2024年5月15日水曜日

アントン・ブルックナー

I.
ブルックナーは私にとって不可解な存在である。方言周圏論とのアナロジーではないが、田舎の教師の子供として生まれ、父親の死にともなって 修道院学校の給費生となったその生い立ちからか、同時代の「人と音楽」の関係が単純には当て嵌まらないというのがまずある。奇矯な伝説を 除いてしまえばひどく退屈な伝記的事実、そしてそこから窺えるその気質や性格とその音楽との間の懸隔は戸惑うほどに大きい。しかもその懸隔は 一般にはあまり問題にされることはないらしく、その証拠に未だに書簡の翻訳すら存在しない。ことブルックナーに関しては音楽だけが一人歩きして いるようにさえ見える。その程度は古典派やバロック時代の作曲家と同等か、あるいはその音楽の個性を思えばそれ以上かも知れない。

その音楽についてもそうだ。宗教性が言われながら、彼はある時期以降は交響曲というジャンルに拘り続けた。要するにそれは典礼のための音楽ではない。 端的に宗教音楽ではないのだ。にも関わらずその音楽を他のロマン派の交響曲と同じように聴くことは私には困難だ。そこに等身大の人間を見ようと する立場が不可能だとは思わないが、それによってブルックナーの音楽の特質に迫ることができるようには思えない。

あるいはまた、しばしば問題にされる「標題性」について言えば、それはせいぜい古典派の交響曲における着想程度のもので、いわゆるロマン派的な 「標題」の問題として捉えるのは筋違いにしか思えない。といって古典派の交響曲と同じように見做すことができるわけでもない。要するに、どうやらアナクロニスムがあるのは確かなようだが、だからといってどこか別の時代に位置づけることが可能なわけではないのだ。 そしてそれは過去に遡ってもそうだが、未来の方向に下る方についてはそれ以上に困難だろう。確かにその音楽のある側面に、 今やそれもまた過去となった将来の世代の先駆を見ることはできるだろうが、それがブルックナーの音楽の要の部分であるようには 思えない。そして音楽が表現しているものについて言えば、標題性とは別の平面で、だが絶対音楽として聴くことを妨げる何かがそこにはやはりあるように思える。 例えば丁度「フーガの技法」がそうであるように。それはそのように「意図」されたものではないのだが、結果的に疑いようのない確かなある質を備えている。

そして尽きることのない版の問題。夥しい異稿に他者の改訂が加わって賑やかだ。それにいわゆる演奏論が加わり、いわゆるブルックナー指揮者と呼ばれる 指揮者の演奏を中心に今や膨大な数にのぼる録音の優劣について、その版と演奏様式の優劣を論じるというのがブルックナーの受容の典型的な ありようのようだ。演奏会のレパートリーとしてもすっかり定着し、アマチュア・オーケストラの演目としてもごく当たり前に取り上げられるようになって、 そうした異稿のあるものがアマチュアのオーケストラで紹介されるといったケースさえある。

違いではなく共通性、不変項を、ということになれば、今度は様々な作品に現れる特徴的なパターンの類型を列挙して、だが、滅多に巨視的な構造の 実質、全体の脈絡について論じられることはないし、そうした類型の表現上の機能の対応が論じられることもまた稀なようで、それが行われたとしてもこちらも また定型的な形容詞が羅列されるに過ぎない。だがその一方で、「宗教的な」作曲家ブルックナーを、あるいは宗教性を一旦留保したとして、端的にブルックナーその人の全体像を問題にするのであれば 無視できない交響曲以外の作品についての関心の落差は一体どういうことなのか。勿論、交響曲がブルックナーの場合には「特別な」ジャンルであることは 間違いのないことではあるから、そこに話題が集中すること自体は構わないのだが…

交響曲というのは、文化的な背景もなく、さりとてその音楽の非文学性ゆえに参照可能な とっかかりのようなものを欠いているブルックナーの音楽を根無し草的にしか聴けない現代の日本人にとっては都合の良いフォーマットなのだろうか。

否、文学的な参照先があっても、それがとっかかりになることは日本においてはあまりないようだ。寧ろ歌詞があるような音楽は敬遠されるのだ。 字幕付でオペラを観るようなケースを除けば。ブルックナーの交響曲は「幸い」なことにも「絶対音楽」だ。だからそれぞれが思うがままに聴けばよいのだ、という ことなのか。

私見では寧ろ、問題は手前に、つまりなぜそれが交響曲とい う形態をとっているのか、という点にこそありそうなのに、そうした問いかけを目に することはほとんどないように見える。 一方で、典礼文を用いた音楽を、そうしたコンテキストは抜きにして受容するということもまた行われている。 その機能には無頓着に、まるで歌詞などなかったかのように、「純粋音楽」として享受される傾向があるようなのだ。つまり「宗教性」という言葉にも実際には 留保がついていて、現在の日本のクラシック音楽の受容において、それは特定の一時的で情緒的な印象を指示するものに過ぎないのかも知れない。

そしてその交響曲の中でも、ブルックナーの場合には比較的明白な序列というのが存在するらしく、例えばそれは第2交響曲と第3交響曲以降の間に あったり(だが、どう考えても線を引くなら第2交響曲の手前が適切ではなかろうか)、 第3交響曲以降では、第6交響曲が別扱いになったりすることに端的に現れているようだ。 (これは第2交響曲が手前に「追い出される」のと丁度対応しているのだろう。実際この2曲はいわゆる各創作時期の「(再)出発」にあたる作品で、 それゆえ、その音楽は自発性に富み、「大胆」で、後述のように内容的にもブルックナーの「基層」がよくうかがえるように思われる。)

そして最後の3曲、とりわけ完成した最後の交響曲である第8交響曲こそが頂点であるという評価に異論が唱えられることはほとんどない。 ある意味では明白な第7交響曲の構成が「弱さ」を持つものとして問題視されることは あっても、例えば第8交響曲を第6交響曲と比較するようなことはまず為されないようだ。(これは両者に類似点がある、ということではなく、線を引くなら 第7交響曲の前ではなく、第6交響曲の前にひくべきで、むしろ第8交響曲は第6、第7と続く路線からすれば路線変更に近い試みであって、 それゆえ出発点である第6交響曲との対比を行うべきなのではないか、ということである。)

未完の第9交響曲はそれゆえに特別扱いされているようだが、 そのフィナーレについて最近論じられるようになってきたとはいっても、多くの場合、またしてもフィナーレの様々なヴァージョンや演奏の聴き比べがなされるのが せいぜいで、それが一応は完成したと見做される3つの楽章の捉え方にどう影響するのかについての議論が為されているようには見受けられない。 寧ろ、シューベルトの未完成交響曲よろしく、「完成した」3楽章で如何に完結しているかが論じられることはあっても、 ブルックナー自身が、アダージョで終わらせる意図など全くなかったことについて、その意図が真剣に受け止められているようには見えない。

つまるところ、(いつものことなのだが)何に対してであれ中途半端な聴き手に過ぎない私にとっては、ブルックナーの音楽自体のみならず、ブルックナーの聴き手の 世界というのも、随分とわからない部分が多いのである。

要するにブルックナーの音楽の存在はすっかり自明のものとなり、すでに問題はその先にあると言わんばかりなのだが、少なくとも私には、実際に演奏するに あたって版を選択する立場にあるかも知れない指揮者や、それ自体が研究の対象でありうる音楽学者のような職業についていない人間にとって、 異稿の問題を論じることにどういう切実な意義があるのか良く理解できないし、様々な指揮者の演奏を隈なく聴いて、その優劣を論じることが ブルックナーの音楽に近づくことにどう役立つのかも良く理解できない。少なくとも私個人としては、そうすることがブルックナーに近づく 必須の条件には感じられない。まあこのことは、恐らくは自分はそうした熱心なファンよりも遥かに手前にいて、遠巻きにして眺めているだけだからに違いないのだが。

