第4部 個別交響曲のさらに詳しい分析──ユルゲン・ランゲの研究より
ドイツの研究者ユルゲン・ランゲ(Jürgen Lange)は、交響曲第6番、第8番、第9番、第10番について、楽譜に基づく詳細な動機分析・引用研究を行っている。これらの分析は、伝記的・印象的な理解に対して、各交響曲の内部構造そのものに即した音楽学的根拠を与えるものであり、以下にその要点を整理する。
4-1 第6交響曲──「生のサイクル」
ランゲは交響曲第6番を「夜明けから夕焼けへ、春の新芽から秋の紅葉へ、揺り籠から墓場へという、生のサイクルを描いた作品」と位置づける。冒頭は低弦による静かな持続的な動きで開始され、シューベルトの《未完成交響曲》冒頭を思わせる神秘的な始まりを示す。開始から約4分後、「自我(Ich)」が初めてその声を上げる――ランゲはこれを「エゴ動機」または「誕生動機」と呼び、この動機は交響曲第8番第2部の冒頭主題にも引用されているとする。
曲の終結部(約20分に及ぶ)は《裸足の歌》の最後の曲「彼は私の灯火を消すだろう」の主題に支配される。ランゲは、この終結をショスタコーヴィチの交響曲第15番が示す「満ち足りて舞台から退場する人間」という姿勢と類比し、マーラーの交響曲第9番が「答えより多くの疑問を投げかけ、聴き手を当惑させたまま終わる」のとは対照的な、「自己の内に完結した、意志の強い人間の作品」として特徴づけている。
4-2 第8交響曲──モーツァルトとニールセンの綜合
ランゲの分析によれば、交響曲第8番の素材の大部分は、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》とカール・ニールセンの交響曲第5番から派生している。第I部は中世からバロック、古典派、そして20世紀へと至る、対位法的・和声的作曲様式の年代順の連結であり、ランゲはこれを「起源から衰退に至る音楽史」を描く「物語的・有機体論的な言説」と呼ぶ。冒頭の長大なカントゥス(定旋律)は、モーツァルトが《ジュピター》終楽章で用いたグレゴリオ聖歌起源の定旋律と類似した構造を持つ一方、独自の教会調を組み合わせて作られている。
第II部は、モーツァルト《ジュピター》終楽章の「5主題フガート」の構成技法に着想を得た「ソナタ形式によるポリフォニー」として書かれている。ランゲはこの交響曲全体を「作曲家のマニフェスト(宣言書)」と総括している。
4-3 第9交響曲──スメタナ《わが祖国》との比較
ランゲの最も野心的な分析の一つが、交響曲第9番とベドジフ・スメタナの交響詩《モルダウ(ヴルタヴァ)》との比較である。両曲はともに「川の流れ」を音楽的に描写しているという仮説のもとに、ランゲは旋律・リズム・調性構造の多数の対応点を指摘する。両曲とも単一楽章の連続した音楽の流れとして書かれ、「源流」「急流」「広い流れ」「河口」という共通の構造的段階を持つ。ペッテションは民謡《アック・ヴェルムランド》の旋律(スメタナも《モルダウ》で引用している)を、自作の終結部主題として用いている。
終結部のカデンツについても詳細な分析がなされている。スメタナの《モルダウ》は完全終止(ロ長調からホ長調へ)で閉じるのに対し、交響曲第9番は変ロ長調からヘ長調への変終止(プラガル・ケーデンス)で閉じる。ランゲはこれを「アーメン」終止として解釈する一方、変終止が持つ「弱い closure」「緊張の減少」という音楽理論的性格を踏まえ、「河口」のイメージ――半ば開かれた、力を抜いた、強制されない終わり――との対応を指摘している。
4-4 第10交響曲──「モダン・タイムズ」と入院体験
交響曲第10番は、ペッテションの作品中でも極めて切り詰められた素材から構成される。ランゲは、この交響曲が「信号(シグナル)」または「ベクトル」と呼べる、方向と大きさを持つ短い音楽的単位の反復・凝縮によって構築されていると分析する。中間部では、層流(laminar flow)から乱流(turbulent flow)への遷移、すなわち臨界流速を超えた際に生じる音楽的「乱流と混沌」が生じる。
