2026年10月12日月曜日

コラム(9):音楽的主体はどのように存在するのか――六人の作曲家から見えてきたもの

 ここまで、ブルックナー、ペッテション、シベリウス、フランク、ラヴェル、そしてマーラーという六人の作曲家を、五度圏上のピッチクラス重心分析から眺めてきました。最初の問いは比較的単純でした。音楽の中で、調性の中心はどのように動いているのか。しかし、分析を拡張していくと、問いは次第に変わっていきました。重心が「どこにあるか」だけではなく、

  • どの方向へ動くのか

  • どこに長く滞在するのか

  • どこへ戻ってくるのか

  • いくつの状態が形成されるのか

  • その状態はどの程度安定しているのか

  • 音の分布はどのような形を取るのか

  • どのようなピッチクラス集合が繰り返し現れるのか

  • そして、時間の中でその状態構造そのものが変化するのか

という問題が見えてきたからです。

さらにDFTによるピッチクラス集合の分析を加えることで、五度圏上の「位置」だけでなく、音楽の内部にどのような周期性・対称性・集合構造が組み込まれているのかも別の角度から捉えられるようになりました。こうして見ると、五度圏は単なる「調性の地図」ではありません。それはむしろ、

音楽が時間の中で、どのような状態を作り、その状態と環境との関係をどのように維持しているのかを観察するための地図

として読むことができるようです。そして、ここで「音楽的主体」という考え方が意味を持ってきると思います。


1.六人を並べると、同じ問いへの異なる応答が見えてくる

今回の分析から得られた暫定的な地図を、まず簡潔に示してみます。

作曲家

暫定的に見えてきた存在様式

ブルックナー

多孔質/前主体的

ペッテション

損傷・相転移型

シベリウス

生態学的

フランク

環境浸透型

ラヴェル

構成型・多重安定

マーラー

自己反省的・世界共有型

ただし、この表を「六種類の作曲家タイプ」と読むべきではないかも知れません。今回見えてきたのは、作曲家を分類するための新しい類型学ではなく、むしろ、音楽的主体が、環境との関係をどのように構成し、そこでどのように自己を維持するのかという一つの問いに対して、それぞれ異なる応答様式が現れていると捉えるべきように思えるからです。


2.ブルックナー――主体になる前の世界

ブルックナーでは、まず「主体と環境を分ける」こと自体が難しいように思われます。旧指標から見ても、五度圏上の運動は単純な一方向的進行ではなく、広い空間の中に複数の状態を形成します。新指標ではさらに、特定の状態への滞在や再帰、複数のアトラクター的領域などが見えてきました。

そこに現れるのは、環境の外側からそれを操作する主体というより、環境そのものの力学から主体性が立ち上がる以前の状態です。主体と環境との境界が非常に多孔質なのだと考えることができます。主体は環境の外に立って環境を眺めるのではありません。環境そのものの中に埋め込まれているのです。この意味でブルックナーは、多孔質な前主体的システムとして理解することができる。


3.ペッテション――主体はいつまでも同じではない

ペッテションでは、別の問題が現れました。それは、主体そのものが時間の中で変化するということです。旧分析では、第9番から第10番にかけて作品群の位置づけが大きく変化することが示されていました。

今回、新指標を導入すると、単に五度圏上の位置が変わっただけではなく、方向性、滞在、状態構造など複数の側面から同じ時期の変化が確認されました。さらにDFTによるピッチクラス集合の分析からも、音楽の組織化の仕方そのものが変化したことを示唆する結果が得られました。つまり、異なる方法が、同じ時間的位置に大きな変化を示していることになります。このことが、ペッテションの「第9番から第10・11番へ」という転換を特に重要なものにしています。

もちろん、これだけで数学的な意味での「カタストロフィー」が証明されたわけではありません。しかし、カタストロフィー的な状態遷移を示唆する複数の独立した特徴が重なっているとは言えるでしょう。ここでの「損傷した主体」という表現も、作曲家の心理状態を直接表すものではありません。むしろ、自己を維持する音楽的な組織そのものが変質し、別の状態空間へ移行した可能性を指しているのです。


4.シベリウス――環境から生まれる主体

シベリウスでは、さらに別の方向が見えてくるかのようです。今回重要だったのは、交響曲だけに対象を限定するのではなく、より広い作品群へ分析を拡張したことです。これによって、シベリウスの特徴が「交響曲というジャンルの性質」と関わる部分、独立の部分でそれぞれどのように顕れるかを確認することができました。

シベリウスの音楽では、主体が環境から独立して存在しているというより、環境との相互作用の中で自己を形成していくという構造が目立ちます。これは、植物的な主体という比喩と親和性を持つように感じられます。植物は環境を単なる外部条件として受け取るのではありません。光、水、土壌、温度などとの関係そのものによって、自らの形を形成します。