無論のこと、ブルックナーのある交響曲について論じようとしたとき、一体どのテキストを対象にしているのかが決まらないことには議論のしようがないのは 明らかなことだ。だから版の問題があることについて知っていることは、その音楽を考えるときに一定の意味を持つのは間違いないだろう。だが、 他人の改変は置くとして、どの版が「真正」であるのか、というのは、問いの立て方自体を再検討する余地があるだろう。私個人としては、改変がある作品に ついては、改変が行われたという事実自体に配慮すべきだと思う。理由はどうであれ、改変がなかった作品には、せずに済んだだけの何かが多分あるのでは ないかと思われるのである。

同じことは人物像にも言えて、批判的な態度で書かれた伝記に窺える人物像と音楽との乖離を確認することは、これはこれで意味のあること、ようするに、 ブルックナーの場合には一般的なロマン主義的なフレームで考えることができないことを確認するためには必要なことだと思うが、その先については まるでこの問題はあえて避けられているかのようにすら思われる。その音楽のナチスとの不幸な関係もあって、「神の楽師」というイメージが否定されるのは 自然な流れなのだろうが、否定した後には様々な矛盾のみが残り、その矛盾について個別には恐らくは確実な方法論をもって論じられることはあっても、 様々な矛盾をトータルに俯瞰し、その間の関係を見出すようなことは、非学問的なこととして禁じられてしまっているようにさえ見える。つまるところ、 謎に立ち向かう手がかりは、他の作曲家の場合に比べて遥かに乏しいというのが実感なのである。

II.
勿論、(これもいつものことであるが、)だからといって私がブルックナーについて何かを言いうるわけではない。 けれども不可解なら不可解なりに、初めて聴いてからもうじき30年になろうという音楽、自己を形成する時期にそれなりの頻度で聴いた音楽ともなれば、 いわゆる姿勢というのは比較的明確であるようだ。時間が長いだけに、それなりに様々な演奏も聴きはしたが、演奏に対する嗜好もまたはっきりとしたものだ。

ブルックナーの音楽は、その理由はどうであれ(実際にはまだ、私にはそれをきちんと言い当てることができないのだが)、極めて主観性が希薄な音楽だ。 それは音楽が情緒的であることと矛盾しない。だが、音楽は内面の、系の内部の記述であるより、「外部」からの進入の(Whitehead的なingressionの 訳語としてのニュアンスを含めた上での、そしてそれをニューラルネット上での組織化のような文脈で捉えなおした限りでの)痕跡であるかのようだ。 同じオルガン奏者で「宗教的な」(そして「非文学的な」)作曲家であるフランクとは、その点で全くと言って良いほど似ていないと思う。

ブルックナーの音楽は、とりわけ交響曲は自分の「住んでいる」風土や環境(必ずしも物理的な意味に限定されないし、 考えようによっては宗教もまたその一部だと 見做して良いのかも知れない)を、寧ろ例外的なまでに無媒介に反映した音楽なのだ。

一方で、例えばある側面では際立った親和性を備えているように思われるシベリウスには全く欠如している、垂直方向の超越の契機がこの音楽には間違いなく あるように思われる。見慣れた風景が、ある瞬間に何者かの息吹に触れて変容する瞬間があるのだ。そして、作曲者の主観は単にそうした風景の変容を 映すために存在しているかのようだ。

そして、音楽における主観性の希薄さ、いわゆるロマン主義の枠に収まらない人と音楽の関係というのは、勿論どこかで 繋がっているに違いない。そしてその繋がり方は、古典期やバロック期の作曲職人(そしてその例外的なケースとしての大バッハ)の場合に寧ろ近いものが あるようでいて、実際には似て非なるもので、これはこれで極めて例外的で孤立した現象なのではないかという感じが拭いがたい。

そしてまた、その例外性は その音楽の価値に見事に見合っているのである。まずもって、交響曲というのは、ブルックナーの場合にはコンサートに提供するという意味合いを含めてすら、 機会音楽的、実用的な意図をもって書かれたものではない。それは注文によるものではないし、注文に応じて提供することを想定して書き溜められたものではないのだ。 そうした側面だけはマーラーなどと共通していて、それはそれで時代を反映しているのである。

マーラーなら大指揮者の道楽と呼ばれた営みなのだが、 ブルックナーの場合には、一体どのように映ったものか。残念ながら退屈さでは群を抜いている伝記を読んでも、なぜかそうした点はあまりはっきりとは 読み取れない。つまるところ客観的な伝記などというのはそれはそれで虚偽であって、奇矯な神の楽師像から離れたブルックナー伝は、 残念ながら、それに替わるフォーカスを持って書かれているとは言い難いように思われる。もっとも、調べれば調べるほど音楽と乖離してゆくその度合いの 甚だしさを思えば、その音楽に関心を持つ者が伝記的な事実に拘泥していられない気持ちになるのはわからなくはない。 結局のところ実証的には知りえない部分、逆に音楽から読み取れない部分からしか、人と作品の関係の特異さの実質は窺い知ることはできないのかも 知れないのだし。

風土の無媒介性という点では、まずは第2交響曲が、ついで第6交響曲がブルックナーの音楽の典型として思い浮かぶ。 これらの作品に価値が置かれることはほぼないと言ってよいのだが、これらはブルックナーの創作のサイクルのそれぞれの開始にあたる曲という点で 共通しており、寧ろこうした曲にこそブルックナーの音楽の「基層」がはっきりと現れているように私には思われる。

そしてそれに後続する作品は、それぞれの 段階での試行錯誤を示しているように思われる。私見では、試行錯誤とはいっても第7、第8交響曲のそれはすでに一旦、第5交響曲に達した後であるが ゆえに、その作品の持つ力は疑いようのないものだと思うが、それに比べれば第3、第4交響曲は、一般的な人気に関わらず、あまりにもその試行錯誤の 痕跡があからさまで、必ずしも説得力を感じない。出発点の第2交響曲は些か別扱いにすべきように思われるが、その後の2曲は 第5交響曲より以降(ということは第6交響曲も含めて、ということだが、)程には「うまく行っている」とは思えない。 第3、第4交響曲こそがブルックナーにとっての頭痛の種であったのはその後の執拗な改訂によって明らかで、要するに この2曲には、その疑いのない魅力にも関わらず、どこか「うまくいっていない」部分があるのだと思うし、それは実際に聴いた印象とも一致する。

だが私にとって、最もブルックナー「らしい」音楽は、間違いなく第5交響曲である。幸か不幸かシャルクの改訂版による初演を聴けず、結局生前本人が 聴くことのなかったこの交響曲は異稿の問題から比較的自由な状態にあるが、第6交響曲(そして第7交響曲)の場合も含め、それが果たしてそうした外面的な状況でのみ 説明ができるものなのかについては議論の余地があるように思われる。

その一方で、「ブルックナー伝説」を拒否する音楽学者が、この曲に作曲当時の 不幸な状況の影を見るのには躊躇しないというのはある意味では驚きですらある。

ブルックナー自身の些か不正確な「幻想的」という言葉を引き合いに 出すまでもなく、この音楽ほど、それが鳴り響く場所が「世の成り行き」から、平凡な日常の風景から隔絶した作品はないのは私には明らかなように思われるのに、 ここにこそ主体の不安や孤独感を見ようというのは、或る種の心理学的なデバイスによる解釈無しには不可能で、マーラーのような自伝的な作曲家の場合で あれば「安易な伝記主義」の廉で批判されるような主張だと思うのだが、ブルックナー研究には私の窺い知れない、マーラーのような場合とは異なった 事情があるのだろう。

