた社会という特殊な(?)環境で生み出された音楽という前提がまずあるのだから、仕方がないことではあるのだろうが。だがしかし、例えばフランス革命期以前の音楽の社会的な役割、あるいは言葉としての音楽のことを考えれば、何が特殊であるかについてはもっと慎重であるべきだろう。あくまで、私の立つ地点からの眺望の中では特殊で例外的に見えるということに過ぎないということに留意すべきであって、だから単純に、特殊だから、例外だからといって済ませるのは割り切りすぎのように思われるのである。寧ろショスタコーヴィチを起点にして、他の音楽の聴取のありようを確認してみるべきなのかも知れないのである。
そうは言うものの、社会的な機能への偏重は、まずは創作とそれへの直接的な評価の次元で既にグロテスクと形容したいような異常さを帯びている。これは良く知られたことであるから、その事実を今更指摘しても仕方がないのは承知の上で、その異常さは強調してもし過ぎということはないのではないかと思われる。何とここでは国家体制が個人の書いたものを評価し、断罪するのである。何ということだろう。プラトンが哲学者の厚かましさから音楽を断罪したり、宗教改革家の一部が音楽を礼拝の場から追放したり、という例がないではないし、「サロメ」が検閲にひっかかってマーラー監督下のウィーン宮廷歌劇場で上演できなかったといったような例はあるだろうが、、ある作品を書いた廉で断罪され、場合によっては生命の危険に晒されるという状況ともなれば、ナチス支配下のドイツ、同時代の日本くらいしか比較すべき例が思い浮かばない。
しかし、私見では異常さはそういう既に過去の歴史となった文脈においてだけでなく、本来、そうした呪縛から自由たりうる(もしかしたら自分ではそうであると勘違いしている可能性だってある)「外部」の人間をも実際には侵蝕しているように思えてならない。創作のコンテキストの外部の人間までもが、創作の意図の水準での(要するに「秘められた」プログラム=標題という水準での)社会体制上のプロとコントラの暗号解読に熱中し、それに応じて作曲家のみならず、音楽そのものの評価が一転してしまうことすらあったのだから。
もっとも厳密を期するならば、特殊であったり例外的に見えるのは、音楽が社会的な機能を果たすことそのものではなく、その機能のみにより作品を評価し、あるいは断罪する姿勢の方なのだろうが、いずれにせよ、まるでその曲がどのように美しいかではなく、その曲の作曲が体制批判を「意図していたか」の方が重要であるといわんばかりなのだ。
しかも何故か、現在においてすら、ショスタコーヴィチの音楽に関しては、こうした事態の異常さそのものへの驚きがはっきりと語られることはない。時折あるのは、美学的な自律を是とする立場から、「純音楽的」に音楽に接しようとする立場くらいのように思え、部外者にはそうした状況そのものが何か異様なことに思えてならないのである。
そうした意味では、例えばアドルノのマーラー論の指摘を敷衍してショスタコーヴィチについて検討することは、恐らく牽強付会以上のものがあるに違いない。実際には、アドルノがマーラー論で提起した観相学は、ショスタコーヴィチの音楽にこそふさわしいのではないかとすら思える。そしてそれはアドルノ自身によっても果たされていないし、その後他の誰かによっても果たされていないように思われる。(時代的にはほぼ同時代人であったアドルノは、ショスタコーヴィチの音楽について語ろうと思えば語れた筈なのだが、なぜか(ある意味では不当にも)シェーンベルクの敵役にさせられたストラヴィンスキイに対する批判ばかりが有名で、ショスタコーヴィチに対するコメントというのは寡聞にして知らない。ご存知の方のご教示をお願いしたい。マーラー論の中には、間接的なコメントと思われる部分は存在する。また、「新音楽の哲学」序論では、一見したところ批判的な、ただし皮相な扱いでショスタコーヴィチの名前が出現している。