ランゲはこの交響曲に強い自伝的要素を見出している。曲中盤の「カエスーラ(中間休止部)」は夢のような幻想の段階であり、それまでの素材が振り返られる。続く濃密なコーダは、その夢から強制的に覚醒させられ、抑圧的で技術中心的な現実へ帰還する場面として解釈される。ペッテション自身はこの作品を「顔面への一撃」と表現し、「私のすべての交響曲には共感があるが、第10番にはない」と語ったという。
出典:Jürgen Lange, “Allan Pettersson: Symphonie Nr. 6” (2014); “Allan Pettersson: Symphony No. 8” (2017); “Allan Pettersson: Symphony No. 9” (2016); “Allan Pettersson: Symphony No. 10” (2017)。各分析資料を基にレポート作成者が要約・整理した。
第5部 調性力学からの再検討──主成分分析による分析的アプローチ
ペッテションの音楽様式を定量的に再検討する試みとして、著者は、2篇の分析レポートを公開した。両レポートは、楽曲中の和声を「五度圏(Circle of Fifths)」上のピッチクラス集合の重心として数値化し、主成分分析(PCA)によってその時系列的変化と他の交響曲作曲家との相対的位置を可視化するという、データ分析的アプローチを採用している。以下にその概要を示す。
5-1 分析手法の概要
両レポートに共通する基礎的な手法は、楽譜の小節頭の和音をサンプリングし、ピッチクラス数3以上の和音について、12のピッチクラスを五度圏順に単位円上へ等間隔(30度ずつ)に配置した上で、その重心位置を算出するというものである。これにより、以下のような指標が導かれる。
Avg_r(平均重心半径):調性的安定度。
Avg_Step(平均ステップ幅):転調の歩幅。
SD_r(重心半径の標準偏差):重心の揺らぎの大きさ。
Step_Rate_100(100小節あたりステップ量):和声的活動量。
PC_Density(ピッチクラス密度):和声の複雑さ。
Tonal_Focus(調的集中度):全軌跡の平均座標の原点からの距離。
Spatial_Dispersion(空間分散度):五度圏上での活動領域の広さ。
Harmonic_Coverage(和音被覆率):テクスチュアの厚み。
Texture_Volatility(テクスチュア揺らぎ):テクスチャの流動性。
使用されたMIDIデータは、ペッテション作品については「7e(YouTube)/6d(Twitter、現X)」氏が作成したものであり、マーラー作品については加藤隆太郎氏作成のMIDI版マーラー交響曲全集(ただし第10交響曲クック版は別の海外で作成・公開されているデータ)が用いられた。
5-2 交響曲史全体における位置づけ──「損傷した主体」の力学的検討
第1報告「調性空間におけるペッテションの位置──『損傷した主体』の力学的検討」では、古典派、ブラームス、ブルックナー後期、シベリウス後期、マーラー、ショスタコーヴィチという既存の比較枠組みに、ペッテションの交響曲11作品(第6~16番)を同一の指標空間へ投入し、主成分分析を再実行することで、交響曲史全体における彼の相対的位置を検討している。
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| 図1 分析結果のPCA空間(作曲家別重心つき、横軸:第1主成分、縦軸:第2主成分) |
(1)PC1軸:調性重心の崩壊
分析結果において最も顕著なのは、ペッテションがPC1軸(調性重心の保持/拡散を表す軸)の負方向に極端に偏在する点である。ペッテション全体の重心はPC1 = −2.495であり、これはハイドン(+3.40)、モーツァルト(+3.90)はもとより、マーラー(+0.82)、ブルックナー(+1.33)、ショスタコーヴィチ(+0.51)をも大きく超えて負方向に位置する。
特に第10番(PC1 = −4.693)と第11番(PC1 = −4.824、全分析対象中の最負極値)が際立った負の極を形成し、第12番(−4.021)がこれに次ぐ。一方、初期にあたる第6~8番はPC1 = −0.703~+0.204とほぼ中央に位置しており、第9番を境に一挙に−4前後へ落ち込むという落差の大きさが確認される。レポートはこれを、「調性重心の維持が単に弱まるのではなく、第9交響曲を臨界点として構造的な変容が生じている」と解釈している。