いずれにせよ、作品の「雰囲気」だけではなく、その古典的な図式論によっては見通しを得にくい巨視的な構成の率直と言って良い、ほとんど剥き出しな現れ、 試みに前例がないわけではなくとも、ソナタ形式=交響曲の歴史的な発展を考えれば、人によっては反動的という形容をしたくなるであろう、 対位法の徹底的な利用、これまた演奏によってはややもすれば「やかましい」だけと受け取られかねない独特の管弦楽法(これはシャルクの版ではかなり ひどく損なわれている。第5交響曲以外では第9交響曲がこうした凄まじい改変に遭ったというのは私にとっては非常に興味深い)など、様々な意味でこの曲こそ ブルックナーの音楽の「典型」であると言えると思う。

そしてその様式発展を交響曲に限定して見た場合には、ブルックナーはこの曲を到達点として、その後は寧ろ、試行錯誤を繰り返しているようにすら見える。 そしてその試行錯誤の振幅は晩年に進むにつれて大きくなっているように思えてならない。

ちなみに、こうした試行錯誤の結果としての後期作品それぞれの持つベクトルの多様性が現れている演奏は、必ずしも代表的なブルックナー指揮者としては 見做されない指揮者によるものが多いように思われる。交響曲全集を作るような指揮者がその交響曲を基本的に統一的なコンセプトでまとめてあつかう 傾向が相対的に強いのに対し、特定の曲しか取り上げない指揮者では、個別の曲が持つ特性により忠実である場合がより多いのではないか。 勿論、両者の境界は曖昧だし、相関もまた流動的な部分があるが、逆に全集を作るような指揮者においてもとりわけ後期の交響曲については向き不向きが あることがしばしば言われることからも、後期作品の各々のもつ多様性の大きさは窺うことができるように思われる。

一般にはそここそが頂点と見做されている第8交響曲は確かに魅力のある音楽だし、そこに刻印されている力の凄まじさには瞠目するものがあるが、 構成について言えば、一般に言われるほどバランスの取れたものには私には聞こえない。この交響曲は、捉え方によっては第7交響曲以上にアダージョを核とする 構造を持っていて、いわゆるフィナーレ問題の最終回答には到底思えないのだ。真のフィナーレ交響曲といえるものがあるとすれば、ブルックナーの場合には、 それはある意味では「反則技」的にフーガを導入した第5交響曲で、そうした非交響曲的な手段の助けを借りずに、曲全体を見た時にバランスの良いフィナーレを書けたのは、 寧ろ唯一、第6交響曲においてではなかったか、という気がしてならないのだ。

第6交響曲では第5交響曲の達成を受けて或る種の方向転換が生じていて、ここでは別のタイプのフィナーレを 試みようとしたように思われる。そしてその路線は第7交響曲にも引き継がれるのだが、実際には楽章間のバランスだけとれば一見類似した第7交響曲は、 結果的にはかなり異なった構想を持った作品になり、そのフィナーレは全く独特の構造を持った作品となった。この楽章のオリジナリティは、例えば第8交響曲に 頂点を、完成を見るような立場からはうまく捉えることができないようなものなのだ。

あるいはまた、皆がそろって第8交響曲フィナーレにおける主題の統合について語り、それがこの作品の卓越の証に なっているかのような語調がしばしば見受けられるが、技術的な名人芸と全体の構想のバランスは別の次元の問題のはずだ。寧ろ、ここではこの主題の統合という アイデアから逆算されて、フィナーレの構想が定められているように思われ、それにあわせて全曲のデザインが調整されているように見える。

確かにその試みは成功しているように思えるが、私が第8交響曲に見出すのは完成ではなく、寧ろ、試行錯誤、しかも必ずしも完成に向かってのそれではなく、 自分が一旦得たものを捨ててまだ見えぬ目的地に向かおうとする道行なのだ。 そこには寧ろブルックナーの音楽の中では例外的に主観の姿がはっきりと刻印されている。

そしてその音楽はブルックナーの音楽の重要な特質であり、ある種の「開放性」、外部への「開け」を志向せず、寧ろ完結し、閉じようとしているようだ。 ここでのフィナーレの機能は、舞い納め風な第7交響曲におけるそれとは勿論異なるが、外部に向かって「開かれた」フィナーレを持つ第5交響曲のそれとも全く異なって、 ひどく自己完結的に思われる。非常によくできていて、確かにある意味ではブルックナーの到達点を示しているのだろうし、その価値の大きさを認めるに吝かではなくとも、 これはだからブルックナーにおける「典型」ではないように私には感じられるのである。

その志向の例外性、結果としての音楽のこれまたブルックナーの作品の中で唯一といってよい内面の深淵へと降りてゆく有様は、 やはり作曲者自身の抱えていた危機を反映していると考えるのが自然だろう。第9交響曲もまた、恐らくは同じ危機の裡に書かれているのだが、そこでは また別の―だが実際にはブルックナー固有の音調が再び―現れている。第8交響曲についてはちょうど第4交響曲がそうであるように、ブルックナー自身の 証言もあって、標題に関する議論があるが、私見では、ブルックナーがたどたどしい―マーラーの後付け表題だって、見方によっては随分と稚拙だとみなせるが、 ブルックナーの場合には、勿論、読書の虫であったマーラーの比ではなく、彼自身もそれを自覚していて、言葉よりもオルガンでの方がよほど自分の 気持ちを正しく伝えられると述べているほどではないか―ことばで言った、そのことばを云々して標題性を議論するのは全くの筋違いで、むしろそのことばの 背後にある衝動の深さを聴き取るべきなのだ。

改訂作業もまた、ここでは常には外からやってくるものに忠実であったブルックナーが最大の批判力を発揮して、寧ろ一度きりマーラー的といっていいような態度で 内容と図式の緊張関係を扱っているのだ。常には自己の衝動と終生範とした図式論の間の不一致を、寧ろ調停せずに楽曲へともたらすことで、 結果的に図式に新しいものをもたらしていた。とはいえ、これは改訂におけるメトリックスの修正を否定するものではない。勿論、初期の不規則なメトリックの方が オリジナルな衝動には忠実で、改訂はそれを整序しようという意図が働いたのは事実であるが、そもそもメトリックスの修正が「調停」をもたらしたかどうかは 別の問題なのだ。また、調停が一見うまくいっていないことが即、知的作業の欠如を意味するわけでもない。調停なしに楽曲を作り上げるのは寧ろ困難で、ブルックナーは 徹底した基礎訓練の成果と職人的な徹底によってその困難をその都度乗り越えてきたのだ―本人にとってはいつも満足のいくものではなかったようだが。

そのブルックナーが、ここでは珍しく両者に折り合いをつけようとしているかのように見える。 改訂稿において唯一沈黙のうちに終わる冒頭楽章などはその辺の消息を告げているものと思われる。

勿論、こうしたベクトルは第6交響曲でのブロック間の連結の平滑化の工夫を嚆矢とし、第7交響曲では「問題ある」フィナーレを除いては滑らかな構造の獲得に成功 していることの延長線上にあるという見方もできなくはないだろう。だが、そうだとしても―別にレヴィに疑念を呈されたからというわけではなく、―そのままうまくいくかに見えた作業は 第8交響曲の第1稿においてとにかく頓挫したのである。第9交響曲の戸口まで既に辿り着こうというばかりであったというのに、ブルックナーはやり直さなくてはならなかった。