だがこの著作はそもそも1948年以前のものであり、アドルノは恐らく第4交響曲を知らずに、そしてこの時点では確実に、弦楽四重奏曲のほとんど―もっとも控えめにみても第4番以降―が作曲される前に、勿論、第10交響曲も第13,1415交響曲の作曲以前にこの文章を書いているのである。もっともアドルノの―シェーンベルクやヴェーベルンと共有している―偏狭な地方主義、言い換えれば己の文脈への忠実さを思えば、師ベルクの好意的な眼差しを仮に知っていたとしても、ショスタコーヴィチに対して偏見のない見方をしたようには思えないが、、、。
アドルノの観相学が意味を持つ、というのは、それもまたある種の「暗号解読」であったとしても、それは「作者の意図」なるものを目がけたものではなく、寧ろ作者の意図をも相対化して作品が含み持つ射程を明らかにしようとしているからに他ならない。ショスタコーヴィチの音楽については目下のところ、「作者の意図」という正解めがけて「暗号解読」が行われていて、勿論それは意義深いことだろうし、その成否に私も興味がないではないが、けれどもそうした「正解」それ自体に対する関心は結局のところ、私の場合にはほとんどないというのが正直なところなのだ。「証言」を巡る真贋論争は、ほぼ偽書ということで決着をみたようだが、それでも例えば「墓碑銘としての作品」という印象的な表現は、彼の作品の中でも特に私が強く惹かれる作品のありようを、あるいは、もっと言えば「そうあってほしい」と私が考えている作品のありようをある程度探り当てていると思うし、要するに、ある水準での「真偽」が聴き取ったものを変えてしまうということは結局のところ、なかなか起きないように思えてならないのである。
受容美学へのアドルノの反撥は、恐らく受容者が「音楽のかわりの荒唐無稽」の廉で作品を断罪する事態(アドルノがそれに言及していたかどうかは知らないが、知らなかった筈はない。)に対する反撥に由来するだろう。音名象徴その他の暗号化にしても、解読表が存在する安定した空間でのメッセージのやりとり(そこには正解がある)よりは、むしろアレゴリー的なものと考えた方が良いように感じられなくもない。傍で見ている人間の戯言に過ぎないのは承知の上だが、音名象徴を読み解くことで何か隠されていた「真理」が顕かになり、それにより作品の価値が一変する、というのは随分極端な事態に思えてならないのである。勿論、私は幸い歴史家でもなければ音楽学者でもない、単なる享受者なので、色々な意味での「真理」に関わらずに済むということなのかも知れないが。
もっと言ってしまえば、ある音名象徴が重要であることが判明したとして、それは作品の演奏解釈にどう持ち込まれるのだろうか?単に、その音形を強調して、「これが大事なのですよ」と示してみせる程度のことに作品の解釈が終始することはよもやあるまい。勿論、ある旋律が引用であり、それが引用であることを知っていると知らないとで、聴取の仕方が変わるというのはありえるが、だからといって、引用であると知らずに聴いたその印象が「誤りである」と言い立てることができるとする立場には私はついていけない。そしてこの事は決して瑣事だとは思わない。経験のない子供がある音楽を虚心に聴いて全身で受け止めた印象こそ、引用とアイロニーの大家たるマーラーの音楽が、ショスタコーヴィチの音楽が救いだそうと思っている経験を探り当てていないとどうして断言できるのだろうか?もう一言言えば、仮に「証言」が偽書でなく、ムラヴィーンスキイの第5交響曲フィナーレの解釈をショスタコーヴィチその人が是としなかったとして、そのことをもってムラヴィーンスキイの解釈が「誤り」として葬り去られるというのだろうか?まさかそんなことはあるまい。ムラヴィーンスキイの演奏を聴けば、そうした断罪は要するに、それこそ「荒唐無稽」の単なる裏返しに他ならないようにしか感じられないのは必ずしも私だけではないだろう。
