2026年4月2日木曜日

続・交響曲の「調性の地図」——ポスト・マーラーへの延長線

 マーラーが指し示した方向

前稿では、後期ロマン派から20世紀初頭にかけての交響曲を対象に、五度圏上の重心の動き方をMIDIデータから数値化し、主成分分析(PCA)によって「調性の地図」を描いた。そこではマーラーの12作品が時代順に横軸(PC1)を右から左へと辿っていくこと——つまり調性の求心力が年を追うごとに薄れてゆく傾向が見られた。

では、その方向の先には何があるのか。マーラーが到達した地点からさらに前へ進んだ作曲家たちは、この「地図」のどこに位置するのか。本稿はその問いを主題とする。

分析対象の再設定

前稿ではブルックナー、シベリウス、ブラームス、ショスタコーヴィチを比較対象として取り上げ、古典派(ハイドン、モーツァルト)を参照点とした。ブルックナー・シベリウス・ブラームスは「マーラーを取り巻く同時代的座標」として機能していたが、本稿の問い——「マーラーの先」——にとっては直接の対象ではない。今回はこれらを除き、代わりにアラン・ペッテション(第6~16交響曲の全11作品)とアルフレート・シュニトケ(交響曲第5番=合奏協奏曲第4番の第1楽章)の交響曲を加えた。ショスタコーヴィチ(第9,10交響曲の第1楽章)は前稿では参考として位置づけていたが、本稿ではより正面から取り上げる。

参照点についても変更した。前稿では「調性音楽の典型」として古典派2作品を置いたが、本稿ではマーラーとほぼ同時代の作品——フランク(交響曲ニ短調、1889)とスクリャービン(交響曲第3番「神聖な詩」、1904)——の第1楽章を参照点とした。これにより、マーラーを古典派との距離で測るのではなく、同時代の後期ロマン派の語法の中に置き直すことができる。

全28作品(楽章)が今回の分析対象である。

作品選定について——MIDIデータという制約

ペッテションとシュニトケを選んだ理由は、マーラーの後継者という観点からの音楽史的な必然だけではない。正直に言えば、近現代の交響曲的作品のMIDIデータはいまだ非常に限られており、今回取り上げた作品は「分析に使えるMIDIデータが存在した」という条件によって強く絞り込まれている。フランクやスクリャービンについても同様の事情がある。

これは単なる技術的な制限にとどまらない。前回取り上げた古典派・ロマン派の作品の場合は、一部を除いて複数のMIDIファイルの中から信頼性の高いものを選択・検証するという工程が可能だったが、今回の多くの作品では比較対象となる別のファイルがそもそも存在しない。MIDIファイルの作成の仕方に由来する誤差や偏りが、より直接的に分析結果に影響している可能性がある。本稿の結果はそうした制限のもとで読まれる必要がある。

今回の「地図」

以下の散布図が今回の分析結果である。

図1:28作品の主成分分析結果(第1、第2主成分によるbiplot)・作曲家別重心つき

図2:28作品の主成分分析結果(第1、第2主成分によるbiplot)・作品ラベルつき

前稿と同様、2つの軸の基本的な意味合いは保存されている。横軸(PC1)は「調性の求心力」の軸——一方の端に調性の凝集した状態、もう一方の端に調性空間の希薄化した状態が対応する。縦軸(PC2)は調性焦点の安定性に関わる補助的な軸である。分析対象を大きく入れ替えたにもかかわらず、2つの軸が捉える構造の意味合いが変わらなかったことは、この指標体系の安定性を示すものといえる。

ただし、今回の図では前稿と比べて軸の正負が入れ替わっていることに注意してほしい。前稿では古典派が横軸の左端(調性的凝集の強い側)に位置していたが、今回の図では右端の正方向が凝集の強い側に対応し、左端の負方向が調性的希薄化の進んだ側となっている。これはPCAが軸の向きを任意に決めるという統計的な性質によるもので、分析の内容や解釈に本質的な変化はない。

図全体の幾何学的な構造についても、個別の作品を読む前に確認しておきたい。マーラー群(図1の橙)とペッテション群(図1の緑)はそれぞれ楕円状に分布するが、その長軸の向きは約77度の角度差を持つ——ほぼ直交している。マーラーの楕円はおよそ右上から左下の方向(PC1とPC2が同方向に変動する軸)に長く伸び、ペッテションの楕円は左上から右下の方向(PC1とPC2が逆方向に変動する軸)に長く伸びる。両楕円の軸比はそれぞれ約3.1と近似しており、形状的にはほぼ同じ「細長さ」を持つ2つの楕円が、向きを直交させて配置されているという対称的な構造が浮かび上がる。