例えば第8交響曲での第1楽章のコーダの改稿の延長線上に第9交響曲第1楽章のコーダの空虚5度を見ると、第8交響曲の第1稿で進みたかった、だが軌道修正の 結果、そちらに進めなかった方向に、第9交響曲で再度進もうとする意思のようなものを感じずにはいられないのである。勿論、軌道修正の成果は大きく、 多くの人が最高傑作と見做す作品が生み出されたのではあるが、ブルックナー自身にとってその代償は小さなものではなかったのではないかと思えてならないのである。

別に旧作の改訂だけが回り道だったのではないだろう。結果論で判断するからそのようには言われなくても、第8交響曲の改稿とて、やはりまわり道だったのではないだろうか。 つまるところ、ブルックナーの音楽において常には窺うことができる、そしてこの後の第9交響曲にも再びたしかに窺える、ある種のdetachmentの側面がこの曲に関しては希薄で、 それゆえとりわけ私は一般には最も完璧な出来であるとされるフィナーレに、何か不可能事を捻じ伏せようとしているかのような印象を拭いがたいのだ。

だからこの曲については、ブルックナーが改訂によってある意味ではそのような解釈の口実を与えたかのように見えたとしても、 スピノザ的に観照的な、あたかも悟ったかのような、あるいは客観的な秩序の静的な不動性を強調する演奏は、私は聞きたいとは思わない。

ここでは ブルックナーの改訂は、丁度マーラーの第6交響曲において形式が果たしているような機能を目指していたのだと思う。 結果として衝動の深さと形式の枠の拮抗は、 ここではほとんど聴き手にとって耐え難いほどのものに思われる。

だからある意味でこの音楽を頂点と見做すのも故無しとはしないが、 これはブルックナー自身にとっても例外的な出来事だったはずだし、その例外性はその音楽の風景の特異さを考えれば、寧ろ際立った特徴だと私には思われるのだが。

例えばシベリウスにも第4交響曲のような些かいつもとは風景の異なる音楽が存在するし、この場合とある点で共通性があるように感じられるが、 ブルックナーの第8交響曲の場合の方が遥かに徹底していると思う。ここでは音楽はいつものように外から訪れはしない。内側で嵐のように荒れ狂い、 それが時折、外の風景と同化するのだ。

重要なのは意識がそもそも外に向いていない、ひたすら内側に、自己の奥底に下りていこうとしているように 思われる点である。そういうベクトルを指して(ちょうどベーメやエックハルトについてそういわれるように)「神秘的」というのであれば、この音楽は神秘的で、 その閉鎖性だけをとれば普段はあれほど違うフランクにこの一度きり近づいているようにも感じられる。

だがにも関わらず、フランクの交響曲のある意味 ではわかりやすいそれに比しても、私にはブルックナーの第8交響曲のフィナーレの音楽をどのように受け止めたらよいのか訝しく思われる瞬間があるのだ。

この音楽を聴いて私は熱狂などできない。至福に満たされるということもない。アダージョのあの地底湖を思わせるような意識の更に奥底の深淵での彷徨を経て このフィナーレが始まったとき、私はしばしば戸惑うのだ。恐らく自分に何かが欠けているのだろうと思う。それゆえ自分には不可能な何かを課されているような 気持ちになるのだ。私はしばしば音楽に取り残されてしまう。そんなのはお前個人の資質の問題でブルックナーの音楽のこれほどまでに明らかな偉大さとは 関係ない、といわれればそれまでなのだが…

(慧眼な方は、もしそうならお前は第9交響曲のフィナーレが完成されなかったことについて心のどこかで ほっとしているのではないか、と指摘されるかもしれない。おっしゃるとおりで、私にはあの曲のフィナーレなど全く想像がつかない。シェーンベルクは マーラーについて第9交響曲が限界だと―第10交響曲のスケッチを知らずに―述べたが、寧ろその「限界」はブルックナーの第9交響曲のフィナーレに 対してこそ相応しかったのでは、と感じているのだ。そしてもしブルックナーのそれを「限界」と見做すのであれば、寧ろ思い起こされるのは後年 シェーンベルクが「モーセとアロン」の第3幕で直面したであろう状況なのである。勿論実際にはブルックナー自身はそれを「限界」だと―少なくとも意識の上では― 認めていなかっただろうが。更に言えば、カトリックとユダヤ教徒の違いを踏まえて考えれば、第9交響曲における「テ・デウム」は、「モーセとアロン」の第3幕で とられる語りによる「解決策」とどことなく並行しているようにさえ感じられるのである。つまりどちらも音楽的に実現されたレベルでは、あるいはもっと狭くは 様式の問題に限っても、明らかに釣り合いが取れていないのだが、にも関わらず、少なくとも意図の水準では完璧に実質にみあっているのだ。)

第7交響曲の構成についてはしばしば批難の対象になるが、古典派の交響曲、ベートーヴェンでも第5,9交響曲を除くそれらにおいて、楽章間のバランスが どんなものであったかを思い起こすならば、第7交響曲の構造についての批判はすくなくとも正当なものではないし、寧ろここでは別の論理、しかも それはブルックナーにおいては極めて基本的な原理とでも呼べるようなものが、比較的自由なかたちで発現していることに注目すべきではないのか。

多くの人が直感的に受け取り、そして賞賛するこの曲の際立った流麗さは決して根拠のないことではないし、寧ろ、そのよって来るところを確認すべきなの ではないか。私には第3楽章までは「うまく行っていた」のが、「フィナーレ」において先祖がえりを起こしたかのように古いスタイルに戻ってしまった故に、 音楽に断絶が起きているというようにはあまり思えないのである。フィナーレは、寧ろ「フィナーレ問題」などに悩む必要のなかった時代の交響曲の フィナーレが持つ自在さを闊達さをブルックナー独自の様式において実現していると見える。一見バランスが悪く見える、第2楽章を頂点とする 頭でっかちな構成もまた同様である。例えばアダージョを第3楽章に置くようなことは―実際に試みた例があるそうだが―ちょっと考えられない。 ここではこのフィナーレでいいのだと思う。そしてこの流れの自然さの方が、ブルックナーの音楽に特徴的な主体の様態をよく反映しているように感じられるのである。

III.
ブルックナーの音楽は、ハイドンの交響曲が着想上そうであった以上に標題的ということはないだろう。また、その音楽の構造はマーラーの場合とは異なって、 心理的な主観の意識の流れとか、「ロマン=小説」のアナロジーで説明ができるようなものではない。ブルックナーは文学的な人間ではなかったようだし、 かといって哲学や自然科学のような領域に通じていたわけではないようだ。従って、その音楽をある世界観の表現を「意図」したものである、ということは 全くできないだろう。