(2)PC2軸:超越なき持続
PC2軸(運動の方向性を表す軸)においても特徴的な分布が見られる。ショスタコーヴィチの重心はPC2 = +2.82(全分析対象中の最大値)、ブルックナーは+1.10、シベリウスは−1.32という対比を示す。これに対し、ペッテションは時期によって大きく異なる二段階の分布を示す。初期(第6~9番)はPC2が正方向に位置し(第9番ではPC2 = +1.28、初期の最大値)、ショスタコーヴィチやブルックナーの領域に近接するが、第10番以降は一転して負方向に収束し(第10番 −1.89、第11番 −1.91)、後期全体の平均は−0.84にとどまる。
レポートは、この「中負域への収束」を次のように整理している。ペッテション後期の音楽は、ショスタコーヴィチが示す強い正方向(到達志向)にも達せず、シベリウスが示す明確な負方向(自然化・収束)にも対応しない、中負域に拘束されたまま持続する運動として特徴づけられる。
(3)理論的接続
レポートはさらに、この調性力学上の構造を、自由エネルギー原理(FEP)、ダマシオの自己モデル(原自己・中核自己・自伝的自己)、ジュリアン・ジェインズの二分心理論という3つの理論枠組みとの構造的類比において検討している。これらの理論を直接的に同定するものではないとの留保のもとで、レポートは交響曲史を「安定(古典派)」「内在化(ブラームス)」「超越(ブルックナー)」「収束(シベリウス)」「臨界(マーラー)」「非収束的持続(ペッテション)」という複数の位相の分岐として理解する枠組みを提示する。
この観点からペッテションは、いずれの安定化戦略にも回収されない状態――中心を持たず、志向性を失い、それにもかかわらず持続するという構造――を示す存在として位置づけられる。レポートはこれを「主体崩壊後の時間の持続を初めて体系的に音楽化した作曲家」と総括している。
5-3 時系列的変化と自由エネルギー原理──「生存可能な音響環境」の構築
第2報告「ペッテション交響曲における調性力学の時系列変化と自由エネルギー原理」では、対象を中期以降の交響曲第6~16番に絞り、創作年代順の変化を主成分分析によって追跡している。
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| 図2:交響曲第6〜16番の創作年代順軌跡(矢印付き) |
この分析におけるPC1は「広い音高空間における拡散的運動」と「圧縮された空間における高密度・高運動・高被覆の持続」を両極とする軸として、PC2は「高密度だが焦点化された状態」と「散乱的で焦点の弱い状態」を両極とする軸として、それぞれ解釈されている。創作年代順にプロットすると、対象作品は以下の5段階に明確に区分される。
出典:山崎与次兵衛「ペッテション交響曲における調性力学の時系列変化と自由エネルギー原理」(note、2026年)の分析結果を要約・整理した表。
レポートはこの推移を自由エネルギー原理の枠組みから再解釈する。第6~8番の段階では、予測誤差は広い状態空間における移動・変化によって処理される「探索的(exploratory)モード」にあるとしている。これに対し、第10~11番で生じる急激な変化――音高空間の急激な収縮、ステップ運動・密度・被覆の急増、テクスチャ変動の最大化、そして同時に進む焦点性(precision)の強化――は、「主体はもはや外界を探索して予測誤差を減らすのではなく、許容可能な状態空間を急激に狭め、その内部で誤差を処理するモードへ移行する」という、決定的な転回として位置づけている。レポートではこれを「『生存可能な音響環境』の成立点」と呼ぶ。
第12番における焦点性(PC2)の中立化は、圧縮・高密度という構造的特徴を維持したまま「精度の重みづけ機構そのものが弛緩し始める段階」とし、第9番(PC1の極性転換の閾)と対をなす、PC2の極性転換の閾として位置づける。続く第13~16番では、圧縮・高密度の構造は維持されつつ焦点の凝集性がやや緩み、「確立された環境の内部で、より流動的な運動が可能になる」段階、すなわち「極限状態の持続可能化」が達成される。