この直交という事実は、マーラーとペッテションにおいてPC1とPC2の変動が互いに異なる連動関係を示すことを意味する。マーラーでは調性の凝集度(PC1)と焦点の安定性(PC2)がある程度同じ方向に動く——調性的凝集の強い時期はPC2も正方向(焦点が安定)にあり、凝集が薄れるにつれてPC2も負方向に移行する傾向がある。ペッテションではこの連動が反転しており、PC1が最も負(調性的希薄化の極値)に達するSym10・11はPC2が正方向(上方)に位置し、PC1が相対的に正方向にあるSym6〜8はPC2が負方向にある。すなわちペッテションにおいては、調性的凝集の崩壊がむしろPC2の安定化——ある種の焦点の固定——を伴う様態として現れているという、マーラーとは逆の構造を示している。

さらに注目すべきは、ペッテションの楕円の長軸を両方向に延長したとき、その先端付近にシュニトケ(左上方向)とショスタコーヴィチ(右下方向)が位置するという事実である。これについては後述する。

マーラーとペッテション——継承と拡張

図を見てまず目を引くのは、マーラーの12点(図1の橙)とペッテションの11点(図1の緑)の分布の「つながり」である。

両楕円は中央域で重なり合っている。マーラーの晩年作品——第9・10交響曲——に最も近い位置にあるのはペッテション第7・8・9交響曲のいずれかであり(第9との距離は0.33、第10との距離は0.52)、両者のあいだに明確な境界線はなく、マーラーの最後の地点からそのままペッテションが続いているように地図は見える。

しかし連続と同時に、断絶もある。ペッテション第6〜8交響曲はPC1がほぼゼロ付近(マーラー中期〜後期の水準)にあるが、第9交響曲を経て、第10・11交響曲でPC1は急激に負方向へ落ち込む(−3.32、−3.60)。これはマーラーの最低水準(第10交響曲の−0.97)をはるかに超えており、調性的凝集の実質的な崩壊に対応する数値的転換点である。第12交響曲以降はやや右方向に回帰し、極限的な水準を保ちながらも第10・11の最低値からは離れる。単純な「さらなる先鋭化」ではなく、一種の安定した極限状態への落ち着きとでも呼ぶべき推移がある。

フランクとスクリャービン——収束する節点

図の中央域に、フランクとスクリャービンの2点が、マーラー第6交響曲およびペッテション第7・8交響曲と密集して位置している。フランクと最近傍のペッテション第7との距離はわずか0.14、スクリャービンとフランクの距離は0.38である。

様式的にはまったく異なる出自を持つ作曲家たちが、「調性の動き方」という観点からは同一の小領域に収束する。後期ロマン派の語法が到達した一種の「共通の場所」がPCA空間上に存在しており、そこに複数の系譜が交わる節点として現れている。この節点はちょうど両楕円が重なり合う領域の中心付近にあたり、参照点として置いたフランクとスクリャービンがその位置を可視化する役割を果たした。

ショスタコーヴィチ——別方向への辺縁

ショスタコーヴィチの2作品は、主系列(マーラー→ペッテション)とは異なる方向への辺縁として現れる。

2作品の重心はPC1 = +1.33、PC2 = −1.55である。PC1ではマーラー群の重心(+1.58)とほぼ同水準にありながら、PC2は全グループ中の最低値を示す。第9交響曲(PC1 = +2.63、PC2 = −0.67)と第10交響曲(PC1 = +0.03、PC2 = −2.43)のあいだには大きな開きがあるが、両曲ともPC2が負方向にあるという点は共通している。第10のPC2は全サンプル中の最低値であるが、方向性としては第9もすでにPC2の負方向に位置しており、第10はその延長線上の極端な現れとして読むことができる。

この傾向は前稿の分析でも確認されていた。ブルックナー・シベリウス・ブラームスという異なる比較軸の中においても、ショスタコーヴィチは「PC1の正方向かつPC2の負方向」という同じ象限に位置していた。分析対象の構成が大きく変わっても、この方向性は保たれている。これは偶然ではなく、ショスタコーヴィチの語法に内在する選択の方向性——調性的凝集度を一定程度保ちながら、調性焦点の安定性を損なう方向——の現れと捉えることができる。

先に述べた幾何学的構造と照らし合わせると、この位置はより鮮明に意味を帯びる。ペッテションの楕円の長軸を右下方向に延長した先端付近に、ショスタコーヴィチの2作品は位置している。ペッテション長軸への投影値でいえば、第9が−3.92、第10が−2.56であり、ペッテション群の同方向の端(Sym6〜8、投影値−1.5〜−2.4)を大きく超えている。ペッテションとショスタコーヴィチは重心間で大きく離れており(それぞれPC2の正方向・負方向に分布する)、様式的には対照的な作曲家と見なされることが多いが、ペッテションの楕円が向かう方向の延長線上にショスタコーヴィチが位置するという事実は、両者の間に予想外の幾何学的な対応関係があることを示している。