だが、にも関わらず、その音楽には風景がないわけではないし、その音楽が何かを表現していないとは言えないと思うし、レナード・メイヤーのいう 「絶対的な表現主義者」の立場が適切なのはブルックナーの場合にもいえると思う。 そしてこうした受け止め方をする私にとって、最も自然に受け止められる演奏は、オイゲン・ヨッフムのものである。そしてそれは単に、ヨッフムの1度目の全集の バイエルン放送交響楽団との第5交響曲と第2交響曲、ベルリン・フィルとの第9交響曲のレコードを聴くことを通してブルックナーを知るようになったことや、 唯一接した実演が、ヨッフムの最後の来日でアムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団と演奏した第7交響曲であったといった、 個人的な受容の経緯にのみ根ざしているわけではないと思う。 ヨッフムの演奏について良く言われることとして、フレージングが極めて念入りであり、その点での楽譜の読みは非常に徹底していること、(それを恣意的と 感じる人がいるのは知っているが、)テンポの設定に関してブルックナーの作品の巨視的なデザインを踏まえた設計をしていること、その結果、こけおどし的な 壮大さやスケール感のようなものとは無縁であること、あるいはまた、しばしばオルガンの即興演奏に喩えられるブルックナーの音楽の休止の扱い、 とりわけ残響についての配慮などが挙げられ、これらは皆的確で重要な指摘だと思うが、そうした点を踏まえた上で私が感じるのは、そこではブルックナーの 音楽が全く自然なものとして、ほとんど身体化された風土や環境のようなものとして響いているということである。

カテドラルや修道院を中心とした旧市街を持つ、伝統的なカトリック圏のヨーロッパの地方都市を訪れた人なら、ほとんど皮膚感覚として「わかって」しまうような 生理的な自然さがそこにはあるように思われるのだ。私は、そうしたある街(実はドイツでもオーストリアでもないのだが)の旧市街の縁にあって 新市街との緩衝帯のような位置にある緑豊かな公園にいて、カテドラルの鐘の音を耳にし、おそらくはたまたまその時が休日の午後であったゆえにその公園で 演奏されていた楽隊の音楽を耳にし、秋の始めの気持ちよく晴れ上がった空の下、心地よい湿度と温度の風に吹かれていたときに、そのときの身体感覚が まさにブルックナーの音楽から聴こえていたそれとぴったり重なるといってよいほど似たものであることに突如気づいて、非常に驚いた経験がある。

ヨッフムの演奏は「場所」の感覚という点ではある種特別な位置を占めているように思われるのだが、にもかかわらず「客観的」で「楽譜通り」の演奏というには程遠く、 一般にブルックナー解釈として近年―そう、あくまで近年、である―「推奨される」様式からは些か隔たっている(恐らくは寧ろ過去の属する)ようだ。 だが、そもそも「解釈」しようという姿勢が間違っている、という聴き手の意見は「客観性」が「売り」ということになっている演奏家ですら、 当惑してしまうような極論だろう。ブルックナーの場合には版の問題なども絡むので話がひときわ厄介になっているようだが、「純正な」 楽譜を「そのまま」演奏するというのは、ほとんどの場合聴き手の幻想に過ぎない。 音楽に限らず、何かテクニカルな側面のある 仕事なら多かれ少なかれそうだと思うが、必ず「現場の作業」というのはあって、経験が問われたり、結果的に個性が現れたり するのもそうした部分なのだ。 出来上がった「製品」を消費し、星などをつけてランク付けをしている分には関係ないことなのかも 知れないが―そしてこれは聴き手だけの問題ではない、これだけ作品が普及してしまうと演奏自体がそのようなコピー紛いのもの になってしまう危険だってあるのだ―その結果として、不当にもその価値に見合わないような貶され方をするケースが出てくるとなれば、 些か問題に感じられてならない。

そんなことはどうでもいい、ブルックナーの音楽は「普遍的な」ものではないか、と言われるかも知れない。だが、その「普遍性」の 内実はどうだろう。「普遍性」という符牒のもと、個人の趣味や嗜好の呉越同舟が起きていたりはしていないか。「普遍性」とは名ばかりで実はヘーゲルの言う ところの「抽象的な」ものに過ぎず、ちっともブルックナーの音楽そのものには近づいていないということはないだろうか?

誤解を避けるために急いで付け加えるが、こう言っているからといって、主観的な経験の質を軽んじる気は全くない。 多くの人が語る、言われるところのブルックナーの音楽に含まれる「神秘的な」質には、きっと空虚な名辞に留まらない実質が備わっているし、 そこではWhitehead的な意味合いでの「感受の伝達」、「享受」(何ならLévinasの享受論をつき合わせても良いだろう)が起きているに違いない。 例えばその経験の一片が脳神経科学的に記述可能になり、そうした経験の一片の等価物が、例えば脳のある部分を 電気的に刺激することで得られる、あるいは或る種の伝達物質の強化や抑制によって生理学的に説明ができたとしても構わないのである。 音楽が感覚的なものを伴って、「人間のもの」である以上、ブルックナーの音楽の経験の実質とは、まずはそこにある筈ではないか。

だが、そうした還元主義的な説明が可能になっても、なお主観的なクオリアは残るし、経験の総体は複雑すぎて手に負えないものにとどまるだろう。 それは「普遍性」の名の元に希薄化された感覚的なパターンの連なりなどではないだろう。 「普遍性」はここでは「悪しき」還元主義に加担しているともいえる。 それは経験の豊かさと深みを、表面的で断片的な音響事象に置き換えることで、ヘーゲル的な意味での「個別性」から離れるどころか、 寧ろ「具体性」を損なっているのだ。 還元主義的な説明を貫徹すれば、所詮は程度の問題に過ぎないのだろうが、その程度こそが通常の文脈では決定的な質の違いに対応する筈なのである。

要するに、その質とその質を実現する音楽の構造なり機構なりの具体的で実質的な記述が問題なのだ。 だがそれは私のような、アドルノであれば「レベルの低い」と彼が暗黙のうちにみなしていたであろう聴取類型に位置づけられる人間にはおよそ不可能な課題なのだろう。

勿論それは、よく行われるような、そして実際にブルックナーの場合にはそうした「反復」は見た目にも明らかなだけに容易でもあり、 それ自体については異論の余地もあまりない、皮相な表面上の「特徴」を列挙するようなレベルではどうにもならない。

ブルックナーの出発点なり素材なりをではなく、その到達点の特異性や結果の例外性を明らかにしようとしたとき、例えば伝統的な図式論が 通用しないことは明白であっても、単なる記述を超えた「原理」を探り当てるのは容易な作業ではないようで、しばしば逸脱の距離を測定する作業に終始して しまうことも稀ではないようだ。とりわけ出発点にした規範があからさまで、一見したところ時代の趨勢に比べても保守的な姿勢に見えるだけに、そして、 さらには、これまた一見した限りでは、最初には図式から無意識に逸脱していた衝動を創作を重ねるに従って徐々に図式と調停していったプロセスが 取り出せるように見えるだけに、事はますます厄介なのだ。

規範的な図式とそれからの逸脱という構図で測ることができるのは寧ろその交響曲創作の初期段階の方であって、 後期作品に同じやり方で望んでも、彼が獲得したものは見つけられないだろう。

はたまた、これまた一見その様式変動を知る手がかりを提供しそうに見える改訂作業は、寧ろ彼が獲得したものをわかりにくくしているようにすら思える。 改訂は新しい作品を書くのに比べてはるかに素材の制約が大きくなるわけだし、改訂部分の比較に よって明らかになるのは、ごく表面的な特徴の変化に過ぎないかも知れないのだ。 本当に動いているものは勿論、新しい作品の構想そのものにこそ見出せる筈なのだから。

だとすれば、それでは、新作が形成される過程を草稿を跡付けることで追跡すればそれがわかるかといえば、勿論それが多くのことを教えてくれることは確実で あっても、かならずしも最終的な答えを保証するわけではないこともまた、明らかだろう。実証的に確認できるそのプロセスは単なる逡巡、回り道に過ぎず、 結局最終的に獲得されたものにこそ秘密が潜んでいるはずなのだから。