その意味でシベリウスの主体は、環境に適応する主体というより、環境との関係そのものから形成される主体、生態学的主体として捉える方が適切のように感じられます。ここで「生態学的」という言葉は、「自然を題材にしている」という意味ではありません。音楽の自己形成そのものが、環境との関係の中で起きているという意味合いになります。


5.フランク――環境に浸透されながら持続する

フランクは今回初めてまとまった数の作品を分析対象としました。そこで見えてきたのは、他の作曲家とは異なる姿です。81作品を対象とした分析では、特にオルガニスト作品群の前期から後期にかけて、単純な「発展」ではない状態空間の再編成が見られました。これは、「若い時期は不安定で、晩年になると安定した」という単純な発達モデルではなく、むしろ、長い探索の後に、活動可能な領域そのものが再編成されたと考える方が適切であるように思えます。

この点から、フランクには、環境に浸透されながら、その環境の中で自己を維持する主体という像が浮かび上がります。ブルックナーほど主体と環境の境界が溶けているわけではなく、しかし、ラヴェルほど環境を完全に構成してしまうわけでもない。その中間に、環境との相互浸透の中で自己を持続する主体として位置付けられるように思えます。。


6.ラヴェル――環境を構成する主体

ラヴェルでは、方向が反転します。ラヴェルの音楽では、単一の調的中心への収束だけでは説明しにくい複数の音楽的状態が、極めて精密な関係の中に配置されるかのようです。今回の分析では、作品や版によって個々の指標の再現性に差がある一方、滞在エントロピーのような高次の状態構造には比較的安定した特徴が見られました。

このことから、ラヴェルでは、どの音が中心なのかだけでなくどのような状態を許容できる環境が構成されているのかという問いが重要になるように思えます。「旋法性」というのを、単に教会旋法を使用することと捉えるのではなく、複数の音集合的・調的な安定可能性を、一つの音楽的世界の中に共存させることとして理解した時、ラヴェルの音楽は「旋法性」が強いと言えそうです。言い替えればラヴェルは、構成型・多重安定型の主体として仮説化できるように思えます。主体が環境に適応するだけではありません。自分が存在できる環境そのものを精密に構成します。そこにラヴェルの独自性があるのかもしれないように感じられます。


7.マーラー――自分と世界との関係そのものを問う

そして出発点でもあったマーラーです。マーラーについては、今回の新指標やDFTが、旧分析を根本から覆すような新発見をもたらしたわけではありません。マーラーにおいて重要なのは、既に見えていた特徴が別の分析軸からも確認・精密化されたことでしょう。

マーラーでは、音楽が単に一つの状態を形成するのではありません。自己が形成されると同時に、その自己が世界とどのような関係にあるのかが問題になるように思えます。アドルノの言う、突破、停止、充足、崩壊といった時間構造もまた、単なる形式上の出来事ではなく、「私はここにいる」という状態と、「しかし、この世界は本当に私の世界なのか」という問いとの間で揺れ動く構造として読むことができるかも知れません。

ここで「自己反省的」という言葉が意味を持ちます。さらに、マーラーの音楽では自己の内部だけで完結せず、他者や外部世界への「共感的な指差し」のような構造が現れるのです。したがってマーラーは、自己を形成するだけでなく、自己と世界との関係そのものを音楽化する主体として位置づけられるでしょう。この意味でマーラーは、今回の六人の中でも特に「主体についての音楽」に近い。


8.六人に共通しているもの

ここまでをまとめると、六人の違いは非常に大きいように感じられます。しかし、同時に一つの共通点があります。それは、誰の音楽も、単独の「調性中心」だけでは十分に説明できないということです。

音楽は、

  • 中心

  • 移動

  • 滞在

  • 再帰

  • 状態

  • 集合

  • 環境

  • 時間的遷移

の複数の関係から成立しています。つまり、音楽の自己同一性は、一つの中心を持ち続けることだけではありません。ある場合には環境の中に溶け込むことによって、ある場合には環境との相互作用によって、ある場合には環境に浸透されながら、ある場合には環境を構成することによって、ある場合には状態そのものを変化させることによって、そしてある場合には自己と世界との関係を問い直すことによって、音楽は自らを維持していると見ることができます。


9.「主体」とは、固定されたものではなく関係である

ここで、今回の研究で「主体」という言葉を使う意味を明確にしておきたいと思います。音楽的主体とは、作品の中に隠れている人物ではありません。作曲家の心理を直接測定したものでもありません。まして、「ブルックナーはこういう人間だった」「ラヴェルはこういう性格だった」といったような作曲者の心理学的分類でもありません。今回分析しているのは、音楽が時間の中で、自らの状態を形成し、維持し、変化させ、環境との関係を組織する仕方です。