レポートの結論は次のように要約される。ペッテションの交響曲はもはや世界を統合する形式ではなく、主体が生き延びるための音響環境そのものとなる。自由エネルギー原理の言葉で言い換えれば、それは「サプライズを消去する音楽ではなく、サプライズに耐えうる環境を構築する音楽」であり、ここにおいて交響曲的主体は「世界を理解する主体から、世界の中で生き延びる条件を自ら作り出す主体へと変容する」。レポートはこの転位を、ペッテションの交響曲が20世紀音楽史において持つ最も根本的な意義として位置づけている。
5-4 伝記的事実との対応関係
興味深いのは、この調性力学的分析が示す「第9交響曲を臨界点とする構造的転回」が、クーベの評伝が明らかにした伝記的事実――まさに交響曲第9番の作曲・浄書中に生命に関わる腎臓疾患を発症し、続く交響曲第10番・第11番がカロリンスカ病院での9か月間の入院生活の中で生み出された、という事実――と時系列的に正確に一致する点である。レポートが定量的に検出した「広い状態空間における探索的モードから、許容可能な状態空間を急激に狭めてその内部で誤差を処理するモードへの転回」は、ペッテション自身が日記に記した「死のトンネルの中で生きている」という感覚、そして「周囲の状況は、私を自分自身の中へ、根源へと突き進ませる」という言葉と、構造的に響き合うものである。両者を安易に同一視することはできないが、和声構造の定量分析と本人の自筆の証言という、全く異なる種類の資料が同じ転換点を指し示していることは、本レポートの重要な発見の一つと言えるだろう。
第6部 音楽史的位置づけと後世の評価
6-1 比較されるべき作曲家たち、そして独自性
ペッテションはしばしばグスタフ・マーラー、アントン・ブルックナー、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ、カール・ニールセン、ジャン・シベリウスとの比較で語られる。しかし研究者たちは、これらのいずれの作曲家との比較も、ペッテションの独自性を十分には捉えきれないと指摘している。スウェーデンの交響的伝統(フランツ・ベルワルド、ヴィルヘルム・ステンハンマル、ヒルディング・ローゼンベリ)との接続も希薄である。クーベはむしろ、ラッセ・ルシドール、グスタフ・フローディン、ニルス・フェルリン、劇作家ストリンドベリといった、スウェーデンの文学・詩の系譜に近いと結論づけている。
6-2 死後の周縁化と再評価
1980年の死の直後、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団のレパートリーから事実上消えるという長い空白期間があった。例外はユーリ・アロノヴィチが首席指揮者を務めた1982–87年の時期のみであった。その後10年間で交響曲第7番がプログラムに乗ったのはわずか4回(1994年ニクラス・ヴィレーン、1995年・2011年レイフ・セーゲルスタム、2003年マルク・スーストロ)にとどまる。
転機となったのは、1985年にヴッパータールで設立された「国際アラン・ペッテション協会」である。この協会の働きかけと、cpo社による全集録音(1992–2006年)が、ノルトライン=ヴェストファーレン州の1994/95年シーズンにおける27都市・63回のペッテション・マラソンを準備した。しかし、これも長期的な定着には至らず、その後もコンサートホールでのプログラムへの採択は低調なままである。スウェーデン国内のアラン・ペッテション協会は2003年9月、セーデルマルムのソフィア教会で正式に設立された。
今日、ペッテションの音楽は聴衆に強烈な不快感や衝撃を与えつつも、現代に生きる人々の魂の叫びとして、コアな愛好家層から圧倒的な支持を受け続けている。クリスチャン・リンドベリ&ノルシェーピング交響楽団による交響曲全集(BIS、2018年完結)など、個々の音楽家の使命感に支えられた継続的な紹介活動が、現在もこの作曲家の音楽を後世に伝える主たる動力となっている。
おわりに