ただし、そうはいってもアドルノの創作の極への美学的な偏重には疑問は残るのもまた確かだ。結局のところ作品は読み解かれることを欲してはいないだろうか?壜に手紙を封じて海に投じるのは、それが何時か誰かに拾われて読まれることを期待してのことだ。作品の価値を決定する必須の契機として、理論に受容者を招じ入れることの危険とは裏腹に、作品は受容者を待ち望んでいる。作品それ自身が生き残り、引き継がれ、再生産されることを望んでいるのではないか?要するに「星座」は解釈者の視点を前提としている。ならばなぜ作品において創作の極のみが偏重されるのか?勿論、解釈者を固定することはいわば論点先取であり、その意味で受容者を「前提とする」ことへの抵抗は首肯できる。しかし星座は解釈者の立つ位置によって、そのすがたを変えるのだ。否、時が経てば、元の星座の見分けすらつかなるなるだろう。そもそも解釈者の視点なしに星座というのを考えることはできないのだ。所詮は理念の関係とて、プラトン的なイデアの世界の住人ではありえない。星座というのは言いえて妙であって、アドルノの立場はその意味で、自分の立っている歴史的文脈に自覚的なものには違いないのだ。しかし、そうであってみれば、創作の歴史的文脈への理解なしには作品の正しい理解がありえないとする立場において、創作の極への偏重は、結局のところ作品の自律性を、解釈の恣意性への危険への予防線と引き換えに損なってしまうことになりそうである。
否、私個人のショスタコーヴィチ受容に限定すれば、もっとずっと単純なことだ。一旦、消費され忘れ去られないような類の音楽を手にした個人は、それを何とか救い出したい。結局は社会的関係に媒介されたものであるとわかっていて、なおかつ、それでも、そうした文脈に音楽が翻弄されることから救い出したいのだ。ショスタコーヴィチの場合、ある時期以降、交響曲については、その(強いられた)社会的機能を踏まえたうえで、作曲者が意識的かつ巧妙に利用したような感じがあって、もう一捻り加わってしまうように思える(第11交響曲から第13交響曲までのことを思い浮かべている)。もっとも、最初はそのつもりでいて、その後は不本意ながら「公的な」ものであることを強制された交響曲においても、例えば第10番が、そしてとうとうお終いには、第14,15番が個人への回帰をはっきりと告げている。それは勿論、上述のように単純に、自然と手に入れられたものではないにせよ。しかしながら幸いなことに弦楽四重奏曲があって、ここでもしかしたら、救い出したいと思っていたものが、まだ比較的手付かずで残っているかも知れない。だから私の場合、どちらかというと交響曲よりは弦楽四重奏や24の前奏曲とフーガのような作品の方に関心の中心が移りつつある。いまや時代は巡って、例えばマーラーの時代にヨーロッパにおいて室内楽やピアノが持っていた社会的機能は変わり、その結果少なくとも私が聴き出したい音楽は、そちらにより多く含まれているように思えるのだ。
一方でマーラーが無意識の裡に、自ら進んで第8交響曲でやってしまったことを、ショスタコーヴィッチは例えば森の歌で、恐らく意に反して、しかも自分が何をしているのかを自覚しつつ反復する。その自覚には宗教的・文化的な沈殿物を拒絶したソヴィエトの体制の歴史の浅さによる文化財の安っぽさが与っているに違いない。森の歌の歌詞とゲーテのファウストを等価なものとして扱うことは、ファウストに盛られたゲーテの考え方に反撥する人間であっても躊躇せざるを得ないだろうから。(しかしそれでもなお、音楽の価値というのは更に別なのだ、ということも可能かも知れない。ここで考えるべきなのは、ナイーブなケクランが恐らく勘違いして「森の歌」に熱烈な賛美を送ったことでは勿論なく、寧ろ、アドルノがナチス賛美の内容を持つさる合唱曲に好意的な評を書いた廉で、後日容赦ない指弾を受けたにも関わらず、その作品「自体」の価値については最後まで認めていたことを思い浮かべるべきなのだろう。この場合に、そうした態度を決して許容しなかったアーレントの側にのみ分があるとすべきかどうかは、大変に難しい問題を含んでいると思う。)