そんなこんながあって、どうやらブルックナーに関してはアドルノいうところの「聴取のエキスパート」の 要求水準は止まる所を知らぬかのようで、例えば和声学の知識のない人間が読むにはいささか敷居の高いに違いない作曲家の手になる著作でさえ、 所詮は楽曲解説に過ぎないといったような厳しい評価が音楽学者から行われているのを見れば、私のような素人は言葉もでなくなってしまい、 その戸惑いは深まるばかりだ。膨大な形式分析の成果が立ちはだかり、くだんのクオリアに辿り着く日が果たして来るのか、心もとなくなってしまうのである。

そして恐らくこのことは、言われるところの「宗教性」「信仰」に関しても言えることだと思う。 ブルックナーの交響曲を非宗教化することが間違いであるとは全く思わない(何しろそれは狭義の宗教音楽、つまり教会音楽ではないのだ)が、だからといって、 信仰や、あるいはもっと広く言って「超越」に関する感受性の違いが、演奏者においてはその演奏に、聴き手においては音楽の享受の仕方に現れることもまた、 否定しがたいように思えるのだ。

そこにある楽譜を音にするだけだ、というアプローチはブルックナーのような参照的な文脈の希薄な音楽の場合には、一見したところ有効で あるように思われる。だが、その結果がどんなものになるかはもはや疑問の余地がないほど明確ではなかろうか。

そしてブルックナーのような参照先の乏しい 「絶対音楽」に限って、また、そうした「即物的」と呼ばれるアプローチに限って、演奏者とその解釈が徒にクローズアップされ、どの演奏なり解釈を良しとするかの 議論がまるで宗教論争のような様相を呈するのは皮肉なことではあるが、ある意味では自然な成り行きなのだろう。要するに、実は趣味なり嗜好なりが そこには忍び込んでいて、音楽の「絶対性」はそうした、もしかしたら一時的な印象にしか過ぎないものの隠れ蓑になっているのだ。

もちろん「客観性」などは虚偽に過ぎない。「これしかない」と顕揚され、「即物的」と呼ばれる解釈の、現実には何と恣意的でローカルなことか。 実際にはさまざまな地点からの主観的な眺望があるに過ぎない。実際のところブルックナーのスコアは演奏の現場において或る種の「読み」を介在させること なく鳴らすことはありえないというのに。「こうでしかありえない」が展望の数だけあるとしたら、その結果だけを並べてその優劣を論じること(あるいは点数でも、 星の数でも、何でも結構だが)に一体何の意味があるのか?点数付けは一次元の測度を持ち込むことを意味するが、その「客観的な」根拠が示された例は ないといって良い。にもかかわらず、あたかも「唯一の」演奏があり、「客観性」な評価尺度が可能であるかのような口調がそこかしこに見られるのは奇異ですらある。

そういう転倒(と私には感じられる)はブルックナーの場合にはとりわけ顕著なようで、例えば、ある演奏を激賞したかと思えば、 別の演奏をまるで無価値であるかのように断罪し、少なからずブルックナー受容に影響を及ぼしたに違いない評論が、一方では情緒的で、 ほとんど感傷的といってもよいような主観的な印象の羅列でブルックナーについて語るかと思えば、あるところではブルックナーの音楽の極めて基本的な構造を、 よりによって古典派的な構造と比較して相対的に劣ったものと判断するに至ったといったようなことが起きているのを見れば、これはこれで首を捻らざるを得ない。

音楽家は演奏によって、時間と空間の隔たりを越えて各人それぞれのブルックナーに対する理解と共感を示すことができる。(或いは無理解と勘違いに気づく こともあるようだが、それにつきあわされる人間にとってははなはだ迷惑なことに違いないし、そんなことには関わりたいとは私は思わない。)

作曲家はブルックナーの音楽のある側面に、今日における冒険に誘うような刺激を見出すかも知れない。あるいはブルックナーの作品の成立過程を追跡する 音楽学的な作業は、それ自体追求するに値するだけの複雑さと問題を秘めているのだろう。

だが、ブルックナーの音楽を受容する聴き手はどうなのか。 ブルックナーの音楽に対する熱狂的なファンとは到底言えない私のような人間は、結局のところそうしたブルックナー受容を遠目に眺めつつ、 所詮、自分のような人間には到底理解できない謎を前にしているのではないかという感覚にさいなまれながら、それでもその謎を全く無視してしまうこともできずに 些か中途半端な行きつ戻りつを延々と続けていくしかないのである。

IV.
第5交響曲以後のブルックナーの後期の試行錯誤の頂点は勿論、第9交響曲にある。否、それはもはや頂点と呼ぶのが適切かどうかもわからない。 それは臨界を越えてしまっているかもしれない。そして未完成で終わったからには、完成した暁にどのようなものになったかを知る術はない。残された草稿は 素材の加工のある段階を示しているに過ぎず、とりあえずであっても作曲者が完成したと見做した時点でどのような姿になっていたかを想像することは 結局のところは不可能なのだ。少なくとも残された断片を単純に繋ぎ合わせたものを音にしたものをもってそのフィナーレの価値を云々するのは 不当なことにしか感じられず、果てはその結論がアダージョで終結するのが妥当だったなどという見解になるのを見れば、ブルックナーの心情を想像するにつけ、 些か義憤のようなものすら感ずるほどである。

また、比較の対象としてマーラーの第10交響曲を引き合いに出すような論調も、ブルックナーとマーラーの作曲プロセスの違いを 考えれば著しくブルックナーに対して不当な姿勢のように思える。手近な例を挙げれば、例えば第9交響曲の第2楽章スケルツォのトリオが辿った紆余曲折を 思い起こせば、素材としてはほぼ揃っているといっても現状をもとにして最終形を判断することなど出来るはずはないのだ。マーラーの場合には、その 作曲の方法も幸いして、クックが手にしたのは、程度の差はあっても、少なくとも作曲のある段階まではプロセスとして終了しているものだったのだが、 ブルックナーにはそれは当て嵌まらない。そうした違いを無視した比較にどういう意義があるのか私にはよくわからないのである。

ブルックナーの場合には、逆にアダージョでの完結性が強調され、しばしば完成度では完成作に遜色ない「未完成交響曲」というイメージがあまりに 流布してしまっているがゆえに、フィナーレの意義を尊重する側の人間が残されたフィナーレの草稿に含まれる実質について些か誇大な アピールをしないとならないような 奇妙な状況が起きているのだ。要するに一般に思われているほどフィナーレ草稿は実質がないものではなく、ブルックナーがアダージョまでの3楽章で 到達した高みに絶望してフィナーレについては全くお手上げの状態であったというのは伝説に過ぎない。しかしその一方で、確かに完成した 3つの楽章の独創性を思えば、それに釣り合う―しかも第8交響曲で舐めた軌道修正の苦汁は第9交響曲においては第3楽章まででは回避できたのであったから それだけに一層―ブルックナー自身が「神に捧げる」に相応しいと考えるフィナーレを書く作業が困難を極めたのもまた、確かなことなのである。 旧作の改訂自体、不可能事に対する無意識の逃避ではなかったかという憶測すら一概に否定し難い雰囲気があるのは否定できないが、 それは3楽章までで音楽が完結しているかどうかとは別の話のはずである。