ペッテションが主系列の延長線上でマーラーを引き継いだとすれば、ショスタコーヴィチはその系列とは別の方向への辺縁として現れており、20世紀交響曲が一本道ではなかったことをこの地図は示している。

シュニトケ——地図の果て

図の左端、他のすべての作品から大きく孤立してシュニトケ第5交響曲が位置する(PC1 = −5.80)。次点のペッテション第11交響曲(−3.60)との距離は2.20であり、これはマーラー第1〜4交響曲の散らばりよりも大きい。

この孤立を生む原指標を確認すると、1ステップあたりの平均移動角度・使用音高クラスの密度・和声テクスチャの揮発性がいずれも全サンプル中の最大値を示し、調性凝集度は最小値水準にある。異なる時代・様式の断片が高速で衝突・融解するシュニトケの語法が、調性的語法の高速かつ高密度な変動として数値に現れている。ペッテションの極端な半音的稠密性とは量的に連続しているが、そこからさらに質的な跳躍を経た地点にある。

ここで再び幾何学的な構造に立ち返ると、シュニトケはペッテションの楕円の長軸を左上方向に延長した先端付近に位置する。ペッテション長軸への投影値は+4.48であり、ペッテション群の同方向の端(Sym10・11、投影値+2.4〜+2.7)を大きく超えている。ショスタコーヴィチが右下端に位置していたのと対称的に、シュニトケは左上端に位置する——すなわちペッテションの楕円の長軸の、ちょうど反対側の両端にこの2者が配置されているという構造が見て取れる。

マーラーからペッテションへと続く方向性の先に、この地図はシュニトケという特異点を置く。ただし前述の通り、この作品のMIDIデータについては信頼性の検証が限られており、この極端な孤立がどこまで実質的な様式の特性を反映しているかは留保が必要である。

まとめ——地図が語ること、語らないこと

今回の分析が示したことをまとめると、以下の諸点に集約される。第一に、マーラーからペッテションへの移行はPCA空間上で連続的であり、後者が前者の到達地点から出発したことを数値が支持する。第二に、フランクやスクリャービンという後期ロマン派の参照作品がペッテション初期・マーラー中期と同一の小領域に収束することは、この空間的区間が様式的に多様な出自を持つ作品の「共通点」として機能していることを示す。第三に、マーラーとペッテションの分布楕円はほぼ直交しており、時系列の変化を捨象して両群の広がり方を見ると対照的な構造が現れる。第四に、ペッテションの楕円の長軸を両方向に延長した先端付近に、シュニトケ(左上方向)とショスタコーヴィチ(右下方向)が対称的に位置するという幾何学的な事実は、この空間における20世紀交響曲の多方向性を示す興味深い構造として読み取ることができる。

前稿の末尾で、2つの軸を「交響曲的主体の自己同一性——離心化」「主体の持続的推進——断続的変容」と言い換える可能性に触れた。今回の地図はその問いをより先鋭な形で突き付ける。マーラーの交響曲において、主体はその同一性を少しずつ手放しながらも、なおひとつの軌跡として辿ることができた。ペッテションの第10・11交響曲が示す極値は、その軌跡がある閾値を越えた先に達したときに何が起きるかを示唆する——主体はもはや解体の途上にあるのではなく、解体を恒常的な状態として生きるものとして現れる。シュニトケにおいてはさらに別の事態が生じており、主体はあらゆる様式的記憶を断片として引き受けながら、それらのどれとも同一化できないという位置に置かれる。ショスタコーヴィチの2作品が一貫してPC2の負方向の辺縁に位置するという事実は、この問いへのまた別の回答の可能性を示唆している——主体の選択が、調性的凝集をある程度保ちながらも焦点の安定を手放す方向、すなわち中心を持ちながら絶えず揺動するという様態として現れるという可能性である。そしてペッテションの楕円の長軸が指し示す両端にシュニトケとショスタコーヴィチが対称的に位置するという幾何学的な事実は、20世紀交響曲における主体の行方が単一の方向性に収束するのではなく、ペッテションという軸の両端に向けて分岐していったという見方を、数値の上から静かに示唆している。

これらはあくまで地図を前にしての読みであり、音楽そのものへの解釈を要請するものではない。しかし数値が描いた配置を見つめていると、20世紀の交響曲という営みが「交響曲的主体はどこへ向かうか」という問いに対してそれぞれ異なる仕方で応答しようとした試みの痕跡として、静かに浮かび上がってくる。

(2026.4.2 公開)


0 件のコメント:

コメントを投稿