個人に残された領域、それは人間であることの限界との戦いであったようだ。勿論、ここで人間であることは、社会的に媒介されていることも含まれるし、進化論的な視点での個体としての限界のようなものもそこには同時に含まれているに違いない。けれどもここで重視したいのは、例えばマーラーにおいては常にとっておかれた「内面」が、ここで保持されているように思えるということだ。それ自体社会的に媒介されているのは否定すべくもないとはいえ、ここでは直接的に社会的な機能と果たそうと意図されることなく、個人の問題に拘泥することにより、寧ろ、ショスタコーヴィチの置かれた環境の、同じことだがショスタコーヴィチの人となりの独自性が顕かになるように思われるのである。
例えば、いわゆる社会的な強制(ここでは主として経済的なものと考えてよいだろう)からようやく自由になったマーラーが、大地の歌と第9交響曲で個体としての限界と率直に向き合ったときの姿勢に比べて、ここでのショスタコーヴィチの姿勢の何と攻撃的で、シニカルなことか。マーラーの場合には「この世に忘れられる」ことの安らぎと、あるいはもしかしたら「嘆きの歌」で描かれた眠り、「さすらう若者の歌」の若者が終曲で旅立つことで手に入れる眠りのあの、不思議な甘美さと通じたものがあるのに対し、(大地の歌の終結部でマーラーははっきり自分の青年期に回帰している。)ここでは、そうした甘美さはない。また、マーラーの場合には、あの憧れが既成の宗教的なものとはっきりと切り離された大地の歌と第9交響曲においてすら、辿り着けないものとしてであれ「幸福」の仮象が提示されているのに、ショスタコーヴィチの場合には、それすら許されないかのようなのだ。
宗教が公式に否定された世界に生きた作曲家は、唯物論が是とされる社会に強制されてでは必ずしもなく、革命運動家の血を引くその生い立ちによって、あるいはその後の生の行路を経て、魂の不滅についてどのような考えを抱いていたのだろうか?
魂は己の他者にほかならず、むしろ自分のうちそとを往還しうるものであって、それと引き換えのようにして自分が残す痕跡としての作品、今は偽書であることがほぼ明らかとなった「証言」での文脈とは異なって、全く私的な「墓碑銘」としての自分の作品たちというかたちでしか、その永遠性を考えることができなかったのではないか。第14交響曲の詩の選択と構造は、人間としての、個体としての限界に対する諦観と同居する強烈な反撥心、作曲家としての誇りを示しているように感じられてならない。
ここには超越の断念、あるいは拒否があるようにすら思える。しかしだからといって、超越への憧れを軽蔑することはない。私事になるが、さる大江健三郎研究者からの私信にショスタコーヴィッチの音楽について「生きのびる」という感覚に集約されるというコメントがあったのを思い出す。高貴なもの、若きマーラーなら「突破」として形作ったであろう、あの契機は、世の成り行きによりすっかりだめにされてしまって、もはや何の力もない。でも生き延びて、しかも良く生きるべきなのだ。そうして生き延びたところで、有限な個体には乗り越え難い限界があり、それとの戦いは、必ず負けることが決まっているという点では、世の成り行きとの戦いと同じかそれ以上の絶望的なものなのだが。