アラン・ペッテションは、単なる北欧の交響曲作曲家ではない。彼は20世紀における「苦悩の証言者」であり、貧困、病、社会的疎外という現実から逃避するのではなく、それらを巨大な交響曲へと変換した人物であった。クーベの評伝が史料批判的に明らかにするのは、この人物像がある程度まで――妻以外に親密な関係を持たず、制度的な不正に苦しめられ、常に弱者の側に立ち続けたという像も含め――ペッテション自身によって意識的・無意識的に構築され、メディアと評伝作者たちによって無批判に増幅されてきた「自己表象」でもあったという事実である。1975年の演奏禁止事件の精査が示すように、実際の経緯は、しばしば語られる単純な「悪意ある拒絶」の図式よりもはるかに込み入っていた。
しかしこの史料批判は、ペッテションの音楽そのものの力を減じるものではない。彼の音楽は絶望のみを語るのではない。不協和音の嵐の後には必ず歌が現れる。それは彼が生涯にわたって追い求めた、人間存在への最後の信頼の表明である。
近年のデータ分析的アプローチが示すのは、この伝記的・印象的な理解を、調性空間における構造そのものの変容として裏づける可能性である。第9交響曲を臨界点とし、第10~11交響曲において生じる調性重心の急激な収縮と高密度化は、もはや世界を探索し理解しようとする主体の音楽ではなく、生き延びるための環境を自ら構築し、その内部で持続する主体の音楽への転換として捉えられる――そしてこの転回は、作曲家自身が病床で経験した、文字通りの生存の危機と時を同じくしていた。この意味において、ペッテションの交響曲は、ショスタコーヴィチが代表する「歴史的主体」とも、シベリウスが示す「自然化・収束」とも異なる、第三の様態――崩壊した主体がなお持続するという音楽的実現――を切り開いた、20世紀音楽史における特異点として評価されるべきものである。
参考文献
伝記的資料
「魔女の大釜の中のラザロ」ディ・ヴェルト紙関連記事(ノルトライン=ヴェストファーレン州ペッテション・マラソンに関するルポルタージュ)
スディップ・ボーズ「アラン・ペテルソンって一体何者?──アウトサイダーとしての作曲家」(2017年8月24日)
Leif Aare, “G Allan Pettersson”, Svenskt biografiskt lexikon, Band 29 (1995–1997), sida 242.
Michael Kube, Allan Pettersson, Svenska Tonsättare, Atlantis, Stockholm 2014(スウェーデン語訳:Göran Bergendal)── 本増補の中心資料。
個別交響曲の分析資料
Jürgen Lange, “Allan Pettersson: Symphonie Nr. 6”, Dreieich, 2014年11月17日改訂版(初稿2011年7月20日)。
Jürgen Lange, “Allan Pettersson: Symphony No. 8”, Dreieich, 2017年5月10日(初稿2012年8月2日)。
Jürgen Lange, “Allan Pettersson: Symphony No. 9”, Dreieich, 2016年4月26日(初稿2012年5月4日)。
Jürgen Lange, “Allan Pettersson: Symphony No. 10”, Dreieich, 2017年1月18日(初稿2011年7月20日)。
分析レポート
山崎与次兵衛「調性空間におけるペッテションの位置——『損傷した主体』の力学的検討」note、2026年4月12日(2026年5月20日更新)。
山崎与次兵衛「ペッテション交響曲における調性力学の時系列変化と自由エネルギー原理——交響曲的主体はいかにして『生存可能な音響環境』を構築するか」note、2026年4月13日(2026年5月20日更新)。
[お断り]本稿作成にあたっては、著者の収集した資料に基づき、著者の与えた編集方針の下、Claude Sonnet 4.6とのやりとりを通じてドラフトの作成・編集作業を行い、ChatGPT 5.5とのやりとりを通じて増補改訂を行い完成させました。ファクトチェックおよび校正はClaude Sonnet 5とのやりとりを通じて行いました。
(2026.7.12 公開, 7.27 第5部に図を追加)


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