その構造を、主体という概念によって捉えようとしています。だからこそ、主体は固定的な実体ではなく、関係の中に現れるものとして考える必要があるのです。本件研究においてブルックナーの主体とラヴェルの主体が違うのは、「二人の作曲家の性格が違うから」ではありません。そうではなくて音楽が自己と環境との関係を組織する仕方が違うのです。


10.FEPは、この違いを考えるための共通言語になる

この点で、自由エネルギー原理(FEP)を導入したことには意味があると思います。FEPは、音楽を「FEPそのもの」として説明する理論ではありません。また、作曲家が脳内でどのような自由エネルギーを最小化していたかを、このデータから直接測定したわけでもありません。

FEPをここで使っているのは、自己と環境の関係の中で、システムがどのように自己を維持するのかという問いを考えるためです。そうすると、六人の違いは単なる作風の違いではなく、自己維持のために、環境との関係をどのように組織するかの違いとして読み直すことができることになります。

  • ブルックナーは、環境との境界を薄くする。
  • シベリウスは、環境との相互作用から自己を形成する。
  • フランクは、環境に浸透されながら自己を持続する。
  • ラヴェルは、自己が存在可能な環境を構成する。
  • ペッテションは、その自己維持の構造そのものが大きく変化する。
  • マーラーは、自己と世界との関係を自己反省の対象にする。

こう見ると、六人は一つの連続線上に並ぶわけではなく、むしろ、「自己と環境の関係をどう組織するか」という多次元空間の中に、それぞれ異なる位置を占めていると考える方が適切なようです。


11.五度圏は「調性の地図」から「存在の地図」へ

今回の研究の出発点は、五度圏上のピッチクラス重心でした。これは当初、「音楽の調的中心はどこにあるのか」という問いに答えるための方法でした。しかし分析を拡張すると、そこから見えてきたのはもっと複雑な時間地図です。重心の位置は「どこにいるか」を示す。移動量は「どれだけ動くか」を示す。方向性は「どちらへ進みやすいか」を示す。滞在構造は「どこに居続けるか」を示す。再帰は「どこへ戻るか」を示す。アトラクター的構造は「どのような状態が形成されるか」を示す。Anisotropyは「その状態がどのような空間的形を持つか」を示す。PC-set指標やDFTは「その状態をどのような音集合構造が支えているか」を示す。そして時系列分析は、その世界そのものがいつ変化するのかを示す。

このとき五度圏は、単なる「調性の地図」ではなくなります。それは、音楽がどのような世界を構成し、その世界の中でどのように存在し続けるのかを観察する地図になるのです。


12.ただし、この地図はまだ完成していない

しかしながら今回の成果を過大評価するべきではありません。コーパスにはMIDIデータ固有の問題があり、作品によって版間差もあります。新指標のすべてが同じ程度に安定しているわけでもありません。DFTについても同様の問題があります。そして何より、「主体」「環境」「自己維持」といった概念は、数値指標そのものから直接導かれるものではありません。

したがって、

数値分析 → 構造的特徴 → 理論的解釈

という三段階を区別しておく必要があります。この区別を維持することによってこそ、今回の「音楽的主体」という考え方は、単なる比喩ではなく、今後検証可能な研究仮説になり得ると考えます。


13.今回見えてきた本当の問い

繰り返しになりますが、もう一度、あらためて今回の分析を振り返ります。この速報連載で最初に問うていたのは、「音楽の調性は、時間の中でどのように動くのか」でした。しかし最後には、別の問いにたどり着きました。「音楽は、自分が存在できる世界をどのように作るのか」です。

  • ブルックナーは、世界と自己の境界を曖昧にする。
  • シベリウスは、世界との関係から自己を形成する。
  • フランクは、世界に浸透されながら自己を維持する。
  • ラヴェルは、自己が存在できる世界を精密に構成する。
  • ペッテションは、その世界の構造そのものを変化させる。
  • マーラーは、自己と世界との関係を問い直す。

この違いは、「六種類の作曲家」という分類ではなく、むしろ、音楽的主体が環境との関係をどのように構成するかという、一つの問題に対する六つの異なる応答なのです。そして、この視点に立つと、音楽作品は単に「どの調で始まり、どの調で終わるか」という構造物ではなく、それは、時間の中で一つの世界を作り、その世界との関係を保ちながら、自分自身を作り続ける過程として見えてきます。五度圏重心分析を拡張することで見えてきたのは、結局のところ、調性の新しい分類ではなく、音楽が存在する仕方そのものについての、新しい時間地図だったと言えるのではないかと思います。

(2026.10.12 公開)

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