そして「生きのびる」ということには、色々な意味合いが含まれるだろう。しばしば、実際にはショスタコーヴィチは「勝者」であったではないか、という言い方がなされることがある。ショスタコーヴィチが実は勝者だった、というのは多分間違っていないのだろう。だが結局、誰も彼の立場に身をおくことはできない。これは想像力の問題ではないのだ。そもそも生きのびることそのことを「勝利」と呼ぶのが適切かだってわからない。そしてまた事の是非はともかく、生きのびたことと音楽とはどこかで繋がっているというのもまた事実だろう。もしかしたら、勝者になるために必要な臆病さ、卑小さ、狡猾さもひっくるめて。だが、注意すべきは、そうした作者の生と音楽との結びつきは、とりわけショスタコーヴィチの場合には決して一方向ではなく、それゆえ伝記主義的な読み方では不十分なのである。なぜならば、ショスタコーヴィチに数々の「公的な」栄誉を与えるのみならず、いわゆる「名誉回復」を果たさせたのも、そして何よりも恐怖と消耗と、あるいは妥協と迎合の原因を作ったのも、彼自身というよりは音楽自身なのだから。否、それだけでもない。そうした公的な水準だけでその往還を眺めるのは恐らく全くの間違いだろう。結局、その音楽を社会的な機能のみに限定した考えることは、それを全く捨象するのと同様誤りなのだ。弦楽四重奏曲や24の前奏曲とフーガはその証人であるように感じられる。恐らくそれは、(生活の糧を得るという経済的な水準とは別のところで)生きのびるために(比喩ではなく)不可欠のものであったに違いないと、音楽を聴く私は思わずにはいられない。そしてこうした往還というのは、そんなにどこにでも聴くことができるような類のものではない。
意地悪く冷静な人は、純粋に「引出しのために」書かれた作品なら、そもそも発表などしなければ良い、純粋に自分のためだけに書くのであれば、最後まで引出しの奥に置いておけばよい、あるいは「頭の中では何度も完成した」第8交響曲のシベリウスのように燃やしてしまえば良い、と言うかも知れない。だが、多分ショスタコーヴィッチの場合にはそういうわけにはいかない衝動があったに違いない。反形式主義的ラヨークのように最後まで秘匿した純粋に「私的な復讐」のための作品もあるとはいえ、やはり自分が創りだした音楽が享受され、それが己れと作品とに還ってくる往還の運動自体を彼自身のためというよりは、自分の作品にとって必要なものと考えていたのではなかろうか。純粋に社会のためにというのと同様に純粋に私的な目的というのも恐らく抽象に過ぎない。そもそもここでの「私」とはどの範囲を指すのか?近親者、ごく親しい人々?それらも排除したショスタコーヴィチその人?そもそもここでは主体は最早ショスタコーヴィチその人ではなく、作品そのものなのである。そして作品自体の独自の生命のことに思いを致せば、そうした媒介の必要性はごく自然なことだし、そうやって獲得され、確かなものになってゆくに違いない作品の独自の生命に、ショスタコーヴィチが或る種の希望を託していたのはほぼ疑いのないことのように思えるのである。
体制の問題を捨象したとしてもなお、ショスタコーヴィチの場合、自分が何かを語る、自分の中に語るべき何かがあるという契機は必ずしも明確ではない。なぜなら彼は職業的な作曲家であり、ある時は委嘱されて、ある機会なり目的のために、ある時は生活の糧を得るために作曲をしたからだ。勿論そうした作品だって、「自発的に」書かれた作品に比べて、その「何ものかの声」がか細いのだとアプリオリに主張することはできないだろう。けれどもアドルノがマーラーについて語ったあの世の成り行きとの拮抗関係は、ここでは傍から見るとグロテスクとも感じられるほど露骨に現実的な問題として作曲家にふりかかる。マーラーにおいては、(ユダヤ人であることの疎外は勿論無視できないだろうが)せいぜいが経済的な問題であったかも知れないものが、体制の問題、そして戦争のせいで、ここでは文字通り生死に関わる問題であったに違いないのだ。