この音楽に一体人は何を見出すのだろう。或る種のdetachmentがあるのは確実だ。だが、それを単純に「天国的」という言葉で言ってしまっていいものか。 とりわけ未完成に終わったフィナーレを踏まえて完成された楽章を聴いたとき、その音楽は、寧ろ、作曲者自身が手探りで進むしかない、 全くの未聞の領域に踏み込んでいたのでは、という感じの方が強い。フィナーレの音楽に対する拒絶反応は、実はその音楽が素材のレベルですでに あまりに「進みすぎて」いて、第8交響曲までのブルックナーのイメージでは捉えきれないほど斬新な構想を含んでいるからではないかとすら思えるほどである。 確かにそれは素材のまま並べても、支離滅裂なものにしか聴こえないかも知れないが、実際、それまでの3楽章で切り開かれた地平は、和声法一つとっても、 全く斬新なものだったのだから、フィナーレ素材がかくも「奇怪な」様相を呈しているのは、寧ろ全体の構想を考えれば「釣り合っている」のである。

この音楽を聴くと、第8交響曲があまりに人間的で、シューベルトの音楽の延長線上にあること、そして寧ろブルックナーにおいては一度きり例外的に ベートーヴェンへと逆に辿っていることを感じずにはいられない。構成上の逡巡もそうした、自分本来の志向から離れていくベクトルを持った試行錯誤を 物語っているようだ。

それに対して第9交響曲は、そうした意味合いでは全くもって「ブルックナー的」で、ここでの試行錯誤は自分本来の方向に戻り、 更にそれを今までにないほど極端に推し進めるベクトルを持っているように思われる。そしてその結果としてここでは、もはや試行錯誤する主体の意志は 音楽を進める直接的な動因にはなっていないようなのだ。ここでは第8交響曲とは異なって、音楽はあらかじめ決められた構想の枠内に収まろうとは していない。
もしかしたらフィナーレが未完成で終わったのも、最後まで納得がいく形姿をブルックナー自身が捕らえられなかった故ではないかという 気さえするが、完成している3つの楽章にしても、そのそれぞれが、それまでのどの作品にも増して、一見統一感を損なうように感じられるほど、楽章の 内部に独自の論理を備えているように感じられる。確かに、これに釣り合うフィナーレを書くことは困難であったに違いない。

だがそれゆえに、残されたスケッチを もってフィナーレの価値を云々するのは全く不当なことに思われるし、例えば第8交響曲の構想をもってこの作品を測るのは全く不適切なことのように 感じられてならない。むしろ第4交響曲と第5交響曲の間にも広がっている溝の、何倍ものスケールのものが第8交響曲と第9交響曲の間に広がっていると 考えるべきなのだ。第5交響曲は一旦完成したのちは改訂の対象にならなかったが、完成するまでには他の作品の改訂と同じくらいの見直しが 行われたようだが、だとしたら、第9交響曲もまた、完成するまでには、それを上回るような見直しが必要であったと考える方が自然ではなかろうか。

例えば第1楽章のコーダにおいて、音楽が一体どこで鳴っているのか、その経過の主体が何であるのかを適切にいうことは現在の私にはできない。 あるいは第2楽章の響く空間が、現実のどこかにあるとは思えない一方で、それが一個人の内面であるとも思えない。第3楽章もまた、この光に包まれた 風景が一体どこなのかを表現する言葉を持たない。「天国的」「神秘的」「宇宙的」などといった言葉はこうした音楽を前にしては陳腐で、最早なにも 言っていないに等しい。それは超越的なものとでも呼ぶほかのない、他者の息吹に充ちているのは確かだが、これが「愛する神」への語りかけなのだろうか。 いや、語りかける「私」が一体どこいるというのか。これはまだ、「意識の音楽」なのだろうか?「意識の音楽」はここで極限に達する。これはそのままの 姿では通り過ぎることの出来ない門に似ているように思われる。

第5交響曲にも確かにdetachmentがあり、しかもそれはブルックナーにおいても一度限り達成された純粋さと徹底を示していて 自己放棄の弁証法が端的に実現されているように思われるのに対し、ここでのdetachmentの何とあてどの なく、よるべのないことか。
別段標題的な要素を持ち出す必要はないのだが、それでもなおここには或る種の危機が刻印されているという感じは否定し難い。 その様態をもし「祈り」と呼ぶのであれば、ここには第8交響曲には窺えた意志的な闘争はもはやなく、 「祈り」の受動性があるばかりなのだが、その様態に対応して響いてくる音楽には、祈る者が抱いている不安がこだましているように思えてならない。

自己放棄の弁証法は、ここに至って停止してしまっている、あるいは止揚は時間の外に延期されてしまい、実現しないのではないだろうかという感じを 否定するのは難しい。繰り返しになるが、シェーンベルクがマーラーの第9交響曲について言った「限界」は、寧ろ、ブルックナーの第9交響曲の アダージョとフィナーレの間に広がっていたのではないかと思われてならない。ここでは第8交響曲の(とりわけ改訂の)場合とは異なって、ブルックナーは もはや図式論と内容を規定する衝動の調停を放棄しているように見える。音楽は図式をはみださんばかりに膨れ上がり、最早出発点とした図式は ほとんど機能していない。寧ろここでは音楽が図式を産み出しているのだ。

結果を漫然と聴く人間はしばしば聞き流してしまいさえするのだが、 ブルックナーがそれまでの作品で辿ってきたプロセスを思い浮かべるとき、一例に過ぎないが、第1楽章コーダでの空虚5度、あるいは 第2楽章スケルツォの主部よりも早いトリオ、そして3楽章通して、あちらこちらに響きわたる不協和音が、どれもこれも全くのオリジナルな 「結論」であることに驚愕せざるを得ない。ありていにいって奇跡の連続のような音楽ではないか。こうした音楽に対して 一体どのようなフィナーレが可能だというのか。

勿論、そうした閃きは決して「ただ」ではやってこない。後世の人にすら30年間同じことをずっとやっていると嘲笑われるような長い時間がその「閃き」を 可能にしたのに違いないのだ。だからそれを僥倖と呼ぶのは間違っている。だが、その「閃き」はdetachmentともまた不可分に違いない。 一定の期間一定の労力をかければ確実に得られる対価の如きものではない。そして、ブルックナー自身にもその自覚はあったようなのだが、 それは「誰のもとにも」起きることでもないのだ。「自分」にはそれが起きることを知っていればこそ、彼は作曲を止めなかった。それは神からの授かり物で あって、決してぞんざいに扱ってはならないものだから。おそらくブルックナーは日々刻苦しつつ、やはりフィナーレにおいても「待っていた」のだろうと思う。 それがこの世においては最後まで到来しないかも知れないという予感を持ちながら、、、

人によってはこの音楽の―とりわけフィナーレ断片の―異様な相貌に、自己の有限性に直面した作曲家が闘うことになった「懐疑」の痕跡を 見出すようだ。ここにあるのが「懐疑」なのかどうかについては、私はまだ確信をもって言うことができそうにないが、作曲者が個体としての限界に 向き合った時に、その信仰が素朴で無媒介であったがゆえに、作曲者の心の中で自己の有限性がどのように捉えられていたのか、 そうした問いかけをしたくなるような凄みがこの音楽にはあるのは確かなことに思われる。

ブルックナーはこの曲を「神」に捧げるといったと伝えられるが、それは祈りの「ための」音楽を書くという意味ではないだろう。 ここでは音楽は瞑想の道具ではないし、音楽によって永遠の瞬間を定着させようなどといった 「意図」の賢しらさとは、この音楽は全く無縁なのだ。デュパルクが晩年の沈黙のなかで手探りをしたあの道程が、ここでは奇跡的に音楽として定着されている。 相転移の向こう側の、常には沈黙が支配する領域が、何かの間違いでこちら側に音楽として結晶してしまったような、そうした感じを受けるのだ。