要するに、自分を介して語ろうとする何ものかの声に忠実であったマーラーの場合、大きな戦争のない、比較的平和な時代に生きたことと、職業的な作曲家にならなかったことで、そうした創造の極の関係が相対的には見通しやすいのに対し、ショスタコーヴィッチの場合は事態は幾重にも錯綜としているのである。それゆえにややもすれば、「彼は何を語りたかったのか」という、他所でなら最早些かナイーブに過ぎるとしてそのままは受け止められえないような問いが、ここでは執拗に幅を利かせることになる。そしてそれに見合った分だけ、音楽を、あるいは作曲者を救い出したいと熱望する人間もまた、「標題」についての論争に、敵対する人間と同じだけ囚われてしまうのだろう。所変われば品変わる、とばかりに、ここではハンスリック流の絶対音楽と標題音楽との間の論争など、お門違いも甚だしいということになってしまうのだろう。音楽学者の仕事は、ここでは「二重言語」の解読、要するに作曲者の「意図」を解読する作業であり、彼の音楽の魅力の主たる源泉はそこにあるらしいのである。勿論、それにはそれだけの必然性があることはわかるし、それがショスタコーヴィチの場合の特殊性であり、また、ある人にとっては尽きぬ魅力の源泉になるのだろうことも理解できる。けれども、多分、優れた作品は解釈者が解くべき謎というのを必ずや内包しているのであって、そのこと自体はショスタコーヴィチのみに固有の事態ではないのではなかろうか?こう言ってしまえば、何故、他ならぬショスタコーヴィチを聴くのかという個別性を救い損なってしまうのではないかという懸念がありそうだが、決してそうではない。私にとっては関心は、多義性そのものの解読ではなく、あくまでもそうした幾重もの錯綜と屈折の只中に置かれた人間の、世の成り行きと、己の運命に対する姿勢であり、音楽がそこで持ちえた無比の響きのありようの方であって、これは全く個別的な固有名で名指す他ないような出来事だから。
結局のところ、ショスタコーヴィチの音楽に対する自分の態度の両義性というのは、ここに行き着くように思える。作曲者の意図と作曲されたものが無関係であるような音楽には私はほとんど関心がない。(勿論、そうした音楽に価値がないと考えている訳ではない。単純に、個人的に関心がないだけである。けれども、例えばバロック期の作品であっても、古典期の作品であっても、私が心惹かれる作品には、何らかの作者の衝動なり意欲なりのベクトル性を感じることができるような気がするのだ。それは必ずしもプログラム=標題である必要はない。)その一方で、主観的な意図を解読する作業が作品の分析なり観賞なり「である」とする立場、作曲者がほどこした仕掛け自体に作品の価値なり魅力なりがある、という立場には、全く同意できないのである。私にとっては、そうした仕掛けなしに語れない屈折を感じ取ることや、そうした仕掛けを通して、あるいは仕掛けを潜り抜けて(そのどちらであるかは私にとっては副次的なことだ)伝わってくる、ある種の存在様態、世界に対する、人間の有限性に対する態度のようなものの切実さを感じ取ることの方が、遥かに大切に思える。多義性のどちらかを「真実」として顕揚することが問題でないのは勿論だが、作品の多義性そのものの謎解きも、それが自己目的化した途端に、音楽が私につきつけてくるものから逸れてしまっているという感じを拭い難いのである。
そして、不勉強ゆえにそうした「仕掛け」や作曲者の「意図」の「真実」に関して判断する材料を持ち合わせない私のような聴き手にとっても、ショスタコーヴィチの音楽がかけがえのない何かを突きつける凄みを持っているのは確実なことなのである。
永遠はない。従って叙情もない。あるのは移ろいやすさ、儚さの悲しみだけ。ここでは逃避すべき叙情的な形象は既にこなごなに砕け散っていて、廃墟の風景の中を彷徨うしかないのだ。