そして恐らく交響曲というフォーマットは、そういう営みの例外的な「無益さ」、この世の何もののためのものでもないという特殊性を受け止めるのには 相応しいものであったのではないだろうか。マーラーとは異なって、ブルックナーは自分では全く自覚することも意図することもないまま、交響曲を未聞の 営為の媒体とした。彼にとって宗教音楽は、「実用的」「機会的」なものだった。そして彼は、今日における宗教性をトレードマークにする作曲家のように、 「自分が生きている世界には祈りが欠けている」などといったようなことは決して言わなかっただろうし、そのようなことは思いつきもしなかっただろう。 否、自分が生み出す音楽が「この世」において如何なる機能を持つものか、彼にはわからなかっただろう。けれども、それがある「別の」価値を持ったもので あるという確信はあったに違いないし、その彼の確信と無関係な部分で彼の音楽を聴くことは、少なくとも私にとっては意味のないことなのだ。

私にとっては学術的な価値とは関係なく、こうした問題系を巡っての問いかけの方がずっと切実な問題で、 私がブルックナーを聴く理由に近いものがあると感じているのである。第9交響曲のフィナーレを生きているうちには完成できないと 悟ったブルックナーが「テ・デウム」を続けて演奏して欲しいといったということばを受け止めるとき、「テ・デウム」が一体どのような言葉で結ばれるかを 思い浮かべることなくその是非を論じることができるというのは、私にはちょっと理解できない。「テ・デウム」は以下の様な言葉で終わるのである。

In Te, Domine, speravi:
Non confundar in aeternum

「主よ、われ御身により頼みたり、
わが望みはとこしえに空しからまじ。」
(訳は公教会祈祷文による。)


そして異稿の問題などよりも、この一節をかつて第7交響曲のアダージョで引用し、そしてまたこの第9交響曲ではフィナーレにおいて「テ・デウム」を引用する、 もっと言えば「テ・デウム」を織り込むことにしていたという事実の方が余程私にとっては問題である。

ついでに言えば、第9交響曲は、完成する前から「愛する神に」 献呈するのだとブルックナーは言っていたそうだが、「テ・デウム」もまた、数多の苦難を耐え忍ぶことができたことへの感謝の念をこめて神に捧げられた音楽だった ことにも注意すべきだろう。皇帝に対して「テ・デウム」を献呈してはどうかと勧められた彼は、それを断っているのである。そしてその皇帝には第8交響曲 が献呈されていることもまた、考え合わせても良いかもしれない。

献呈の問題はしばしば便宜的なものに過ぎないとされるし、実際、ブルックナーの場合も 多くはそうなのだが、だからといって、「テ・デウム」や第9交響曲の場合を同列に扱うのは適切だとは思えない。そしてまたもや、フィナーレ断片に聴き取ることが 出来る「テ・デウム」のこだまを聴くとき、ブルックナーが第9交響曲に込めた思いの深さを、そしてまた、どんなにこの曲の完成を望んでいたかを感じずには いられない。

アダージョの後に「テ・デウム」を並べるのはあくまで現実的な代替案に過ぎないから、実際の演奏の場において常にそれを行うべきであるとまでは 思わないが、それでもあのアダージョの後に―それがこの世では実現不可能なものであったとしても―フィナーレがあるのだ、この曲はアダージョで完結などしていないのだ、 ということを心に留めて音楽に接するのが、自分にできるせめてもの「敬意」の表明なのだと思う。

これこそ「あまりに人間的な」顛末ではないだろうか。ブルックナーの音楽に「等身大の人間」を見出そうというのなら、伝説の類を否定しておきながら、 結局のところアネクドットの類に過ぎない事実によって、その「憎めない人間像」を描き出すのも結構だが、寧ろ第9交響曲に垣間見える、 このような側面こそ取り上げるべきではないだろうか。

(ちなみに、私は上記の聖句のsperaviがsperoの完了形であることを訝しく感じていた。この聖歌は4世紀の聖アンブロジウスによるもので、聖アウグスティヌスに洗礼を授けた後に、 その喜びのうちで創り上げたという言い伝えがあるらしい。とすれば、アンブロジウスがこの聖歌を創った時点、この一節を語りだした「現在」においては、 まさに文脈上、speroは一人称単数完了形speraviのかたちを取らねばならなかったのだろう。ところで興味深いのは、同じことがここでのブルックナーについても 言えるということである。何故なら、かつて創り上げた「テ・デウム」をフィナーレに織り込み、それの完成が果たせないと悟ったとき、この言葉を 全曲の結びにして欲しいと願ったのだから。些細なことかも知れないし、いささか牽強付会の感じもあるが備忘のために付記しておく。なお聖句の時制の教義上の解釈の仕方については、旧約学者の小河信一先生に伺うことができたので、その内容を 「テ・デウム末尾のsperoの時制解釈について―小河信一先生による―」 として先生の許可をいただいた上で公開した。 非常に貴重な内容なので、私の考えに同意できない方も、小河先生の説明の方は是非、ご一読いただきたくお願いしたい。)

*       *       *

私はブルックナーの熱心な聴き手ではない。その人は身近な存在ではないし、その音楽は時折あまりに「非現実的」に感じられる。音楽を聴いている 時間だけ「そのつもりになる」ことは、その音楽の背後にある認識の、存在の様態を自己のネットワークに移植することには必ずしも繋がらない。 日々世の成り行きに振り回されている人間が、「この世ならぬ」ブルックナーの音楽に一時陶酔することに一体どういう価値があるのかについて懐疑的な 人がいたとしても、それが不当なこととは私には思えない。

だが、ブルックナーは私にとって最も大きな謎であり、しかもその謎はなかったことにするわけにはいかない性質のものであるようだ。 ある時期、ブルックナーのような音楽は最早私にとって無用なものとなったと感じたことがあった。だが、他の多くの場合とは異なって、ブルックナーの 音楽はまだ自分の中にこだましているようだ。あるいはいずれ、本当に無用であることを確認して終わるかも知れない。

だが、その一方で、この音楽が時折私に垣間見せるある諧調、ある風景が自分にとっての「結論」への通路になっているかも知れないとも感じている。 問いに対する答えが何時得られるのか、果たして何時か得られるようなものなのかもわからない。 だがしばらくは、ブルックナーの音楽に向き合う時間というのが私にとっては必要なものであるのは間違いのないことのようだ。 時折、水を乞い求めるかのようにブルックナーの音楽に向き合うことが私にはどうやら欠かせないらしいのだ。 しかもそれは単なるサウンドとして、あるいは情緒的に消費してしまっておしまいというわけにはいかない「ひっかかり」を持っているのだ。

世の中に宗教的といわれる音楽は色々とある。同時代の作曲家にももっと直裁に宗教性を前面に打ち出した音楽があるのを知らないではない。 だが結局、私が乞い求めているものは、どうやらブルックナーの作品の幾つかの裡にこそ、最も確実にあるようなのだ。 一世紀半も昔の、異国のしかもひどくローカルな音楽、しかも自分の気質や性格とはおよそ懸け離れた音楽が一体私に何の関わりがあるというのか、 という気がしないでもないし、問題意識の共有というのとははっきりと異なるが、でもそこに、他の一見良く似た雰囲気を持つ作品には見出せない 何かがあることを否定することはできないのである。(2007.7.27/30, 8.3/4,10/13,16,18/20,25定稿. 2008.1.5改訂, 1.10, 14, 一部改訂9.23, 10.4, 2009.6.29, 11.7/8、2022.7.16誤字訂正, 2024.5.15過去の関連記事を復元して再公開し、関連記事リストを作成。)

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