同様に回帰すべき「自然」なり「大地」なりもない。ただ、人間の営みの軌跡である歴史とその中で翻弄されつつ変容していく悲しみがあるばかり。従って、シューベルト・マーラーにおいては、さすらいがあるかわりに(たとえそこに辿り着けないとわかってはいても、少なくとも追憶する記憶の裡には)故郷があったのに、ここではそうした形象もまた、拒絶されている。未来は己の有限性により縁取られ、過去は歴史上の愚行とその犠牲についての追憶に塗りつぶされていて、やっとつかの間の現在に、気晴らしが、息抜きが慰めが時折ゆるされているかのようなのだ。ここには、実際には断念されているがそうしたものとして音楽が仮象として垣間見せてくれる幸福、和解の幻影すらもない。そして世の成り行きの愚かしさだけは、たっぷりと記憶に焼きついていて、おのれの有限性に苛立つあまり、それをグロテスクにカリカチュアライズせずにはいられない。戦争を知らない世代である私にとっては、マーラーの音楽に込められた反応の様態の方が、より一層近しいように感じられるのだが、一方で、例えば自分の祖父・祖母や親達の世代から引き継がないとならないもの、忘れたり、目を背けてはならないものがあることと、ショスタコーヴィチの音楽の音楽に込められた反応の様態と向き合うことで受け取るものとの間には、共通するものがあるように思えてならない。実際、生きた場所は違っても、ショスタコーヴィチはほぼ祖父・祖母の世代にあたるのだから、それは当然といえば当然なのだろうが。私が知らないところで、私が生まれる前に私の親は、空襲で住む家を焼かれ、あるいは疎開した先でも米軍機の機銃掃射に遭うという経験をしたと語ったことがある。例えばショスタコーヴィチの第8交響曲を聴くことは、私個人の生の経験の実感としてではなくとも、そうした語り継がれた記憶として充分に切実なものなのだ。幾ら純音楽的に聴こうとしても、私には最早そうした聴き方しかできないのである。その第2楽章や第3楽章をアクロバティックな演奏技術を楽しむことを目的として聴くのは、どうやら私には無理のようである。そうした聴き方は、(すでに数多くいるに違いない)より若い世代の聴き手の方々のためのものなのであろう。こういうことを書くと、まるで、歴史的文脈に即してショスタコーヴィチを聴くことに舞い戻ってしまったかのように思われるかも知れないが、必ずしもそうではない。第8交響曲の「秘められたプログラム」など私にとってはどうでもいいことで、ただ、その音楽を聴いて感じ取ることのできる経験の質の異様さが、自分にとってはほとんど未聞のものでありながら、決して自分に無関係な事柄ではない、ということが言いたいだけである。何なら、第14,15交響曲、あるいは文字通り最後の作品となったあのかけがえのないヴィオラ・ソナタに刻印された反応を、己の行く末と重ねてみたっていいのである。こちらは(上述のような意味での)歴史を捨象した経験にならざるを得ないだろう。ここには唯物論的な情け容赦ない認識が、その認識を耐え抜こうとする強靭な態度が、他ではちょっと考えられないほどの徹底振りで、直裁に提示されている。
だから私は時折、ショスタコーヴィチの音楽がつきつける認識のあまりのシビアさに、その態度のあまりの冷徹さにたじろぎ、打ちのめされてしまうほどだ。その音楽は「夢見てはならない。」 「くつろぎがもしあるとしたら、今のこの瞬間にしかない。過去にも、未来にもそれはない。」と語っているかのようなのだ。
けれども、最初にも書いたことだが、年を経るに従い、どちらかというとそういうショスタコーヴィチの認識から逃げ回ってばかりはいられないような心境になってきている。 少なくともその音楽の問いかけるものは、自分にとってアクチュアルなものだし、今後ますますそうなっていくに違いないと感じている。 (2005.8.1公開,8.3,2006.4.2,6.17,7.3加筆修正, 2007.4.28, 6.26加筆, 2008.4.12加筆修正, 9.25修正, 2009.8.15, 9.23, 10.31, 11.7修正)
copyright(c) 2005--2009 by YOJIBEE
0 件のコメント:
コメントを投稿